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銀角

銀角

 ――その男は、前触れも何も無く姿を現した。

「初めまして皆さん、都アッシュです」
『…………!?』

 ざわざわと、二年二組の生徒達がざわつき、目の前に立つ男子生徒と、そして「自分達にとって見知った相手」とを見比べる。

「…………!!??!?」

 当人にとっても、訳が分からず困惑しているようだった。彼の戦友である火波スザクもこの状況に困惑し、思わず二人の姿を見ているし、普段他人に対して驚きを露わにしない朱鷺子も、この状況に少なからず目を見開いていた。

 「そっくり」だった。既に二年二組の一部と化した男――都シスイと、その日転校して来た少年――都アッシュは、細かい差異こそあれ、パッと見て同じ、そっくりな顔をしていた。

「さて……初めまして、だよね? ――兄さん」
『――えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?』

 どことなく都シスイに似た、それでいて甘えの利いた、人懐っこそうな笑みを浮かべ、都アッシュはさらりととんでもない発言をぶちかまし、それによって二年二組クラス一同は耐えかねたように大声を上げた。



「……シスイ?」
「いや、俺に弟がいたとか、ガチで初耳なんだが」

 休み時間中に、スザクがどことなく遠慮がちに問いかけてきた……何だよ、そんな余所余所しくなる事無いだろ。

「確かお前、麒麟に連れて来られた……んだよな?」
「じぃやとばぁやの話によればな。じゃなきゃ、この能力の説明がつかない」

 パッ、と周りの生徒に気付かれない程度に、俺は自分の手の平を軽く金色のオーラで纏ってみせる。
 「天子麒麟」。俺の生まれが麒麟に由来すると言う、たった一つの証拠だ。

「あー、んー……どうだ、その……いきなり兄弟を得た気分は?」
「形容しようにも、言葉が何にも見つからねぇよ」

 まぁ、それでも言葉に表すなら――「訳が分からない」。
 ……答えになってねぇな、これ。

 だけど、だろう? そもそも養子同然で血縁もはっきりしない俺に向かって、いきなりあのアッシュとか言う奴は「初めまして、兄さん」とか抜かしてきやがったんだぞ? どう言葉に表せって言うんだ、この心境。

「シスイ……お前、大丈夫か?」
「へ、何が?」
「お前、さっきから、あの男を見る目が怖いぞ」
「え?」

 スザクに指摘され、俺は思わず目元を押さえてしまう。確かに筋肉が強張り、まるで睨み付けているようになっているような気がする……

「お前、今まで他人に向かってそんな表情した事無かっただろ」
「んな訳無いだろ。ホウオウグループとか、特にジングウ! ああ言うのを見る時は、俺だって睨みつける位――」
「いや……だから、な?」

 皆まで言わず、まるで言い聞かせるようにスザクが言う。そこに至って、俺はようやくハッとした。

 俺が他人を睨むとすれば、それは俺と相容れないもの――つまり「敵」だ。俺は今、敵を見る目と同じ目で、アッシュの事を見ていたんだ。



「確かに、あのアッシュとか言う男の正体は掴めないが……だからと言って、何もそこまで剣呑になる事無いんじゃないか?」
「……いや、な。正直、俺も困ってるんだよね」
「は?」

 睨み付けていた事には今気付いたが、実際のところ、俺がアッシュに対して抱いた感情は「そう言うもの」だった。自分でも訳が分からない。何故だか俺は、初対面である筈のアッシュという相手に対し、敵愾心を抱かずにはいられない状態なんだ。

「顔に出さないように、ずっと気を付けているつもりだったんだけどな……何だろ。あいつを見ていると、すげぇ気持ち悪い」

 俺は、他のクラスメイト達と談笑しているアッシュの姿を見る。奴の笑い方は、俺のそれによく似ているが、一方で「違う」と感じる笑い方だ。所謂、個性の違いというやつなのだろう。

 都アッシュと言う存在は、朝のHR後にはあっと言う間に周囲に受け入れられてしまっていた。現れるなり「俺の弟」を自称した事もあるが、俺と違ってあいつには人懐っこさがあった。ここにいる全員とは初対面の筈なのに、あいつはまるで、何十年来の友人みたいに気さくに話しかけている。その遠慮の無さと、人当たりの良さが、クラスメイト達の心を掴んだに違いない。

