深夜の、市街地。
一つの建物の壁を背にして、
零崎双識は呟いた。
似合わない背広に針金細工のような体躯を包み、似合わない銀縁眼鏡を装着し、似合わないオールバックにした髪を風に揺らしながら、零崎双識は呟いた。
「人を集めて殺し合いをさせる——まごうことなく、悪そのものだ。あの影谷……だったかな? あの男も死んでしかるべき『不合格』だったが、
水倉神檎とやらもだね。こんなことを考える云々以前に、あんなに可愛い家族を大切にしない人間は『不合格』だ。
あの女の子……赤、赤か。ひょっとして《死色の真紅》、彼女もどこかにいたりするのかな? だとしたら是非お目にかかりたいものだね。うふふ。
ああ、でもそれより優先すべきものはたくさんある。うふ、感じる感じる、これは家賊がいるな。参ったね、私は平和主義者だからいいものの、他の零崎一賊なんて何をするか分かったものじゃない。
勿論皆は好きに行動すればいいんだけどね、私はどうしようかな? 私の可愛い家賊の中で、一体誰がここに連れてこられたのやら。私としたことが、あの状況とはいえ、家賊を一人も見つけられなかったなんてね。うふふ、妹がいればいいんだけど。
……それにしても」
長い独り言をぷつり、と止めて、双識は首を傾げる。
顎に手を当て、心底不思議そうな表情で、自分に向かって語りかける。
「一体どうして、私は生きているんだろう?」
それは奇しくも、同じ時刻に別の場所で、同じ一賊の別の人物が呟いた言葉と酷似していた。
零崎双識は夏の前、死んだはずだった。
殺し屋に刺されて。
内蔵を貫かれて。
可愛い弟の傍で。
可愛い妹の傍で。
最悪で最善の死を迎えた。
偶発的で必然的な死を迎えた。
当然に完全に双識は死んだ。
零崎双識は、確かに死んだ。
双識は、それを覚えていた。
「うーん……生き返った? あながちそういうのも、ナシではなさそうだよね。わざわざ殺し合いを演じさせるために生き返らせるなんて、ご苦労なことだ。まあ今の所どうでもいいか」
自身の生存に関する疑問を、双識はあっさり投げた。
しかしそれは、けして彼が浅慮だということを示すものではない。単なる、優先順位の問題だ。
殺し合いの場に送りこまれたらしい家族のこと。
死んだはずの自分が生きていること。
どちらがより大切か、双識にとっては明確過ぎるほど明確だ。もとより彼には、家族のこと以上に大切な思考などありはしないのだ。
「別に、放っておいてもいいだろうけど……」
双識は、家賊のことをほとんど心配していない。
零崎一賊、《殺人鬼》。
双識が誰より信頼する家賊は、何より愛する家賊は、こんな状況に放りこまれたからといって命を奪われるような集団ではない。
だが。
この状況が酷く異常であること。そして長引き消耗戦となれば、一賊の誰もにとって不利であること。
そのことも、双識は同時に理解している。
「……ここは素直に、探しに行こうかな。人識君か伊織ちゃんか……どちらかがちゃんと《自殺志願》を持っているのかな? 伊織ちゃんのほうが可能性は高そうだけど。アスやトキがいたら、面白いことになりそうだ」
うふふ、と。
双識が笑い、
建物から背を離し、
家族の居場所を教える勘に従って歩き出そうとした、
その時。
——それは、殺気だった。
殺意、あるいは戦意を明確に持つ気配だった。
それを感じた、と意識する前に、既に双識は振り向いている。
「……おや?」
横手の細道。
刺すような殺気に反したふらりとした足取りで、ぼんやりとした表情で、一人の少女が、現れた。
「……ゆらぁりぃ」
髪は、散切り。ぼろぼろに切り裂かれた、セーラー服。その制服が見覚えのあるものであることに、双識は気づいている。
「ゆらり……ゆらり」
手はなぜか、後ろ手。
そして彼女は右足首のやや上に、タイツの上から刃物で切ったような浅い傷を負っていた。乾き始めて間もないことが容易に分かるその傷は、生々しい傷口を晒している。
しかし、それ以外には何の外傷もない。
「その怪我はどうしたんだい?」
ゆらゆらと揺れていた少女が、止まる。
「……ぴたり」
一瞬の、静寂。
双識と少女は、向き合う。
「……一応、自己紹介、しておきます」
先に億劫そうに口を開いたのは、少女だった。
双識の質問は綺麗に無視された。
「あたし、
西条玉藻ちゃん……です。人がいたから、来てみたんですけどぉ……今回って、ずたずたにして、いいんでしたっけ……?」
物騒なことを、少女——玉藻はさらりと口にする。
その物騒なことを簡単にやってしまいそうな雰囲気を、彼女は持っていた。
それは一歩別のほうへ踏み出せば。
零崎に為っていても、おかしくないような。
「何にも命令、ないってことは……好きにし」
玉藻はそこで一旦、「ゆらり」と呟いて休憩を挟む。喋るのは苦手らしかった。
「てもいいのかな。じゃあ……玉藻ちゃん、行きまあ」
「いやいやいや、ちょっと待った」
そのままストレートに不穏な結論へ至りそうだったので、双識は口を挟む。
その辺りこそ、彼が変わり者と言われる所以だろう。双識は、自称白い鳩のような平和主義者なのである。基本的には。
「……なんですかあ?」
玉藻の胡乱そうな声を浴びつつ、双識はやれやれと首を横に振った。
「全く……それが悪いと言うつもりはないけど、同じ女子校生とはいっても、子荻ちゃんとは全然タイプが違うな。君もその制服を着ているなら知っているんじゃないかな?
