「ん?」
その日、久しぶりにウスワイヤに出向いていたゲンブは、入れ違いに物凄い勢いで飛び出して行った奇怪な格好の男に気付いた。確か、「
百物語組」とかの一人だった記憶がある。
「なぜこんなところに? いや、それよりあんなに急いでどこに?」
その辺りの事情を知らないのは、彼がほとんど独自の行動をとる立ち位置にいる関係が多い。
ともあれ、ゲンブは何か胸騒ぎを覚えた。
(あの気配はただ事ではなかった……何かあるな)
暴走の可能性もある。とりあえずは様子を見ることにしつつ、ゲンブはその男―――「怪人赤マント」
エトレクのあとを追った。
「マナちゃん、そっち終わった?」
「今。そっちは?」
「うん、後はお母さんの部屋だけだよ」
「マスター、マナさん、うちの方は終わりましたで」
「ありがとう、
アズール。じゃあ、ちょっとこっち手伝って」
「わかりましたー」
白波家。
何だかんだで居候しているマナを加え、3人になったこの家では、何日かに一度の大掃除が行われていた。元来ランカが綺麗好きということもあるが、家族が増えてからホコリが立つ度合いが大きくなった、というのもある。
「ランカ、本当に掃除が好きね」
「うん、お母さんがそうだったから。いつも言ってたんだ」
『いーい、ブランカ? 四角い部屋を丸く掃く、じゃダメよ。あるものをどかして、箒やはたきもちゃんと使って、窓を開けて。掃除は定期的に、ね。毎日したっていいくらいなんだから』
「……って」
「さすが……」
ランカの亡母・アカネのきっちりとした教えに、マナはただ感心する。今のランカがこうしてしっかりした性格に育ったのは、ひとえに彼女のおかげと言えるだろう。
(少なくとも、シドウさんのおかげではないか)
仇を探して放浪するあの男が父親の義務を果たしているとは、到底思えないマナであった。
そんなことを思いつつ、ランカを手伝おうと階段に踏み出して、
ぴんぽーん、
「!」
玄関でなったチャイムを聞きつけた。
「あ、私がいくよ」
たたっ、と階段を駆け下り、ランカが玄関に向かう。
「はーい?」
がちゃ、とドアを開ける。そこでランカが見たものは、異様な風体の二人組。
一人は、黒い眼隠しに黒いマントをはおった男。
一人は、それと全く同じ服装の、恐らく女。
「!? あ、あの、どちら様ですか?」
「初めまして。君が
ブランカ・白波かな?」
「は、はい。そうです、けど……」
名前を問うその声に答えつつ、ランカは目の前の二人組から異様なものを感じ取っていた。
粘つくような、嫌な感じのなにか。
スザクやトキコならわかったはずだ。――――それが、「悪意」あるいは「害意」と呼ばれるものだと。
「ランカ? どうし―――」
玄関の空気を察したのか、アズールを連れたマナが階段を下りて来る。が、尋ねて来ていた二人の姿を見た途端、その表情が凍りついた。
思わず振り向くランカ。マナから一連の話は聞いていた。
兄・詠人と組み、命を狙って来た「正義の味方」。あまり家から出ないランカでも、真衣を通じて噂くらいは聞いていた。
―――が、その振り向いた一瞬が命取りとなった。
「!? あぐっ!」
突然女―――パニ・シーの後ろから延びた手に喉を掴まれ、引き寄せられていた。そして、気が付くと牙だらけの左腕に抱えられていた。
「だ、誰……ッ!?」
「……今度は逃がさないぞ、紛い物」
眼光に憎悪。声音に怒り。震える腕は歓喜か、高揚か。
―――月読 詠人が、そこに立っていた。
わずか、時を遡る。
ヴァイス=シュヴァルツからもたらされた情報をもとに、白波家にいる人外二人、そしてあわよくば
火波 スザクを「成敗」するために、「正義の味方」の二人は白波家に向かっていた。
元々二人で実行するつもりだったし、誰かを頼る気もなかった。しかし、行き道で知った顔と出くわしたのだ。
「あれ……シン・シーじゃないですか?」
「ん? ……何だ、詠人君か。何をしてるんだい、こんな所で」
ジャージ姿で道を歩いていた月読 詠人だった。以前彼の妹・マナの姿を奪った人外を倒すべく手を組んだのだが、妨害が入って失敗した。あの時のことは、シンにとっては苦い経験である。