(あんだけ明るい笑みを浮かべられるんだ……悪い奴じゃない。なのに――)

 なんだ、この、さっきからアッシュへと向けられる嫌悪感は。
 どうかしている。そう、どうかしている。まだ会ったばかりで、しかも、まだロクに言葉も交わしていないと言うのに、

(何だよ、これ……)

 あいつの容姿が気に食わない。
 あいつの声が気に食わない。
 あいつの笑顔が気に食わない。

 理由なんか何も無い。「とにかく」気に食わない。理不尽極まり無い感情が、俺の心を支配しようとしていた。

「お、おい、シスイ――」
「大丈夫かい、兄さん? 顔色が悪いよ?」
『!?』

 突然頭上から降ってきた声に、思わず俺は顔を上げた。スザクも驚いた表情でそちらを見ている。一体何時の間に近付いていたのか、アッシュが俺を覗き込むように、そこにいた。

「な、何だよ……」

 無愛想な物言いになってしまうのは、正直許してほしいと思う。何せ、今の俺にはこれが「精一杯」なんだ。しかしそんな俺の様子を気に留める風でもなく、アッシュは話を続ける。

「いや、だって朝からずっとだよ? 身体の調子が悪いのかなぁ、って」
「お前には、関係……無い……!」

 まずい……アッシュがこっちに近付いて来た事で、よりこいつに対する嫌悪感が増している。思わず顔を背けそうになるが、俺はそれを理性によって抑制している……が、それもどこまで持つか分からない。油断すると「吐き」そうだ……!

「つれないなぁ、兄さん。生き別れの弟と初めて会えたんだよ? それなのに兄さんときたら、まだ一度もまともに僕と会話してくれてないじゃないか」
「知るか……俺は孤児同然の出生なんだぞ。それでお前を弟と認識しろって……無理があるだろ、どうしたって」

 実感が沸かないのに、どうしてそれを受け入れろって言うんだ……!

「う~ん……兄さん、僕の事嫌い?」

 小首を傾げながら、アッシュは問いかけてくる。その様子は、完全に俺の心理状態なんて分かっている風ではなく、純粋に俺への疑問を投げかけている。嫌味などではない、向こうは本当に「分かっていない」のだ。

 だから、俺は言ってやった。



「――ああ、そうだよ。俺はお前が気に食わない」



『ッ――!?』

 周囲が息を呑むのが分かったが、俺は気にしちゃいなかった。だって、遅かれ早かれ、この本音を俺は言うつもりでいたのだから。

「ふーん……何で?」
「さぁ……何でだろうな」
「何でだろうって……理由が無いの? 非道い人だなぁ、兄さん」
「そうだな、自分でもそう思う……ただ取り合えず、俺はお前が気に食わない」

 本音を晒した以上、俺にはもう隠している必要は無い――俺は思いっきり、俺を見下ろしているアッシュを下から睨みつける。それに対して奴は、どうと言う事も無いかのように、涼しい顔をしていた。

「「…………」」

 体感時間でかなり長い、しかし実際はそう長くないであろう、沈黙が訪れる。俺は睨み顔で、アッシュは平静に。そして周りはおそらく、息を呑みながら俺達を注視しているのだろう。

 一瞬触発の空気の中で、不意にアッシュはにか、と微笑った。

「うん! ――いいね、兄さん。思ったより好きになれそうだ」
「何?」
「だってそうだろ? 最近の人って、他人の顔色伺ってばかりでさ。自分の言いたい事堂々と言ってのける奴なんて、そうそういないし」
「それはあれだ、周囲との軋轢とか摩擦を回避する為の立派な手段だろ?」
「そうだね。うん、そうだ――だけどさ、そのせいで自分の欠点分かってない人とか、増えてるんじゃない?」
「――!?」

