蟲医学史の前の、最初のはじまりについて調べる
ここでは、蟲医学の歴史について簡便に説明したいと思う。
ここでいう蟲医学は、虫を使った人間の治療のことではなく、怪我や病気をした昆虫をはじめとする虫の治療回復のための科学、という定義になる。
簡便のために虫医学、虫医学史という呼び方でも良いだろうが、虫を使った人間の治療の意味合いに取られることもあるから、積極的に造語である蟲医学という言葉を使っていきたい。
ここでは、いつから虫治療が始まったのか、という観点を説明する。そのために少し、蟲医の物語研究を辿っていこう。
ここでいう蟲医学は、虫を使った人間の治療のことではなく、怪我や病気をした昆虫をはじめとする虫の治療回復のための科学、という定義になる。
簡便のために虫医学、虫医学史という呼び方でも良いだろうが、虫を使った人間の治療の意味合いに取られることもあるから、積極的に造語である蟲医学という言葉を使っていきたい。
ここでは、いつから虫治療が始まったのか、という観点を説明する。そのために少し、蟲医の物語研究を辿っていこう。
ここからは私の自分史
はじめに断っておくと、私は虫の専門家ではない。大学は静岡大学農学部だが、在学中は森林生物化学を専攻し『フェノール性化合物酸化能を有するマツタケ類の選抜』というキノコの論文で卒業した。つまり、少し微生物学が近い程度である。
在学中はあらゆる本を渉猟し、木はなぜ生きているのに切られるのか、といった哲学的な問いを探求していた。特にカナダでの生活の際に哲学を聴講し、探求心はさらに深まった。
その後は私自身、アカデミズムなどには与しないと信念をもち、専門家であるよりも、小説を書いて作品を発表し、専門からは自由でありたいと大学院には行かなかった。……と書くとカッコいいが、実際に行くのをやめたのは、やる気がなかったからと、奨学金をこれ以上抱えるのはごめんだと思ったからと、当時一緒にいたパートナーと一緒に生活したいとの想いからである。
大学卒業後、突然蟲医のアイデアが降ってきた。私はそれを素早く書き留め、星新一賞に出したが、受からず、作品「蟲医」としての初出は「人工実存」になる。そして、完成された作品は、SFファンジンのコンテストに出されるはずだった。しかし、コロナ禍と夢枕獏先生の体調不良により、コンテストは延期となり、2年間、猶予が与えられた。発表の場を失ったのを拾ったのがKindle Direct Publishingだったのである。こうして『冬虫夏草』は、蟲医第一作として発表の場を与えられた。内容は数理的な昆虫憲法と蟲医の師弟関係からなるシュ永デ琳宮という架空の国の物語で、今思うと大変な勇足だったように思う。言語実験、言語創作を織り交ぜ、数理的な憲法によって秩序が保たれた科学の国はこうして生まれた。
在学中はあらゆる本を渉猟し、木はなぜ生きているのに切られるのか、といった哲学的な問いを探求していた。特にカナダでの生活の際に哲学を聴講し、探求心はさらに深まった。
その後は私自身、アカデミズムなどには与しないと信念をもち、専門家であるよりも、小説を書いて作品を発表し、専門からは自由でありたいと大学院には行かなかった。……と書くとカッコいいが、実際に行くのをやめたのは、やる気がなかったからと、奨学金をこれ以上抱えるのはごめんだと思ったからと、当時一緒にいたパートナーと一緒に生活したいとの想いからである。
大学卒業後、突然蟲医のアイデアが降ってきた。私はそれを素早く書き留め、星新一賞に出したが、受からず、作品「蟲医」としての初出は「人工実存」になる。そして、完成された作品は、SFファンジンのコンテストに出されるはずだった。しかし、コロナ禍と夢枕獏先生の体調不良により、コンテストは延期となり、2年間、猶予が与えられた。発表の場を失ったのを拾ったのがKindle Direct Publishingだったのである。こうして『冬虫夏草』は、蟲医第一作として発表の場を与えられた。内容は数理的な昆虫憲法と蟲医の師弟関係からなるシュ永デ琳宮という架空の国の物語で、今思うと大変な勇足だったように思う。言語実験、言語創作を織り交ぜ、数理的な憲法によって秩序が保たれた科学の国はこうして生まれた。
ここからが本題
蟲医を書くにつれて、面白い出来事が起こった。まさに私が求めている、蟲医的情報そのものが集まってきたのである。文は人を呼ぶということだろう。ここでは、オンライン昆虫食雑談会での出会いが大きかった。蟲医治療の方法を探りながら、さまざまな文献を渉猟する日々が続いた。
それらの蟲医的情報を蟲医として作品化することもできた。いくらかは、それを実践した。しかし、本を書くことはいくらやっても社会的な影響力を高めるには厳しい。しかし、蟲医を目指す人たちの存在は、少数ながらもいる様子だった。そういう人たちの力になる、私だけが持っている蟲医的情報の提供ができたらいいな、と思い、蟲医@Wikiはできた。
それらの蟲医的情報を蟲医として作品化することもできた。いくらかは、それを実践した。しかし、本を書くことはいくらやっても社会的な影響力を高めるには厳しい。しかし、蟲医を目指す人たちの存在は、少数ながらもいる様子だった。そういう人たちの力になる、私だけが持っている蟲医的情報の提供ができたらいいな、と思い、蟲医@Wikiはできた。
文献調査したが、見当たらず
さて、ここまで書いてきたが、私が調べた限り、蟲医的SFのアイデアは、少なくとも私が書き始めた当初は、どこの文献にも存在しなかったのである。
確かに、ちょっと文献を辿れば、虫が出てくる物語は、いくらか存在した。ところが、蟲医となると、途端に消え失せてしまうのだ。なぜ?