「いや……特にすることもなくて、散歩でも、と。そっちは?」
「いつもの通りの『正義の味方』の仕事さ。実は、この先の家に人外が二体もいるって聞いてね」
「なるほど……」
「ちなみにその片方は、以前逃した奴でね。今度は逃がさないつもりさ」
それを聞いた途端、詠人の顔に鋭いものが走った。
「逃がした? まさか、紛い物ですか?」
「ああ、そうさ。……ところで、いい加減敬語はやめてくれないかな? 他人行儀だし」
「は、はい……じゃない、わかった。これでいいのか?」
「そう、その調子。……何なら一緒に来るかい? 君にとっても因縁だろう」
「ええ……っとと。……ああ、そのつもりだ。ただし、紛い物は僕が殺す。それでいいか?」
「いいとも。僕らが求めるのはあくまで人外を成敗するという結果だからね。君が協力してくれるというなら、断る理由はないね」
「僕としてもそれは賛成だね。あの男と違って、どうやら僕らに近いようだし」
シンの隣にいたそっくりな服装の女が言う。それを聞いてようやく、詠人はシンが誰かを連れていることに気付いた。
「あれ、その子は?」
「え? ……ああ、そういえばまだ話してなかったね。パニ・シー、『僕の妹(ボク)』だ」
「は?」
聞くだけだと「ボク」としか聞こえないので、無論詠人は混乱する。
「? ああ、ごめんごめん。君にはこれじゃわからないね」
「い、いや、大体わかる。兄妹、か」
「まあ、そんなところだね。……さて、話はここまでだ。行くとしようか、白波家に」
「……そうだな」
そして、今。
玄関先で、詠人は牙だらけの左腕にランカの首を抱え込み、長身に物を言わせて宙づりにしている。
「お、お兄ちゃん……!?」
「黙れ。僕を兄と呼ぶな。そう言ったはずだ」
マナに向けるその眼にも、その声にも、憎しみしか宿っていない。そのことに、マナはまた悲しくなり、同時に怒りを覚える。
「……なら、それでもいい。それより詠人、ランカを離して。私だけ狙えばいいでしょう!?」
「そうはいかないんだよ……そのままなら何もする気はなかった。だが」
ぐ、とランカを締め付ける力が強くなる。
「く、ぅッ……」
「こいつはお前を匿った。それだけで手を出す理由になる」
「詠人君、一応言っておくけど殺してはダメだよ。その子はあくまでも人間。僕らが成敗するのは人外だからね」
「わかっている。……シドウさんの手前もある、お前は殺さない。だが」
力に物を言わせ、左手に持ち替えて一気に持ち上げる。
「お前は、僕の最も憎むべき存在に味方した。その報いは受けてもらう」
「あ……く、ぁ……」
「ま、待たんかい! マスターに手ぇ出す奴はウチが許さんで!!」
飛び出して来た少女―――アズールが叫び、詠人目掛けて両手から青い炎を飛ばす―――寸前、
「うおっ!?」
横合いから飛んで来たナイフが眼前を霞め、後退を余儀なくされた。
「ん、意外とすばしっこいな。狙いが逸れてしまったよ」
「まさに人外ってわけか。まあ、ここからは逃がさない。この場で必ず成敗するよ」
「正義の味方」は、そっくりの笑みを浮かべてそう言った。
「あぐっ!」
「迂闊に動くなよ、紛い物。必要以上にブランカが傷つくことになるぞ」
牙に、爪に覆われた両腕を振り回し、詠人がマナを襲う。普段の彼女ならこんな単純な攻撃は何でもないのだが、そう出来ない理由があった。
「パニ・シー」
「大丈夫、しっかり捕まえてるよ」
部屋の隅でパニ・シーに捕縛されているランカの存在だった。シンの流義からして命を取られることはないだろうが、彼らは人外の味方をするなら人間にも(あくまで殺さない程度ではあるが)危害を加える。何より詠人もいる。
下手に抵抗してランカが傷つくような事態になれば、スザクにもシドウにも顔向けできない。
だからと言ってむざむざ死んでやる気はなかったが、この状況では打てる手がない。
「マナちゃんッ!」
「動くな。痛い目を見たくなければ大人しくしていろ。骨の五、六本では済まないぞ」
冷酷そのものの声音で詠人が言う。
「待っていろ。こいつを始末したら、お前にも僕の痛みを教えてやる」
