被験体BB



一番最初の記憶は、孤児院で歳上の男の子から何かの遊具を無理やり取って喧嘩になったことだったと思う。
10歳くらいか。自分の両親が居たのか、居たとしたらなんで孤児院に入れられていたのかは分からない。
焼き付いたように何時を思い出しても出てくるものはといえば、せいぜいカノッサ機関の逆五芒星くらいだろう。

場面がすぐに移り変わる、それはなぜなら夢だから。こうして自覚のある夢はなんと言っただろうか。

思い出せないうちに、第三者視点での自分とNo.3が見える。昔の人物だ。彼はいわゆるマッドサイエンティストで
薬や精神への作用に携わっていた。ロボットだとかクローンだとかってよりは、生身の人間を
如何に手軽に忠実な兵器へ育て上げるかが課題だったらしい。だから「素材は健康であること」とか
「何歳以上の男女」とか、面倒な制限はなかった。私が選ばれたのは単に髪が赤くて目立ったからだ。

思えばあの孤児院はカノッサ機関が養殖場のようにしていた場所なのかもしれない。
夢でその考えにたどり着くってのも中々な話だが、教会のステンドグラスには
逆五芒星がところどころに在ったような気もするし、今になってこそわかるが
時々来てた“支援者”ってのはどいつもこいつもお揃いの支給されたコートを着ていたからな。

まあ、言えるのはその後の日々の記憶がどうにも曖昧だってことだろう。

10歳よりも前のことはさっぱり欠落しているが、10歳からある時に至るまでは
泥をぶちまけたように不鮮明で、とりあえず不快だった。投薬とその失敗、もしくは成功。
一日八時間の教育と三時間の運動。馬鹿みたいに健康的だが、それを三ヶ月も四ヶ月も続けられちゃ溜まったもんじゃない。
食事のごとに薬、3日に一度の催眠だかマインドコントロールだかの時間。

半年経った頃には頭脳明晰運動抜群の美少女の出来上がりだ。

当時のNo.3は人格の壊れた玩具は要らないと言っていた辺りが流石で、薬の依存症にも精神崩壊状態にもならなかった。
その代わり気持ちの悪い忠誠心が育っていたが。個人的に良かったのは、あんなガキの頃に散々運動して
よくまあちゃんと育ちきれたなってことくらいか。ただ周りの連中、つまりはNo.3の手伝い……
もしかしたら当時のナンバーズかもしれないが、とにかくそいつらの口汚い言葉はそこで勉強ついでに叩きこまれたと言ってもいい。

その時点で11歳。大体いまの俺の原型はここだ。頭脳肉体言葉遣い、性格はもうちょいマシだったんじゃないだろうか。
言われたとおりに薬を飲む服従的なのが半分、最初に言ったとおり歳上の異性だろうと喧嘩ふっかける反骨精神が半分。

あぁ、あんまり変わってねぇな。

とにかくそこから更に、No,3のやつは俺に能力を持たせようとした。
勿論一朝一夕じゃ上手くいかないから、投薬後に五年間の冬眠状態を作り、身体をじっくり慣らすって手段でだ。
べたつく薄緑色の液体に漬かった時の気色悪さは未だに覚えている。



ベイゼ・べケンプフェン(Bose bekampfen)

彼女を“ストック”の中から選び出して実験を始め、およそ半年が経つ。
先ほど更なる向上のために能力開花の試薬を飲ませ、5年間のスリープ状態に入ってもらったトコロだ。

彼女はハッキリ言って、逸材だ。

初めはただ髪の赤さと黄土色の力強い瞳に惹かれて選んだだけだったが、まさかここまでとは。
僅かに半年だ。半年で彼女は(薬の効能も強いとはいえ)まったく正常な状態で
11歳にして学者のような知性と十種競技の選手のようなタフネスを兼ね備えてしまった。
能力がないらしいことは残念だが、なにか運命的なつながりまで感じるほどの完璧な被験者といっていい。

