【元ネタ】史実
【CLASS】
バーサーカー
【マスター】
【真名】山中鹿之介幸盛
【性別】男性
【身長・体重】175cm・89kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久B+ 敏捷B 魔力D 幸運D 宝具C+
【クラス別スキル】
狂化:D+
願わくば、我に七難八苦を与えたまえ───
滅亡した主家再興の為に、あらゆる苦難も乗り越えてみせるという強烈な忠誠心が彼を狂わせた。
意思疎通は可能だが、主君の為ならばたとえ絶望的状況下でも戦い続けるだろう。
【固有スキル】
不撓不屈:B+
バーサーカーの精神性、信念が形になったもの。
戦闘続行と魔力回復だが、ガッツが発動した際にその真価を発揮する。
勇士たるもの、窮地に陥った時こそ逆転の炎を燃やすのだ。
瞬間的な自己回復(魔力)としても機能し、発動すればマスター不在でも宝具の真名解放が可能となる。
忠士の相:A
マスターに忠誠を誓い、同時にマスターからも信頼を寄せられる。
バーサーカーは主家滅亡後も尼子家の再興を志し戦い続けた忠義の将である。
山陰の麒麟児:A-
南北朝時代の英雄・
楠木正成より勝ると讃えられた武勇と軍才。勇猛、軍略、
仕切り直しを含む複合スキル。
ただし狂化の影響も相まって主君の勝利を最優先し、自身の生存は優先されない。
【宝具】
『三日月宗近(みかづきむねちか)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:-
江戸時代に編纂された書物「享保名物帳」にてバーサーカーが一時佩用していたと伝承される太刀。
天下五剣の一つとされる名剣であり、対人宝具の『対人』は敵ではなく、これから所有するものに向けられたもの。
同じ天下五剣の中で最も美しいと評され、その美しさは魔術における究極の美───
即ち、観測者すら美しくする効果を持つ領域にある。
バーサーカーが容貌に優れた勇猛な美男子として名を残した一因には、この名剣の存在が関与しているとも考えられる。
『月天祈願・七難八苦(われにしちなんはっくをあたえたまえ)』
ランク:C+ 種別:対人(自身)宝具 レンジ:- 最大捕捉:1人
滅亡した尼子家再興のため三日月に祈った逸話、三日月の前立てに鹿の角の脇立ての兜や天下五剣の一振りである三日月宗近を所有した逸話、
そして自身が死ぬまで三度に渡り尼子再興運動を続けた史実が合わさり昇華された宝具。
バーサーカーがダメージやバッドステータスを負い窮地に陥ることで自動的に真名解放が為され、攻撃性能及び防御性能が向上する。
ダメージやバッドステータスが蓄積してより深い窮地に陥ることで最大三回まで発動し、
最終段階まで発動した状態のバーサーカーは大英雄レベルのサーヴァント相手でも互角以上に渡り合うほどの性能を発揮する。
【解説】
優れた武勇で「山陰の麒麟児」の異名を持つ尼子十勇士筆頭の戦国武将。
出自は諸説あるが幼少期から尼子家に仕え、僅か8歳で敵を討ち取り、10歳で武芸や軍法を学び、13歳で敵の首級を挙げて手柄を立て、
16歳で主君・尼子義久の伯耆尾高城攻めに随行し、猛将・菊池音八を一騎討ちで仕留めたという。
三日月を信仰し、尼子再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったとされる。
毛利元就が尼子氏を滅ぼすため進軍してきた際にも参戦し、毛利軍に敗北したものの幸盛は約200の兵を率いて殿を担当し、
追撃する毛利軍を7度に渡って撃退、7人の敵を討ち取ったとされる。
その後、毛利軍と幾度も戦いその度に幸盛は戦果を挙げるが次第に兵糧が尽き、逃げ出す将兵も相次いだことで義久は毛利軍に降伏し、尼子氏は滅亡することになる。
尼子氏滅亡後、その再興のため幸盛は潜伏していた旧臣達に檄を飛ばし5日の内に軍を集めると毛利軍に占拠されたかつての居城・月山富田城に攻め入る。
しかし、石見国で活動していた尼子再興軍が毛利軍に襲われ窮地に陥ったため、幸盛は城攻めを中断し駆けつけ毛利軍を撃破する。
その後、多くの主要な城を攻略し謀略によって敵将を何人も味方につけ勢力を拡大するも、それらに時間を取られたために月山富田城を未だ攻略出来ずにいた。
そして毛利軍との決戦となる布部山の戦いにて尼子再興軍は敗北するも元就が病に倒れ毛利軍が手薄となると再び勢力を拡大する。
しかし起き上がった元就が派遣した軍によって幸盛が幽閉され1回目の尼子再興運動は失敗に終わる。
脱獄した幸盛は再び尼子再興の機会を伺い、鳥取城を攻略し因幡国を足がかりに勢力を拡大しようとするが、
味方につけた大名が毛利軍に寝返り鳥取城を奪い返されてしまう。
拠点を移した尼子再興軍に毛利軍が総攻撃を開始し撃退するも、圧力を受け続け孤立した尼子再興軍は因幡国から撤退し2回目の尼子再興運動も失敗に終わる。
撤退した幸盛は京で
織田信長に謁見し、織田軍の下で尼子再興を目指す。
明智光秀、織田信忠、羽柴秀吉の軍に加わり数々の戦果を挙げるが、ある時尼子再興軍が立て篭もる上月城が包囲された際、
秀吉は救援に向かうも最終的に見捨てて撤退した結果、尼子再興軍は毛利軍に降伏、
多くの者が切腹、処刑され幸盛も人質とされた後に謀殺され、最後の尼子再興運動も失敗に終わった。
最終更新:2024年10月30日 00:04