一方のアズールはアズールで、シンの執拗な攻撃から逃げ惑っていた。
「やれやれ、少しでいいから大人しくしてくれないかな。君の主が傷つくよ」
「く……」
ランカを守るために修行を積んで来たのだが、シンの方が一枚上手だった。
相手の力が分からないなら、それを使わせなければいい。
その点において、アズールはランカという大きなディスアドバンテージを抱えていたからだ。
「状況がわかってないのかな? ……『君(ボク)』」
「ん」
音だけで答えると、パニ・シーの力が更に強くなる。呼吸が圧迫され、ランカの声がかすれる。
「 !! ぁ、か……」
「ま、マスター!?」
「そこっ!!」
一瞬の油断……しかしそれは、ことシン・シーという男を前にして、絶対にしてはならない油断だった。
全身を貫く異物感、次いで灼熱感を覚えた時には、既に壁にはりつけられていた。一拍遅れて激痛が走る。
「く、あぁああぁぁ!?」
「手こずらせてくれたね。だけど、これで終わりだ」
右手にナイフを持ち、シンが歩み寄る。そのまま投げてもよかったが、狙いがもう一つあったのだ。
その事は口に出さず、ただ待つ。
「ここは確実に行かせてもらう。いつも最後で痛い目を見がちなんでね」
眼前まで歩み寄った所で、振り上げる。
(アズール!!)
「では、さようならだ」
瞬間、
「やらせるかぁぁぁぁぁッ!!」
窓側から声。次の瞬間、そこを蹴破って赤い影が飛び込んで来た。
肩まで伸びた髪、同じ色の目。炎のような印象を与える、その少女。
「ようやく来たね……火波 スザク」
呟くシン・シーを、
アカノミに「南」と見出された少女は剣のような目で睨みつけた。
(綾ちゃん……!?)
飛び込んで来た親友の姿を見て、ランカは安心するより前に動揺した。
その姿を認めた瞬間、自分を掴まえているパニ・シーが明らかに笑ったのが理解できたからだ。
(!!)
途端、ランカは全てを理解した。母親譲りの洞察力が、理解してしまった。アズールとマナを狙って来たのは間違いないだろうが、恐らくそれは付随要素。本命は……!!
(ダメ、綾ちゃん、逃げて……!)
警告しようにも、口が塞がれて声が出せない。
その親友は、怒りに燃えてシンを睨みつけている。
「お前……よくもここまでやってくれたな!!」
「気性の荒いことだ。成り損ないとはいえ、さすが生物兵器だ」
「何でそれを……いや、どうでもいい。僕の友達をここまでやってくれたんだ……覚悟しろ!!」
しかし、幻龍剣を喉元に突きつけられても、シン・シーは揺るがない。
「状況が見えていないようだね。後ろを見てごらん」
「何を……な、ランカッ!?」
言われて振り向いたスザクは、無二の親友が捕まっているのを目にし、ようやく事態を把握して動揺した。
あらためてシンに向き直り、睨みつける。
「ま、そういうことさ。友達が傷つくのが嫌なら、大人しくしていることだね」
そこまで言うと、ちらりとアズールに目を向け、
「君は後回しだ。まずは、『僕の妹(ボク)』が狙いを定めた火波 スザクを成敗する」
言うと、動揺するスザクに向けて右手を突き出す。白刃が煌き―――。
「ぐっ!」
咄嗟に身をかわしたスザクの右肩を、ナイフが貫いていた。痛みで明らかに動きが鈍る。
生体兵器の成り損ないとはいえ、スザクが受けたのは投薬と精神操作。「龍義真精・偽」があるとはいえ、肉体的には通常の人間とほとんど変わらない。
「あれ? 思ったより脆いな……」
「所詮は出来そこないだ。火波、運が悪かったな」
「! 詠人……お前!?」
「ふん、お前に用はない」
吐き捨てる詠人の右手には、痛めつけられてボロボロのマナ。
「な、何をしてるんだ! マナを何だと……」
「黙れ。こいつは紛い物だ。何も知らないお前は黙っていろ。聞く気はない。こいつは殺す。壊して戻す。姿を、僕は、仇を」
ランカにはわかったが、詠人の様子が現れた時と比べて明らかにおかしい。言葉に脈絡がなく、同じような言葉を繰り返している。憎悪のあまりに判断力と思考力が摩耗して来ているらしい、と見えた。
(ダメ、それじゃ、そのままじゃ!)