さて、私の求めるところの人体改造というのは、最終的には一、二錠の薬剤を飲むだけで
カノッサ機関への忠誠と兵器として機能する程度の能力を得られるようにすることである。

改造というとやはり悪辣な、人を切ったり、弄ったり、何かを埋め込んだり、個体同士を交配させたり
はたまた心を壊したりと、碌なイメージがない。私のやっていることも人体実験ではあるが
私には元医者という自負もあり、被験体には心身ともに健康な状態でいられるよう極力の配慮をしている。

その分、時間はかかる。

私は未だにカノッサ機関傘下の一研究所で三番目、つまり研究所のNo.3として身を置いている程度であり
この研究自体は恐らく疎まれている筈だ。日に八時間の勉強と三時間の運動というのは傍から見れば
確かに私に少女趣味があるとか、いたずらに時間と金を稼いでいるだけだとか、そういう噂が立つには十分な“甘さ”だろう。

だが私は、たとえ兵器であっても知性は必要であると思う。
頭脳があり、能力に見合った健康な肉体があり、そして精神が正常であればこそ、人間という最強の生物兵器になるのだと信じて疑わない。
いや、精神は些か別物か。カノッサ機関への忠誠、今の私と彼女のような、ある種の従属関係に基づいた行動が取れるか否か。

それらを達成した状況こそ、私の言う「正常な精神」である。


ベイゼ、という名前は勿論コードネームだ。

ある言語で『悪』を意味する、つまりはカノッサの兵器であるという意味合いの名前。
べケンプフェンは『闘い』、これも同じ意味だと考えていい。今まで彼女に教えた項目は大まかに歴史、文化、言語、経済。
加えて自らの意見を言葉にする、そしてそれを人に伝えるには、なんていう事も教えたように思う。

運動に関しては日替わりで陸上水泳から柔軟体操まで。

そこに私がカロリーから栄養まで全てを計算した、当然ながら美味しい食事を三食。
筋力と体力、肺活量等の底上げをするような薬も毎日与える。
3日に一度は機関能力者による、無意識下への忠誠を誓わせる催眠。

彼女の眠るカプセルには肉体を維持し、成長に伴って僅かずつ肉体の能力を向上させる培養液を満たしてある。
私の薬は万能でこそ無いが有能であることには自信がある。

この五年間、BB計画―Bose Bekampfenには期待せねばなるまい。



【五年後、一日目】

『(もう少し……後10、いや5センチ。それだけでも動いてくれればいい)』
『(でなければもう100g……でないとあまりに、あまりに弱すぎる……。)

「……、…………むり。」

ことん、ガラス球がテーブルの下に転がり落ちる。

赤髪の少女は16歳、目覚めて5時間ほどが経過している。
女性らしさを増した肉体には更なるパワーを蓄え、そして肝心の能力に関しては、確かに手に入れた。

だが、あまりに弱い。

推定される能力名は『触れたものを引き寄せる力』といったところで
念動力のようにモノを浮かせたり、逆に押し出す力はないところを見ると微弱な引力に近い。
しかし、問題は力だ。まん丸のガラス球は転がせるものの、四角いサイコロは
摩擦面が多すぎるためか引き寄せる力が安定せず、野球球ともなると丸いにも関わらず重すぎてマトモに動かせない。
手で触れれば紙でもペンでも引き寄せられるけれども、この程度の力では何の役にも立たないだろう。

それを彼女も分かっているらしく、早々に諦めて野球球を拾い上げる。
五年間で、彼女の赤い髪はひどく伸びた。元の長さと合わせて1mに足るかどうかだろう。
球を拾った際に、それがさらりと音を立てる。


「でもよー、能力は手に入ったよな。」

『あぁ、そうだな。それだけ見れば成功には違いない、今後の飛躍の大きな一歩だ。』

「じゃあどこかに報告とか、しなくていーのか?」


口は悪いが、やはり中々回る頭をした娘だ。実験自体は芳しくない結果とはいえ成功なのである。
薬による能力者の誕生、それを報告するにはやはり、カノッサを統べる相手が最も適しているだろう。

