- ユーザー名
- 質問のタイトル
善意の可能性
- 質問の内容
「善意を利益に優先させてはならない。」これは犯罪者のスローガンではなく、現実主義国際政治学の基本命題です。現実主義に善意の介在する余地はないのでしょうか。何か参考になる本を教えてください。
- 質問のジャンル
国際政治
- おすすめする本(タイトル/著者/出版社)
国境を超える義務/スタンリー・ホフマン/三省堂
- 書評
壮大な倫理体系を現実に適用し、世界政府が共通の規範を担保すべきといった空論とは異なり、実現不可能なことに価値を全く認めない現実主義のスタンスを維持し、その上で道徳が政治に介在できるのかを考え抜くアプローチが本書の特徴だ。
ホフマンは、政治家は自国民の安全という結果に第一に責任を負わなければならないこと、主権を保持するアクターとして国家が存在することを前提として認める。どのような手段を講じてでも自国民の生命は守らなければならないし、世界政府など当分の間できはしないだろう。ごもっとも。
また、価値に希少性が存在することも、価値が多元的であることも、価値の担保が不確定であることも全て認める。ごもっとも。さて、一体何ができるだろうかというわけだ。
ホフマンの議論はこうだ。まず、善意など介在する余地はないという極論を取り上げる。次に、前述の前提に照らして、一定の妥当性に首肯する。しかし、優先順位を下げれば、このような選択肢が取り得るはずだと結ぶ。
実は本書は、国際政治中毒の「たつまる」に紹介してもらったものだ。元々私は倫理や思想といった価値を実現する手段として国際政治に興味を持っていたため、武力行使や人権、発展途上国といったどの各論にも、1つとして歯切れのよい「かくあるべし」という言葉がなく、相当に堪えた。
しかし、次の言葉に出会って、自分が下してきた意思決定の1つ1つを思った。私が生きているのは論理空間ではなく、幾多の前提を持つ現実であること。私は現実において価値を実現しようとしているのだということ。そしてホフマンもまた、現実に存在する道徳の可能性を追い求めていること。
「常に選択の余地はあるのだということを忘れてはならない。仮に希望がなくともその課題に取り組まなければならないし、また仮にそこで失敗続きであったとしても、粘り強くやり抜かねばならない。」