だが、それを伝える術は、今はない。
その間にも状況は悪化の一途を辿っていた。
スザクはランカが捕まっているせいでろくに抵抗できず、シンの放つナイフに少しずつ傷を刻まれている。
壁にはりつけられたままのアズールはぐったりしており、放置しているともたないのは確定的だった。
マナはと言うと半ば意識を失っており、憎悪を振り回すかのような詠人の腕に酷く痛めつけられている。血が流れていないのは彼女が能力そのものだからか。
(私が、私が捕まってなかったら……!!)
スザクもマナもアズールも、本当ならこんな相手に負けるはずがない。自分が捕まってしまっているせいで、何も出来ずに追い詰められている。自責の念に囚われるランカをよそに、事態はますます悪化の一途をたどる。
「おやおや……何やら面白そうなことになっていますね」
『ッ!?』
この場に在るほぼ全員が、聞き覚えのある声。一斉に視線を向けたその先にいたのは、黒ずくめの狂人。
「ヴァイス=シュヴァルツ!?」
「どうも、皆さん。こんにちは」
場違いな程にこやかに、脚本家は帽子をとって挨拶した。
「ああ、君か……何だか久しぶりだね」
「これはこれは正義の味方、調子がよろしいようで」
無論皮肉だ。シンはエトレクと遭遇するまでのここ最近、どうも失敗が続いている。
しかし、それに気を咎めるでもなく、シンは言う。
「ま、今はね。あの時はちょっと不本意な戦いだったけど」
「杞憂でしたがね。ああ、ちなみに今日は見物のつもりでしたが、ちょっとばかり手を出しましょうか」
誰の意見も聞かず、介入を許さない内にヴァイスは行動する。抜く手も見せず投げ放ったナイフが、パニ・シーの抱えるランカの頬をかすめる。
(ッ!?)
「おや、外しましたか。投げナイフは一応世界4位までいったんですが」
「なんだいそれは。というか、そんな大会があるのか」
呆れたようなシンはスルーし、ヴァイスはまた狙いを定める。
「今度は外しませんよ」
まるでダーツでもするかのように、黒ずくめの男はナイフを持った手を動かす。
しかし、投げ放たれた刃が向かったのは、
「っ!」
ランカを抱えるパニ・シーだった。咄嗟に身体を倒して避けたが、ヴァイスにとってはそれが狙い。
崩れた態勢に巻き込まれて転倒したランカ目掛け、次の一本を振りかぶる。
だが隣には、
「おっと、僕の前で『人殺し』は許さないよ」
シン・シーがいた。放たれた直後のナイフを自分のそれで打ち落とす。
「投げナイフは君の専売特許ではないんだよ、脚本家」
「知っていますよ、そのくらいのことは」
言うが早いかそちら目掛けてヴァイスは刃を放ったが、まったく同時に動いたシンが打ち落としていた。
「『僕の妹(ボク)』にまで手を出した以上、残念だが君はこの場においては敵だ。大人しくしてもらうよ」
「『この場では』ですか……甘いですね。それがアナタらしいとも言えますが」
「……君に、僕の何がわかる?」
「さあて、ね。どうでしょうか」
知っているのか、知らないのか。それすら悟らせぬままに、ヴァイスは状況を引っかきまわす。
決して狭くはない家の中で無差別にナイフを投げ放ち、たまにシンを妨害。判断力が摩耗してヴァイスの存在にすら気付いていない詠人は、この状況にも反応を示さない。時折ナイフを受けつつも、何事かをぶつぶつと呟きながらマナを甚振る。
(どうして……なんで、こんなことに……!)