一つ可能性を考えた。
「虫を、そもそも治療すべき対象と思っていない?」
これは獣医学をやっている人から聞いた話だが、家畜の治療は、その家畜の費用対効果を考えて、農家さんの利益が最大になるようにする、ということがメインテーマとなっているそうだ。そうなると、虫がもつ病気や怪我の治療は、牛や豚の喪失による損失と比較しても、費用対効果が高くない、ということになるらしい。つまり、虫は最初から、SFであっても治療対象にはならなかったのである。
確かに、ちょっと文献を辿れば、虫が出てくる物語は、いくらか存在した。ところが、蟲医となると、途端に消え失せてしまうのだ。なぜ?
一つ可能性を考えた。
「虫を、そもそも治療すべき対象と思っていない?」
これは獣医学をやっている人から聞いた話だが、家畜の治療は、その家畜の費用対効果を考えて、農家さんの利益が最大になるようにする、ということがメインテーマとなっているそうだ。そうなると、虫がもつ病気や怪我の治療は、牛や豚の喪失による損失と比較しても、費用対効果が高くない、ということになるらしい。つまり、虫は最初から、SFであっても治療対象にはならなかったのである。
しばらく文献調査
しかしながら、費用対効果はさておいて、やはり家畜化された昆虫はかなり研究されていた様子が見て取れる。蟲医的物語は、いくらか存在した。
こちらの記事にあるように、農耕詩に見えるミツバチ治療などは、間違いなく最初期の「蟲医的」物語だ。ミツバチの治療のために花を撒いたりしているのだから。
ヴェルギリウスの『農耕詩』は、紀元前29年頃だそうだ。これ以上調査をして蟲医治療が出てくるかを判別することは難しいため、これを最初の蟲治療の例かつ、最初の蟲医学の例として説明しても良いと思う。いや、あるかもしれないけど、多分これだと思うんだよな。そうだと信じたい(もしこれより早い例を見つけたらご報告ください)。
ヴェルギリウスの『農耕詩』は、紀元前29年頃だそうだ。これ以上調査をして蟲医治療が出てくるかを判別することは難しいため、これを最初の蟲治療の例かつ、最初の蟲医学の例として説明しても良いと思う。いや、あるかもしれないけど、多分これだと思うんだよな。そうだと信じたい(もしこれより早い例を見つけたらご報告ください)。
明瞭に、虫を治療する、という発想が出てきている文学作品もある。『ドリトル先生月をいく』では、小さくなった主人公たちが、虫の悩みを聞いてあげる様子が描かれている。1928年に書かれたこの作品で、ようやく本来の虫治療に一歩近づいた印象だ。
とはいえ、この2つしか、蟲医的発想をもつ作品が、1928年以前には存在しなかったということが俄かには信じがたい。調べている私自身でさえ、嘘だと思いたいほどだ。もう少し調べたら見つかるかもしれないけれども。
とはいえ、この2つしか、蟲医的発想をもつ作品が、1928年以前には存在しなかったということが俄かには信じがたい。調べている私自身でさえ、嘘だと思いたいほどだ。もう少し調べたら見つかるかもしれないけれども。
このnoteの内容からすれば、1980年代から、1990年代にかけての、『風の国のナウシカ』、ポケモンシリーズの存在は、蟲医的物語を、極めて現前的なものにしたと言えるだろう。ところが問題は、そこまで科学が追いついていないという事実を、表面化させたことにあった。
まとめ
- 怪我や病気の虫への治療は、ヴェルギリウスの『農耕詩』の病気のミツバチに効く花を添える詩が、たぶん一番最初。見つけたら教えてくれ!
- 『ドリトル先生月をいく』では、明確に虫を治療するという発想が出てきている。発表は1928年。その間には虫は出てくるが、虫を治療する作品は出てきたろうか? 不明。
- はやおとポケモンのあとは、かんざきももたの『虫医』と、本家蟲医ぐらいしかないよ。
- これから蟲医的作品が増えて、研究対象が増えるといいね。