藤井秀悟

プロフィール


  • 選手名 -藤井 秀悟(ふじい しゅうご)
  • 背番号 - ヤクルト時代 23(00年~01年)→18(02年~07年) 日ハム時代 18(08年~09年) 巨人時代 99(10年~11年) 横浜DeNA時代 00(12年~)
  • 出身地 - 愛媛県伊予市
  • 身長/体重 - 175㎝/86㎏
  • 投打 - 左投左打
  • 球歴 - 今治西高(甲)-早稲田大-ヤクルト/東京ヤクルト(99年ドラフト2位)-日本ハム-巨人-横浜DeNA
  • 顔文字 - ( ´〓`)
  • 実況板でのあだ名 - afo
  • 関連用語 - wsd殴ってもいいコース

入団前


  • 今治西高時代は伊予の怪腕というニックネームで有名だったらしい。夏の甲子園でベスト4まで進出。
  • 早稲田大ではエースとして活躍し通算24勝をマーク。
  • 99年ドラフト2位でヤクルトに入団する。

ヤクルト時代


  • 1年目にプロ初勝利をマークすると、2年目に先発に抜擢され14勝をマークしセ・リーグ最多勝を獲得。日本一に大きく貢献する働きを見せる。
  • 02年から背番号をエースナンバー18に変更。2桁勝利をマークしそれなりの成績を残す。
  • ところが03年に左肘靭帯断裂で戦線離脱。手術とリハビリで復活まで1年半を棒に振ってしまう。
  • 04年に復活登板。病み上がりで思ったほどの成績はあげられなかったが05年はシーズン途中まで防御率争いのトップに立つなど活躍したが、後半失速。
  • 06年は石川石井一と共に左腕三本柱として期待されたが、7勝止まりと不調。
    8月には2軍落ちとなり、終盤はリリーフに回った。

藤井のafoな事件


  • 01年5月22日の巨人戦でヤクルトが8対1と大量リードした9回表に打席に立ち、打った後全力疾走。
    大量リードで投手が当てに行くなんて「球界の暗黙」を破っていると巨人ベンチからヤジを飛ばされて涙目に。
    ヤクルトの攻撃終了後9回裏のマウンドに立ったが、精神的動揺からか先頭の江藤(広島→巨人→西武)にホームランを浴びる。
    その後も3連続四球を出し、完投勝利目前で完全に崩れてしまった為に降板。後続を高津が抑えて勝ち星は手にしたが、この日のヒーローインタビューは拒否し、球場を後にしている。
    藤井はこの出来事から16年後、2017年11月26日放送の『中居正広のプロ野球珍プレー好プレー大賞2017』(フジテレビ)に出演。この番組で野次の一件が取り上げられ、司会の中居正広は、ゲストで出演していた元木大介(現ジャイアンツアカデミー校長)を「(野次を飛ばした)犯人だね!」と指摘した*1
  • 01年に優勝した後のTV出演でへべれけ状態で酔っ払っていたため途中でフェードアウトした。
  • 02年6月4日、サッカーW杯の日本vsベルギーを観戦後、風邪を引き登板回避。首脳陣にこっぴどく叱られる。
  • 不倫疑惑をすっぱ抜かれる。
  • 交通事故を起こし、親友の福留(中日→カブス)に「何やってんですか。野球以外のことばかりで話題になって…」と心配される始末。
  • 04年8月25日の対巨人戦で二塁に帰塁しようとして左膝をひねって降板、その後戦線離脱。
  • 05年5月5日の対中日戦でウッズへの内角のボールが火種でウッズに殴られる。殴ってもいいコースという新語が実況板で生まれた。
  • 05年11月のある日、地下鉄で財布を紛失。(財布はすぐに発見されたとのこと)
  • 06年のオールスター期間中の休みを利用して沖縄に遊びに行くが、そこで風邪を引く。
  • 06年11月4日の東京六大学野球選抜 vs 東京ヤクルトスワローズという記念すべき試合で先発登板。1回裏に大引選手(当時法大、現オリックス)に先頭打者ホームランを献上。
  • このような生活態度から、チームメイトの石川には「野球では尊敬している」と言われてしまう。