今だパニ・シーに捕まったままのランカは、何が出来るでもない己が身に歯噛みする。
と、その目線が向いた先で、
「あうっ!!」
倒れた椅子に引っ掛かり、スザクが転倒した。そして、
「今だね」
そこ目掛けてシンが渾身の一投を放った。眉間を狙ったナイフはまっすぐに飛び、
「!?」
―――スザクの後頭部の僅か上を、通過して行った。
「……なかなか悪運が強い。しかし、ここまでだ」
言うや、シンはヴァイスの刃をかわすとともにナイフを6連発で放つ。
しかし、殺到する刃は紙一重でスザクに届かず、わずかにかすめるのみに終わった。
「どういうことだ……なぜ届かない」
偶然といえばそれまでだが、シンにはスザクを覆うようにかすかな光が見えた。といっても本当に薄く、ともすれば見逃しそうになる。無論、色などわかろうはずもない。
「なら、これで!」
投げては届かないと見たシンは、いつの間にか残りが僅かになっていたナイフの一本を手に取り、直接トドメを刺そうと足に力を込めた。
が、次の瞬間だ。
「!! うわっ!!?」
「おっと」
ヒュッ、と風を斬る音が聞こえ、慌てて身を低くする。飛び出そうとしていた勢いがそのまま残ったため、派手に転んでしまったがこの際仕方がない。先ほどまで首があった場所を大きな何かが通り過ぎて行く。
一方のヴァイスは低く跳躍してかわし、ついでとばかりに詠人とマナを引っかけて窓を突き破り、ほとんど人の通らない裏通りに飛び出す。
「やれやれ、これで少しは静かになりましたね。さて」
目の前には、ボロボロの少女と正気を失いつつある少年。
「因縁もこれで終わりです。ワタシの手で壊せなかったのは残念ですが、せめてトドメくらいはもらうとしましょう」
言って、両手にナイフを持つ。
「では、さようなら」
一歩を踏み出した、その瞬間だ。
「なぁぁぁぁぁにやってんだそこぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!」
「!?」
気付いた時には、詠人共々横っ面を豪快に殴り飛ばされていた。
「ぐ、はっ!?」
回転する視界の中に一瞬映ったのは、ロングコートを着た男だった。
「な、馬鹿、な……確かに、僕が……」
「ああ、確かに死にかけた。だけど、俺はこうしてここにいる、それが事実だ」
シン・シーは、この時明らかに動揺していた。確かにこの手で成敗したはずの人外……赤マントの男が、大鎌を携えてそこに立っていたのだから。
だが自失は一瞬。即座に己を取り戻すと、身構える。
「……まあ、何度来ても結果は同じだ」
「確かに。それに、あの子が人質では、こっちも迂闊に手が出せない哉」
語る男の姿を、シンは訝しげに見る。それが本当なら、なぜこうも動揺せずにいられるのか。
だがその答えは、すぐに明らかとなった。
「!? う、うわぁっ!?」
突然パニ・シーが転倒し、ランカがたたらを踏んで前によろめいた。男―――エトレクはそれを見逃さず、素早く駆け寄って片手で抱き止める。
「助かったよ、ミナ」
転倒したパニ・シーの足を、部屋の陰から延びる無数の白い手が掴んでいた。
郊外のとある廃病院。霊安室だったと思しきそこに、白いブラウスの少女が一人佇む。
「んっ……!」
何かを堪えるようにして拳を握り、目をつむる。が、程なくしてそれは解かれた。
「……エトレクさん、ごめんなさい。また失敗しちゃいました」
「っ、何だよ、今のは……」
「……新しい人外らしいね。ここまで事態が動いたのはさすがに驚きだ」
優勢劣勢含めて、である。
「だけどあの程度なら問題はない。さて、もう一度覚悟はしたかい?」
「正直言えばまだ敵わないだろうな。だけど」
ぐるりと鎌を一回転させ、構える。
「まだやれることはある哉」
仮面の裏からシンを見据え、「問う」。
「『赤い色と青い色、貴方はどちらが好きですか?』」
「最初に言ったはずだけどね。赤だ」
言うや、金属音が響く。シンのナイフとエトレクの鎌がぶつかり合う。
放たれたナイフを鎌で弾き、間を詰めて振りかぶり、空いている方の手で小さい鎌を投げ、シンがそれを弾く。
そしてそれをエトレクが拾い上げ、シンの首を挟みこむ。
「「…………」」
まるでいつかの再現のようなその状況。やはり、動いたのは赤い影だった。
いつの間にか握っていたナイフを鳩尾目掛けて突き出し、
「っと!」
エトレクが後退してかわす。
「そうそう何度も同じ手は喰らえない哉」
「……さすがに馬鹿ではないか」
やや場が膠着した所で、シンは視界の端に映る青い狐のオーラが微妙に動いているのを見つけた。
(ん?)
