マニ

【元ネタ】史実
【CLASS】キャスター
【マスター】
【真名】マニ
【性別】男性
【身長・体重】160cm・52kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力E 耐久D 敏捷D 魔力A 幸運C 宝具B++
【クラス別スキル】
陣地作成:B
 魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
 結界の展開の他、陣地を洋の東西問わず宗教的建造物に偽装できる。

道具作成:C
 魔力を帯びた器具を作成可能。
 経典の他、人心に働きかける魔力を帯びた絵画を作成可能。

【固有スキル】
諸教混交:A
 シンクレティズム。多宗教の教義を折衷して形成され、またそれらの宗教を装って布教されたマニ教の性質。
 信仰者が抱く同教徒と異教徒の認識を幻惑し、キャスター及びその信徒を自身と信仰を同じくする者だと錯覚させる。

高速詠唱:B
 魔術詠唱を早める技術。
 キャスターの場合、魔術ではなく経典作成の進みに恩恵を得ている。
 芸術的な才能も持つキャスターは画集教典の作成を自ら行う。

医術:B+
 生前に会得した様々な医療技術。
 なお、このスキルは現代の基準で比較するのではなく、サーヴァントの生きた時代の基準で判断するものとする。
 キャスターはこの技術でササン朝に宮廷に取り入った説がある事からスキルを使用する度に周囲の人間から好感を得る事が出来る。

【宝具】
『涅槃寂滅への帰還(アセンション・トゥ・ニルヴァーナ)』
ランク:B++ 種別:教義宝具 レンジ:0~50 最大捕捉:90人
 キャスターが生涯を賭して創造と布教を成した、マニ教という宗教それ自体が宝具。
 その実態はキャスターの体内に常時展開される固有結界。
 第一の効果として物質を精神の下位に置く教義を具現化し、キャスターの信仰と意志が健在である限りエーテル体を含めた物質を用いる攻撃の一切を無効化・反射する。
 第二の効果として多宗教の要素が混在したマニ教の性質を反映し、神や信仰に由来した干渉を分解して威力を自身の魔力へと還元してしまう。
 真名解放によって固有結界を外界へと展開し、生前のキャスターが描画した宗教画の如き心象風景へと対象を内包。
 物質によって形成された肉体や武装は無力化され、神性や神の加護を持つ者からは力が収奪される。
 ただし運用に伴うリスクは無視できず、余りに高威力・高ランクなスキルや宝具に対してはキャスター自身の霊基が耐えきれずに反動によって霊核が砕け散る危険がある。
 仮にマニ教が現代まで世界宗教として繁栄していたなら、この宝具は何者も逆らえぬ絶大な権能と化していたかもしれない。

【解説】
 3世紀ペルシア生まれの宗教家であり、拝火教・仏教・一神教等の諸宗教の教義を折衷した「マニ教」の開祖。

 彼は貴族の家に生まれ、血統から言えば「パルティアの貴公子」とも言える存在だった。
 貴族の父・パティークはユダヤ教・キリスト教・グノーシス主義の習合的宗教組織・エルカサイ教団に所属し、
 教団が女人禁制だったため、身重の母マルヤムを放り出した。
 マニは4歳まで母に育てられたが、父が迎えに来て、以後青春時代を教団で生活した。
 教団内の書物を読み漁り、ユダヤ教・キリスト教の教義や複数の言語を習得し、
 12歳のとき、自らの使命を明らかにする神の「啓示」に初めて接した。
 マニは24歳で再び啓示を受け、自らを「預言者」「光の使徒」と称して開教した。

 マニ教を創始したマニは、啓示を受けた預言者として弟子を集めた。
 彼の教えはゾロアスター教・キリスト教・仏教などの流れを汲みながら、
 グノーシス主義・ミスラ教・ズルワーン教などの影響を受ける諸教混交な宗教形式であった。
 マニ教の教団は伝道先でキリスト教や仏教を名乗ることでアジアからヨーロッパまで広がりを見せた。

 マニは世界宗教の教祖としては珍しく、自ら経典を書き残し、
 サーサーン朝の皇帝シャープール1世に捧げた著作『シャープーラカン』で教義を体系的にまとめた。
 皇帝との謁見後、マニには医術の心得があったため、医者として宮廷に召し抱えられることになり、
 シャープール1世はマニを寵愛し、しばしば遠征に同行させた。

 しかし、マニ教の教義には「善神アフラ・マズダが悪神アンリマユに敗北する」、
 「ザラスシュトラは失敗した預言者である」など、ゾロアスター教神官団にとって
 不快な内容が多々含まれており、マニは後にゾロアスター教司祭の反対で迫害を受けた。
 マニはシャープール1世の跡を継いだバハラーム1世の怒りを買い、逮捕されてしまう。
 マニの最期についてはよく分かっておらず、磔刑に処されたとも、
 生きたまま皮を剥がれ、その後首を斬られたとも、監禁され獄死したともされる。
 教祖の死はマニ教徒にとっては忌まわしいものではなく、
 西方ではイエス・キリストになぞらえて「殉教」、東方では仏滅になぞらえて「涅槃」と称された。

 マニの生涯は、苦難と信仰の旅路だったと言える。
 新たな宗教を生んだ創造力と預言者としてのカリスマ性は確かなものであったが、
 異端視され、政治的対立で悲劇的な最期を迎えるなど時代に翻弄された預言者であった。
 彼の死後も、マニ教は独自の宗教観で多くの信者を魅了し、
 東西文化交流の架け橋となり、その影響は、中世の宗教思想に及んでいる。
 マニの生涯は、激動の時代を映す鏡でもあり、彼の遺産は今日、学問的関心を集めている。
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最終更新:2025年05月19日 16:01