プロフィール
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選手名 - 高木 啓充(たかぎ ひろみつ)
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背番号 - 12(06年~07年)→58(08年~)
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出身地 - 愛媛県松山市
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身長/体重 - 181㎝/79㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - 宇和島東高-大阪体育大-東京ヤクルト(05年大社ドラフト4巡)
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顔文字 - 未定
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実況板でのあだ名 - タカーギ、srk
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関連用語 - 宇和島人
入団前
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中学時代は陸上部で砲丸投げをしており、四国大会3位の実績を残している。
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高校は岩村、宮出の母校でもある宇和島東高。1年夏からベンチ入りし、3年夏にはエースとなったが、県予選決勝で惜しくも敗退。
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大学は上原(巨人)が在籍していた大阪体育大。先輩の上原と同じくフォークボールを得意とし、
阪神大学リーグではその上原以来のノーヒットノーランを達成した。
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その活躍から「上原2世」との高評価を受け、05年の大社ドラフトで東京ヤクルトに4巡指名されて入団した。
ヤクルト時代
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06年4月12日の横浜戦でプロ初登板を果たしたが、打者1人をアウトに取った後に満塁にしてしまい降板。
残ったランナーは高津に綺麗に返されて3失点。防御率81.00というとんでもない防御率になってしまった。
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その後登板機会もなく、4月22日にファーム降格。この年は2試合の登板にとどまった。
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背番号が58に変更となった08年は2年ぶりに一軍昇格するが、一軍定着はならなかった。
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09年は、8月以降に球団の投手陣が火の車状態になったため、8月15日に一軍昇格する。
リリーフで好投を続け、チームが9連敗する中やけっぱちで9月10日広島戦で先発に抜擢されると
ストレートは130キロ台ながら、縦に大きく割れるカーブを武器に7回無失点の好投。
自身の誕生日でもある9月17日横浜戦では、5回2/3を2失点に抑えて9連敗中のチームを救う入団4年目でのプロ初勝利をマークする。
その後9月22日広島戦では、4連敗中のチームを救う2勝目を完封で飾り、まさに"救世主"的な活躍を続けたことから、
チーム内で"高木様"の愛称が定着。その後チームは連勝を続け、9月28日にもCS出場権を争う阪神を相手に 先発 6回2/3を1失点と好投し、
3勝目をあげチームは6連勝を飾る。最終的に高木は無傷の4勝0敗でシーズンを終えた。
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10年は中継ぎとして11試合に登板したが、前年のような活躍はできなかった。
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11年は一軍登板がなく、オフに戦力外通告を受けた。
戸田無失点記録
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ルーキーイヤーの06年開幕からファームで先発ローテに入り、4月2日の日本ハム戦で早くも初勝利をマークする。
その後もファームでは無失点の快投を披露した。4月7日には一軍昇格も果たす。
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4月29日のファーム横浜戦では先発で初回に点を取られ、無失点記録もここまでかと思われた時に雨が降り出してノーゲーム。
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5月11日のファーム巨人戦では先発して勝利するも、調整中だった高橋由にホームランを打たれてついに無失点は途切れた。
ファン感謝デーでのパフォーマンス
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08年ファン感謝デーの選手によるカラオケ大会では黄チームの代表として上半身裸で登場。
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腹に「成増に住んでます」(成増とは東京都板橋区の地名)「Yes We Can't」(この時期に大統領就任が決まったオバマ大統領の演説キャッチフレーズ)。
背中には携帯番号と「成せば成らない」と黒マジックペンで書かれていた。
これは石井弘が書いたとの事。
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以上の姿で河村隆一の「BEAT」を本人のモノマネ風に熱唱し、見事に優勝した。
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また、ファン感謝デー最初のチーム紹介の際に黄チームの宮本から「優勝できなかったら高木を丸刈りにする」と宣言されており、この時帽子を取ったらすでに短めの髪型でファンの笑いを誘った。
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ちなみにカラオケ大会では優勝したが、次の競技の四択クイズで白チームが優勝した為、総合得点で黄チームは敗れている。その後本当に丸刈りになったかは不明。
ライバル宣言
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06年度セパ交流戦ライバル宣言での高木の項目が物凄いことになっており、一部で話題となる。
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松中(ホークス)、小笠原(当時日ハム)、橋本(ロッテ)、清原(オリックス)、礒部(楽天)、カブレラ(西武)に対するコメントが全て
「テレビで見てすごい。高校の大先輩。 よろしくお願いします。」で統一されていた為、
「高木は何処の高校出身なんだ」「カブレラは宇和島高校出身だったのか?」などと一躍知名度が急上昇。
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下記は2ちゃんねるの某スレに書き込まれたタカーギの波乱の経歴。
474 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/05/09(火) 16:03 ID:pKnWU4FA
>>472
宇和島東に入学後、親の都合で暁星国際へ転校。そこで目をつけた敏腕スカウトにより
PLへ強制編入。自分の進路に疑問を持った彼は新幹線に乗り一路西へ。旅先で
親切にしてくれた漁師さんがいる八代一高に入学するも、漁の手伝いをしている最中高波にさらわれ
気がつけばベネズエラ。そこのアンドレ・ベロ高に通いながら野球に打ち込み、西条農高へはなんかまあ
いろいろあって転校。大阪体育大を経てヤクルトに入団という波乱万丈の人生ですね。
参考:ライバル宣言まとめ
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
2006 | 東京ヤクルト | 2 | 0 | 0 | 0 | 2.0 | 0 | 3 | 5 | 22.50 |
2007 | 東京ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2008 | 東京ヤクルト | 5 | 0 | 0 | 0 | 5.1 | 4 | 0 | 2 | 3.38 |
2009 | 東京ヤクルト | 12 | 4 | 0 | 0 | 44.0 | 19 | 13 | 8 | 1.64 |
2010 | 東京ヤクルト | 11 | 0 | 1 | 0 | 13.0 | 7 | 4 | 6 | 4.15 |
2011 | 東京ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
| 通算 | 30 | 4 | 1 | 0 | 64.1 | 30 | 20 | 21 | 2.94 |
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最終更新:2011年11月17日 00:11