 言われて、俺は思わずハッとなった。

 自分の欠点を他人に言われる。自分が嫌いであると言う事を他人に言われる。それは確かに不快な事だが、しかし、それによって、言われた側は自分には欠点があると言う事を、自分が嫌われる要素を持っているのだと言う事に気付く事が出来る。

 人によっては、それ位の事自分で気付けよ、と思うかもしれない――だが、それは「気付ける人間」の言い分だ。どうしたって自分では「気付けない人間」はこの世にいる。それを指摘してやるのも、一つの優しさで一つの思いやりだ。

「……は」

 いや、参った参った。降参だ。こちとら、本当に唯の本音をぶちまけたに過ぎねぇってのに、こいつ、その言葉に対して「ありがとう」って言ってやがる。

(前々から俺はお人好しだと言われていたけどなー……こいつ、俺以上のお人好しじゃねぇか)

 気が付くと、俺は自分の右手を差し出していた。それを見てアッシュは「お?」と言う顔をする。

前言撤回――俺も、思ったよりお前の事好きになれそうだ」
「あは」

 ぱし、と互いに手を取り合うと、周囲でホッとため息をつく声があちらこちらで聞こえた。 ……ビビらせて悪かったな、みんな。

「これからよろしく頼むぜ、アッシュ」
「こちらこそよろしく、兄さん」

 お互い、笑みを浮かべながらそう言葉を交わす。

 ――しかし、

(何だったんだ、さっきまでの嫌悪感は……?)



俺とアッシュは、空いている時間に色々な事を話し合った。思わず授業中にも話をしてしまったのだが、そこはそれ、委員長に二人仲良く黙らされた。まぁ、お互いがお互いに話したのは結局のところ、「自分達のこれまで」の事で、それは、お互いがお互いのいなかった時間を補完し合う行為だった。もっとも、俺の出自は「表立っては言えない」事だったので、クラスメイトがいる内は話せなかったけど。

 そうこうしていると下校時間になった。

「うわ、もう放課後か」
「時間が立つのは早いねー、兄さん」
「そういやお前、どこに住んでるんだ?」
「ん、結構遠い、かな」
「あ、そうなのか? バイク通学とか?」
「そ、兄さんと同じ」
「どこなんだ? 今度の休みに見に行っていいか?」
「んー、それは後にして……兄さん、ちょっと屋上行かない?」

 鞄を肩にかけながら、アッシュがそう言って来た。

「何だ、突然?」
「ちょっと用事だよ。すぐ済むからさ、一緒に来てよ」
「ああ、別にいいぜ」

 見知った廊下を進み、見知った階段を上り、見知った扉を開ける――今まで何度も通ってきた道だ、俺が間違える訳が無い。

「ん、誰もいねぇな」
「うん? そうなんだ?」

 意外だった。「ちょっと用事」などと言うから、誰かを待たせているかと思ったのに。

「それは好都合だな」
「何でだよ、お前確か用事って――」
「用事あるよ――その相手は、兄さんだもの」
「――!?」

 突然背後から襲ってきた殺気に、俺は反射的に前へと転がるように「逃げて」いた。遅れて聞こえてきたのは、空気を切る音――アッシュの右手には、一体どこから取り出したのか、ナックルガード付きのアーミーナイフが握られていた。

「あは、流石は兄さん……これ位で死なれたら、同じ麒麟として恥ずかしいもの」
「ア……ッシュ?」
「あー、違う違う。正しくはASSのAS2。だから〝アッシュ〟……それが僕の呼び名だよ、兄さん」
「何を言って……」
「まさか、ちょっと話をした位で、ちょっといい奴に思えたからと言って、僕が味方だと思ったの、兄さん? ……とんでもない、こーゆー奴が一番洒落にならないんだって」

 目の前の男――アッシュは、先程までと全く変わらない表情で……しかし、俺への殺気を全く隠す様子が見えない。飄々としているが、少しでも隙を見せればその右手のナイフで俺を殺しにかかってくる事だろう。

「く――!」

 突然の状況変化に頭の整理が追いついていないが、とにかく自分の身を守る事だけを考えて俺は「天子麒麟」を纏う。金色のオーラに全身を包まれた俺の姿を見て、アッシュは呑気にも口笛を吹いた。

