学園麻雀黙示録
「おー来たか。まってたぞ、酒」
「人呼んでおいて第一声がそれかよ。面子足りないっていうから来てやったのに」
人類の生存可能限界一歩手前まで散らかった用務員室で男三人が麻雀牌をかき回していた。出口に一番近いところに座るカモシカのマダラ、カルロがスーパーの袋を持ってきたヒト、サトルを迎え入れる。
「もちろんそれもある。用務員さんが急用とか言ってでてっちまったんでな」
「あのひと携帯持ってたんですねー。初めて知りました」
「しかも見たことのないモデルだったね。特注らしい黒革のコートと言い、やはりあの人には何か表にはできない裏の仕事があるようだ」
「はいはい名推理名推理」
「はいはい面白い面白い」
「な、なにもそんな一言で切り捨てなくても……」
イヌの青年の推測に興味すら抱かず、サトルは紙コップにペットボトルの焼酎を注いで配り、そのままカルロの下家に座る。
「で、ルールは?」
「食いタンあり、ツモピンあり、ダブロンあり、トリプルなし、レートは百点一円」
「ヒラ?」
「初心者いるから、ヒラ」
手慣れた様子で確認をする二人にカルロの上家に座る一年生が声をかけた。
「サトル先輩、麻雀詳しいんですか?」
「ん?詳しいってほどじゃ……あれ?何で俺の名前知ってんだ?」
「えっと、部長の彼氏ですよね?剣道部の」
その一言に、口に含みかけた焼酎を盛大に噴き出す。アルコールはバックファイヤして、噴き出した本人の顔面を襲った。
「だ、大丈夫ですか!?」
「い、いきなりなにをいうかなっ!?」
「なにって、彼氏じゃないんですか?」
そばにあった新聞紙でぬぐったせいで少し黒くなった顔を赤くしてサトルが言葉を濁す。
「あー、その辺の関係についてはノーコメント。どうしても知りたければサーラに聞いてくれ」
「部長に聞いたら『サトルに聞け』って言われたんですけど」
真っ正面からのカウンターでサトルが雀卓に撃沈する。其処に追撃が来た。
「いーんじゃねーの?彼女で」
「ふむ、サトル君と言ったね。君がとぼけるのはいただけないな。紳士として君の方から正式に交際を申し込むべきだよ」
「うっさい。俺には俺のスタイルがあんだよ。……で、これはどういう面子なんだ?」
話を振られたカルロが自分の上家に座るヒトの少年をあごで指す。
「こっちがレーマ。最初はリュナ誘ったんだけど、久々に嫁さんと過ごすってんで代打ちで来た」
「レーマ?ああ、もしかして副部長に可愛がられてるって話の?」
「そそそ、それはどんな話…あ!部長か!」
「時々話に出るよ。副部長のアンシェルさんだっけ?彼女に特別に目をつけられてしごかれてるってな。練習終わっても二人で居残ったりするんだって?」
思わぬタイミングでの報復に成功し、サトルがにやりと笑う。泡を食ったレーマはしどろもどろになった。
「ご、ご主人様には以前からあんな風に師事していただいているので特に変なこととかは……」
『ご主人様!?』
場違いな単語をレーマ以外の三人が異口同音に復唱する。それで気付いたレーマが慌てて口を押さえた。
「ど、どーいう関係だ?」
「い、いや、その、幼なじみでして……」
「ふむ、幼なじみから主従へと発展していくとは、乳母兄弟のような関係かな?」
「今時、乳母って言葉も聞かないが……」
「そ、それよりサトルさんはこの方のほうが気にかかったりしませんか?ねえ?」
悲鳴混じりに話をそらそうとするも、サトルの反応はにべもない。
「ミスドのクリフだろ?有名なバカップルの片割れじゃないか」
「ちょっと待ってくれないか。そう略されるとミステリー同好会じゃなくてドーナツチェーン店の様に聞こえるんだが」
「バカップルには訂正入れないのか?」
横からのカルロのつっこみに、場違いに紳士然としたイヌの青年は答える。
