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[抜粋]日本の国旗 - Wikipedia




1 国旗として扱われる以前の歴史
1.1 古代から中世

赤い真円で太陽を表現する例としては、古くは漢時代の帛画にある(上記の日像幢と同様、内側に黒い烏を配するもの)。日本では法隆寺の玉虫厨子背面の須弥山図に、赤い真円の日象が確認できる。これは平安時代の密教図像などにも見出される表現であり、大陸から仏教とともにもたらされた意匠であろうと推測される。

古代から国家統治と太陽は密接な関係であることから日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。 なお、日本では「紅白」がめでたい配色とされてきた。一説には民俗学的にハレとケの感覚(ハレ=赤、ケ=白)にあるとする説や、これも源平合戦に由来するとする説などがある。
現存最古の日章旗としては、山梨県甲州市(旧塩山市)の裂石山雲峰寺所蔵のものが知られている[3]。これは後冷泉天皇より源義光へ下賜されたという伝承があり、「御旗」(みはた)と呼ばれて義光の系譜に連なる甲斐源氏宗家の甲斐武田家の家宝とされてきた。真偽のほどは不明ではあるが、中世前半に遡る遺例として貴重であろう。

室町時代の勘合貿易や、豊臣秀吉から徳川家光の第3次鎖国令が出される1635年(寛永12年)までの間に行われた朱印船貿易の際に日本の船籍を表すものとして船の船尾に日の丸の旗が掲げられた。また、戦国時代には伊達氏が軍旗・日之丸大龍を用いていた。

1.2 近世から近代

江戸期には、「白地に赤丸」は意匠のひとつとして普及していた。江戸時代の絵巻物などにはしばしば白地に赤丸の扇が見られるようになっており、特に狩野派なども赤い丸で「旭日」の表現を多用するようになり、江戸時代の後半には縁起物の定番として認識されるに到っていた。徳川幕府は公用旗として使用し、家康ゆかりの熱海の湯を江戸城まで運ばせる際に日の丸を立てて運ぶなどした。そこから「熱海よいとこ日の丸たてて御本丸へとお湯が行く」という唄が生まれたりした。

1.2.1 沖縄学に見る日章旗

沖縄の祭り爬竜(ハーリー)で用いられる爬竜船の船尾部にも日の丸の幟(のぼり)が掲げられていた[8]。
日の丸(日輪)は、琉球でも太陽神(テダガミ)の象徴として、船印だけでなく首里王府が建てる石碑(玉陵の碑文など)にも刻まれていた。琉球では、日本の漁労民と同様に古くから太陽神が信仰されており、進貢船の日の丸も航海の無事を太陽神に祈る意味で使用されたものである[9]。

2 日本の国旗としての歴史
2.1 江戸時代
2.1.2 幕末

1854年(嘉永7年)3月の日米和親条約調印後、外国船と区別するための標識が必要となり、日本国共通の船舶旗(「日本惣船印」)を制定する必要が生じた。

薩摩藩主島津斉彬、幕府海防参与徳川斉昭らの進言によって、「日の丸」の幟を用いることになり、同7月9日、老中阿部正弘により布告された。島津斉彬が進言した理由は、鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。

1859年(安政6年)、幕府は縦長の幟(正確には四半旗)から横長の旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である。

2.1.2.1 賊軍の旗
戊辰戦争にて薩長を中心とする軍勢が「錦の御旗」を掲げて「官軍」(天皇・朝廷の軍)を称したのに対し、それ以降の江戸幕府軍は、「賊軍」・「朝敵」の汚名を負うこととなった。それに際し、幕府方の彰義隊、会津藩(白虎隊など)、奥羽越列藩同盟の一部などは、自分たちの共通の旗として上述の「御国総標」たる日章旗を掲げて戦った。
近年の時代劇においても、『JIN-仁-』の第二期(2011年)における「彰義隊」や『白虎隊』(2007年)における「会津藩」・「白虎隊」などが日章旗を掲げる様子が描かれている。

2.2 明治
2.2.1 商船規則
1870年2月27日(明治3年1月27日)制定の商船規則(明治3年太政官布告第57号)に「御國旗」として規定され、上述の幕府による「御国総標」を継承して日本船の目印として採用された。規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。この日を記念して国旗協会は国旗制定記念日を制定し、国旗掲揚の日としている。

2.4 占領下における日章旗の掲揚禁止
1945年、連合国軍総司令部(GHQ)の指令により日章旗の掲揚が原則禁止された。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗が代用された。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、1949年(昭和24年)1月1日にマッカーサーは日本の国旗の使用を自由とする旨の声明を発表。これより正式に日章旗の自由掲揚が認められるようになった。

3 日章旗のデザイン

3.2 特例の日章旗
長らく慣行(商船規則で定められた制式)として、縦横比を7対10とし、日章を旗の中心より旗竿側に100分の1近づけた点を中心として描くものが使用されてきたため、国旗国歌法の附則第3項で当分の間この制式も用いることができる旨の特例が定められている。両者の縦横比を最小公倍数に換算すると、本則:14対21、特例:14対20となり、本則の方がやや横長(あるいは特例の方が縦長)となる。この違いを取り上げる意見には、日章と白地のバランスとしては特例の方が安定している、風にはためく時の見栄えは日章が旗竿に寄っている方が美しい、とするものもある[要出典]。

3.4 税関旗
青は海・空、白は陸で、接点に税関があることを表している。1892年(明治25年)に制定。

4 国民感情
沖縄県において日章旗は1945年から1972年までのアメリカ軍統治時代には多くの住民の間で本土復帰を求める象徴であり[19]、各家庭では日の丸を大切に所持していた。

7 その他

国旗に文字等を書く(寄せ書き)際、日の丸の部分には何も書いてはいけないという慣例がある。これは、日の丸の部分が神聖とされていたからである。


石田 伊織 on Twitter
石田 伊織 ‏@Silver_PON
厳密には戦前の日の丸と戦後の日の丸は中の丸の大きさとか違うらしいわ。それと、戦争の時の日本の旗印は旭日旗、現在の朝日新聞のマークなのだけ.. ttp://togetter.com/li/570724#c1247753
2013年9月30日 - 17:26
ttps://twitter.com/Silver_PON/status/384836775933251584
ちなみに、日本の軍用機のマークは「白縁赤丸」で、これは戦場での視認性の問題。 ttp://togetter.com/li/570724#c1247756
2013年9月30日 - 17:32
ttps://twitter.com/Silver_PON/status/384838142655602688
軍艦のプラモとかい作る人なら良く知ってることだけど、日章旗は商船の国籍認識のマークで、軍用船は旭日旗を使用した。 ttp://togetter.com/li/570724#c1247758
2013年9月30日 - 17:35
ttps://twitter.com/Silver_PON/status/384838927082741760
最終更新:2014年09月09日 22:59