この五年間、私も停滞していたわけじゃない。

いくつかの新薬、いくつかの実験によって、ベイゼほどの安定性はないものの、人形じみた能力持ちの兵器は作ってきた。
だがそれは理想ではない。機関に認められ、研究所の所長にこそなったがまだだ。
やはり自らの意志で会話が出来、モノを考えられるような者こそ、ベイゼのような者こそ機関にとっての理想の兵器となるはずだ。

ストックホルム症候群に似た感覚を、私は彼女に持ち始めている。
私の思考に追いついてくる、私の手で作り出した、私に付き従う兵器。
まあいい、直接会うことは叶わないが、罪神スペルビオ――彼に一度、合わせるべきだろう。

ふと自らの成功が実感として湧いてきて、にやりとした笑みが浮かぶ。


【二日目】

『―――じゃあ善と悪については?誰が善で、誰が悪だと思う?』

「カノッサが最低の正義で、他がまだマシな正義。悪は無い。」

『正義の反対はまた別の正義って事か……そして、機関のそれは良くないと』

「世界を混沌に陥れるなんてのが世間一般で正義として通ると本気で思うのならっていう前提で話したんだが
 実際は悪だからな。世界で最も疎まれている最底辺の溜まり場がカノッサ機関だよNo.3。
 アンタ達の催眠で、私がそこに忠誠を誓わないといけないのも知ってる。」

『……ベイゼ、君はそれを知っていて、どうとも思わないのかい?』

「転向して他所行ってもいいが、生憎と知覚してるだけで逆らえる訳じゃねェんだぜ?
それに、構わねぇよ。俺は機関で兵器として生きていければ不満はない。
他の魅力を知らないからそう思うし、意外に居心地もいい。アンタの性格がマトモならもっとやる気も出るんだが。」

『俺の性格はマトモじゃないか、一体何処がダメだって言うんだい?』

「口調に似合わない俺っていう一人称、目覚めたら用意されてるネグリジェ
しかも16歳相手にそれを自ら着付けしようとする辺りの自覚のない変態っぷりかな。」

『仕方ないじゃないか、俺が着付けないと君はまた寝てしまうし、他に服がない。』

「天下のカノッサ機関様に年頃の少女が喜びそうな服を下さいって言えばいいだろ?」

『それは僕のメンツに――』「――僕?」『……いやその、………………。』

身長162cm、体重52kg、B87W61H85、体脂肪は僅かに7%.
簡単な知能テストや会話のテストもしたが結果は良好だ、培養液内での5年は無駄ではなかった。

二日目はそれらを確認し、早めの就寝を促す。


【三日目】

とある部屋でモニター越しにスペルビオと、と言ってもモザイクとデジタル文字での対面だったが、まあ会った。
そこで奴は俺にこういったんだ、「機関の為に」ってな。そして黒い指輪を送りつけやがった。
闇の魔力を孕んだ、死ぬまでカノッサの兵器として、奴隷として、闘いの定めと誓を交わす指輪を。

それから俺はNo.3――この時は、ナンバーズでも研究所の地位でもそうじゃないが――奴に、ひとつの提案をした。

もう一錠、能力を身に着ける薬を飲ませて三年の時間をくれと。つまりもう一度能力を手に入れる実験をしたらどうかという提案を。
奴は悩んじゃいたが、提案者が身体を差し出すと言ってる以上、研究者としての好奇心もあってか素直に首を縦に振った。

その二日後、俺はまた培養液に身を浸して眠りに就いた。



一年と二ヶ月、それから一六日。ベイゼに次ぐ力を持つ数人の能力者が誕生する。
各種新薬の完成により、一人辺りにかかる時間が圧倒的に短くなったのだ。
しかしながらどういうわけか、やはり精神的には皆遅れている。

闘いという一点で見るならともかく、私に懐く姿は兵器と言うよりもペットに近い。
研究室にいても勝手に膝の上に座ったりと、奥の培養液で眠り続ける彼女とは大違いだ。
ほんのちょっぴりだが、ベイゼの少女らしくない口調が愛おしい。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


