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犬国奇憚夢日記11a - (2009/01/15 (木) 13:04:27) のソース

<h1>犬国奇憚夢日記11話第三部</h1>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>~承前</p>
<p><br />
 紅朱館の領主執務室は3方を窓に囲まれた見晴らしの良い構造になっている。<br />
 それぞれの窓の外には大きなバルコニーが備えられ、領地を見下ろす様な形になっていて見晴台の役目も兼ねていた。</p>
<p> その執務室の中央。<br />
 一段低くなった部分には大きなソファーが向かい合わせて置かれていて、その周囲には窓の桟より低い本棚が部屋の壁より離れたところを一周している。<br />
 万が一にもここで銃撃戦などが発生した場合、身を隠せる遮蔽物を多く置いたほうが良いと言うマサミの意見はこんな所でも活きているのだった。</p>
<p>「余計な事は言ってない?」</p>
<p> やや険呑な口調ながらアリス夫人の目は笑っていた。</p>
<p>「えぇ、もちろんですとも。マサミさんとの約束でもありますし」</p>
<p> ソファーに深く腰掛けるマダラの男はそう答えてからお茶を啜った。</p>
<p>「もう25年か・・・・ 年月と言うのは早いものだな」</p>
<p> 感慨深いと言う風のポール公はジッとマダラの男を見ている。</p>
<p>「私の顔に何か?」<br />
「いや、そうではない。ただ、マサミの若い頃の顔立ちを思い出したのだよ。お前にはやはりそれが残っている」<br />
「そうですか」</p>
<p> マダラの男・・・・ サムはどこか嬉しそうに答えた。</p>
<p>「ヨシ君やタダ君はどうですか?」<br />
「あの子達はカナの色が濃いかしらね。どちらかといえばマヤの方がマサミ似だと思うわね」<br />
「言われて見ればそうかもしれません。マヤ君の眼差しは父によく似ています・・・・ おっと」</p>
<p> おっと失言と言わんばかりにビックリな表情のサム。</p>
<p>「気をつけろよ? 絶対だぞ?」</p>
<p> ポール公はもう一度年を押す。</p>
<p>「はい、肝に銘じます」<br />
「うむ」</p>
<p> フフフ・・・・<br />
 ポール公は急に優しい笑みを浮かべる。</p>
<p>「要するに、査察なんぞ形式的なもので・・・・ お前はあの子たちが心配なんだろう? 軍が来るのを知って様子を見に」<br />
「そんな事はありません。職務の一環です。でも、まぁ・・・・」</p>
<p> 苦笑いするサムを眺め、アリス夫人もポール公も、まるで家族と話をするような笑みを浮かべている。</p>
<p><br />
「ところで、あの娘はどうしたの?」<br />
「ミーシャですか?」<br />
「そう」</p>
<p> ちょっと困ったような表情のサム。<br />
 本来は領主夫妻の聞き取り調査中な筈なのだが、立場が完全に入れ替わっている。</p>
<p>「3年ほど前に王都近くの森で見つけました。裸で倒れている女がいると村人が大騒ぎしていたので急行したのですが」<br />
「ソティス近く・・・・か」<br />
「あの娘は王都の調教施設から逃げ出したんです。完全に精神が壊れてしまっていて最初は大変でしたが・・・・ 今は何とか人並みになりました。でも・・・・」<br />
「あなたのヒトに対する想いは・・・・ 並々ならぬ物ね」<br />
「そうですかね? うーん、何となく公務員の義務くらいに考えていたんですが・・・・・ でも、恩義もあります」<br />
「カナに?マサミに?」<br />
「両方です」</p>
