――――――geass ◆Wott.eaRjU
三人の少女が街を目指している。
その内の一人――盲目の少女、ナナリーは別の少女により背負われている。
少女の名は
ブレンヒルト・シルト。
そして二人からほんの少し離れた位置に居る少女は
園崎詩音。
とある事情から行動を共にする事になった三人の内、二人は視線を向けていた。
自分達が今向かおうとしている街中――ではなく、鉄橋の方へ。
たった今、自分達が渡り終えた其処を。
ブレンヒルトと詩音はそれぞれ見つめていた。
「まったく、しつこいのは嫌われるコトがわからないのかしら」
やがて溜息に似た呟きがブレンヒルトから漏れる。
どこか殺し合いの場所には似つかわしくないセリフ。
されども声色からは決して余裕の色は見られない。
人知れず冷や汗を流すブレンヒルトの表情は真剣そのものだ。
事実、ブレンヒルトは目の前に危機が迫っている事を認識している。
「……悪いけどナナリーを頼むわ。それと何処か安全な場所へ隠れて」
「え、ええ……」
暫しの逡巡を経てブレンヒルトは詩音へ託す。
実に憎々しげな表情は、事態があまりいい方向へ行っていない事による所以のものだ。
詩音の肩を借りて、ナナリーの小柄な躯体をそっと預ける。
フラフラと、おぼつかない足取りだがなんとか立つ事は出来た。
両脚の力を失っているナナリーにはきっと酷な事だろう。
なんとなくの状況は察しているのだろうが、不安は消えていない。
親鳥から見捨てられた小鳥のような、なんとも言えないもの寂しさがブレンヒルトの心を捉える。
――止めるべきか。
詩音は未だ知り合ったばかりだ。
なにやら変わった力があるようだが、この場では珍しい事ではない。
自分の左腕に埋まっているものや、概念兵器の存在を忘れてはならない。
しかし、詩音が完全に信頼出来るかと聞かれれば自分は一体どう答えるか。
即答は出来ない。だけども仕方がないとブレンヒルトは自分に言い聞かせる。
流石にナナリーを抱えながらでは自分の行動に支障が出る。
その支障が重大な結果を招いてしまえばどうしようもない。
「ナナリー、少しだけ待っていて。直ぐに終わらせるから」
故に今、ブレンヒルトに求められているのは迅速に目の前の障害を取り除く事だろう。
使い慣れた鎮魂の曲刃はなく、1-stGの概念兵器すらもない。
だが、どうやら目の前の脅威は自分達を逃すつもりはないようだ。
この先も追跡を受けるなど、正直勘弁願いたい。
ならば、やらなくてはいけない。
ここで終わらせる。
想いと共に左腕に力を込める――いつでもいける。
それは固い意志の現れ。
「ブレンヒルトさん……あ、危なくなったら、絶対に逃げてください!」
ナナリーの精一杯の声が響く。
背中を向けながら、ブレンヒルトは小さく頷く。
有り難い言葉だ。心地よい感触が全身に広がっていくような感覚が走る。
続けて詩音がナナリーと共に駆けて行ったのが足音で判った。
どうやら詩音は何も声を掛けてくれないらしい。
まあ、特に期待はしていないか。軽く自嘲気味に口元を歪ませる。
しかし、その歪みは直ぐになくなり、口元はしっかりと閉じられる。
そして視線を突き刺す。
人間ではない。異形の、つい先程出会ったそいつに送るものは一つの言葉。
「待たせたわね」
律儀に待っていたところを見ると最低限の礼儀はあるらしい。
若しくは先ずは一人づつ始末しようという魂胆なのだろうか。
真実は実際に聞いてみなくてはわからない。
じっくりと聞きだすのもいいだろう。