そしてトレードへ


  • 上記のような生活態度からか度々トレード要員としての噂が絶えなかったが、ついに08年1月上旬に日本ハムとのトレードが浮上。
    最終的に3:3(藤井、坂元三木川島押本橋本)というファミリー体質の根強いヤクルトとしては非常に珍しい大型トレードとなった。
    当初の「左腕を必要としている日ハムと外野手が手薄なヤクルトの思惑が一致」というスポーツ紙の見解に首を傾げるファンも少なくなく
    「藤井放出ありきのトレード(zakzak)」という見方もかなり大きい
    ただこの期に及んでも本人は正式発表前に自身のブログでトレードを公表するという行動をやってのけたw
  • 日本ハムでの背番号もヤクルト時代と同じ18に決定した。

日本ハム時代


  • 移籍初年の08年は先発で活躍。援護がなかったり、肝心な所で失点するなどで防御率3.25ながら3勝8敗であった。
    クライマックスシリーズでは第1ステージの2戦目で先発し、チームを第2ステージに導く好投を見せた。
  • 09年も先発として活躍したが、完投はなく5回~6回で降板することが多かった。
    国内のみ移籍可能となるFA権を取得し、オフにFA宣言。連絡はなく移籍先は未定であったが
    12月8日に巨人入りが決定(背番号は99)。

巨人時代


  • 10年はローテ入りし7勝を挙げ、グライシンガー、ゴンザレスに続く信頼のヤクルツブランドとしてまずまずの成績であった。
  • 11年は1試合の登板のみで、オフに村田の人的保障として横浜DeNAに移籍した。

横浜DeNA時代


  • 12年は5月以降先発ローテに定着し、7勝を挙げた。

迷言(週刊誌記事より)


  • 「オレ、ヘタクソだろ!?ダメだろ?」
  • 「オレをこんなにハマらせて、どうするんだよ?」

その他


  • 杉村打撃コーチが藤井の愛車の黒のハマー(洗車したて)によりかかりながら取材に答えていた事がある。
  • 本人曰く、「早大で歴代で一番ゆるいメニューを作ったピッチャー」
  • 後輩の失礼こと青木がラジオ出演した際、「一分の隙もなく打ちやすいヤクルトのPは?」という質問に藤井と答えた。
  • 河端をたいへん尊敬しており、引退時につづったブログはファンの涙を誘った。詳しくは河端龍の項を参照。
  • 達筆であり、新年恒例の選手による年賀状では「意外と字が上手い」と言われていた

年度別成績


年度チーム試合勝利敗北セーブ投球回三振四死球自責点防御率
2000ヤクルト1210032.13620174.73
2001ヤクルト271480173.112467613.17
2002ヤクルト281090195.217149673.08
2003ヤクルト10002.21213.38
2004ヤクルト1546078.17335485.51
2005ヤクルト2810120176.014366673.43
2006東京ヤクルト27780128.28851634.41
2007東京ヤクルト257100123.09656695.05
2008北海道日本ハム19380110.27646403.25
2009北海道日本ハム22750114.26354453.53
2010読売23730122.09140513.76
2011読売10005.01135.40
2012横浜DeNA1677084.04038353.75
通算263777601346.110035255673.79

タイトル


  • 2001年 セ・リーグ最多勝投手 14勝
  • 2001年 セ・リーグベストナイン投手部門 27試合14勝8敗0セーブ 防御率3.17
  • 2001年 最優秀JCB・MEP賞

代表歴


  • IBAFワールドカップ日本代表(01年)





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最終更新:2024年05月23日 18:52

*1 他説では仁志敏久説、清原和博説、村田善則説なども有力である。週刊誌の報道によると、翌日後藤孝志だけが「ごめんな」と藤井に謝ったという。