「ひゅー、格好良ー。それが兄さんの天子麒麟か。金ぴかでド派手だねぇ」
「派手でもねぇさ。見た目はどうあれ、能力の性質はあくまで対象物の強化だからな」
「あは。兄さんは何にも分かっちゃいないなぁ……天子麒麟を十全に使いこなせていないよ、全く。その力は、そんな風に使うんじゃないだろう?」

 そう言うと、アッシュの全身を銀色のオーラが包み込んだ。色こそ違うが、その能力には見覚えがある。身に覚えがありすぎる。

「天子……麒麟……!」
「そ。兄さんと同じ能力だよ、見た目以外はね……どう? 金色と違って渋いでしょ、銀色ってさ」
「どうだか……見た目の派手さ加減は同じだろ」
「うん――けど、兄さんと僕とでは、使い方において決定的に違うんだよ」



そう言うと、アッシュがいきなりこちらに向かって突っ込んできた。

(助走無しで最高時速(トップスピード)!? こいつ、縮地を心得てやがる!?)

 見た目こそ超能力そのものだが、やっている事は努力次第で誰にでも身に付けられる技術の技だ。縮地とは、剣道や空手と言った武道で重要視される「足運び」の一種であり、究極系の一種だ。何せ、たかが「足運び」一つが違うだけで、助走無しのトップスピードを生み出すんだからな!

「けど、そん位俺にだって出来る!」

 対抗意識が無いと言えば嘘になる。俺はアッシュを上回る「縮地」を用いて、元々奴が立っていた場所に回りこむ。所謂、「後ろを取った」状態だ。

「おー、速いねぇ。天子麒麟で強化しているとは言え、信じられないスピードだ」
「まぁね。昔から俺、逃げ足だけは人一倍あるんだわ」
「よく言うよ。僕が知っている都シスイと言う男は、敵との戦闘中に逃げ出す事はあっても、『いきなり逃げ出す』ような真似はしなかったと思うけど」
「……お前、一体何者だ?」

 今日初対面の筈なのに、こいつ……俺の事を、まるで以前から知っているみたいに語りやがる。一体何者だ?

「……僕は僕さ。AS2、通称〝アッシュ〟だよ」
「それじゃ分からない、って言っている」
「もう、物分りの分からない兄さんだなぁ――」

 そう言うと、アッシュは俺に向かってアーミーナイフを掲げた――そこに刻まれているエンブレムに気付き、俺はハッとなる。

「まさか、お前――」
「イエス、オフコース! 僕は正式名称、BD‐SS01――Agent-Sisui-Shadow-#1型……都シスイ、貴方のクローンだ」
「……!!」

 奴を示す型式番号を聞き、奴が持つアーミーナイフに刻まれたエンブレムを見……俺は確信する。奴は、アッシュは、ホウオウグループの人間だ。

 ホウオウグループの所属、と言う事を認識したせいなのか、分からない。突然俺の中に、あの凶暴な嫌悪感が襲ってきた。

「お……う……!?」
「気持ち悪いかい、兄さん? ……僕も気持ち悪いよ、物凄く。今すぐ君をぶっ殺して楽になりたい位だ」
「な……に……?」
「この嫌悪感の正体が何か分かるかい、兄さん? ……麒麟の本能だよ」
「!?」
「麒麟は、仁徳ある皇帝が誕生する前触れとして現われ、そして天に選ばれた皇帝の器を選別する……分かるかい、兄さん? 麒麟が選ぶ王は一人。つまり、一つの土地につき麒麟は普通一頭しか生まれない」
「…………!」
「ところがどうだい? 僕達は二人いる。どちらかしか王を選び、その傍にいる事が出来ない……どっちか一人は要らないのさ、兄さん」

 ヒュウ、と、アッシュのアーミーナイフが空中を切る。まるで、俺の首を両断するかのように。

「もっとも、僕らが麒麟でなかったとしても、僕は君を殺すよ、兄さん。だって、僕が二人もこの世にいるなんて、そんな事実はとても耐えられない」
「クローンが、何を言って……」

