- ユーザー名
- 質問のタイトル
大きな物語の凋落
- 質問の内容
神や社会といった、価値を担保する「大きな物語」が凋落したとよくいわれます。「大きな物語」凋落後の価値のあり方について、分かりやすく説明した本はありませんか。
- 質問のジャンル
哲学
- おすすめする本(タイトル/著者/出版社)
動物化するポストモダン/東浩紀/講談社現代新書
- 書評
本の要旨は次の通りだ。20世紀に入り、宗教や教育といった、共通の価値を担保する規範が希薄化してきた。共産主義という最後の「大きな物語」が凋落し、規範は虚構の世界で生み出されるようになる。この大きな虚構の物語が、ガンダムやオウム真理教の作り出した世界観に相当する。
しかし所詮は虚構の物語が価値を担保できるはずもなく、価値の位相はさらに変化を遂げる。即ち、上位と下位の区別がない価値の集合であるデータベースから、他者を介在させない即物的な欲求に基づいたシュミラークルを引き出し、消費が行われるのだという。
この本は、「大きな物語」の時代からデータベース消費の時代まで、以上のような簡潔なフレームワークを提供している点でお勧めである。しかし、なぜ価値のあり方にそのような変化が起きたかという理由については、事実の裏づけに乏しいか示唆に留まっており、その点でやや不満が残る。
また、「大きな物語」の凋落についても疑問が残る。例えば、私は日本語という、日本社会で共有されている構造抜きには思考することすら不可能だ。言語は認識そのものを規定する点で、根源的に価値を担保しているとも言える。
言語にまで議論を敷衍しなくとも、日に3度ご飯を食べるといった習慣が、アフリカのどこかの国や宇宙の遠い星で通用するとは思えない。普段意識することがなくとも、私たちは十分に間主観的な価値に、即ち「大きな物語」に生を意味付けられているのではないだろうか。
無論、この本が述べるようなデータベース消費を、荒唐無稽と笑い飛ばすことはできない。好きな音楽やゲームを、インターネット上で動物的に消費する瞬間は確実に私にもある。かといって、前述のように、「大きな物語」が全て凋落したわけではないだろう。両者の価値のあり方の切り分けについて、今後良書に出会えることを期待している。