「僕とミツキが一般の水準以上に愛し合っていることは否定しないよ。それを世間がどう評価しようと二人の仲には関係ないしね」
自信たっぷりに語るクリフに、世間の風はやはり冷たかった。
「レーマ、其処のピザポテト俺にもくれー」
「あ、じゃあ空の紙コップにわけますよ」
「んじゃあ席順そのままで親決めるぞー」
「……」
半荘二回が過ぎて、意外なことにレーマがトップに立っていた。
「引き強いなー、お前」
「あれだ、リーヅモに裏ドラ乗って満貫に届いたのがデカイ」
「いやー、運ですよ、運。ビギナーズラック。それが続いている内に大勝ちさせてもらいますよ」
「ふふっ、そうはいかないよ。この局からは僕も本気を出させてもらうからね」
乗り気になってきた二人に対して、やや負け気味のサトルは気だるそうにぼやく。
「ギラギラしてんなぁ、お前ら」
「一万点とっても百円のレートだっつうのに、なあ」
面白くもなさそうに最下位のカルロがうめくとレーマは楽観論を口にした。
「十万点勝てば千円じゃないですか!」
「うわ強気。飲み過ぎじゃないか?」
「ふむ、そうだね。千円もあればミツキ君に新刊をプレゼントできる」
「夢見すぎだろ」
「夢は見ないと叶わない物だよ。ところでレーマ君は大勝ちしたら何を買うつもりだい?」
「そーですねー。ご主人様に新しい水着をプレゼントしようかなー、と」
その一言に、レーマ以外の三人の時間が止まった。背景に『!?』を浮かべた所十三な絵になったのにも気付かず、レーマは夢見るように続ける。
「今年の夏にはブラジル水着を贈ったんですけど、一回しか着てもらえなくて……来年はもっとかわいいのを贈りたいですねえ」
顔色にもろれつにも出てはいないが、実際はかなり酔っているのだろう。誇らしげに秘密を暴露するレーマの瞳の正気はかなり危うい。
「ブラジル水着……その発想はなかったな。ミツキ君にプレゼントしてみようか」
陶然と何かを夢想する自称探偵の言動にもアルコールが……いや、元からか。
「なあ、諸君。レートを上げてみないか?」
「お、お前自分が勝ってるからっていきなり凄いこと言い出すな」
非難するというより呆れた口調でカルロが突っ込む。だが、クリフは動じなかった。
「何、考えてみたまえ。もしレートを今の10倍に上げれば、一泊二日のペア旅行にも手が届くと思わないか?」
「まあ、確かに二十万点いければな。それぐらいはな」
「満貫いくつあがればそこまで行くんだよ」
「それぞれに思い人がいるこの四人で、愛の深さをちょっと競ってみようじゃないか。君たちも恋人と素敵な一夜を過ごしてみたいだろう?僕もたまにはミツキ君を外食に連れて行ってあげたいんだ」
「あれ、クリフ先輩って同棲してるんですか?」
「おっと失言だったね。だけど僕の推理が正しければ、君もアンシェルさんとかなり親しいはずだけどね?」
「いやーそんなー。先輩ほどじゃないですよー」
ノロケ話に花が咲く二人に置いてけぼりを喰らったカルロが冷静に声をかける。
「いやあのな、別に愛があれば勝てるってもんじゃなくてな……」
「いいんじゃないか、レート10倍」
そのカルロをサトルが止めた。
そのときのサトルの表情を、カルロは後にこう語った。
『ええ、すごい笑顔でした。なんていうか食肉昆虫の笑顔でしたね』
その様子にも気付かない二人に、ストレートで焼酎を呷ったサトルがほほえみを深くして言う。
「いいんじゃないか?今の点数持ち越しで十点一円のレート。カルロも良いよな?」
「俺、今のままだと1500円払うことになるんだけど……」
ごねるカルロがめざとくサトルの手の中の西牌を見つける。口ローズ三番のサイン。
「いーじゃん。この条件飲んでくれたら『あぶない刑事』のビデオ、ダビングしてやるぜ?」(意訳:『コンビ打ち』でこいつら潰さね?)
「んー、『テープ代』は?」(意訳:『あがりの配分』は?)