<p> サムは視線を床に落とし浮かない表情になっている。<br />
 垂れ耳ならぬピンと立った耳が心なしかションボリとしていた。</p>
<p>「実はネコの国へ出向を命じられました、あの王宮のある街へ短くても10年ほど。おそらく20年は居る事になります」<br />
「ネコ? それは・・・・ どっちの任務?」<br />
「主に裏課業ですね。あの国へ入り込んでいる工作員が1人2人と行方不明になってます。おそらくは・・・・・」</p>
<p> 怪訝な表情のアリス夫人が鋭い視線をサムへと注ぐ。<br />
 同じように執務席へ腰掛けていたポール公も視線を向けた。</p>
<p>「つまり、お前はそれの裏支えと言うわけか」<br />
「はい」<br />
「ならばあの娘を連れて行っては何かと拙かろう。どうするつもりだ?」</p>
<p> 言葉に詰まったサムの重い沈黙が続いた後、ふと顔を上げた彼が見たものは、何かを企むかのようなアリス夫人の笑みだった。</p>
<p>「困るならここへ置いていきなさい。預かってあげるわよ」<br />
「え゙? あ! いや・・・・ あの・・・・ その・・・・」<br />
「連れて行くと困るでしょ? あなたに何かあったらどうするの? あの子はネコの商人に連れ去られてどこかの物好きの・・・・」</p>
<p> 立て板に水の勢いで畳み掛けるアリス夫人の言葉がサムを貫いた。<br />
 返答に困り言葉を飲み込むのだが、迷っている暇はなかった。</p>
<p>「ここならヒトが何人もいるし、この街全体で見ればヒトのコミュニティも出来てるくらいだし。それに」<br />
「あ、い!いや!連れて行きます!えぇ、連れて行きますとも!」</p>
<p> ニコニコと笑うアリス夫人の企みが少しだけ見えたサムは慌てて口を挟んだ。<br />
 そのあまりの狼狽振りにポール公がニヤリと笑う。</p>
<p>「サム。あの娘に夫を付けたくはないか?イヌとヒトとでは子を成せぬぞ?ん?」<br />
「そうよ。それにここなら年頃の娘がいた所で何の不思議もないし、同じような歳のヒトの男の子もいるしね」<br />
「それともなにか? お前はあの娘にホの字か? ん? 」</p>
<p><br />
 公爵夫妻の苛烈な攻撃にサムはタジタジとするばかり。<br />
 それでも尚、容赦の無い言葉がポール公の口を突いて出てくるのだった。</p>
<p>「まぁ、遊び相手なら不足はないだろうが根無し草で終わらせるには・・・・ 勿体無いなぁ」<br />
「ポールさま・・・・」<br />
「あの娘が子を成したらお前は育ての親だ。ん?ヒトの子を育てるのは楽しいぞ?」<br />
「あ・・・・ え、えぇ。 まぁ・・・・」</p>
<p> 宙を泳ぐサムの視線が所在無げに彷徨って、そのまま床の豪華なじゅうたんの模様を眺めていた。<br />
 どうやら観念したらしい。<br />
 公爵夫妻がそんな結論に達するのに時間は掛からなかった。</p>
<p>「明日の公務のときはあの娘を置いていきなさい。ここであの娘が勤まるかどうか、リサに見させましょう」<br />
「そうだな、それが良い。リサもそろそろ子が出来そうだ。もちろんヨシの子だがな。リサの育て上手はカナ譲りだ」<br />
「そうね、なにも心配要らないわよ。あなたがネコの国から帰ってくる頃にはあの娘の家族があなたを迎えるわよ」</p>
<p> </p>
<p> 立て板に水の勢いで畳み掛けるアリス夫人の言葉がサムを貫いた。<br />
 返答に困り言葉を飲み込むのだが、迷っている暇はなかった。</p>
<p>「ここならヒトが何人もいるし、この街全体で見ればヒトのコミュニティも出来てるくらいだし。それに」<br />
「あ、い!いや!連れて行きます!えぇ、連れて行きますとも!」</p>
