『きけわだつみのこえ』を改変する出版社


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 これまで、昭和二十二年発行の戦没学生遺稿集『はるかなる山河に』が、
岩波書店や光文社など発行の『きけわだつみのこえ』(『はるかなる山河
に』を底本)に改変があることは指摘されてきていました。事例を紹介します。

 『はるかなる山河に』(光文社、昭和34年)に掲載された中村徳郎氏の
文章は下記のとおりですが、前半(赤字)は『きけわだつみのこえ』に
掲載されていません。つまり削除です。また竹田喜義氏の例も紹介します。

1.中村徳郎氏の場合
 9月20日

野口兄から便りが来た。淡々として綴られた一行

一句が何と美しい響きをを持つてゐることか。

心憎いまでに巧みな表現も裡に銀の鈴の様な音が響いて來る。

『「手入れ良好」な兵器は矢張り美しく光ってゐるし、

『 いざといふ場合にははつきりした物を言ふのである。

  (以下のみ掲載)
 原の真中へ横たわる。『確率論』(岩波全書、末綱恕一著)が、青し空と
鉛色の雲の中から、抱きしめるように私を嬉しがらせた。

2.竹田喜義の場合
『きけわだつみのこえ』の下記の俳句のみ記載。

父母恋
柿の皮さらさら剥けて母恋し
藤棚の葉のみ繁りし日々なりき

『はるかなる山河に』にある下記の文章は掲載されていません。

軍隊生活では、ともすれば気持が現実的に足許ばかり

凝視めているこが多かつた。短いながいも、

家郷で送った朝は私に日本人としての夢と理想を

与えてくれた。

家郷には、なつかしい日本の歴史の血脈と美しい

日本の風土があつた。

それらのものを胸奥に刻み込んで、戦場に立つことが

出来るのを幸福に思ふ。


以上のことを、『週刊文春』平成10年8月27日が中村徳郎氏のことを
まじえて紹介しています。

戦没学生の遺稿集『きけわだつみのこえ』といえば、昭和24年の刊行
以来、累計2百万部を上回る戦後屈指の大ベストセラー。初版刊行から
半世紀を経た現在でも岩波文庫に収録され、毎年約4万部が刺刷される。
この書は、いわゆる「戦後民主主義」の精神的支柱を形成した代表的な著作。
ところが、その“古典“が遺族から訴えられるというのだ。
(中略)
訴えを起すのは、元わだつみ会理事長の中村克郎氏と、同会元会員の
西原若菜さん。
訴えによれば、平成7年に再編集して出版された『新版きけわだつみの
こえ』には、原告中村氏の兄、中村徳郎の遺稿だけでも、大小合わせれば
270数力所におよぶ「改変」や「削除」がなされているという。
(中略)
「本来『わだつみ会』というのは、戦没学生の願いだった恒久平和の維持を
目的に、中村氏ら遺族関係者が『わだつみ』の印税をもとに設立した団体
です。が、平成6年4月の総会で一部の人々が、中村理事長らを追い出す
かたちで強引に会の主導権を握った。
そして新執行部は『わだつみ』の旧版を絶版にし、『新版』に編集しなおして
岩波から出版したんです。それ以降は戦没学生記念会を名乗りながらも、
実態はきわめて尖鋭な政治的主張を繰り返す団体と化しました。
今や『戦没学徒も侵略戦争の加書者』なとと叫びはじめています。
そのため、遺族関係者や良心的な会員が次々に脱会しました。
今年の2月には、脱会した会員が中村氏を囲むかたちで『わだつみ遺族
の会』をつくりました。
(中略)
しかし、今回発見されたガリ版原稿と『新版』とを照らし合わせると、
高橋氏の言う「政治的意図なし」「改変なし」の編集だったとは思えない。
たとえば、早大から学徒出陣し、神風特別攻撃員として沖縄東南海上で
戦死した市島保男の日記。「ガリ版原稿」には、昭和17年11月30日
から20年4月29日までが記載されているが、『新版』の掲載は
昭和17年11月30日から20年4月24日まで。スッポリ削除された
4月27日の日記には、こう綴られているのだ。

〈皇国の興廃正に沖縄の一戦に繋る時、幸にして本作戦に身を投じ護国の
鬼と化するは小官の最も欣快と為す所なり。悠久三千年の光輝ある祖国は
今や開闢以魔翼その止まる所を知らず、遂に神州の一隅に追り来る。
我等盡忠の青年起たずして誰か皇国を救はん。我等眉を上げ胸に沸る熱き
血潮を愛する祖国に捧げ、寄せ来る沖津白波を身を以て防ぎ止めん。(中略)
嗚呼幸ひなるかな我、神州に生を享け神州に生を俸ぐ。
大和男子の本会これに過ぐるものなし。

最終更新:2010年06月17日 15:10