プロフィール
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選手名 -岩村 明憲(いわむら あきのり)
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背番号 - ヤクルト時代 48(98年~00年)→1(99年~06年)→48(13年~) レイズ時代 1(07年~09年) パイレーツ時代 3(10年) アスレチックス時代 1(10年) 楽天時代 1(11年~12年)
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出身地 - 愛媛県宇和島市
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身長/体重 - 176㎝/80㎏
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投打 - 右投左打
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球歴 - 宇和島東高-ヤクルト/東京ヤクルト(96年ドラフト2位)-デビルレイズ/レイズ-パイレーツ-アスレチックス-東北楽天-東京ヤクルト
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顔文字 - ( ゚∀゚)
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実況板でのあだ名 - 岩村さん、赤、上村さん
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関連用語 - 岩村軍団、ショートに打たせてくださいよ、宇和島人
入団前
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愛媛県の強豪、宇和島東高で1年先輩の宮出と共に活躍。「四国の怪童」との異名をとり、ある日の県予選で1番バッターで出場したらプレーボールでいきなり敬遠された事もあるらしい。
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高校全日本では4番にも座っている。フィリピン遠征ではリサール・メモリアルスタジアムでホームランを放ち、球場フェンスに「Iwamura Akinori」の名前が刻まれている。
この画像は岩村公式HPで閲覧可能となっていた。
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一時期捕手をしており、当時宇和島東のエースだった宮出とバッテリーも組んでいる。
ヤクルト時代
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1年目から戸田で活躍。3年目の00年にサードのレギュラーを獲得し、ゴールデングラブ賞も受賞する。
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01年からはかつて若松元監督や池山が背負っていたミスタースワローズの代名詞である背番号1を継承。
2年連続のゴールデングラブ受賞。打撃面でもラミレスと恐怖の下位打線を結成してチームの日本一に大きく貢献する。
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02年はフル出場+3割20本の成績を残し3年連続でゴールデングラブ、そして初のベストナインにも輝く。
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03年は開幕戦でいきなり右手首を故障し長期離脱。結果的にこの離脱はこの年から加入した鈴木健の大活躍のきっかけとなる。
終盤に復帰しセンターを守ったりもしていた。
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04年は鈴木健、ラミレスと共にしりとりクリーンナップを結成。ペタジーニに並ぶ球団記録シーズン44本(ヤクルトの日本人選手としては新記録)のHRを放ち4度目のゴールデングラブを獲得。
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05年は2年連続で3割、30本、100打点の活躍で5度目のゴールデングラブも獲得した。
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06年は開幕前のWBC日本代表にも選出。シーズンでは不動の3番打者に座り、打点が多少少ないものの、打率、本塁打は流石の成績。
8月には月間12本塁打を放ち、リグスと並んで月間本塁打球団記録12本(92年のハウエルが保持)を達成。
06年9月25日の中日戦で3年連続30本塁打を達成。
なおこの記録はマニエル、池山、ペタジーニ、ラミレスに続く球団史上5人目の大記録。スワローズの日本人選手としては2人目。
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06年オフにポスティングシステムによる移籍でデビルレイズへ移籍。以前からの目標であったメジャーへの挑戦を叶えた。
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岩村選手からファンのみなさんへ最後のメッセージ(公式サイトより・リンク切れ)
「10年間、この神宮でファンのみなさん、チームメイト、監督・コーチ、スタッフ、球団関係者、みなさんに支えられて自分の野球スタイルを築くことができました。
宇和島から大都会・東京に出てきて、第2の故郷は、この神宮のサードベースの横だと思っています。
この10年、ファンの方々から叱咤激励をしてもらい、ここまで成長することができました。これからはヤクルトOBとしてアメリカで全力でプレーしていきたい。
ヤクルトのユニフォームを脱ぐことを選びましたが、この決断をまだ理解されてない方には、向こうで納得、理解できるプレーをして見せたいと思います。
朝のテレビ中継などで、一日でも早く、一日でも多く活躍できるよう頑張ります。ボクもアメリカからヤクルトの動向を気にしています。
みなさんも岩村を忘れずに応援してください」
メジャー時代
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デビルレイズではヤクルト時代と同じく背番号1を背負い、1番サードとして活躍。シーズン開幕まもなく右わき腹痛で故障者リスト入りしてしまうが、