 そこまで言いかけた瞬間、俺は腹部に灼熱を感じた。一体何事かと思ってみてみると、俺の腹に、奴が持っている筈のアーミーナイフが突き刺さっていた。

「が……ッ!?」
「言葉に気をつけなよ、兄さん……僕が君のクローンであると言う事実も、僕にとっては不快でならないんだ……君と言う存在が僕のオリジナルであると言う事実も、僕は許せないんだよ……!」

 一体どこから取り出したのか、アッシュは二本目のアーミーナイフを構えていた。俺の腹部に刺さっているタイプとはデザインが異なり、ナックルガードは付いていない。

「君を殺し、僕はいかせのごれにおいて唯一無二の麒麟となる! そして都シスイと言う存在を抹消し、無かった事にするんだ……初めから、アッシュと言う麒麟しか、この土地にはいなかったんだってね」
「ぐ……!」

 そんなふざけた事、許してたまるか……俺はそう思い、腹からアーミーナイフを引き抜いた。抜いた瞬間、傷口から血が噴出すものの、直ぐに強化された治癒作用によって塞がる。



「そのナイフ使いなよ、兄さん。貸してあげる」
「何?」
「兄さん丸腰だろ? 今までずっと、素手で戦ってきたんだものね……だけど、僕は得物有りで戦うのがスタイルでね。同じ能力を持つ能力者同士が、しかし片方は武器を使い、もう片方は素手で戦う……これじゃあ、まるで僕がハンデを貰っているようじゃないか」
「…………」

 俺は、自分の手に収まっている血に染まったアーミーナイフを見る。

 それから少し考えて――

「いや、要らん」

 結局、何時も通りにした。

「……後悔するよ?」
「知るか。今までだって素手だったのに、今更武器なんか使えるか」
「そ――警告はしたから」

 「縮地」によるゼロ距離加速。一瞬で俺の傍まで間合いを詰めてきて、その右腕に黒刃が煌く。

「スピードなら、俺の方が上だ!」

 その動きに対応し、俺はアッシュを上回る「縮地」によってその場から離れる。再び、アッシュのナイフは空を切り――

「ふぅ……兄さん、自分の能力を甘く見すぎ」
「え――」
「自分を強化する……確かに、それも一つの使い方だけどね」

 そう言いながら、アッシュはこちらに向かって振り返った。そのままの姿勢で、奴は自分の背後にある金網を――

「その使い方が主流過ぎて、忘れてない? ――元々天子麒麟は、『自分以外の何か』を強化する方向に出来ている、って」

 ――奴が金網を押すと、それは支柱となっている太いパイプの部分も含めて落ちた。遅れて、柵が地面に叩きつけられた音が鳴り響く。

「ま……さか!?」
「そう、そのまさか……切ったんだよ、このナイフでね」

 そう言って、アッシュはナイフを目の高さまで持ち上げる。いくらアーミーナイフが市販の物より殺傷能力に優れているとは言え、今のは馬鹿げているにも程がある……! それこそ、「鉄をバターのように切る」みたいじゃないか!?

「馬鹿だよ、兄さん。頭悪すぎ。僕らの能力は、道具に対して使えば、その道具の性能を強化し、一級品に仕立て上げちゃうんだ。ナイフならご覧の通り、拳銃ならもっとすごい事になるだろうし――それこそロケットランチャーや、マシンガンにでも使った事を考えたりしたら、ゾクゾクするね」

 冗談じゃない……俺は戦慄していた。
 「どうせなら、武器でも強化した方がずっと効率が良い」。それは、以前からバク教官に言われていた事だった。能力強化と言う性質を持つ俺の力ならば、武器を強化して更に力を高めるなど容易い事である、と。
 しかし、俺はその提案を悉く却下していた。他人を傷付けるなら素手で、命を奪うなら直接その手で。相手を傷付けた感触を、相手を殺した感触を、しっかりと肌で感じる事が出来る手段で、しっかりとその身に忘れる事が無いような手段で。そんな戦い方をするのに、武器は邪魔だった。だから俺は、今まで武器には頼らず、肉体強化による徒手空拳だけで戦い続けてきた。