彼女を再度の眠りにつかせて二年と348日。

あと二週間ほどで期日だという時にこの研究所へと忌々しい“正義”の連中が襲撃をかけてくるという情報が入った。
なんでも連中の一人と“ストック”の一人が顔見知りだったらしく、まんまと後をつけられたらしい。

ひどくマヌケな話でナンバーズなどを呼ぶのも体裁という面で良くなく
ベイゼ以外の数名の被験体たち(一年経って思うが、ハッキリ言って失敗作ばかりだ。戦闘能力は高いが応用力や思考力は皆無に近い)に
入り口でも守らせておけばなんとかなるだろう、それに良い戦闘データが取れる。

とはいえ、もしもの場合があってはいけないとも考え、彼女を培養液から運び出し、ごく普通のベッドに移す。
本来は期間キッチリに起きるものなのだが、この場合だと丸一日は置きないはずだと
女性一人運ぶのにも苦労する自分を誤魔化しながらノートに向かう。

上階で衝撃音がするところをみると、遂に来たらしい。

直接の戦闘能力を持たない私は部屋に閉じこもって如何にも無理やり連れて来られた研究員
というのはどういうふうに行動するのだろうと考えておく。天井の大部分が崩落したのはまさにその時だった。



『っ……ここは、地下か……?俺はさっきまで、一階のエントランスで“子どもたち”と戦っていたはず……
 …………そうか、“アレキシー”の奴が“能力で床を破壊した”んだな……?』

面倒な奴――俺、フロイスとアレキシーは仲間だ。

いわゆる正義漢で、この研究所がカノッサ機関の人体実験場になっている
と聞いて来たというわけなのだが……外の光が見えないのを見るとやはりここは地下だろうか。
埃が舞っていて、部屋の様子はよくわからない。

俺とアレキシーは先ほど、一階で何人かの能力者らしい子どもたちと戦っていた。
戦局は悪くなかったが相手の手数に押され、一度戦場を混乱させるという題目でアレキシーが床をふっ飛ばしたのだ。
お陰で、複雑な構造の地下にバラバラに落ちたということらしい。

奴の“爆破能力”は強力だが、もう少し加減を知ってほしい。運良くマットの上に落ちたからいいものの……


『マット……?いやこれベッド――っ、お、女の子!?』


ごろん、と転げ落ちる。そうだ、寝台だ。とびきり上等な布団の上に落ちていたんだ、俺は。
そしてそこにはすでに主人が居た――真っ赤な長髪の女の子が。

こんな所に居るのを考えるととても不自然で良い予感はしないが、埃の晴れた室内には多くの本棚や諸々の家具が在った。
勉強机、何かの専門書、クローゼット、中身の知れないいくつかのカジュアルな箱。
上で戦った子たちよりも大人びているが、なんて考えながら、俺は彼女を起こそうとする。
未だに起きていないのがびっくりなのだが、なんにしても相手が何なのかを確認しないとどうにもならない。

右手を腰の銃にあてながら、左手を彼女の肩にやる。


―――――――――――――――――――――――――――――――――


部屋が埃っぽい。まぶたが重い。ふぁ、とあくびをしながら目をこすって、そんな時に肩に誰かが触れていることに気づく。
No.3か?いや、アイツは俺の身体に触るような真似はしない。とすれば―――考えるより先に
“できるだけそれらしく”壁に背中が当たるまで、びっくりしたように引き下がり、毛布を引き上げて、口元を隠し。

ついでに目元は少し下げて困ったような表情を作る。


『わ、悪いなお嬢さん、驚かせちまったか?俺はフロイスっていうんだ
 流れの賞金稼ぎみたいなことをやってるんだが……君はその、カノッサ機関の人間かい?』

いや、ホント悪気はないんだ。ただちょっと――だってよ。
やっこさん気付いちゃいないようだが、こっちは口元緩みまくりで声を押さえるのに必死なんだぜ?
まあ流石に沈黙はマズい、布でぼかしたような声にして、知らない人たちに連れ去られたと適当なことを言う。
するとフロイスとか言う野郎は溜息を吐いてから、此処を出ようなんて手を延ばしてきた。



