モチーフ:1983年9月26日人類を核戦争から守った男「スタニスラフ・ペトロフ中佐」
■選定理由:
明日は終戦記念日
実際に起きた出来事
↓関連記事から抜粋しまとめた
米ソ冷戦時代の1983年9月26日、ソ連のミサイル防衛コンピューターが、
“アメリカからソ連に向け、5発の核弾道ミサイルが発射された”と警告したが、
当時、モスクワ近郊の基地に詰めていた当直士官、
「ペトロフ中佐」は、「アメリカが核5発だけなんてありえない」
“もしアメリカが本当に核攻撃をするなら、
ソ連の報復を封じる為に、数百発を同時に打ち込むはずだ”と考え、
上層部に報告しなかった。
結果、コンピューターの誤報だったことが分かり、
「ペトロフ中佐」は、人類を核戦争から守る最後の砦となった。
第三次世界大戦を未然に防いだとして、
平和に貢献した人物に与えられる
ドレスデン平和賞を受賞した
当時を語るペトロフ元中佐
「最初に警報メッセージを見たとき、わたしは椅子から飛び上がりました。
部下たちは皆混乱していたので、わたしは、パニックになってはならない、と大声で叫びました。
自分の決定がさまざまな結果を招くだろうということはわかっていました」
そのうちに2回目の警報が鳴った。「サイレンが再び鳴り始めました。メインスクリーンには、
血のように赤い大きな文字で、『開始せよ』と表示されました。
さらに4発のミサイルが発射されたという内容でした」
この警報が事実であれば、ミサイルは30分後にソ連に到達するはずだった。
当時のユーリ・アンドロポフ書記長は病床の身にあった。ペトロフが所定の手順に従った場合、
アンドロポフ書記長に核ミサイル発射について通告すると時間は15分を切っており、
大陸間弾道ミサイル(ICBM)の即時発射命令が出されていただろう。
※1983年当時のソビエト連邦は3万5804発の核弾頭を、アメリカは2万3305発の核弾頭を保有
■壁画に入れた台詞:
映画での台詞
最終更新:2023年09月19日 05:39