- ユーザー名
- 質問のタイトル
神の存在
- 質問の内容
戦争や貧困が世界から絶えることがなく、本当に神はいるのかと疑いたくなってしまいます。キリスト教信者の方は、どのように考えているのでしょうか。参考になる本があったら教えてください。
- 質問のジャンル
宗教
- おすすめする本(タイトル/著者/出版社)
沈黙/遠藤周作/新潮文庫
- 書評
遠藤周作は、彼自身キリスト教徒であり、汎神論的な日本の精神風土と、超越した絶対性に基づくキリスト教の軋みを追求したことで知られる作家だ。遠藤が、神の存在というキリスト教徒にとって根源的な主題に取り組んだ作品が、「沈黙」である。
「沈黙」では、島原の乱が鎮圧され、キリスト教禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人宣教師ロドリゴの運命が描かれる。ロドリゴは乞食同然の身なりで山中に隠れ住み、密かに布教活動を始めるが、やがてある信徒の裏切りにより官憲に追われることになる。
先人宣教師達が目にしたであろう、子どもたちの聖歌が響くセミナリオや、信徒が祈りを捧げる教会。ロドリゴが接したのは、日本人信徒に加えられる容赦のない弾圧と残酷な拷問だけだった。そこには聖書に描かれた華々しい殉教すらなく、汚辱にまみれた死が積み重なっていく。
こうした苦難や試練に、神は決して救いの手を差し伸べることはない。厳然と沈黙を守る神に対峙して、ついにロドリゴも背教の淵に臨む。ロドリゴが背教を選んだか否かについて、ここでは触れない。
私も遠藤同様キリスト教の洗礼を受けており、幼い頃は嫌なことがあると、ロドリゴと同じように、「なぜ神は私を救ってくれないのか」と不満に思ったものだ。遠藤は、ロドリゴを通じておそらく次のような解答を出したのではないか。
神の救済を待ち望み、沈黙に徹する神を恨み、神の存在を疑いすらしたロドリゴ。ある時ロドリゴは、司祭という権威が剥奪され、自分自身卑小な人間であることに気付く。そんな人間である自分が、神を語ることはできないのではないか。
つまり、神とは超越した絶対性であり、絶対的でない人間が観念したり、記述したりすることはできない。人間にとって神は、言葉の本来の意味で信じる対象である。
私はもはや、嫌なことがあっても神を侮蔑することはないし、良いことがあっても神に感謝することはない。その代わり、いかなることがあっても信仰は揺るがない。その信仰は、自分の個別具体性に対する自覚、超越した絶対性への諦念といった言葉が感触に近い。
もちろん、上記が遠藤の解答だとは限らないし、信仰の形は他に存在して構わない。背教に迫られたロドリゴの運命を通じて、神の存在について是非自分なりに考察してみてほしい。