取り敢えずは力を奪ってから自衛のために出来ることをするしかない。
「……気にするな」
目の前のそいつは憮然と答える。
余程この殺し合いに生き残りたい理由があるのだろう。
紫色に輝く瞳からは底知れぬ意思がひしひしと感じられる。
だが、ここで臆するようでは自分に未来はない。
左腕をゆっくりと正面へ翳す。
「逃がすつもりはない。ここで終わらせる」
そいつの声と同時に、ブレンヒルトの左腕の皮膚が捲れる。
ベリベリと、観ていて気分の良い光景ではない。
そう思っている間に全てが終わった。
一瞬の変化――剣の形を模した、ナノマシンの慣れの果てを己の左腕とする。
それはARMS“騎士”の第一段階の発現の証。
「じゃあ、始めましょう……手加減の程はあまり期待しないように、ね」
「……そちらもな」
そしてぶつかり合うのは互いの言葉。
演目は只人には過ぎた力を持つ者同士の、命の喰らい合い。
ギャラリーは周囲の景色だけ、身守る視線もない。
二人ぼっちの戦いが今、始まりを告げる。
◇ ◇ ◇
まるで風と戦っているようだな。
数十分程か、はたまたそれ以上時間が経ったのかもしれない。
予めブレンヒルトから奪った十字槍を振いながら
ミュウツーは思う。
左腕の奇妙な剣も勿論の事、ブレンヒルトの立ち振る舞いがそう感じさせる。
ブレンヒルトの剣による斬撃はそれほど鮮やかなものではない。
恐らく普段は別の武器を使っているため、未だ慣れていないのだろう。
同情はしない。これは殺し合いだ、寧ろ好都合と言える。
こちらにも目的がある以上、つけいる隙があるならば容赦なく狙わせて貰う。
それに、使い慣れていない武器はこちらも同じ条件――気兼ねなどない。
己の意思を込めるように、ミュウツーが十字槍を前に突き出す。
そして己の身を後方へ飛ばしたブレンヒルトを見やる。
(そろそろ、か……追ってきたかいがあった)
わざわざ此処まで追撃をしかけた訳は、あの忌まわしい契約のせいだ。
制限時間内に一定量の死亡者が出なければマスターの命はない。
自分が動かずともその条件が満たされる可能性はある。
しかし、万が一満たされないとしたら――不安を消すかのように、ミュウツーは過剰ともいえる追撃に身を費やす。
そして思った。自分の判断は間違っていないと。
先程駆けていった二人の少女はどうやら戦う力を持っていないらしい。
ならば、確実に癒されていく自分の力を必要以上に使う事もないだろう。
やがて腰の回転を加え、ミュウツーは右腕を後方へ引く。
ブレンヒルトの怪訝な表情が視界に映るが気にしない。
勢いを殺さず、そのまま十字槍を投げつける。
(一人ならサイコウェーブを使う必要もない。なら……いける)
撃突。ブレンヒルトは咄嗟にARMSを翳した事で刺突は免れる。
衝撃を押し戻すためにもに、力任せに押し弾く。
その瞬間を狙っていたかのように、ミュウツーが一気に距離を詰めた。
両腕に持つ武器は何一つない。
完全に素手の状態だが、ミュウツーに臆する様子はない。
何かある。ブレンヒルトの本能が警告の鐘を鳴らす。
瞬間。不意にミュウツーの右手からなにかが顔を見せた。
一本の、銀白色の大型のスプーンがそこにあった。
複数の敵を一度に相手にするサイコウェーブとは違う。
一個体を殴りつけるために用意した、念力の結晶ともいえるミュウツーの近接用の武器。
最早身体の一部といってもいい程に、使い慣れた武器がブレンヒルトを襲う。
(そうだ。これでいける……しとめてみせる!)