 しかし――俺が武器を今まで使わずにいたのは、それだけじゃない。一方で俺は、自分の能力を軽視していたのだ。武器を強化しようが、肉体を強化しようが、対して差は生まれないのだと、そう考えていた。武器有り対素手で戦おうとも、両者の間にハンディなんて存在しないと。

 だが、それは間違いだった。俺は自分の力を、天子麒麟を甘く見ていた。舐めきっていた。

 針金を編み、太い鉄パイプによって出来た屋上の柵が、今やバラバラに切り刻まれていた。鉄筋コンクリート製の床は抉れ、幾つもの斬戟痕が残されている。屋上の出入り口である扉も切り裂かれており、そこら中、しっちゃかめっちゃかに日本刀でも振り回したかのような有様だ。

 だが、この光景を作り出したのは他でもない。アッシュが握っている、たった一本のナイフによる結果だ。



「はぁ……はぁ……!」
「どうしたの、兄さん? ボロボロじゃないか」

 アッシュの言うとおり、俺はズタボロもいい所だった――制服はズタズタに切り裂かれ、致命傷こそ避けてはいるが、全身切り傷だらけになっている。身体から流れ落ちた血で、足元に赤い水溜りが出来ているのが分かる。

 今まで――今まで、こういう状況にならなかった訳じゃない。むしろ、多かった。しかしそんな相手でも、俺は今まで遅れを取った事などほとんど無かった。だからこそ俺は、「無手でも得物を持った相手とやり合える」と言う実感を持っていた。

 しかし、目の前にいる男は別だ。アッシュはそうじゃない。この男によって強化された武器は桁外れ過ぎる。コンクリートだろうが鉄パイプだろうが、紙っぺらみたいに切り裂くナイフなんて、一体この世のどこにあるって言うんだ!? ましてや人体なんて、掠っただけでも「持っていかれる」!

「だから言っただろ、後悔するって」
「っ……!」
「主義だか信条だか知らないけれどもね――そんなんで勝てたら、苦労しないんだよ」

 アッシュが「縮地」に入った――一体何度目の回避になるだろう。何にせよ、相手の攻撃を防御する手段が無い以上、俺に回避以外の選択肢は無い。だから俺も「縮地」を使った。

 が、逃げた先に、既にアッシュの姿があった。

「な――先回り!?」
「兄さんの行動パターンは既に把握したよ――消耗しているとは言え、相手に自分の動きを読まれる事位考えられなかったの?」

 右肩から左脇腹にかけて、まるで焼きゴテを押し付けたかのような灼熱が襲ってきた。その痛みを感じたすぐ後に、血管が切り裂かれた、その結果の現象として、傷口から勢いよく血が噴出す。

 切られた、袈裟切り。クリーンヒット。誰が見ても分かる致命傷。

 膝から力が抜け、俺はその場に倒れた。



「か……は……ッ!?」

死に掛けの虫のように、小刻みに身体を揺らしながら、しかしそれでも、都シスイはまだ生きていた。天子麒麟の能力は未だ有効であり、生存本能に従い、彼の治癒能力を最大値にまで高めている結果だった。動けないのは、大量出血によるショック症状を、シスイの身体が起こしているからだ。

 そんなシスイの姿を、アッシュは無表情のまま見下ろしていた。

 都シスイに勝った。その事実から来る勝利の喜びは無い。強いて言うなれば、その無表情の中に落胆を示していたと言える。

 今まで散々ホウオウグループを妨害してきた、アースセイバーの主力戦士の一人。自分のオリジナルであり、同じ麒麟である都シスイを倒した。しかし自分は全くの無傷であり、一方的な暴力による一方的な圧勝だった。

 「つまらない」、「この程度か」。アッシュの心情を代弁するなら、差し詰めそんなところだったのだろう。

 しかし、感傷はすぐに止め、アッシュはアーミーナイフを振り上げる。止めを刺すつもりだ。

 と、その時だった。

「……そんなにこいつの事が気になるなら、いい加減出て来たらどうだい――朱鷺子ちゃん」
「!?」

 ショック状態であるが、シスイの表情に驚きが浮かぶ。そしてアッシュの言葉を受けて、もはや扉として意味を成さなくなった出入り口から、小さな人影が姿を現した。



「ト……キコ!?」
「…………」

 トキコは無表情にシスイを一瞥すると、彼の方へと歩いていき、そして、アッシュに向かって身体を向けた。それは誰が見ても、彼女がシスイを庇っているように見えた事だろう。