手を掴んだ瞬間、奴をこっちに引っ張りこむ。
いかにも不意を突かれたなんて言う顔をした男は布団に倒れこんで
俺はその隙に奴の腰元の銃―当然気付いていた―に手を伸ばし、毛布で相手を包み込み
腹部に狙いをつけて引き金を5度引いた。白が赤に染まる。

赤は良い、自分の髪の色は好きだ。

見ているだけで気分が高揚してくるのは、No.3も知らない俺だけの秘密だ。
特に深い色がいい。どぎつい真紅よりも、こういう深紅の赤の方が心が安定する。
動かなくなった男に向けて銃を放り捨て、中指を立ててから床に足をつけて、部屋を出る。
どうやら襲撃があったらしい、と言うことは敵は一人ではない。

思った通り、警報の鳴り響く廊下にはスーツにカンカン帽なんて言う格好のクソッタレが待ち構えていた。


不意に奴の前方の地面が爆発する。

それは徐々にこちらへと迫ってくるが、うろたえずに左斜め前へと飛ぶことで回避し、前進。
すぐに接近戦へと持ち込むが、野郎どこに隠し持っていたのか右手にナイフを持っていて
その刃先が俺の右頬を裂く。人生で初めて感じる最も大きな痛みだったはずだが
感覚があったかはわからない。約三年間の眠り、初めての本格的な戦闘、初めての大傷。

脳内麻薬か何かで痛みを忘れているのか、夢だからか。

どちらにしても、奴は続けざまに左掌をこちらに向ける。
近距離で爆発を起こすつもりなんだろうがそうはいかない、右足を振り上げて前腕を蹴り抜き
鈍い音を背後に聞きながら足を下ろす。ハイキックを終えて背中を見せる形。
痛みに呻き声をあげながらナイフで心臓を突こうとするそいつを、振り向きざまに両目で捉える。

どうするか?今ここでどうしたいのか?ナイフを払い落とすことはできるが、それだとまた爆発で逃げられるかもしれない。
だとすればこの場で奴をぶちのめせばいいんじゃないか?では、その力はどこから手に入れるのか?
ふつふつと湧き上がるのはそんな気持ち、あまりにも冷めた、死に直面しての“欲望”。

重い音と軽い音が交互する。

軽いのはナイフが地面に落ちて響く音、重いのは奴の唯一健常な片腕が折れる音。
可哀想だがもう二度と自分で飯は食えないだろう、箸もフォークもつかめるような状態には見えない。
腕を折ったのは、金属質な黒い拳。直感的に悟ったのはこれが俺の能力で、“引力”と交わっているな、という感覚。

欲望――喚きながら逃げ出した奴を見ながら改めて欲が湧く。
奴をこの場でぶち殺しておきたい。すると折れた右腕に縄でもかけられたかのように
野郎は俺の方へと引き寄せられてきて、俺はにやりと笑いながらマインドへと殴殺の命を出した。

案外、殺しというのは簡単だった。



「しっかしよォ、もう少しこう……ンだよホットパンツって、趣味悪ィんだよテメェは。
とりあえず、っつー事で研究室に戻ったら天井は崩落、資料の詰まったサーバーは火を吹いて
責任者様は瓦礫の下敷きで足が潰れて動けないってのはこう、もうちょい……」

『……すまない、ベイゼ。まだ三年は経っていないのに起こしてしまって、しかもこれじゃあ研究者失格だな、うん。
それはわかってるんだ、それより能力は……?“引力”の他になにか、新しい力は手に入ったのかい?』

「マインドが。名前はそう、“欲望”で――“ベギーアデン”。
それから引力に関してだが、ありゃ惜しかったな、触れたものを引き寄せるのは正解だったが
触る力が関係してたのさ。さっき侵入者をぶん殴ったら、人ひとりを引っ張れたからな。」