言葉は発さず、只、冷徹な殺気を乗せてミュウツーが地を駆ける。
◇ ◇ ◇
「……良い気になっては困るわ」
横殴りに振られたスプーンがブレンヒルトに迫る。
毒を吐きながらも左腕のARMSで受け止める。
間髪入れずに珪素を主成分とした、金属質の刀身が衝撃に対し僅かに揺れた気がした。
そう思えてしまう程に強大な力。
証拠に、ブレンヒルトの左腕に痺れのような感覚が今もこびり付いている。
食器を武器とするとは、と笑っていられない程の重み。
初めから使用していなかった事を見ると、何らかのリスクが伴うのだろうか。
それとも、単にタイミングを見計らっていただけか――そこまで考え、思考を止める。
一瞬だけ力を落とし、力の向きを変えた。
大質量のスプーンを真っ向から迎えるのではなく、下から弾き飛ばす。
ブンブンと、円回転を起こしながらスプーンがあられもない方向へ飛んでゆく。
だが、ブレンヒルトは碌な喜びを見せはしない。
只、極めて冷静に己の左腕をしなるように走らせる。
(やっぱり気のせいじゃない)
一閃。ARMSによる斬撃が空を切る。
大気のうねりが、一瞬前までミュウツーが居た場所を横断。
次にポタリと、小さな赤い雫が地面に落ちる。
左脚に小さな裂傷を貰いながらも、宙返りの要領で両断を避けたミュウツーと視線が合う。
振るった左腕を戻しながら、ブレンヒルトは確信にも似た思いで認識する。
しっかりとスプーンを掴んだ、ミュウツーの戦意は未だ削げ落ちていないことを。
そして自分の身体に生じた変化を――
ブレンヒルトとミュウツーが、それぞれ陸と空から前方へ身を飛ばす。
ARMSの刀身とスプーンが何度も何度もぶつかり合う。
(私の身体は……以前とは違う。このARMSというもののせいか……)
事実、ブレンヒルトが数時間前から立てていた推測に間違いはなかった。
ブレンヒルトの左腕に埋まっているARMSは単なる武器ではない。
炭素生命体と珪素生命体のハイブリッド生命体――人間を更なる高みに到達させるために生まれたと言われている。
ナノマシン集合体であるARMSは時間の経過と共に身体にナノマシンを増殖。
つまり移植者の身体に馴染めば馴染む程、その特性は上がっていく。
剣といった固有武器の発現 欠損部分の補修、自己治癒力と身体能力の向上、同じ攻撃への耐性反応――等々。
元々並みの人間よりも身体能力が優れているため、ARMSによる付加は大きい。
そして全身にARMSが広がった時こそ、爆発的な力が生まれる瞬間。
今のブレンヒルトの侵食状況ではそこまではいかないが、確実にARMSは彼女の身体に慣れ始めていた。
自分以外の存在と肉体を共にする感覚。
それは決して心地の良いものではないだろう。
しかし、ブレンヒルトには耐え難い程の嫌悪感があるというわけではなかった。
(今の私には絶望的に戦力がない……。
1st-Gの概念を利用出来るものがなければ、これほど無力だとは思わなかったわ。
でも、だからこそ私は……)
ブレンヒルトは今は亡き、1st-Gに縁がある者だ。
1st-Gの概念を応用出来る武器でなければ彼女の本領は発揮できない。
だが、ブレンヒルトにはこんな場所で死んでやる理由はない。
故に降りかかる火の粉は払う必要がある――そのために必要なのは力だ。