「『割り勘』で」(意訳:5対5で)
「……まあ、それならいいけどよ」
瞬時に交わされた口ローズにも気付かず、クリフが呑気にカルロを褒めた。
「太っ腹だね、カルロ君」
「よーし、それじゃ頑張るぞー!」
元気に叫ぶレーマの声を皮切りに、地獄が始まった。
「リーチ」
カルロが千点棒を投げる。三巡目にしての速過ぎるリーチにクリフが眉間に皺を寄せた。
「もうリーチなのかい?」
「配牌がよかったんだろ」
そういいながら何気なくサトルが右手に配を握り込み山へ手を伸ばす。二人がカルロの河から手を予想する隙をついて山から二枚ツモり、手の中の一枚を置く。手早く二枚を手に組み入れると迷うことなく現物を切った。
自動的にサトルが置いた牌はクリフが引くことになる。クリフはその牌をツモ切りし、食われた。
「ロン、チンイツ」
カルロの手牌が倒され、萬子の整列が姿を見せる。
「リーチ、一発。裏ドラは……乗らないか。だが、倍満だ」
「うそっ!?」
「一気に取り戻しに来たな」
「まあな、本気出せばこんなもんだ。ほれ早く点棒よこせ」
「あ、ああ」
呆然とするクリフと驚くレーマ。だが、これは序章に過ぎなかった。
以降はほぼ同様の展開が続く。サトルが多牌自模とかえしの合わせ技を行い、それをさらにエレベーターでカルロと牌を交換することにより、通常の三倍のツモと二倍の手牌で高い手を作り上げる。
更にクリフのツモにカルロの当たり牌を送り込むことによってリーチ一発の確度を上げる。二人がかりで積み込みを行い裏ドラを操作する。たまにカルロがかえしを行い、サトルのツモを当たり牌にすり替える。とどめは---
「おっと、2か」
カルロがサイコロを振り、サトルがサイコロを握る。
「それじゃあ……あれ、また2だ」
かくてカルロとサトルの積んだ山から配牌が決まり---
「む!いい手が来たね。この局は取らせてもらうよ!」
最下位ぶっちぎりのクリフの目に火が灯り---
「2の2の……いやまさか……マンガの話じゃ……」
青ざめた顔でレーマが何事か呟く---
「そりゃあ無理だな、探偵さん。だって……俺がもうあがってんだ」
カルロがそういって倒した牌に、クリフが声にならない悲鳴を上げ、レーマが更に青ざめる。
「テンホーかよ。今日はついてるな」
忌々しそうに点棒を支払うサトルを尻目にレーマがいきなり立ち上がる。
「ちょ、ちょっとトイレに行ってきて良いですか!」
「点棒払ってからならな」
「ああもう!ほら、払いましたよ!じゃあクリフさんも行きましょう!」
「え?な、なんで僕も行くんだい?」
「男の友情って奴です!!いいから早く!!」
レーマの剣幕に追い立てられるように出て行くクリフ。用務員室のドアが閉められたのを確認して、残された二人がほぼ同時に呟いた。
「気付かれた……」
「……みたいだな」
「やっぱり2の2はやりすぎだったか?」
「あー、調子乗りすぎたかもな」
「あと半荘一回残ってるけど、どうするよ」
「イヌが相手じゃなければサマ続けるんだがなあ」
鼻が利きすぎるイヌがそのつもりになればイカサマを見抜いてくる可能性はそれなりに高い。それを警戒してカルロが渋面を作る。
「いや、あいつらが対抗してコンビ打ちしてくる可能性は?」
「あいつら初対面だからそれはないだろ。それよりは……」
「イカサマを見つけて今までの点数をチャラにさせる、あたりか?」
「その辺狙ってくるだろうな」
「……ならさ、こういうのはどうよ?」
一方その頃トイレでは。
「なんだって?二人がイカサマを?」
「ええ、間違いありません。マンガで見た技ですけど、あのテンホーはコンビ打ちの必殺技だったはずです」
「……そうだね。確かにあの二人が勝ち始めたのはレートが上がった直後からだ。そのときから妙に音楽の話が振られていると思ったよ。あれも二人の間のサインだったと考えれば納得できる」
「流石クリフさん。冴えてますね」
「それほどでもないよ。それにイカサマに気付いたのは君が先だしね。探偵としては褒められた物じゃないさ。……しかし、問題があるね」
「というと?」