「やぁ、朱鷺子ちゃん。相変わらず可愛いね」
「…………」

 にこりと、友好的な笑みを見せるアッシュに対し、朱鷺子は相変わらずの無表情。もしその表情をシスイに見えていたなら、彼はこう思ったに違い無い――「いつか見た朱鷺子が不機嫌だった時よりも、更に不機嫌な時の表情だ」、と。

「何、そんな怖い顔しちゃって? 可愛い顔が台無しだよ?」
「……うっさい。黙れ。一角君のパチモンの癖に」

 その声を聞いた瞬間、シスイの身体がビクリと反応した。ここまで他人に敵意を露わにし、尚且つ殺意まで向けているような朱鷺子を見るのは、彼にとってこの瞬間が始めてであったからだ。

「パチモンって……非道いなぁ、朱鷺子ちゃんは。僕は兄さんの偽者じゃないよ。僕は僕だよ?」
「本音はそう思ってない癖に」
「ふ……ん……ところで、そこ退いてくれない? 兄さんが殺せないよ」
「嫌だ。一角君は殺させない。あんたには勿体無いもの」
「僕には勿体無い、ね……軽く見られたものだね、麒麟も」

 ため息をつくと、アッシュはアーミーナイフを「消した」。何かしらトリックがあるのだろうが、それこそ瞬きをしている一瞬の内に、彼の手の中からアーミーナイフが姿を消したのだ。

「……ねぇ、何で朱鷺子ちゃんは、そんなに兄さんに肩入れするのさ」
「…………」
「鳥さん……だっけ? 火波スザクみたいに、君と兄さんとの間にそこまで強い因縁は無い。それなのに、そこまで彼を気にする理由は何さ?」
「……さぁ、何でだろうね? 有り触れた理由でいいなら――一角君が好きだから、かな」
「……ふーん」

 「シスイが好き」、の件で、目に見えてアッシュの表情が歪むのが見えた。しかし、そんな彼の様子を気にする風でも無く、朱鷺子は言葉を続ける。

「クラスのみんな、そして鳥さんと同じ位、私は一角君が好きだよ――だから、我慢出来ない。私以外の誰かに、一角君が殺されるなんてね」
「……へぇ、大した独占欲だ、ドン引きだね。兄さんもいい迷惑だ」
「そうかもね。でも、そんなの私のしったこっちゃないし」

 その時、ちらと一瞬、朱鷺子がシスイの方へと視線を向けた。シスイはそれに気付いたものの、朱鷺子が彼に対して視線を送っていたのはほんんの数秒だった。それはまるで、言葉無く朱鷺子が――「ね、迷惑?」と、シスイに向かって問いかけたかのようだった。

「……イライラするなぁ。こんなに僕は嫌われているのに、兄さんはこんなにも想われている……本当に、本当に不愉快だよ」

 ガリガリと頭を掻き、表情を歪め、本当に言葉通り気持ち悪そうにアッシュは言う。

 しかしその口元に、急に凶暴な笑みが浮かんだ。それは極めて異質なものであり、まるでアッシュに、「彼ではない何者か」が乗り移ってそんな表情をさせている。そんな不似合いな表情だった。

 瞬間、シスイの全身の毛が逆立ち、朱鷺子の表情に今までとは別の嫌悪感が浮かぶ。なぜならアッシュの浮かべた笑みは、あまりにも、「あの男」が浮かべる表情に似ていたからだ。

「――だけど、朱鷺子ちゃん。そう想っていられるのは、あくまで兄さんが君の事をまだ知らないからだ」
「!? な、何を――」
「兄さん見習って、ちゃんと腹割って言ったらどうなのさ――自分はホウオウグループの一員でーす、ってさ」