だから受け入れるしかない。寧ろ喜んで使って見せよう。
この場所か脱出するのは元より、小鳥を――あの子を助けるためにも。
今の自分はいつもと違う。
手持ちの武器も、立ち振る舞い方も。
ならば、違う戦い方で攻めてやるまでだ。
想いを糧に、ブレンヒルトは左腕のARMSへ己の闘争本能を注ぐ。
「あああああああああッ!!」
自分らしくもない、まるでLow-Gの面々がやるように。
俗に言う気合いを己に焚きつかせて、左腕の速度を上げる。
先程までほぼ拮抗していた状況が変わり、徐々にブレンヒルトの方へ勢いが傾く。
いける。微弱ながらも、表情を険しく歪ませたミュウツーがブレンヒルトにそう思わせる。
ARMSは一個の生命体だ。きっとブレンヒルトの想いを鋭敏に感じ取ったのだろう。
まるで誰か心強い存在と共に戦っている感覚が、頭の中でチカチカと点滅する。
時間の経過と比例するかのように、銀色の刃がスプーンを削り取っていく。
このまま押し切る。その時、ブレンヒルトは視界の隅から何かが此方に迫ってくるのを確かに見た。
そして目の前に広がったものは――大きな花火。
「ヒャッハァ! 命中ッ!!」
◇ ◇ ◇
「やっぱ撃ってみるもんだわ。いや、俺も当たればいいなーとは思ったが……まさか本当に当たるとはな。
神様ってヤツが居るなら感謝してやるぜ、マジで」
バズーカを担ぎながら、ラッドがブレンヒルトとミュウツーの方へ歩き出す。
距離にして10メートル程の位置を我がもの顔で取った。
油断なくスプーンを構えるミュウツー。一方のブレンヒルトは蹲ったままだ。
それもその筈、バズーカの砲弾を真正面に喰らったせい――但し、直前にARMSで叩き斬る事は出来たが。
しかし、全くの無傷で済むわけがない。
爆風に巻き込まれ、ブレンヒルトの全身には痛々しい火傷が生まれている。
そんなブレンヒルトの様子を見てか、ラッドからは悪意に満ちた笑みが零れる。
「おいおいおいおいおい。まだくたばんじゃねぇぞ、女ッ!
てめぇにちょん切られた分が残ってんだ。まさか忘れてねぇよなぁ!」
ブレンヒルトは何も答えない。
只、忌々しげにラッドを見返すだけだ。
抵抗の意思は消さない。諦めなどという文字はありはしない。
満足げに眺めながらラッドはぐるりと首を回す。
「それとてめぇだ、宇宙人野郎。
てめぇのお陰でまた痛てぇ思いをしてきたんだ……思い知ってもらうぜ、てめぇの命ってヤツでよぉ!」
その時になってミュウツーは悟る。
ラッドの胴が嫌に赤黒く、次第に傷が治っている事に。
ミュウツーはラッドの身動きを止めるために、確かに大木に彼の身を貫かせてやった。
だが、ラッドは万全の状態とはいえないまでもこの場に居る。
自然と行き着いた結論は――ラッドが自分の予想を越えていた事。
ラッドは持ち前の怪力を頼みに己の身を大木から引きちぎることで、その拘束から逃れていた。
勿論、想像を絶するほどの痛みはあっただろう。
どんな傷さえも瞬時に修復する“不死者”といえども、痛覚を消す事は出来ない。
しかし、ラッドは打ち勝った。
不死者元々を抜きにした本来のタフさ、そして何より――
「ああああああああ!サイッコーーーーーーーーーーーーーーーーだ!!