<p> ニコニコと笑うアリス夫人の企みが少しだけ見えたサムは慌てて口を挟んだ。<br />
 そのあまりの狼狽振りにポール公がニヤリと笑う。</p>
<p>「サム。あの娘に夫を付けたくはないか?イヌとヒトとでは子を成せぬぞ?ん?」<br />
「そうよ。それにここなら年頃の娘がいた所で何の不思議もないし、同じような歳のヒトの男の子もいるしね」<br />
「それともなにか? お前はあの娘にホの字か? ん? 」</p>
<p> 公爵夫妻の苛烈な攻撃にサムはタジタジとするばかり。<br />
 それでも尚、容赦の無い言葉がポール公の口を突いて出てくるのだった。</p>
<p>「まぁ、遊び相手なら不足はないだろうが根無し草で終わらせるには・・・・ 勿体無いなぁ」<br />
「ポッ ポール閣下・・・・」<br />
「あの娘が子を成したらお前は育ての親だ。ん?ヒトの子を育てるのは楽しいぞ?」<br />
「あ・・・・ え、えぇ。 まぁ・・・・」</p>
<p> 宙を泳ぐサムの視線が所在無げに彷徨って、そのまま床の豪華なじゅうたんの模様を眺めていた。<br />
 しかし、畳み掛けるような夫妻の言葉にサムはふと何かに気が付いた。<br />
 妙な違和感。発言の中にある矛盾。<br />
 一瞬の間に多くの事を考えたサムだったが・・・・</p>
<p>「そういえば先ほど例の査察官らとアーサー君の会話の中に気になる言葉があったのですが」<br />
「どうしたの?言ってみなさいよ」</p>
<p> ちょっと興味津々と言った風なアリス夫人が笑っている。</p>
<p>「いや、じつは、先ほどの会話の中でアーサー君がかなりご機嫌斜めでして」<br />
「それがどうかしたの?」<br />
「あ、まぁその、例の査察官らが言うにリサ君の子供の件でと言う話しなんですが」<br />
「じれったいな。スパッと言ってみろ」</p>
<p> 夫妻の顔を一度じろっと眺めたサム。</p>
<p>「リサ君は妊娠中ですか?」</p>
<p> サムの口を付いて出てきた言葉に夫妻は一度顔を見合わせたあとで、タイミングまでばっちり揃って驚いた。</p>
<p>「『え゙?』」</p>
<p> しばしの沈黙。<br />
 夫妻の目が怖いほどにサムを見ていた。</p>
<p>「あ、いや、まぁ・・・・ 廊下で会話してるときにアーサー君が。リサ君のお腹の子に何かあったらお前ら生かして帰さぬと」<br />
「・・・・あの馬鹿息子がそう言ったのか?」<br />
「はい。腰から戦太刀を下げてまして。それにヨシ君は拳銃を持ってました。正直、心臓が縮まる思いでしたよ」</p>
<p> サムは笑みを浮かべてクックックと笑った。</p>
<p>「婦長は身重だ。お腹の子に何かあったらお前ら・・・・生かして帰さぬ・・・・と。私にも凄まれましたよ」</p>
<p> 何がそんなにおかしいのだろうか?<br />
 いや、むしろ嬉しいと言う表情にも見える。<br />
 しかし</p>
<p>「あの子はあなたにもそう言ったの?」<br />
「はい、私も数に入っているでしょうね」<br />
「あの馬鹿・・・・ 怖いもの知らずと言うのも良し悪しだが・・・・」</p>
<p> クックック<br />
 噛み殺した笑いを浮かべたポール公の優しい眼差しがサムを見た。</p>
<p>「おまえにそう言うとはなぁ」<br />
「そうね。知らないって怖いわね」</p>
<p> 夫妻の笑みがサムに注がれる。</p>
<p>「でも、知らないと言うのは恥ずかしいだけでは無い。時には幸せな事もある。マサミさんはそう言われました」</p>
<p> マダラなイヌの男のどこか辛気臭い表情は、マサミの名を出すときだけは嬉しそうな顔になる。</p>
<p>「サム。あなたの真実を知ったらあの子達は驚くでしょうね」<br />
