石井弘寿

プロフィール


  • 選手名 - 石井 弘寿(いしい ひろとし)
  • 背番号 - 61(96年~11年)
  • 出身地 - 千葉県市原市
  • 身長/体重 - 180㎝/80㎏
  • 投打 - 左投左打
  • 球歴 - 東京学館高-ヤクルト/東京ヤクルト(95年ドラフト4位)
  • 顔文字 - ( ,,`Д゚)
  • 実況板でのあだ名 - ゴリブラピ
  • 関連用語 - バスケレンジャー

入団前


  • 父がアマチュア野球の選手であった影響で小5で野球を始める。中学から投手、外野手を経験。
  • 東京学館では1学年上に後にヤクルトでチームメイトとなる相川がいた。ドラフト候補の相川をスカウトが見に来た時、相川が石井のボールを受けていた事がきっかけで石井もプロのスカウトの目に留まる。
  • 3年夏にはエース兼5番打者として県ベスト16まで進出。甲子園出場には縁が無かったが、95年にドラフト4位でヤクルトに指名されて入団した。

ヤクルト時代


  • 高卒1年目に1軍で13試合登板と上々のスタートを切るが、2年目は1試合登板、3年目はケガで1軍登板無しと暗雲が立ち込める。
  • 元々のコントロールの悪さがなかなか改善されず、99年に1軍で25試合登板したが防御率6点台と散々。打者転向指令寸前となったが、
    伊東投手コーチの打撃練習を取り入れた体のバランス指導により覚醒。
  • 01年には五十嵐との速球派ユニットロケットボーイズがブレイクして4年ぶりの日本一に貢献。セットアッパーの河端、ストッパーの高津とのリレーは今なお賞賛されている。
  • 02年はシーズン69試合登板の球団新記録を達成、最優秀中継ぎ投手という初タイトルも獲得した。また、02年10月11日の横浜戦で日本プロ野球史上左腕最速記録となる155km/hを記録した。
  • 03年は脇腹痛により36試合登板に終わるが防御率1.99、6勝1セーブと健在ぶりはアピール。
  • 04年には高津のメジャー移籍により五十嵐とのダブルストッパー構想が持ち上がったが、脇腹痛の影響もあり立ち消えとなった。後半復調し、アテネ五輪日本代表に選出。
  • 05年は五十嵐の大不調により、前年と入れ替わってストッパーに定着。4勝37セーブをあげる大活躍の1年となった。
    ところがオフにメジャー移籍を希望して球団と大モメとなる。石井サイドは前年オフに口約束でメジャー移籍を容認されたが、チーム事情の為に球団が06年シーズンも残留を要請。
    この経過だとファンも石井擁護の意見が多そうだが、あまりのゴネっぷりに一部では非難続出。賛否両論となった。結局06年オフに移籍をさせる事を約束して残留。
  • 06年にWBC日本代表に選出。しかし1次リーグの韓国戦でイ・スンヨプ(ロッテ→巨人)に逆転2ランを浴びて敗戦投手となってしまう。
    結局日本は2次リーグへ進出、初代世界一まで上り詰めたが石井は1次リーグ終了後肩の違和感で代表から離脱した。
  • 06年、ヤクルトでは前年の不調から立ち直れない五十嵐に代わってストッパーを務めるも5月19日に左肩違和感再発で登録抹消された。
    そのまま復帰の見込みが立たず、前半戦絶望となった。
  • 8月に1軍復帰したが、左肩違和感ですぐに2軍落ちとなった。シーズンオフに手術をし、翌07年の試合出場は絶望となる。
  • 07年からの2年間はリハビリに専念し、08年9月27日の戸田の最終戦で777日ぶりの実戦復帰を果たした。
  • 09年は戸田で13試合に登板したが、3年連続の1軍登板ゼロでシーズンを終えた。
  • 11年も一軍登板がなく、この年限りでの引退を表明。10月25日に引退試合が行われ、5年ぶりの神宮登板となった。
    今後は育成コーチとして指導にあたる。

その他


  • 中学の時、憧れの投手である石井一の出身高である東京学館「浦安」高に入ろうとしたが、校名を間違えて似たような校名の東京学館高に入学し、入学後に気づいたとの事。
    ヤクルトでも石井一の背番号16をひっくり返した背番号61を変わらず背負っている。
  • 08年オフには横浜から高校の先輩である相川がFAで加入となったが、それに伴う人的補償のプロテクト漏れの目玉としてスポニチ、日刊ゲンダイの2紙に報道される。
    結局横浜サイドは金銭補償を選択した為に退団とはならなかった。
  • 若手投手陣にも慕われる人柄。石川カレーパンでいたずらをした過去がある。
  • 04年5月4日に球界を代表するストッパーである岩瀬(中日)からホームランを打っている。ヤクルトが誇る主砲の隠れた一人である。
  • 04年にアテネ五輪で銅メダルを獲得した事から表彰され、千葉県知事賞を受賞している。

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
1996ヤクルト131008.091333.38
1997ヤクルト10002.02629.00
1998ヤクルト---------
1999ヤクルト2501028.22127206.28
2000ヤクルト4543076.16836283.30
2001ヤクルト3923139.24025153.40
2002ヤクルト6962589.210913151.51
2003ヤクルト3661145.16112101.99
2004ヤクルト3842552.26910122.05
2005ヤクルト61433773.29117161.95
2006東京ヤクルト1100610.114454.35
2007東京ヤクルト---------
2008東京ヤクルト---------
2009東京ヤクルト---------
2010東京ヤクルト---------
2011東京ヤクルト10000.11000.00
通算339271555426.24851631262.66

タイトル


  • セントラル・リーグ最優秀中継ぎ投手:1回(02年:34.60RP<日本記録>)

代表歴


  • WBC日本代表(06年)
  • アテネオリンピック日本代表(04年)
  • アジア野球選手権大会日本代表<アテネオリンピックアジア予選>(03年)











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最終更新:2011年11月10日 22:55