てめぇら二人、まとめてブチ殺すチャンスが回ってきたんだからなぁ、ヒャハハハハハハハハハハハ!!」
ブレンヒルトとミュウツーに借りを返す。
決して諦めるてやるつもりはない、強い意志がラッドを動かす。
更に距離は詰めた。もう目と鼻の先に、ブレンヒルトの姿がある。
ラッドはが右脚を振るう。道端に転がった石ころを蹴り飛ばすように。
但し、石ころには不相応な程の殺意を込めながら。
「がっ!」
衝撃。痛いと思うとほぼ同時にブレンヒルトの華奢な身体が吹っ飛ぶ。
何度も身体を打ちつけながら、やがてある程度の位置で止まる。
苦しげに肩を震わせるブレンヒルトをラッドが追う。
小さな子どもがサッカーボールを追っていくような足取りで、ブレンヒルトの様子など意に介さずに。
どうやら先ずはブレンヒルトの方に片をつけるらしい。
時折、もう一人の獲物であるミュウツーの方を見るが、ラッドは特に仕掛けようとはしない。
同じくミュウツーも自分に向けられた視線には睨みを返すが、行動を起こそうとする気配までは見られない。
不思議な事ではないだろう。ミュウツーの目的は一定量までの参加者の減少。
自分の手を使わずとも、参加者が減るというなら邪魔をするつもりはない。
だが、準備を怠っているわけではない。
次に狙われるのは自分だ。よってこの間に念力の補充に集中。
状況の成り行きには意識を向けて、ラッドがブレンヒルトに近づくのを見ながらミュウツーは次の出方を窺う。
そんな時、ミュウツーの両耳が音を捉え、直ぐに後ろを振り向く
其処にはミュウツーの予測した未来には描かれなかった光景があった。
「ブ、ブレンヒルトさんから離れてください……!」
その原因は盲目の少女、ナナリー・ランぺルージ。
◇ ◇ ◇
『なにをしている、ナナリー! さっさと逃げろ!!』
(ごめんなさい、ネモ。でも、私はブレンヒルトさんを助けたい……)
ナナリーが此処に居る理由。
言ってみれば簡単な話だ。
とどのつまり、ナナリーはブレンヒルトだけを置いて逃げる行為がどうにもしたくなかった。
初めて会った時から優しく接し、車椅子でしか動く事の出来ない自分も見捨てないでくれた。
出会い方や性格は違うけども、まるであのクラスメートのように。
嬉しかった。同時に信頼できる人だと思った。
だから――ナナリーは今、此処に居る。
もう一人の自分であるネモの制止を振り切って。
ブレンヒルトの苦しげな声が聞こえ、思わず声を上げていた。
『ならばマークネモを呼ぶ! そして私が奴らを殲滅してやる、それで良いだろう?』
(ダメ! マークネモを使えば、ブレンヒルトさんや園崎さんも危ないわ!)
『ちっ!そうだ、そもそも――』
ナナリーの意思にネモは苛立ちを隠せない。
ネモはナナリーの守護により己の存在を自立させているため、彼女の指示に背くことは出来ない。
しかし、不満や不平をナナリーに届ける事は出来る。
故にナナリーにはネモが次に何を言おうとしているのかが何となく悟っていた。
自分が今、この場所に立てる理由にネモは矛先を向けようとしている。
『何故、園崎はお前の意見に従った!?
ブレンヒルトが行けと言ったんだ、わたし達は彼女の意思を無駄にしないためにも逃げておくべきだったんだ!』
ネモは怒りの感情を、今、ナナリーに肩を貸している詩音の行動へ叩きつける。
ネモの声が聞こえる者は、この場ではナナリーただ一人。
当然、詩音にその意思が伝わる事はないため、代わりにナナリーがその疑問を受ける形となり、返答に困ってしまう。
そう。ナナリーもブレンヒルトが心配だと思うと同時に、出来れば彼女の言葉を尊重させたかった。
あの後押しがなければ、詩音がブレンヒルトが心配だと言わなければ此処には居なかったかもしれない。
「あん? これはこれはどうしましたか、お姫様?