その後は順調に行き、最終的に打率.285、三塁打リーグ2位とルーキーシーズンとしてはまずまずの打撃成績を残し、三塁守備ではメジャートップの守備率を記録した。
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08年には球団名が「タンパベイ・デビルレイズ」から「タンパベイ・レイズ」と変更され、新生レイズの1番打者として活躍。
デビルレイズといえば万年最下位の弱小チームであったが、松坂、岡島が所属するレッドソックス、松井秀、井川が所属するヤンキースという強豪を抑え、ア・リーグ東地区でチーム創設初の地区優勝を果たした。
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09年5月に守備でランナーと交錯し、じん帯を部分断裂。当初はシーズン絶望とされていたが、ケガが想定よりは重くなく3ヶ月間の離脱ののち復帰した。
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09年11月にジェシー・チャベス投手とのトレードでパイレーツに移籍することが決まった。
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10年はパイレーツでレギュラーとして54試合に出場するが、40打席連続ノーヒットなどの打撃不振から戦力外通告を受けマイナー降格となった。
9月に解雇され、アスレチックスに移籍。アスレチックスでの出場は10試合で、10月に解雇された。
東北楽天時代
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2011年シーズンに星野仙一監督が就任すると「お前と野球がしたい」の口説き文句で東北楽天に移籍
ヤクルトファンの一部からはがっかりする声があがり、フロントを批判する風潮もあった。
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ただ、シーズンが始まると東日本大震災の復興の象徴となりたいという願いも虚しく
極度の不振に陥り、攻守ともに精彩を欠いている。
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膝の故障による影響か、体型の肥大化による動きのキレの悪さは素人目にも明らかであり
(2月のキャンプインから程なくして、チーム内では岩村の動きの悪さが“評判”になっていたらしい)
ヤクルトフロントと星野の先見性に関する評価が逆転してしまった
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12年は26試合の出場にとどまり、10月に戦力外通告された。
ヤクルト復帰
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戦力外通告後からヤクルト復帰の可能性が報道されており、12月に復帰が正式に決定。
背番号は入団当初に付けていた「48」となった。
三振王
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上記の様に素晴らしい活躍を見せているが、岩村を語るには「三振」がかかせない。
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パワーヒッターに三振は付き物というが岩村の場合尋常ではない。レギュラー定着時からコンスタントに100三振し、
04年には173三振というプロ野球史上日本人最多シーズン三振という数字をたたき出した。
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05年も146三振をし堂々2年連続でセリーグ三振王になる。
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このような事から実況板住民も日常化している岩村の三振にはあまり怒らず、貫禄という言葉で片付けられてしまっている。
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ところでこんなに三振して何故打率3割なのかと言うとそれは
帳尻永遠の謎である。
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05年から左投手を苦手とする現象が露骨に現れ、06年はトップクラスの左投手が出るとほぼ確実に凡退していた。
メジャー志向
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強烈なメジャー志向の持ち主でもある。英語もペラペラであり、チーム内でもラミレスを始めとした外国人選手と仲が良い。
シーズンオフにアメリカのラミレスの家まで遊びに行くほどである。
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03年頃から球団にメジャー直訴→日本一+大活躍が条件→できませんを繰り返していた。
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04年シーズンではこれまであまりしなかった盗塁をすると宣言していたが8盗塁。
しかしオフに開催された日米野球ではここぞとばかりに盗塁しまくりメジャースカウトに実力をアピール。
これには実況板住民も苦笑するしかなかった。
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06年オフにメジャー挑戦を改めて表明。球団もポスティングシステムによる移籍を容認し、移籍金5億3000万でデビルレイズに落札された。
契約時のアメリカ版Yahoo!ニュースでは今江(ロッテ)と間違えられている。
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このメジャー志向の為か、実況板では岩村の事をA・イワムラ(アレックス・ロドリゲス=Aロッドが元ネタと思われる)とさも外国人であるかの様に言われる事がある。
メジャー移籍後の実況板では「レイズのサードが欲しい」「あのイワムラって選手良いね」というネタも出ている。
その他
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藤井と仲が悪いというネタが存在する。
発端は岩村と藤井がある試合でお立ち台に上がった際、岩村がヒーローインタビューを終えると藤井を待たずにさっさとクラブハウスへ帰ってしまったという話である。(この事件は実際あったかどうか不明)