『……うん、そうか。是非テストを重ねてデータを取りたいんだが、無理そうかな?』

「持って、あと10分くらいじゃねぇか。よく喋るねぇ、アンタも。」

『研究が生きがいだからね、死ぬまで……あと10分くらいはそうでありたいんだ。』


先ほど動いていて感じたが、この長髪はかなりうざったい。
デスクに腰を下ろし、部屋にあった適当な鋏でザクザクと邪魔な部分を切り落としながら俺はNo.3と話していた。
服装はチューブトップにホットパンツ、オーバーニーソと焦げ茶のブーツ。
動きやすいが、大人が19の女に贈るような服装とは言えないんじゃないだろうか。


『っ……なあベイゼ、私の事は嫌いかな?』

「嫌いだねェ、可憐な乙女の青春を好き放題いじくり回すわ
紫の上と光源氏よろしく服も身体も好きにするわ、おまけに最後は死ぬわで大っ嫌いだぜ?」

『だよな……うん、そうだな。振り返ると結構、酷いことばっかり――――』

「――――でもよォ、その行動は全て下心じゃあなく研究のためっていう一途な思いからだったのは褒めてやるぜ
アンタ天才だよ。なんにも持ってなかった小娘をここまでにしたのは、確実にアンタの卓越した頭脳の成果さ、俺が保証してやる。
その点じゃあNo.3、本名も知らないお前の事は尊敬すらしているんだ、気付いてたか?」


ふるふる、と、邪魔だろう割れたメガネを外しもせずに野郎は首を横にふる。

髪もざっくりとだが切りそろえてデスクから降り、奴のすぐ傍まで行って座り込む。
どうやらもう目が見えていないようで、音がしてからこっちを見た。
顔が何処にあるのかもわからないんだろう、今見てるのは俺の左肩だ。

ふと奴の右手を取って、俺の頬に添えてやる。血で濡れているが、これで場所は確認できるだろう。


『……知らなかった、ありがとう。君は俺の思った以上に賢くて、強くて、それに優しい女性になったな、ベイゼ。
最後だろうから、君の肉体について簡単に教えておくよ。』

筋肉量と、複数回に渡る薬物の投与によって基礎代謝が恐ろしく高いこと。
故に体温も常人であれば“熱”と間違える程度には高いこと。
傷の治りや免疫、つまり肉体的な強度は一般人のそれをはるかに凌駕していること。
知性、五感の鋭さ、各種武器の取り扱い。そして自覚のある機関への追従、兵器としての一生、無限大の可能性。

奴はスペルビオからの贈り物である指輪と、それから小さなケースをポケットから取り出して俺に差し出した。

「何度見ても悪趣味な指輪だな、トゲ付きとはよォ……で、これは?」

『困ったら、本当にどうしようも無くなったら飲んでほしい。効能は言わない……
昔から、こういうのは秘密っていうのが決まりみたいなもんだろう?
それから指輪は、はめないとダメだ。君は機関の兵器だという最も大きな証拠となる品だよ、それは。』

「……あんたがそう言うなら。」


No.3の手を下ろして、自分の左手、薬指に指輪をはめ、薬のケースを右手に持つ。
周囲の紙をいくらか漁って機関本部の連絡先を探し出し頭にインプットして――


「そんじゃ、サヨナラだぜNo.3。アンタのこと、忘れないでおいてやるよ」

『……あぁ、待ってくれ。最後に聞かせてくれベイゼ、君の本当の名前は――?』

「あー……アンタが知らないとは思わなかった。いや、俺もしらねーのよ、悪いな。」


ふっ、とどうしようもないなという呟きが漏れたのが聞こえてきた。
思わず俺もつられたが、とにかくここにはもう用はない。
黙ったところを見るとヤツも死に、今ちょうど、八年を過ごした培養液のカプセルも割れた。