「そうだな。知らぬ方が良いとも思うが。それでもいつかは知らねばならん」<br />
「あの、その件ですが。出来ればヨシ君とアーサー君にだけで」<br />
「どうしてだ?皆が知っている方が良いではないか」<br />
「まぁ、そうなんですがね・・・・・ 」<br />
「・・・・サム。おまえは</p>
<p>   コンコン</p>
<p> 唐突に部屋のドアがノックされ会話がふと途絶えた。<br />
 執務室の中の眼差しがいっせいにドアへと注がれるなか、アリス夫人は出来る限り平穏な声で「だれ?」と誰何した。</p>
<p>「奥様。私です、リサです」<br />
「入りなさい」<br />
「失礼します」</p>
<p>   ガチャリ</p>
<p> ドアを開けて入ってきたリサ。<br />
 隣にはミサが立っている。<br />
 そして</p>
<p>「あら、噂をすれば」</p>
<p> その隣にはミーシャが立っていた。</p>
<p>「あ、あの・・・・ 夜分に失礼します」</p>
<p> ペコリとお辞儀をして小さくなっているミーシャ。<br />
 花柄のパジャマを着てその上からガウンを羽織っている。</p>
<p>「ミーシャ。その服はどうしたんだい?」<br />
「あ! 旦那様 あっ すっ すぐ脱ぎます。申し訳ありません!」</p>
<p> いそいそと服を脱ぎ始めるミーシャ。<br />
 サムは慌てて走っていってミーシャを抱きしめた。</p>
<p>「いいんだ!いいんだよ。その服を着てても良い。いつも言ってるじゃないか。人前で服を脱いではいけないと」<br />
「・・・・申し訳ありません」</p>
<p> ミーシャは僅かに震える声で謝罪の言葉を口にしている。</p>
<p>「この服はどうしたんだい?言ってご覧」<br />
「あ、あの。ミサさまに・・・・ いただきました」<br />
「そうか。何も問題ないよ。貰ったと私に言えばいい。私が駄目だといったら服を脱ぐんだ。いいね?」<br />
「はい」</p>
<p> サムはふと振り返ると、急に余所行きの態度に改まった。</p>
<p>「あの、公爵様。斯様なものをいただいたのですが宜しいのでしょうか?」</p>
<p> そのあまりに余所余所しい仕草がおかしくて、ポール公もアリス夫人も笑いを堪えるのに必死になっている。</p>
<p>「あの。サムさま。余計な事をしましたでしょうか? 申し訳ありません」</p>
<p> ミサがミーシャの隣でちょっと恐縮しながらも、舌を出して苦笑いしている。<br />
 その自然な表情で尚且つ身分の差を感じさせない振る舞いに、サムはなんとなく眩しいものを覚えた。</p>
<p>「あー サム君。それはうちのミサのお下がりだろう。ヒト用の服を買うのも公務員の薄扶持では辛かろう」<br />
「そうね。ミサもミーシャも気にしないでいいわよ。ミーシャはその服が気に入った?」</p>
<p> アリス夫人の優しい言葉にミーシャはサムを見る。<br />
 少しだけ頷いたサムを見て安心したミーシャは、初めてまっすぐにアリス夫人を見た。</p>
<p>「あの・・・・ はい。すごく可愛いです。こんな服は初めて着ました」<br />
「そう。じゃぁ着てて良いわよ。凄く似合ってるじゃない」<br />
「あ ありがとう・・・・ ございます」</p>
<p> 再びペコリとお辞儀をしたミーシャがサムの腕の中で安心した表情を見せている。</p>
<p> 自己判断と決断が出来ていない。<br />
 夫妻の眼差しの先にいるミーシャは、このままでは生きて行けないほどにも見えた。</p>
<p>「ところでリサ。今サム君から聞いたのだが・・・・・」<br />
「あぁ、そうよそうよ。あなたちょっとこっちに来なさい」</p>
