第13話
まるで嘘のような光景。葉奏は二、三度軽いまばたきをし、この悪夢が現実であるということを悟った。
そこは、広すぎる円形の空洞だった。入口からさして離れていないところで、剣を構えた血まみれのスカイラインが立っている。その斜め後ろには、絶望的に座り込んでいるロランの姿。よく見ればロランの右足も、千切れてなくなっている。
そしてその二人の目の前に、巨人としか形容できない『何か』が立っていた。
「何故来た・・・!」
忌々しげにロランが呟く。
「すぐ逃げろ! お前らも死ぬぞ!」
身の丈(たけ)は、大柄なスカイラインと比べても、ゆうに三倍以上はある。しかしその体は、ほぼ全てがゴブリンの屍(しかばね)で構成されており、死肉同士が折り重なって人の姿を形成しているのだと分かる。頭の部分にはまるで水晶のように輝く二つの珠。恐らくは目であろうそれ以外は、ゴブリンの塊でしかなかった。
常識では考えられない存在。龍以外の何者でもないと、誰もが理解していた。
「これが・・・『腐蝕の龍ファフニール』なのか・・・?」
後方で、震えた声でディスが呟く。誰しも歯が鳴り、足は小刻みに震え、頭のどこかで絶対的な死を予感していた。
まるで、値踏みするように巨人は新たな闖入者(ちんにゅうしゃ)を見、そしてゴブリンの手足で作られた歪んだ口を、さらに歪めた。笑った――まるで、新たな贄(にえ)を歓迎するかのように。
「うおおおおおおおっ!」
怒号と共に、スカイラインが地を蹴る。スカイラインの振るう身の丈ほどの大剣も、巨人の前ではまるで小刀のように見える。巨人は左腕を一振りして大剣を叩き落し、同時に体勢の崩れたスカイラインへと右腕を振るう。死肉でできた腕はまるで鞭のようにしなり、スカイラインの肩を打つ。
そしてそれは鋭いナイフのように、スカイラインの肩から胸にかけてを斬りおとした。
二つに割れる胴体。絶命は、誰の目に見ても明らかだった。
「スカイっ・・・!」
ロランが苦い顔で、叫びにならない叫びをあげる。『剣王』の死は、あまりにも呆気なかった。
たんっ、と誰かが地を蹴った。葉奏が驚いて振り向く。顔を紅潮させたショーティが、矢筒から矢を取り出しながら駆け出していた。
巨人は新たな敵をあざ笑うかのように、ゆっくりとショーティへ体を向ける。そして歪んだ口を開き、そこから幾多の触手を飛び出させた。ゴブリンの死肉で構成された触手が、一斉にショーティへと襲い掛かる。
「しょー!」
ディスが叫びと共に、駆ける。
まるでそれが合図であるかのように、歌妃が魔法の詠唱へと入った。ティンカーベルが空高く舞い上がり、全員へ盾の呪文をかけるための準備に入る。
ただ、葉奏だけは動かなかった。
「『炎熱の龍ラスト・ドラゴン』の力の片鱗!」
「『亀甲の龍ゲンブ』の力の片鱗!」
歌妃とティンカーベルの、魔法詠唱の声。ショーティが適位置で弓を構え、『矢嵐』を放つ。
『矢嵐』により発せられる、幾多の矢。巨人の口から伸びた幾多の触手は、丁寧にそれを一本ずつ絡め取る。そして全てを絡め取ったのち、触手を振り、全てをショーティのもとへと放ち返した。
「うそっ!?」
ショーティの叫び。矢の全てがショーティのもとへと駆ける。
「しょー!」
ディスの声。ショーティが恐怖に目をつぶる。しかし矢が、ショーティのもとへと至ることはなかった。
薄く、ショーティが目を開く。
全ての矢が、ショーティの前で両手を広げたディスの体へと刺さっていた。
「にい様っ!」
ディスが首だけでショーティへ振り向く。そして聞き取れないほどの小さい声で、しかしはっきりと、呟いた。
「生きろ・・・」
ディスの体が崩れ落ちる。倒れ付した体へショーティが駆け寄り、何度も肩を揺すった。
「にい様! 死んじゃいやぁぁぁ!」
ディスがその言葉に、もう答えることはないと分かっているのに。
ショーティが怒りに任せて立ち上がり、剣を抜いた。何の策もなく、何の考えもなく、ただ巨人へと疾走する。
あざ笑うように、巨人が右腕を振るった。ショーティの腰へ躊躇(ちゅうちょ)なく、鋭い刃を走らせる。無策で走ったショーティが、上半身と下半身を分断された。
「炎熱嵐流<ファイアストーム>!」
同時に歌妃の魔法が完成し、巨人へ向けて炎の竜巻が走った。巨人は口を歪めて笑うだけで、避ける素振りも、弾く素振りも見せない。
竜巻は巨人に――当たる直前に消滅した。
「そんなっ!?」
ありえない現象に、歌妃が悲鳴をあげる。
そして巨人が右腕を一閃。高速から生まれた真空の刃が、魔法詠唱中のティンカーベルを襲う。
正確にティンカーベルの首へと刃が届き、同時に命を失い、地に落ちる。
あまりにも、圧倒的すぎる力だった。
自分が一歩も動かずに、周りの者が次々と死んでゆく。葉奏はどこか現実味なく巨人を見ながら、目の端で歌妃の絶命をとらえた。
動かないわけではない。ただ、巨人への恐怖に動けない。
あざ笑うかのように、巨人の触手が葉奏の胸へと突き刺さる。
最後まで現実味なく、葉奏の体は崩れ落ち、恐らくは人生で初めての眠りについた。
ドクン――ドクン――葉奏の胸中で、止まったはずの心臓が、脈打った。