瞬間、朱鷺子が動いた。

「――――――ッ!!!!!!!!」

 それは今まで、シスイが聞いた事の無いような、朱鷺子の声だった。吼えているのかもしれない、叫んでいるのかもしれない。喚いているのかもしれない、泣いているのかもしれない。何とも形容しがたい、奇声とも表現出来ない声を上げながら――朱鷺子は、アッシュに向かって殴りかかっていた。

「破壊衝動(ブレイクダンス)……対象を破壊する、その目的の為だけに肉体を強化・行使する特殊能力。応用力なら僕らの天子麒麟の方が上だけど、最大出力で言ったらそれさえ上回る強力な能力だ――だけど、それだけだ」

 感情に任せた攻撃だったせいか、それとも、単純に朱鷺子の動きを見切ったのか。大砲のように飛び出した朱鷺子を、ひらりとアッシュは回避する。その後も立て続けに朱鷺子が攻撃を繰り出すが、その悉くをアッシュはかわしていく。

「ねぇ、止めようよ、朱鷺子ちゃん。こんな戦い不毛だ、仲間同士で争うなんて」
「煩い、煩い、煩い、煩い――!!!! お前なんか、お前なんか、仲間でも何でもないッ!!」
「本当に、僕が傷付く事を平気で言うねぇ、君は」
「煩い――!!!!」

 力任せに振られた拳を、アッシュは跳躍によってかわす。そのまま、彼は朱鷺子の頭上を飛び越え、彼女の背後へと回り込んだ。

「う――!」

 すぐさま朱鷺子は身を翻し、アッシュへと追撃を入れようとする――しかし、その拳は途中で止まらざる得なかった。

「ッ――!?」
「そうそう、ストップ――じゃないと、兄さんがどうなっちゃうか分かるよね?」

 朱鷺子の視線の先。そこには、シスイの頭を掴んで持ち上げ、その首元にアーミーナイフを突きつけているアッシュの姿があった。

「朱鷺子、気にすんな……俺の事……なんて、放っておいて……こんな、奴……ぶちのめせ……」
「ぐ……」 
「……もう、この辺で止めにしよう、朱鷺子ちゃん。僕も兄さんの事、今日は一先ず我慢しておいてあげるからさ……だから君も、矛を収めてほしい。じゃないとここから先は、『二人』死ぬ事になる」
「…………」

 朱鷺子の表情に葛藤が見えたが、最終的に理性的な選択を彼女は選んでくれたらしかった。ゆっくりと、朱鷺子は構えを解いていく。

「馬鹿野郎……俺の事なんか……!」
「そう、良い子だ」

 にこり、と嬉しそうにアッシュは微笑む。その表情は人当たりの良く、見ていて気持ちの良いものであるが――今の朱鷺子にしてみれば不快な、それこそ「悪魔のような天使の笑顔」でしか無かった。

「あ、そうそう……兄さん? 分かっていると思うけど」
「な……に……?」

 ぐい、と髪を引っ張り、無理やりシスイの頭を引き上げる。額と額がくっつきそうな距離で、アッシュはシスイの瞳を覗き込みながら、まるで直接頭に叩きつけるかのように、次の言葉を放った。

「僕と朱鷺子ちゃんの事……他の誰かに話したりしたら、兄さんの大事な二年二組を壊滅させるから」
「ッ――!?」
「いや、二年二組だけじゃ物足りないかな……兄さんの故郷、蓬莱山も灰の山にしてあげるよ」
「て……めぇ……!」
「何怖い声出してるのさ……簡単だろ? 僕の事と、朱鷺子ちゃんの事。二人分の秘密を、自分の胸だけに閉まっておけばいいんだからさぁ?」
「……ぐ……」

 そこから先、シスイは何も言えず、黙り込んでしまった。アッシュが手を離すと、自力で身を起こす力も残っていないらしく、彼の身体は地面に倒れたままだった。

「くくくっ――あはははははははははははは!!!!」

 兄を――敵対するもう一人の麒麟を屈服させられた事がそんなに嬉しいのか。屋上を出て行く時、堪えきれなくなったようにアッシュは笑い声を上げていた。

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最終更新:2011年10月29日 23:56