カイムがその背を追ったのは、気まぐれでも偶然でもない。
古びた帽子とコートを身に着け、悠然と歩くその姿。
(まさか!?)
他でもない、
シン・シーと並ぶ、いや下手をするとそれ以上に危険な男。
何人もの人間を手玉に取り、その運命を捻じ曲げてきた人にして人ならざる悪魔。
ヴァイス=シュヴァルツ。
カイムの頭に浮かんだのはその名前だった。どこに向かう? 何をする気だ?
危機感に駆られるまま、カイムはその後を追った。
そして気づく。あの男は、気配を察知する能力に異様なほど長けていると。馬鹿正直に追っているだけでは、あっさり見つかってしまう。
そして気づいた時には、遅かった。その男が足を止め、振り向く。
しかし、
「誰だ?」
聞こえた声は、妙に癇に障る特徴的な声ではなく、重厚な男の声。
半身になったその男は、ヴァイスによく似た格好をしていたが、よく見ると様々な部分が違っていた。
まず色。黒ずくめだったヴァイスと違い、この男の服は一見すると黒だが、よくよく見てみると濃すぎる藍色であることがわかる。
次に目。片目が義眼だというあの男だが、目の前の人物は両目とも健在。
何より、立ち居振る舞いがまるで違う。常に冷たい狂気を漂わせていたヴァイスと異なり、どことなく静謐なものを纏っている。
カイムが呆然としていると、その男はさらに言葉を重ねた。
男……ブラウの持つ妙な存在感に心なしか気圧されつつ、何とかそれだけを口にするカイム。しかし、続くブラウの言葉は予想外のものだった。
「『奇怪音と無音』? なるほど。音、いや周波数を操る妖怪か」
「な!?」
たった一言言い交しただけなのに、いきなり素性を見抜かれた。驚愕しつつも、カイムの中の冷静な部分が告げていた。
カイムが妖怪だと見抜き、なおこうして平然としている。ということは、十中八九何らかの能力を持っている。
こうして見る限り敵意はないようだが……。
ひとまず落ち着きを取り戻したカイムは、ブラウと名乗った男に言う。
「……なぜ、それがわかるんですか?」
「特殊能力によるものだ、お前の予想通り」
やはり、と直感が告げる。このブラウという男、どうやら相手の思考を読む力を持っているらしい。
だが、その直感は微妙に外れていたことが次の瞬間わかった。
「俺の目に宿る力……あらゆるものを見る力だ、これは。音であれ、霊体であれ、概念であれ。例外ではない、記憶や思考であろうと」
つまり、彼はカイムの頭の中にある素性に関する記憶を垣間見たのだ。
「ところで、何か用か」
「え?」
「お前は俺を追ってきていた。用があるのではないのか、何か」
ブラウの疑問ももっともな話だった。自分の後をついて来たのなら、自分に何か用件があると考えるのが自然だ。
だが、カイムがブラウを追ったのは別の理由だ。
「…………」
「どうした」
「実はですね……」
ヴァイスと間違えて追いかけたのだ、ということをかいつまんで説明する。
それを聞いたブラウの目に、一瞬だけ険しい色が過る。無論、それを見逃すカイムではない。
「……奴と何か?」
「昔、少々な」
あまり語りたくない経緯があるらしい、とはわかった。ともあれ、勘違いからの接触はひとまず収束した。
では、とカイムは踵を返そうとして、
「待て」
ブラウに呼び止められた。
「? 何か……」
「何やら重大な案件を抱えていると見た。相談に乗るが、俺でよければ」
言われたカイムは少し考えた。
確かに現在、自分たちは消滅したキリを呼び戻すための策を講じている最中だ。だが、それをこの男に話してしまっていいものか。
そこまで考えが及んだところで、カイムは気づき、そして諦めた。ブラウは能力で他者の思考に目を通せる。つまり、隠す意味がない。
「……わかりました。僕達は今……」
意を決してキリに関する一件を話すと、ブラウはふむ、とポケットから手を出して腕を組んだ。
「複雑な状況だな、何やら」
一言そういって、少し間を開けて続ける。
「言った以上は相談に乗ろう。これでも元は民俗学者だからな」
ブラウが語った内容を要約すると、このようになる。
「百物語も、怪談も、時代と共に姿を変えていく。都市伝説がその例だ」
「全ての怪談にはモチーフが存在する。たとえば、今話に出たミナという怪異の場合、モチーフとなっているのは恐らく『首おいてけ』『てけてけ』に類する現象だろう」
「『
百物語組』とやらに属する怪異は、須らく鬼門の中の『存在』、いわゆる『前世』に対し『怪談』という通路を繋ぐことで結界を開き、『妖怪』という実体に変換されることで存在しているようだな」
「ならば、そのキリという怪異を呼び戻すにはどうするべきなのか」
「元の話はこうだな。『とある信号のない横断歩道。5時55分になるととおりゃんせが聞こえて来るが、そうしたら渡ってはいけない。見たこともない山奥に飛ばされ、けもの道の奥に赤い鳥居。人がいるからと通ってしまうと、後ろから切り裂き魔が襲ってくる。切り裂き魔に顔を取られて呪いをかけられ、彷徨うことになる』」
「これに限りなく近い別の話を見つける、あるいは作る。それが方法ということか」
カイムはわずかなヒントしか与えられなかったが、ブラウはカイムの記憶にある百物語組の存在原理、そして春美の能力である「百物語」の特性から一気に現状を把握してしまった。ただ、結論自体は既に
ハルミから齎されたものだ。
しかし、ブラウの本領はここからだった。
「その原理に即するならば、そのキリという怪異は死んではいるが消滅したわけではない」
「ええ。事実、
エトレクさんという前例がありますから」
「怪人赤マント」エトレク。一度鬼門に戻され、そこからまた復活した経緯のある彼だが、今回とはかなり事情が異なる。
「呼び戻すために元の話が使えない、ならばより近い別の話を使ってしまおう、とこういうわけか」
確認するようにもう一度口にした後、ブラウは組んでいた腕を解く。
「百物語組の存在は、肉体を構成する『怪談』によって定義されている。ならば、『怪談』の根幹の部分、つまり『モチーフ』に当たる部分とそもそもの『存在』が残っていれば、かつてに近い実体を得られると考える」
「言うのは簡単ですがね……」
「実行は難しい。確かにその通りだが、まあ聞け」
話は続く。
「顔を剥ぎ取られる、という怪異は創作の世界にしか存在しない。つまり、キリという怪異のモチーフは『とおりゃんせ』が大きい」
「それはまあ、その通りです」
「そもそも『とおりゃんせ』とは何か? 内容は略すが、共通の解釈としてこういうものがある。この『天神様の細道』では、『行き』で述べた理由に相応しい行いと心持であったかが『帰り』で審判される。民謡の場合は『この子の七つのお祝いに、お札を収めに参ります』という奴だ。そうでなければ、何か恐ろしいことが起きるらしい」
具体的に何が起きるかはわからんが、とブラウは話を締めくくった。
「俺から言えるのはこのくらいだな。手掛かりにでもなれば幸いだが」
「とおりゃんせ」と藍色の考察
最終更新:2012年08月06日 14:25