<p> リサを呼んだアリス夫人。<br />
 不思議そうな表情を浮かべつつ夫妻の元へと歩み寄ったリサを、アリス夫人は急に抱きしめた。<br />
 そして</p>
<p> クンクン クンクン クンクン</p>
<p> 胸元から腹を通って下腹部まで臭いを嗅ぐ。</p>
<p>「あ、あの。奥様?」<br />
「変ね。あなたの体臭は変わってないわ」</p>
<p> ポール公もリサの手を取って手首のうちの臭いを嗅いでいる。</p>
<p>「そうだな。俺の鼻も違いが分からん」</p>
<p> 部屋中の者が不思議そうに見ている光景。<br />
 リサは気が付いたようだ。</p>
<p>「・・・・実はまだなんです」<br />
「じゃぁさっきの言葉は出任せか」<br />
「あら、残念ねぇホントに」</p>
<p> 苦笑するリサがペロッと舌を出した。</p>
<p>「アーサーさまが最初に言われたんですよ。妊娠中と言う事にしておこうって」<br />
「・・・・あのバカ息子め。余計な期待をさせおって」<br />
「でも、なかなかに策士よね。ちょっと足りなかったけど」</p>
<p> フンと笑ったポール公がにやりと笑ってサムを見た。</p>
<p>「何かあったら適当な理由を付けて始末するつもりだったんだろうな」<br />
「でも、理由付けとしては聊か強引が過ぎるわね」<br />
「仕方あるまい。アレにとってはヨシもリサも兄弟のようなものだ」</p>
<p> 一旦言葉を切ってカップのお茶に口を付けるポール公。<br />
 その振る舞いはあくまで優雅でダンディだった。</p>
<p>「逆上したといえば理由にはなる。認められるかどうかはともかくな」<br />
「でも、やっぱり・・・・ ちょっと残念ね。ガッカリ」</p>
<p> 心底残念そうな夫妻を見るミサ。<br />
 サムもミーシャも不思議そうだ。</p>
<p>「あの、奥様」<br />
「ん?ミサ、どうしたの?」<br />
「妊娠すると臭いって変わるんですか?」<br />
「変わるわよ。ヒトの鼻じゃ気が付かないだろうけどね」</p>
<p> へー <br />
 そういわんばかりの驚く顔を浮かべるミサ。<br />
 サムもミーシャも驚いている。</p>
<p>「私も最初は驚いたわよ。ミサが生まれる前にアヤさんの臭いを奥様が気が付いて言い当てたときは本当にびっくりした」</p>
<p> アヤ・・・・<br />
 ミサは少しだけ寂しそうな風だ。顔も知らぬ母の名が出てきたのだ。<br />
 寂しいと言うよりやるせないと言うほうが近いのかもしれない。</p>
<p>「あぁ、そういえば・・・・」</p>
<p> ふと立ち上がったアリス夫人が執務室の鍵付き書庫を開けると、中から大きな封筒を取り出した。<br />
 紐とボタンで口を留められた封筒を開けると、中からは絵画とは違う絵が出てきた。</p>
<p> あ、写真だ!</p>
<p> 部屋の中に広がるケミカル臭。<br />
 独特の臭いがふんわりと漂う中、アリス夫人は一枚の写真を取り出しニヤリと笑った。</p>
<p>「ミサ。ここへ来なさい」</p>
<p>
 夫人に呼ばれたミサがタタタと駆け寄ると、そこにはドレスアップして椅子に腰掛ける若いヒトの女性と、寄り添うように立つヒトの男が立っている写真があった。</p>
<p>「奥様・・・・ これ・・・・」<br />
「あなたのお父さんとお母さんの若い頃よ」<br />
「おかあさん・・・・・」</p>
<p> スッと立ち上がってミサの隣に立つポール公。<br />
 リサもスッと近づいた。</p>
<p>「ミサは母親似だな。目元が良く似ている」<br />
「ほんとだ。ミーちゃんのお母さんも美人だったのね」</p>
