【元ネタ】史実、『保元物語』、『椿説弓張月』等
【CLASS】
アーチャー
【マスター】
【真名】
源為朝
【性別】男性
【身長・体重】210cm・147kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷B 魔力E 幸運C 宝具C++
【クラス別スキル】
対魔力:C+
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
『
天魔の加護』スキルにより、外法の術に対して高い耐性を発揮する。
単独行動:A
マスター不在でも行動できる。
ただし宝具の使用などの膨大な魔力を必要とする場合はマスターのバックアップが必要。
【固有スキル】
椿説・弓張月:A
一矢にて二人の武者を射抜き、素手にて四矢を捕らえる
アーチャーの逸話が昇華した、矢に対する捕捉能力。
自身が矢と認識したものをを放った際にはその軌道を自由自在に変化させ、自らに向かう矢であればその軌道を瞬時に把握する。
あくまで
アーチャーが「矢」であると認識する物であれば、およそ矢とは考えられないような構造物でも対象とすることができる。
その為彼の放つ矢は戦禍で齎された瓦礫であることもあれば、矢としては非現実的な軌道を描くこともある。
自己改造:D
戦闘に特化した形態に自己の肉体を改造する。
弓による射撃に特化され、腕をその都度最適な長さに調節可能。
破天荒:A
自由奔放な生き様。
良くも悪くも常道に囚われず、己が心の赴くままに動く。
その結果、敵の権謀術数を凌駕する展開を導き出す能力。
このスキルを打ち破るには幸運、もしくは純粋な実力が必要となる。
天魔の加護:B
大魔縁と化した崇徳院による守護の恩寵。
呪詛・妖術といった外法への耐性を獲得する他、危機的状況において魔的な現象を伴った支援が行われる。
強力な支援が見込まれる反面、当スキルの保持者はランクが高いほど天魔の眷属と同一視される傾向にある。
【宝具】
『鎮西無双・鎧袖一触(ちんぜいむそう・がいしゅういっしょく)』
ランク:C++ 種別:対人/対軍/対城宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:500人
数百人乗りの軍船、黒髪山の大蛇、疱瘡神といった巨敵を悉く屠った
アーチャーの武威が剛弓として具現化したもの。
真名解放により
アーチャーが巨敵であると判断した対象へ、多角的に見た強大さに比例して威力を上乗せされた一射を放つ。
真名解放前ですら強力無比を誇る
アーチャーの弓勢にさらなる破壊力が加算される脅威は計り知れない。
だが、増強された威力に比例して懸かる負荷は、
アーチャーの剛健を以ってしても無視できぬものとなる。
【Weapon】
『真鶴の太刀』
アーチャーが崇徳院と父の霊より授かった太刀。
かつては鳥羽上皇が所有する鵜丸という名であったが、数奇な運命の果てにその名を変え舜天王の、ひいては琉球の忘れ形見になったという。
『大型八龍』
アーチャーの体格に合わせて仕立てた、源氏八領の一つ『八龍』と同型の大鎧。
武闘派サーヴァントとの攻防でも通用する程の頑丈さを持つ。
『無銘・大矢』
後世に槍と間違われたという逸話を遺すほどに長大な、
アーチャーの矢。
スキル『
椿説・弓張月』と
アーチャーの豪勇に掛かれば、一流の槍兵に匹敵する槍(矢)捌きをも可能とする。
【解説】
敵をして「無双の弓矢の達者」と称された、平安末期の武将。源為義が八男、人呼んで「鎮西八郎」。
弓を引くために体つきであったと言われる通り、七尺に及ぶ巨躯に右腕より四寸長い左腕を持ち合わせていた。
その気性の荒さ故に13歳で為義に勘当され九州に流されたが、独断で『鎮西総追捕使』を称して当地の豪族たちと争い僅か3年で平定。
この狼藉に際して都への出頭を命じられるもの為朝は従わず、父はその責任を取らされ解官された。
これを機に為朝は28騎の鎮西武者を連れて上洛したが、翌年に起きた保元の乱に巻き込まれる。
乱では父と共に
崇徳上皇側につき、後白河天皇についた長兄義朝と対立。
兄の夜襲を予見し上皇側も夜襲すべきと提案するも、左大臣藤原頼長は乱暴が過ぎると咎めこれを退ける。
予見通り源義朝は上皇軍に夜襲を仕掛け、これに対し為朝は鎮西武者を連れ奮戦するも坂東武者200騎の前には無勢であった。
鎮西武者は壊滅し、本陣も天皇軍の火攻めに遭い陥落。為義は意気消沈し子息らを連れて降伏するも勅命の下斬首される。
為朝は逃亡するも病を患い、湯治先で湯屋の密告により拘束された。
乱も落ち着いた中、為朝はその武勇を惜しまれて助命される。両肘の腱を断たれた上で伊豆大島に流刑となった。
しかし傷が癒えると現地民と敗残兵を率いて再び暴れ回り伊豆七島一帯を支配。
年貢が長く滞ったことで討伐の院宣がくだり、100艘余・500騎余の追討軍を差し向けられる。
これには抵抗しても無駄と悟った為朝は島で生まれた息子を刺殺し、弓矢を手に取り軍船を沈没させた。
その後館に戻り、柱に背を向けて自害。享年32。
当時よりその勇猛さを知られた為朝には様々な伝承が存在する。
中でも滝沢馬琴と
葛飾北斎により紡がれた「椿説弓張月」には伊豆大島で討伐軍を向けられた彼の「その後」が描かれている。
重税に苦しむ島民を救ったことで討伐軍を向けられた為朝は落ち延び、旅路の肥後にて白縫との間に息子舜天丸が誕生した。
そして一家は家臣と共に海路で京を目指すが荒天の中妻は嵐に身を投げ、息子とは生き別れ漂流の末琉球へとたどり着く。
しかしその琉球は愚王と佞臣が治め、王が蛟塚を暴いたことで妖僧・朦雲が爆誕し、彼に簒奪されようとしている末世であった。
朦雲が放った妖怪が跋扈し宮廷の者を駆逐する中、為朝は王の寵姫である寧王女の窮地を助ける。
寧王女から彼女に白縫の魂が宿っていることを告げられ二人は契りを結び、諸悪の根源である朦雲と対峙するも大敗。
再起をかけて旅をする中、遭難ではぐれた鎮西武者28騎の生き残り八町礫紀平治と舜天丸の二人と再会する。
改めてそろった為朝「一家」はついに朦雲を討伐。蛟となった朦雲の亡骸からは「琉球」を表す二つの宝珠が現れた。
しかし数奇な運命は既に畢竟。寧王女の肉体を支えた白縫の魂は力尽き、為朝にも「迎え」が訪れた。
為朝は真鶴の太刀を息子に授け昇天。遺された舜天丸は舜天王を名乗り、善政を敷いて民を導いたという。
宝珠を廃し受け継がれた太刀とある金の札を国王の印としたこの王朝こそが、語られし王朝「舜天王統」であった。
息子の善政を期待し琉球を去った為朝は、崇徳院の霊廟にて腹を十字に裂き息絶えた。
最終更新:2023年11月03日 22:43