プロフィール
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選手名 - ディッキー・エンジェル・ゴンザレス(Dicky Angel Gonzalez)
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背番号 - ヤクルト時代 42(04年~05年)→78(06年~08年) 巨人時代 49(09年~12年)
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出身地 - プエルトリコ・バヤモン
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身長/体重 - 178㎝/98㎏
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投打 - 右投右打
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球歴 - アドルフィナ・イリサリー高-メッツ-オリオールズ-レッドソックス-デビルレイズ-ヤクルト/東京ヤクルト-巨人-千葉ロッテ
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顔文字 - 〔メ`ゴ´〕
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実況板でのあだ名 - ゴン、天使
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関連用語 -
ヤクルト時代
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ホッジス以降ヤクルトの定番となりつつあるシーズン途中入団でヤクルトに加入。
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リリーフで登板した2戦目で初勝利をマークするとその後はアウトコース低めに決まる制球力や変化球を武器に4勝をマークして活躍する。
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2年目の05年は藤井、川島等の故障により開幕投手候補として期待されていたが開幕直前のオープン戦で指を骨折し戦線離脱。
その後復帰したが期待されたような活躍は出来ず4勝止まり。
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06年シーズン前に開催されたWBC第1回大会では出身のプエルトリコ代表として対キューバ戦2試合に先発登板。
1次リーグ最終戦ではキューバ相手に勝利して1位通過を果たしたが、2次リーグ最終戦のキューバとの再戦では4回1失点で惜しくも敗戦し、決勝トーナメント進出はならなかった。
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06年シーズン中盤までは外国人枠の関係の為にガトームソンとの併用が続いたが、ラロッカ故障後のシーズン終盤からは常時1軍となり、
自身5連勝を達成する等好調。9月25日の中日戦では2年ぶりとなる完投勝利を達成した。
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06年9月30日の横浜戦で自身最多の11奪三振を奪い好投するも、左腰を痛めてベンチに下がる。その後志願登板するも打たれて敗戦投手に。
10勝目前であったがそのまま帰国した。
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4年目となる07年からは2年契約を結ぶも、オープン戦に登板したものの右ひじを痛めてしまう。3月に手術をし、リハビリの為にこの年の登板はなかった。
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08年8月17日の中日戦でおよそ2年ぶりとなる1軍復活登板を果たし、夏から加入したダグラスと共にドーピング違反で解雇となったリオスの穴を埋める事が期待されている。
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結局08年シーズンは1勝にとどまり、戦力外に。
ヤクルトの外人としては5シーズンという異例の長期在籍となったが、通算18勝(20敗)の数字が示すとおり、存在感を示すことはできなかった。
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08年オフには西武が獲得に興味との報道があったが、1月になって巨人に移籍する事が決定した。
すでに巨人にはラミレス、グライシンガーと2人も元ヤクルトの外国人が在籍している為、
一部ネット上では「またヤクルトからの強奪」的なニュアンスで語られてしまっている。
とはいえヤクルツが戦力外とみなした選手であり、巨人に移籍した後も実況板では概ね好意的である。
巨人時代
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09年、外国人枠の関係で開幕は二軍で迎える。
5月にアルフォンゾと入れ替えで一軍昇格すると好投を続けた。最終的に15勝(2敗)を挙げ、最多勝まであと1勝に迫った。
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しかし翌10年には13敗を喫したほか、故障もあり10年~12年の3年間は計12勝にとどまった。
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12年オフに自由契約となり、千葉ロッテに入団。
バント神
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ヤクルト先発陣は基本的にバントが下手であり、それが原因で勝ち星を落とす原因になったりするのだが、ゴンザレスだけは例外である。
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バント技術の基本を全く無視した構えから繰り出すゴンザレスのバントはほぼ100%成功し、実況板住民等から絶賛されている。
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この事から、ヤクルトの選手がバントを失敗すると「ゴンザレスを見習え」「ゴンザレスに教えてもらえ」等のレスが付く事がある。
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また、たまにバントを失敗しても「まぁたまにはこんな事もあるよね」的な扱いを受ける。
突然の背番号変更
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ペナントも開幕間近の06年3月27日にいきなり背番号が42から78に変更。スポーツ紙報道では事情が明かされなかった為、しばらく謎となっていたが一応は下記が理由であるらしい。
67 代打名無し@実況は野球ch板で sage 2008/12/23(火) 23:16:32 ID:xmvVldQ90
>>64
42が自分にとってあまりいい番号じゃなかったから変更を申し出た。
好きな数字の10にしたかったが城石が着けてる、じゃあWBCで着けた43をと思ったが宮出が着けている。
で、空いてる番号を…と言ったら78になったという流れらしい。
(ベースボールアルバム 2006夏季号 『背番号の美学』より)
強面
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ヤクルト入団時の写真がストリート系の強面で一部ファンを騒然とさせる。CS中継でインタビューを受ける私服姿のゴンザレスはもう野球選手には見えない。
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しかし性格は良く、川島のブログでは言葉が通じないのにメールを交換しているという微笑ましいエピソードも明らかになった。
また、巨人戦を控えた由規に「ゆったりしたフォームの方が、打者はタイミングを取りにくい」とアドバイスを送り、結果この試合は由規のプロ初勝利となった。
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06年終盤から08年中盤までおよそ2年近く怪我で離脱していたが、この間特に情報がなかった為、実況板では「本業のマフィアが忙しいから復帰しない」「プエルトリカンマフィア」とネタにされる事もあった。
毎年オフには球団が帰国中のゴンザレスと連絡が取れないという事件が何回かあった為、こういったネタにうまく面白さが加わっている。
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また、こんな強面にもかかわらず、試合中ピンチになった場面でも(05年・06年の同僚ガトームソンに比べ)キレることなく辛抱強く投げるらしい。
年度別成績
年度 | チーム | 試合 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 投球回 | 三振 | 四死球 | 自責点 | 防御率 |
2004 | ヤクルト | 15 | 4 | 2 | 0 | 46.2 | 35 | 6 | 16 | 3.09 |
2005 | ヤクルト | 27 | 4 | 6 | 0 | 81.2 | 44 | 20 | 46 | 5.07 |
2006 | 東京ヤクルト | 17 | 9 | 7 | 0 | 114.1 | 95 | 28 | 40 | 3.15 |
2007 | 東京ヤクルト | - | - | - | - | - | - | - | - | - |
2008 | 東京ヤクルト | 8 | 1 | 5 | 0 | 44.0 | 36 | 10 | 21 | 4.30 |
2009 | 読売 | 23 | 15 | 2 | 0 | 162.0 | 113 | 32 | 38 | 2.11 |
2010 | 読売 | 25 | 5 | 13 | 0 | 132.2 | 88 | 43 | 78 | 5.29 |
2011 | 読売 | 13 | 3 | 3 | 0 | 75.0 | 63 | 19 | 15 | 1.80 |
2012 | 読売 | 11 | 4 | 1 | 0 | 45.0 | 26 | 24 | 16 | 3.20 |
| 通算 | 139 | 45 | 39 | 0 | 701.1 | 500 | 182 | 270 | 3.46 |
代表歴
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最終更新:2012年12月14日 21:01