トドメを差す寸前まで追い詰めた、自力では動けないはず。だが、少しずつその場から移動している。
「『君(ボク)』、どうなってるんだ?」
「ごめん『君』、逃がした……!」
シンはこの時点では知る由もないが、ランカの能力「異能耐性」は彼の力に対しても十全に機能している。つまり、彼の視界にはランカのオーラは映らないのである。
一方パニ・シーの方はまだ余力を残していたが、事態が二転三転するにつれ、何を「なかったこと」にするか一瞬判断を迷った。
ここまで圧倒的に有利に進めていたこともあるし、一番厄介な「波動化」のマナは自前で無効に出来る詠人が相手取っていたため、ランカを抑えておくことに専念していたのだ。
だがここに来て状況が少し向こう側に傾いた。さっきの謎の手の妨害でランカに逃げられてしまい、おまけにシンが追い詰めた狐の人外まで逃がそうとしている。
(さしあたり、あの子の手足の感覚をなくせばいいかな)
とりあえずの見当をつけたパニ・シーは、疲労を圧して狐を動かしているランカに能力を使おうとして、
「う、わっ!?」
突然響いたシンの声に、思わずそちらを振り向いた。
「な、何だ……見えない!?」
そのシンは、突然視界から一切のオーラが消えた事に戸惑っていた。瞬間移動したにしてもこれはあり得ない。視界の端にあった妹のオーラまでもが、忽然と消え失せたのである。
しかし、当惑しているのはエトレクも同じだった。先ほどまでシンに対して使っていたはずの「絶対選択」が、唐突に解除されてしまったのだ。
「な、何でこんな時に……!!」
「そこまでにしてもらおう。俺の家でこれ以上、勝手は許さん」
玄関から突如声が響く。重厚なバリトンに見合わない、20代としか見えない男が、玄関口で内部を見据えている。
隣に伴うは、黒いジャケットを着た「北」の男。
「アースセイバー、
水波 ゲンブだ。お前達、大人しくしてもらおうか」
その隣で、口を真一文字に結び、「異能殺し」―――
白波 シドウが、仁王立ちしていた。
(……ここまで、か)
撤退すべきだ。不本意ながら、シンはそれを決めた。人外を成敗して回る中で噂は聞いていた。
全ての能力者の天敵。視界に入る能力者から特殊能力を奪う力。
元々彼とパニ・シーは二人でそれぞれ行動しており、今まで戦った人外は大体一人か、多くて三人。ここまでの大人数をまともに相手取るには、さすがに不利過ぎた。ましてや、作戦の根幹に在る能力が使えなくては。
パニ・シーの能力ならシドウの力も無効化出来るのだが、その場合先手合戦になる。そして、今回はシドウに先手を打たれた。
こうなった以上、次の機会を待つしかない。ここまで追い込んで諦めるのはいささか以上に不本意だが、ここで動きを封じられては使命に差し障る。
(まあ、それに)
チャンスはまだある。この場に拘るよりも、一度退いて対策を立てるとしよう。
「『君』、ここは退くよ」
「わかった……」
「逃さん!!」
瞬時に反応したゲンブが床を蹴って襲い掛かる。気配だけで察したシンはそちらにナイフを投げつける。
さすがに当たりはしなかったが、ゲンブの足を一時止めることは出来た。
そして、その隙にパニ・シーがシドウの視界から外れる場所……つまり奥の扉の裏にシンを引っ張って滑り込み、白波邸内部の「光」を消す。
「うおっ!!」
「く、しまった!!」
突然の真っ暗闇に狼狽するシドウとゲンブ。視界が閉ざされたことで「スキルシール」の効果が消え、シンの視界が戻る。
(どうする)
すぐ近くに例の狐の人外のオーラが見えた。トドメを刺そうかとも思ったが、その間に視界から消える。
これ以上手を出すのはさすがに無理と判断したシンは、妹を伴って裏通りへ抜け、姿を消した。
去り際、
(ん?)