どうやら眼の方が少しばかし不自由してらっしゃるようですが、わたしめに何用ですか……なんてな」
怖い。先ず第一にナナリーが思ったのはそれだ。
面白がっているのか、変な言葉遣いで自分に言葉を掛けてくるラッドが酷く異質な存在に感じる。
きっとその近くに居ると思われるミュウツーも恐怖の対象の一つだ。
そして二人の傍にはブレンヒルトも居るだろう。
だが、自分には出来る事はこれといってない。
やはり姿を見せた事はあまりにも危険過ぎただろうか。
しかし、少なくとも今この時だけはブレンヒルトへの危機が免れているのは事実。
良かった――自分自身への危機を頭の隅に留めながら、内心ナナリーは思う。
そんな時――ふとナナリーは自分の首に何かが覆ったのを感じた。
「と、止まりなさい!」
なんだろう。急であったこともあり、ナナリーの思考が一瞬止まる。
例の如く両目に映るものは漆黒の闇だけだ。
両耳を頼りに――その声が詩音のものだとわかった。
途端にナナリーは嬉しさと申し訳なさで一杯になった。
きっと詩音は自分を庇いながら、ラッド達を牽制しているのだろう。
そうだ。もしかすれば誰かが通りかかるかもしれない。
兎に角、この状況では時間を稼ぐ――それが最善の策に違いはない。
詩音もそれがわかっているからこうしている。だが、ナナリーは気付ける筈もない。
詩音が浮かべる表情には別の感情が張り付いていた事に。
「……取引しませんか。私の持つ情報と――この子とその女、二人の命で」
それは酷く冷たい意思を告げる言葉であった。
◇ ◇ ◇
「へぇ、こいつはまたまた驚いた。嬢ちゃんはお仲間じゃねぇの?」
「誤解しないでください。別に私はこの子達とお友達……ってわけじゃありません」
表面上は冷静さを保っているようにも見える。
されども、内心、詩音の心境は気が気ではなかった。
確かにこの場に戻ろうと言いだしたのは自分だ。
いずれ殺す事になるブレンヒルトの力を知るためにも情報が欲しかった。
追撃者は一人、ならばナナリーを盾にしている間に十分に逃げ切れる。
そう思っていた筈であった。
(まさかもう一人増えているなんて……それにあの女ももうやられている。まったく、使えない……!
でも、まだまだ……!)
だが、目の前にはいかにも危なそうな男が居る。
園崎組でもこんな男は見たことがない、明らかに異常な存在だ。
人間をいとも容易く蹴り飛ばす男と戦いにでもなりにしたら――思わず冷や汗をかきそうになった。
支給品のお陰で、異能とも呼べる力を持ったものの、真正面からの戦いで必ず勝つ自信は生憎ない。
させない。思考をクールに、自分が戦わずに済む状況を呼び込む。
何故なら自分はこんな場所では絶対に死ねない。死ねない理由がある。
悟史君ともう一度会う――そのためにはどんなものも投げ捨てる覚悟は勿論だ。
だから、こんな卑怯染みた真似すらも取ることが出来た。
「……話を戻しましょう。この子、ナナリーちゃんとその女は貴方方の好きにしてもらって結構です。
それと私が持ってる情報も教えます。
これでも結構な人と会いましたので……貴方方の知り合いとも会ったかもしれませんよ」
俗に言う裏切り行為。
盲目のナナリーが軽く口を開け、呆然とした表情でこちらを見るが罪悪感はない。
だって自分には彼が居るのだ。彼の元に戻るためにもこの場を切り抜けなければならない。
その過程で、誰かを犠牲にする必要が出てくるなら喜んでやってみせよう。
魔女だの悪魔だのと罵られても構わない。
只、彼が居るならそれだけでいい。
狂気とも取れる、ありったけの愛情が今の詩音を支えている。
そうだ。恐れる者は何もない――暗示をかけるように己を励まし、ラッドへ言葉を突き付ける。
「だから、自分の命は助けろ……と言いたいわけだな。ふんふん、なるほどなぁ……悪くないんじゃね」
「そ、それなら――」
途端に詩音の表情に確かな喜びが花開く。
ホッとした。頭上に乗っていた、不安という重りが消えたような感覚がある。
ならばさっさとナナリー達を引き渡し、自分はこの場から立ち去ろう。
思わず気が緩む詩音。その瞬間、ラッドが狙い澄ましたように声を発した。
さも愉快そうな笑みを浮かべて。
「――ところがギッチョン! 俺は嬢ちゃんとの約束事に興味はねぇんだ!」
そこでだ、宇宙人野郎。ちょいと提案があるんだが」
この男は何を言っているのだろう。
顔を背けたラッドを凝視しながら詩音は思う。
詩音程ではないが、ミュウツーの方にも驚きはあったようだ。
無言でラッドの言葉に耳を傾け、そしてラッドは。
「俺とてめぇの二人。どっちがこいつら三人を多くブッ殺せるか勝負しねぇか?