加えて、ウッズの暴行事件に際して移籍選手である鈴木健などはすぐに仲裁に入ったのに岩村はマウンドに駆けつけることもなく、事後のブログで「投手はなぜ逃げなかったのでしょうか」と、
藤井をあえて「投手」と呼び、チームメイトを気遣う様子もほとんどなかったこともヤクルトファンの間で話題となった
軽い感じの藤井と基本的に真面目な岩村ではソリが合わないだろうというイメージもこのネタの浸透に一役買っていると思われる。
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04年の川崎(元ヤクルト、当時中日)引退試合の際、3番として出場した岩村は1回表に川崎から三振を喫す。
この試合ではヤクルト側の配慮もあり、1番、2番に90年代ヤクルト黄金期を川崎と共に支えた古田、宮本を起用。この両者を三振に打ち取った後岩村と対戦。
川崎と縁の深い古田、宮本が配慮して三振するというのは分かるが、特に縁のない岩村までが三振したのは
川崎への配慮ではなく岩村だけガチの三振だったというネタとなっている(岩村さんだけはガチ)。
もちろん岩村も引退する川崎に配慮しての三振であっただろうが、岩村は極端に三振の多い打者という背景がある為にこういったネタが生まれたと考えられる。
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メジャー移籍時、「アメリカでもヤクルトのラーメンを食べたい」という発言を伝え聞いたヤクルト本社から「麺許皆伝」というヤクルト本社製ラーメンを送られた。
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過去にはセカンドゴロ(二塁ゴロ)の多さからアヒャ村ニゴ憲と呼ばれる事もあった。
外部リンク
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年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 四死球 | 三振 | 盗塁 | 打率 |
1998 | ヤクルト | 1 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 |
1999 | ヤクルト | 83 | 252 | 28 | 74 | 11 | 4 | 11 | 35 | 19 | 46 | 7 | .294 |
2000 | ヤクルト | 130 | 436 | 67 | 121 | 13 | 9 | 18 | 66 | 43 | 103 | 13 | .278 |
2001 | ヤクルト | 136 | 520 | 79 | 149 | 24 | 4 | 18 | 81 | 35 | 111 | 15 | .287 |
2002 | ヤクルト | 140 | 510 | 67 | 163 | 35 | 2 | 23 | 71 | 61 | 114 | 5 | .320 |
2003 | ヤクルト | 60 | 232 | 43 | 61 | 6 | 2 | 12 | 35 | 23 | 55 | 5 | .263 |
2004 | ヤクルト | 138 | 533 | 99 | 160 | 19 | 0 | 44 | 103 | 74 | 173 | 8 | .300 |
2005 | ヤクルト | 144 | 548 | 83 | 175 | 31 | 4 | 30 | 102 | 65 | 146 | 6 | .319 |
2006 | 東京ヤクルト | 145 | 546 | 84 | 170 | 27 | 2 | 32 | 77 | 76 | 128 | 8 | .311 |
2007 | デビルレイズ | 123 | 491 | 82 | 140 | 21 | 10 | 7 | 34 | 59 | 114 | 12 | .285 |
2008 | レイズ | 152 | 627 | 91 | 172 | 30 | 9 | 6 | 48 | 77 | 131 | 8 | .274 |
2009 | レイズ | 69 | 231 | 28 | 67 | 16 | 2 | 1 | 22 | 25 | 44 | 9 | .290 |
2010 | パイレーツ | 54 | 165 | 18 | 30 | 6 | 1 | 2 | 9 | 26 | 31 | 3 | .182 |
2010 | アスレチックス | 10 | 31 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 4 | 5 | 10 | 0 | .129 |
2011 | 東北楽天 | 77 | 175 | 9 | 32 | 6 | 0 | 0 | 9 | 18 | 41 | 0 | .183 |
2012 | 東北楽天 | 26 | 67 | 9 | 14 | 6 | 0 | 1 | 5 | 11 | 10 | 0 | .209 |
| NPB通算 | 1080 | 3822 | 568 | 1119 | 178 | 27 | 189 | 584 | 420 | 929 | 67 | .293 |
| MLB通算 | 408 | 1545 | 222 | 413 | 74 | 22 | 16 | 117 | 192 | 330 | 32 | .267 |
タイトル
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セントラル・リーグベストナイン三塁手部門:2回(02年・06年)
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セントラル・リーグゴールデングラブ賞三塁手部門:6回(00年~02年・04年~06年)
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セントラル・リーグ月間MVP打者部門:1回(04年8月度)
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日本シリーズ優秀選手賞:1回(01年)
代表歴
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WBC日本代表(06年、09年)
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IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表(99年)
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最終更新:2012年12月11日 20:25