誰のものともつかない、「白いオーラ」を目の端に過ぎらせて。
「っく、逃したか……」
裏通りにいた男は、ようやく出会った仇敵を逃したことに舌打ちしていた。
送ってもらう途中で案の定迷ってしまい、昔馴染みを探している内に「奴」を見つけ、襲い掛かったのだ。
しかし、そいつはその一撃のみを受けて逃げてしまい、もう一人いた少年の方は殴り飛ばされた先で何やらハッとした後、悔しげにこちらを一瞥してからどこかに行ってしまった。
「せっかくのチャンスだったんだが……っと、それより!!」
だが今は、目の前で倒れているこの少女を、恐らく中にいただろう家に連れて行くのが先決と見えた。
「おいおいおい、何だこりゃあ!?」
パニ・シーが去ってしばらく後。ようやく光を取り戻した白波邸に、裏通りの方からコートの男が入って来た。
その腕には、傷つきボロボロになったマナを抱えている。
「だ、誰だあんたは」
身を起こしたスザクが問う。男は、何を隠すでもなく答えた。
「
天河探偵事務所の
霧波 流也だ。こりゃ一体どういう事態だ?」
「何? そうか、星さんの所の方向音痴の助手というのはお前か」
「……姐さんは俺をどういう風に説明してるんだよ」
ゲンブの言葉に不機嫌な顔をする流也。ちなみに星はそのまま説明していた。
「それよか、この子がやばいぜ。見ての通りボロボロだ」
言って、流也は腕の中のマナを示す。
「! ま、マナ!!」
「こ、これは……」
一方、シドウの方も切羽詰まっていた。
「ブランカ、無事か!!」
「お、お父さん……アズールが、アズールが……」
半泣きのランカは、瀕死で狐の姿に戻ったアズールを抱えていた。全身に傷を負い、浅い息をしていた。このままでは命が危ない。
「いかん、このままでは……だが、エダの所に連れていくにも時間が足りん……」
『なら、私に任せてくれない?』
突然頭の中に響いた声。気がつくと、部屋の中に女性が立っていた。白ずくめの服装に、桜色の髪。
「っと、
サクヤ姉さん? 何でここに」
『何でも何も、坊やを送って来たからに決まってるでしょ。それより』
女性―――サクヤは、瀕死のアズールと傷ついたマナに手をかざす。
と、その手にほのかな光が灯る。それが二人を照らすと、傷が少しずつ、少しずつ治っていくのが目に見えてわかった。
『……自己治癒力を高めておいたわ。私に出来るのはこれくらいね。しばらく大人しくしてれば、元気になるわよ』
状況を理解しかねる一同をよそに、サクヤは軽く手を振るとすーっ、と姿を薄れさせて消えてしまった。
「な、何だったんだ、あの人は……」
「……まあ、それよりも」
呆然とするスザクの隣で、エトレクが立ちあがって言う。
「まず、優先してすべきことがある哉」
意味を掴みかねる一同に、「怪人赤マント」は仮面の下から言う。
「……とりあえず、片付けた方がよくない哉」
……なお。
一同が片付けと掃除を終わらせ、もろもろの情報を交換したのは、日が暮れて逢魔ヶ時を迎えてからのからのことだったそうな。
白波邸の邂逅
(正義の味方と人外)
(異能殺しと異能の盾)
(東・西・南・北)
(一同に会したは、果たして偶然か)
同時刻、寺。
「あれ、琴音さん? 何してるんですか、こんなところで座り込んで」
「あぁ、春美ちゃん。ちょっと無理しちゃったから、疲れただけよ」
最終更新:2011年08月16日 14:02