建物が鳴っている。左手で頬の血を拭いながら、私は研究所を後にした。



『――君があの研究所の生き残りかね?さ、速く彼の成果を私に――どうも。
それではね、君はこれから私の指揮下に入ってもらう。
スペルビオ様の意向によって仕事の内容は変わるよ、事務もあれば営業もあるし殺しも拷問もする。
あぁ何なら私の情婦でも――っ、グゥぅぅ!!?』

「戯言はいい、俺をNo.3にしろ。勿論どっかの地方研究所だの一部署だののじゃあねえ、ナンバーズのだぜ?
分かるよなぁお偉いさん、俺に嘘ついてもその足は一生治らねーのはよォ―――。」

『だっ、だったらお前に従う意味は無いだろうがッ!
この実験動物が、機関に逆らってただで生きていられると――お、おい待て!待ってくれ!!
既に左足は折れているだろうがッ、触れるんじゃ――――ッ!!!!!』

「従う意味はさァ、俺がこれ以上お前を痛めつけないでやるって事だぜ?
……人間が最も痛がることって何か解るか?爪を潰すことでも舌を切ることでも
ましてや足の小指を箪笥の角にぶつけることでも無いんだぜとっちゃん坊や。

折れた骨の微細な破片を、とぉっても繊細な神経に食い込む形で埋め込まれることさ
――こうやって、マインドで折れた足を握り締めるとどうなるかな。
きっと治ってもずうっと痛いし、リハビリなんてしたら一歩ごとに気絶しちまうかも知れないぜ?

それに比べれば、人手の足りないナンバーズに一人ねじ込むことくらいワケはないよな、違うか?」


―――――――――――――――――――――――――――――――――


部屋の寒さに目が覚める。夜中で、窓は開けっ放しだ。べギーの野郎片付けとけって言ったのに無視しやがったらしい。
気怠いのを抑えてとりあえず起き上がり、左手で窓を締める。
肘から先が引き千切られたにしては違和感がないのはなんとも奇妙だが、まあいい。
部屋に散らかった安酒の缶を自分の管理下に置いたベギーアデンで拾い集め、適当に袋へと放り込む。

何時間――いや、何日寝ていたのだろうか?凡人なら血が足りないというのだろうが
被験体としての肉体を持った私には特別、多量出血後の輸血なんて関係のない話だ。
勿論失血死はするが、寝ている間に造血するので、実際のところ止血さえされていれば重傷だろうが関係はない。

扉を開けて機関の本部内を歩く。まさか昔の夢を見るとは思わなかった。
長い眠りが当時のことを呼び起こしたのだろうか?どっちにしたって今はこう、飲んで食べたい気分だ。
不意に通りがかりの平機関員に一番高価な札を渡して「お前の飲みたいものと食いたいものを買ってこい」と“それっぽく”言ってやる。
買い終わったら部屋に来いと。

それから機関のデータベース――連絡用のあれじゃあなく、単に色々と集積されている場所へと向かい
操作盤を弄って自分の情報を引き出す。本来は極秘事項だろうが、こういう時に便利なのが上位ナンバーだ。まして自分のであれば閲覧に難はない。


「つっても大したこと載ってねーよな、精々面白くもない行動結果が載ってるだけ……
やっぱり本名なんて載ってねーか。出身地も不明の一言……泣けるぜ。」


自分の名前、気になったのはそれだ。

夢で見たからというのもそうだが、自分も、その研究者も、研究者の管理者も知らないんじゃどうしようもない。
そもそも名前が分からなくても支障はないのだ、それこそ記憶が無くなっても問題はない。
必要なのは肉体と、技能と、機関への忠誠。スペルビオや六罪王や、あのNo.3に対してじゃない、カノッサ機関そのものに対する忠誠。
これだけあれば少なくとも衣食住には困らないのだからまあ、いいだろう。
クレジットカードを作るわけでもないのだし、と、画面を閉じてふらりと部屋に戻る。