萩原子荻ちゃんのことだよ」
「……しおぎ、せんぱい」
「今何年生だったかな。私は結構仲が良かったんだよ、うふふ」
玉藻のぼやりとした目が、宙に止まる。停止。何か思い出そうとしている、ならいいのだが、表情からは何も読みとることができない。
一方で双識は、あの髪の綺麗な《策師》の少女を思い出していた。
常に別の場所、一つ上の場所に立っているかのような。
僅かばかり弟に似ている気もする、少女。
こんな状況にも関わらず、双識は思わず笑みを浮かべた。
やがて、玉藻の身体が再びふらりと揺れる。
「ええと……あなたは、先輩の、知り合いで」
「そうそう」
「あたしは、邪魔、先輩の……悪いことの邪魔、しちゃ駄目で」
「悪いことねえ。まあ、悪いといえばそうなんだろうね」
「子荻先輩はあ……あんまり、教えてくれないから……関係者は、駄目なんだっけ……」
首を傾げて、「ゆらあり」と玉藻は呟く。
「あなたは子荻先輩の知り合い」
戻った。
だが——それでも、玉藻の中では答えが出たらしい。
どこか残念そうに、彼女は身体を揺らす。
「……ゆらり。じゃあ、ずたずたにするのは、駄目……ぶーです。あたしもまだ、我慢できないってほどじゃ、ないですし……殺さないどいてあげます」
それは。
本当に、零崎であってもおかしくないような言葉だった。
しかし双識は、彼女がけして「妹」にはならないであろうことも、なぜか察していた。
ゆらぁりぃ、と。
玉藻は何の躊躇もなく双識に背を向けて、
「——待った、玉藻ちゃん」
呼びとめたのは、双識だった。
僅かに険しい顔をして、振り向く少女を見据える。
「……ちゃん付けで呼ばないでください……初対面ですよう」
「君、“それ”をどこで手に入れた?」
今度は、玉藻の言葉を双識が無視する。
先程とは全く逆のパターン。
それほどに。
双識にとって、それは重要な問いだったのだ。
背を向けた西条玉藻が、後ろに回した両手に持っていたものは。
一見してナイフのようなそれは。
双識の愛用の武器——否、元愛用の武器《自殺志願》。
それを、二つに分解したものだった。
しかし双識の問いは、玉藻が自分の武器を持っていたために出たものではない。それは確かに重要ではあるが、その程度のことで、双識は深刻になったりはしない。
玉藻が、“妹に渡したはずの武器”を持っていたからこそ——双識は尋ねたのだ。
最悪の事態をも、想定して。
「これはあたしのとこにあったんだから……あたしのです」
しかし玉藻から帰ってきた答えは、双識の不安をあっさりと打ち破った。
そんな嘘をつくような少女ではないだろう、と双識は判断し、それを信じることにする。
「ちゃんと……き」
更に言葉を続け、玉藻は休息。
既に双識の危惧していた事は回避されていたのだが、一応彼は最後まで話を聞く。
「れるかだって……自分で、試したんです」
それだけを言って。
玉藻は、再び双識に背を向ける。
その言葉の示す所に思い至ると、さすがに双識も驚きを禁じえなかった。ゆらゆらと歩み去る後ろ姿を見ながら、苦笑する。
彼女は、試したのだ。
《自殺志願》が武器として機能するかどうか——自分の足で。
双識は理解する。
玉藻が、“妹”にはならないだろうと思った訳を。
彼女は飽く迄、戦う。戦うために、存在している。
零崎一賊は殺人をする——《殺人鬼》
西条玉藻は戦闘をする——《狂戦士》
その違いは微細で、その違いは絶大だった。
双識は殺人鬼である。
マインドレンデル、《二十人目の地獄》などの異名を持つ零崎一賊の長兄であり、一賊屈指の実力者にして切り込み隊長だ。
双識には、玉藻を殺して《自殺志願》を取り戻すという選択肢も確かに存在した。他の零崎一賊ならば、ほとんどの者はそうするだろう。
しかし、双識はそれを選ばなかった。
理由の一つには、察するに玉藻もかなりの戦闘能力の持ち主であり、殺し合いをすれば双識も痛手は避けられないだろうという予測がある。双識はこんな序盤から、怪我をするわけにはいかないのだ。
そしてもう一つには、《策師》の少女の存在がある。
双識は、見ていた。
家族の誰をも視界に収めることはできなかったが、あの白い部屋で、双識は確かにあの髪の綺麗な少女を見つけていた。
彼は、興味があったのだ。
あの少女のフィールドに、この状況がどのように展開されるのか。彼女が何をして、何を成すのか。
そして、家族に害が及ばない限り、彼女の邪魔をしたくはなかったのだ。《策師》と出会えさえすれば、玉藻はおそらく重要な一つのピースになるだろう。
「……うふふ。まあ、《自殺志願》を持たない方が強いと言われる私だ。寂しいが、しばらくは預けておこう」
笑みを刻み、双識は呟く。
遠ざかる玉藻を、見つめて。
そしてふと、眉をしかめ、深刻な表情を浮かべた。
「それにしても……スパッツではなくタイツときたか。判定の難しい所だな」
繰り返して言うが、零崎双識は殺人鬼である。
マインドレンデル、《二十人目の地獄》などの異名を持つ零崎一賊の長兄であり、一賊屈指の実力者にして切り込み隊長だ。