<p> しばらく皆無言で眺めていたのだが、アリス夫人は再び写真を封筒へとしまった。</p>
<p>「ミサ。お母さんに会いたくなったらここへ来なさい」<br />
「はい」</p>
<p> ちょっと涙ぐむミサを、今度はリサが複雑な表情で見ている。<br />
 そして、ミーシャも。</p>
<p><br />
「ミサ。お前は幸せだぞ」</p>
<p> ポール公の大きくて無骨な手がミサの頭をなでた。</p>
<p>「お前は自分のルーツが分かっている。父も母もな。ヨシやタダたマヤもそうだが」<br />
「そうね」</p>
<p> 写真を封筒に収めたアリス夫人がリサの肩を抱き寄せて、その頭を抱きしめた。<br />
 リサの浮かべた複雑な表情の理由。ミサはやっとそれに気が付いた。</p>
<p>「ねぇさま。あの・・・・」<br />
「ミーちゃん、よかったじゃない」<br />
「でも、ねぇさま」<br />
「私のお母さんは奥様だから。だから寂しくないわよ」</p>
<p> ふとアリス夫人の顔を見上げたリサ。<br />
 微笑むその表情には寂しさが混じる。</p>
<p>「自分のルーツを知ることって重要なことよ。でも、それを全く知らないヒトも・・・・ 今は多いわね」<br />
「そうだな。色々と・・・・ 不幸な事が多い世界だ。残念だが」</p>
<p> ちょっと深刻な顔をしている夫妻だが、そのどこかに密かな企てが紛れている事にリサは気が付いた。</p>
<p>「そういえばサムさまのお部屋の支度が終わってないんです。支度してきます」</p>
<p> どこか大げさな口調のリサがアリス夫人の手を離れる。<br />
 その仕草に確かな成長を感じ取った夫妻。<br />
 執事と婦長のコンビが重要な案件を難なく乗り切るだけの才覚を得つつある。</p>
<p> うんうんと満足そうにポール公は頷く。</p>
<p>「ミサ、リサと一緒に部屋を支度なさい。もう遅いから急いで」<br />
「はい、奥様」</p>
<p> 指示を出したアリス夫人の目はサムを見ている。<br />
 その目が何を言わんとしてるのか。</p>
<p>「ミーシャ。婦長殿の手伝いをして来るんだ。良いね?」<br />
「はい旦那様」</p>
<p> 部屋の扉前でもう一度お辞儀をしたリサとミサが出て行く。<br />
 ミーシャも見よう見まねで同じ仕草を取った。<br />
 重厚な音を立ててドアが閉まると、アリス夫人はニヤリと笑ってサムを見る。</p>
<p>「明日の公務のときはあの娘を置いていきなさい。ここであの娘が勤まるかどうか、リサに見させましょう」<br />
「そうだな、それが良い。リサもそろそろ子が出来そうだ。もちろんヨシの子だがな。リサの育て上手はカナ譲りだ」<br />
「そうね、なにも心配要らないわよ。あなたがネコの国から帰ってくる頃にはあの娘の家族があなたを迎えるわよ」</p>
<p> うへぇ~とでも言いたげな恨めしい表情を浮かべたサム。</p>
<p>「サム。お前も見たろう? あの娘が死ぬまで、お前はただの根無し草で終わらせる気なのか?」<br />
「・・・・・・・・わかりました。申し訳ありませんが、よろしくお願いします」<br />
「よし、話は決まったわね。明日中に色々と手続きを済ませておくわね。あの子も学校に入れましょう」</p>
<p> 楽しそうな夫妻のガッカリなサムのコントラスト。<br />
 これも人生経験のなせる業と言うのだろうか。<br />
 恨めしそうなサムは、じっと執務室の片隅に掲げられたマサミの肖像画を見つめるのだった。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p> </p>
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