律儀に待っていた機関員にありがとよと言うと袋をふんだくって、そのまま独りで部屋に入る。鍵は閉めない。



「……可哀想?放っておけよ、私に期待する奴が可笑しいんだっつの。
マインドのくせに口だけは達者な……あぁ、独りぼっち?ブチのめすぞベギー―――いや無理だった。それにしても―――」


私のマインドはよく喋る。言葉ではなく意識化での感覚の共有みたいなものでだが、やつにも人格がある。
普段は殆ど私の言うとおりにするくせに、こうやって緩んでる時はうるさいなんて言葉じゃ済ませない程度には騒がしい。

多分、俺がそういう環境に慣れていないからだとは思うが。

買いに行かせた物の幾つかを袋から出してみる。
ジュース、安酒、スナック、寿司、うどん、サラダ、1つだけ場違いなスコッチ。
酒に関しては随分と量があるのはどうなのだろう。今度出会ったら殴っておかねばなるまいが、今に関しては飲みたい気分だから許してやろう。とりあえず缶を空けつつ、多分何十万とするんだろうテーブルを窓辺の方へと音を立てながら押していく。地平線が赤い。素敵な光景だ。

私が高い所に部屋を持ったのは、この景色を見たかったからというのもある。
気づけば研究所の地下が住処だったからか初めて見た太陽というのはおそろしく美しいものに見えたから。
左手に持った果実酒の缶を傾けつつ、右手は肘をついて頬に触れる。もう傷はない。
この肉体には傷跡すら残らないのだからどうと言うことでもないが、あんな夢を見た後ともなると少しばかり考えさせられる――――


「―――アホらし、あんなバカ死んで当然だっつーの。
 そりゃ確かに、孤児院なんぞよりよっぽど充実してて、運動も勉強も幅広くやれて
 飯も変態が作った割には美味くて、あれで薬に固執してなきゃ悪いやつだとは思わなかったが……っかしぃな、もう酔ったか。」


ふ、と机に上半身を預ける。胸元が少し苦しい。遠く地平線には、既に小さく真っ赤な丸が見える。
食べ物も飲み物もまだまだあるというのに、なんだかまた眠ってしまいたい気分だ。

だが、何も起きている必要はないじゃないか。
機関員なんてそんなものだ、文句をいう奴が居るのなら、そいつが誰だろうと倒してやればいい。
俺が従うのは機関だけ。案外、左手の義手は良い枕になる。


やがて私の瞳はゆっくりと閉じて、がらんどうの部屋には暖かな陽光が注ぎ込んでいった。



+ 裏話
やりたい事をやってみたSS、11,500字はショートじゃないですねハイ。
ベイゼ・べケンプフェンの癖や能力の由来なんかが纏まってます

名前→機関の兵器としてのコードネーム。本名は中身も不明
戦闘狂設定→同上。ただし誰かが指示を出しているわけではない
黒い指輪→画面越しに接触したカノッサ総帥スペルビオからの贈り物設定
好きな色→深紅。ジャケットの色、自分の髪色、血の色。
普段の格好→元No.3の趣味。こだわりではないが、気に入っている
にやりという笑み→元No.3の笑み。自分の実験が成功するとそう笑う癖があったのを無意識に真似している
戦闘で嘘をつく→昔から。猫をかぶるのも同様に昔からで、そういう所の性格が悪い
ベギーアデン(独語で欲望)→一時の『奴を殴りたい』という欲から。欲望→強欲→引き寄せる。

大体こんな感じに放出できたかなと。

ちなみにラスト手前で出てきたのはちょっと偉そうなオッサンです
痛がってるのはマインドで足へし折ってそこを雑巾絞りしようとしてるゆえ。
そこでは何故ナンバーズで、何故No.3なのかも出せましたかね。

また元No.3の彼ですが、ベイゼとの関係はあくまで研究者と被験体止まり
密かな思いがあったかもしれないものの、ベイゼからすれば特別親しい相手としか思っていなかったり

まぁそんな感じでした。裏話というか、雑記おわり。

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最終更新:2013年01月31日 23:32