てめぇは只、ブチ殺すだけじゃつまらねぇ。どうせなら殺す前にてめぇの鼻でも明かしてやりてぇからな。
そんでその後は俺とお前の潰し合いだ……やろうぜ、俺の方はいつでも準備はオッケーってやつよ。
なぁ、やろうぜ――愉快に愉快に殺りまくろうぜ!?」
詩音の頭の中で何かが崩れる。
前提が間違っていた。交渉を行うのには最低限の条件がある。
相手が少しでも自分の話に関心を抱くかどうか。
そして今回のケースは――生憎、ラッドにはその気が全くなかった。
ラッドの口から紡がれた恐ろしい言葉に詩音は青ざめる。
「……良いだろう」
「ヒャッハァ! もの判りが良くて助かるぜ」
「な、なんでそんな話になるんですか!?」
「あー? だからお前はもういいわ、ちょいと黙っといてくれや」
ミュウツーにとってもラッドの提案はそれほど悪くはなかった。
どのみちラッドとの戦闘は避けられないだろう。
ならばその前に脱落者の数を増やしておくのは得策だ。
別に勝負の勝ち負けはどうでもいい。参加者を減らすことが目的だ。
先ずは三人を殺し、後は逃げるなりもしくは殺すなりしてこの場を終わらせる。
同情は捨てる。そんな感情は自身の破滅を招くだけなのだから。
しかし、必死に抗議の言葉を叫び続ける詩音から顔を背けたのは何故だろうか。
僅かな疑問を抱きながらも、ミュウツーは歩き出す。
顔を上げているものの、未だ立ち上がれそうにもないブレンヒルトの方へ。
そんなミュウツーを見て、ラッドも歩を進めていく。
「というわけだ。だから嬢ちゃんよぉ――さっさと死ねや」
ゴキゴキと両拳を鳴らしながら、ラッドは詩音に宣告する。
こんな馬鹿な。誰に言うわけでもなく詩音は心底思う。
何故、自分がこんな目に遭わないといけなのか。
自分は只、悟史に会いたいだけなのに。
もし、慈悲深い神様が居るならなんとかして欲しい。
既に人一人を殺した事実をまるで忘れたかのように詩音は切に願った。
だが、やはり何も助けは入らない。
ブレンヒルトもナナリーも当てに出来ず、何か出来たとしても詩音を助ける事はないだろう。
こうなればなんとか自分の力で切り抜けるしかないか。
絶対に出来る――という自信はどうにも持てなかった。
あまりにも暴力的な、経験した事のない恐怖を撒き散らすラッド。
そんな彼が、今から自分を殺そうとやってくるのだ。
落ちつけるわけがない。
只、一歩づつ近づいてくる死の足音に震える事しか出来ない。
そう思った瞬間――地割れが起きた。
赤子の産声を思わせる地響きがどこからか聞こえる。
なんだ。一体何が――何が起きた。誰もが思ったであろう疑問。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおい……マジかよ」
逸早く反応したラッドが叫ぶ。
驚きを一切隠さない、純粋な感情がそこにあった。
何故か心躍るような声色で、何かに期待する様な眼差しで。
ラッドは“そいつ”に向けて言葉を吐き捨てる。
「どうなってんだ、こいつはよおーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
二本の腕が見える。
只の腕ではない、人一人分くらいの長さは楽に越えている。
しかもその腕は地面から生えている。
咄嗟に詩音が慌てて跳び退いた。
詩音の直ぐ傍、何故かその場に立っていたナナリーの直ぐ下から、腕が出てきたのだから。
大地を突き破り、大空の元へ出てやろう――そんな印象を思わせる。
やがて、ナナリーの背後で六つの目を持った顔が浮かんだ。
「マークネモッ!!」
それは新たな可能性――未来を司る存在。
◇ ◇ ◇
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最終更新:2012年12月03日 02:12