「あのテンホーがイカサマだった場合、あの二人はサイコロさえ自由に操れるほどの腕前の持ち主だ。そんな相手にイカサマを見破れるかどうかは、正直賭けだね」
「そうですね……。今までのイカサマも証拠は残してないでしょうし」
「ふむ、だったらこうしないか?見破るのではなく、イカサマに気付いているぞとプレッシャーをかけて封じるんだ。そして対等の勝負に持ち込むんだ」
「なるほど、そんな手が」
「イカサマ無しになれば、精神的優位に立ってプレッシャーをかけられる僕たちのほうが有利さ」
「いいですね。それで行きましょう」
「やあ、待たせてしまったね」
「いやー、つい話が弾んで」
「おかえりー」
「あんま仲良くするとご主人様にホモだと勘違いされるぞー」
やる気をみなぎらせた二人が帰ってきたのをみて、現在勝ち組のふたりが気だるげに迎えた。
「さて、再開しようか?」
「ああそうだね。と、山を積む前に確認したいんだが……」
洗牌しながらクリフが目を鋭くする。冷静な声音にオオカミのような気迫を込めてクリフは言った。
「さっきからカルロ君とサトル君はずいぶんと快調のようだが、まさかイカサマをしてないだろうね?」
「ああ、イカサマか」
「うん、してるよー」
「なるほど、あくまでしていると言うんだね……なんだって?」
あっさりと自白した二人にせっかくの気迫が雲散霧消する。当の二人は淡々とかき混ぜつつクリフに目も向けずに続ける。
「まあでもばれなきゃイカサマじゃないと時間を止める学ラン大将も言ってるしな」
「そうだな。ばれなきゃ技だよな」
「き、君たちはそれでいいのかい?それとも絶対見抜かれないとでも思っているのかい!?」
予定していた段取りの腰を折られ動揺するクリフにカルロがうろん気な視線を送る。
「見抜けないだろ。見抜けたら罰符で十万点払ってやるよ」
「さんせーい。見抜かれた奴が見抜いた奴に十万点ね。それでいこう」
まったりと牌を積み始めたサトルが気のない同意をする。
「ずいぶんな自信ですね、先輩」
怒気すら孕んでにらみつけてくる後輩にへらっと笑ってサトルが返す。
「んじゃ、レーマはその条件でいいんだな?」
「ええ、いいですよ」
レーマが頷くと、こんどはカルロがクリフに問いかけた。
「おめーはどうすんだ?」
「……いいだろう!これは名探偵の僕に対する挑戦と受け取らせてもらう!」
「じゃ、皆さんの合意がとれたところで……五回戦、始めますか」
「で、負けたわけだ」
「うう、はい」
お財布の中身を空にしたレーマがリュナの前で顛末を報告する。一通り聞いた後、リュナはため息をついた。
「レーマ、なんで負けたかわかるか?」
「いえ。イカサマしないように目を光らせていたはず何ですが……」
「それが敗因だ」
「……え?」
全く理解できてない顔でレーマが問い返す。それにリュナが教え諭すように答えた。
「イカサマを見抜いて十万点。点数的には破格の条件だが、それはイカサマを継続するという前提の上での話だ」
「えっと、どういうことでしょう?」
「つまりな、その取り決めをした後カルロとサトルはイカサマをしてなかったんだ」
「はあ?」
全く理解できていない、から全くの混乱にたたき落とされレーマが奇声を上げた。
「十万点という餌を用意しておけば二人とも麻雀を進めるよりもイカサマを見抜く方に気を取られる。だとすれば、その隙に普通に打ち回していけば自然と勝てる」
「あ、あーっ!」
「負ければ見抜けなかったイカサマがあったと余計に思いこむ。イカサマを見抜ければ役満以上に点数が稼げるからそっちに力を入れる。結果、打ち回しがおろそかになる。そして負ける。典型的な悪循環だ」
「そ、そんな単純な手に……」
愕然と自分の手を見下ろすレーマにリュナは、少し迷ってから声をかけた。
「まあなんだ。そもそもの間違いはレート十倍とか調子に乗ったことだ。これに懲りたらお酒と賭け事は控えるように」
「も、もうしません……。うう、僕の諭吉さん。諭吉さん……」
この一夜があった数日後。とある剣道場の前でブラジル水着を握りしめたズタボロの男が倒れ伏しているのが近隣住民に発見されるのだが……それはまた別の話。