レグルス=バーナルド、本編以前のエピソード0的な何か。前編
SSスレに投下したものを一部修正したものです
※パート4~6微グロ描写注意
「久しぶりだぜ、師匠に会うのもよぉ……」
『アルベルト=フォルス一行様 貸し切り』と札が掲げられた、市民ホールの小会議室。
1人、2人……と、そこへと足を向ける青年たちの姿があった。
年頃、体格、性別も様々な彼等に見られる共通点、それは、同じデザインのコートとハットを被る、魔術師であると言う事。
――――扉の前で、感慨深げに立ち止まる、右手に金属製の杖……その規模は、もはや『棍』と表現すべきそれを携えた居丈夫も、その1人だった。
「――――――――お、元気してたかー?」
「んっ……おぅ、先輩様じゃねぇかよ! 御覧の通り、ピンピンしてらぁ! そっちこそどうだよ調子は!?」
「もー、『先輩様』なんて、末席とは言え高弟の席次に行っちゃった君が言うと、嫌味になっちゃうよ?」
「ハハ、悪い悪い! でもま、やっぱ懐かしいよな、こうして会うとよ!」
「だねー!」
扉の前に立ち止まっている時間は、居丈夫自身には短くとも、実際には相応の時間が流れていたのだろう。
いつしか、背後から赤毛の女性魔術師――――この場合『魔女』と言うべきなのだろうか――――に声を掛けられ、会話に花が咲く。
――――懐かしき仲間との再会。今日は世界各地に散らばっている『
アルベルト流魔術』の修練者が、半年に1回集まる、会合の日だったのだ。
(全く、懐かしいぜ……こうやって集まると、ついつい昔を思い出しちまうよなぁ……)
小会議室に収まる程度――――精々が、30から50人くらいだろうか? その程度の人数しか、『アルベルト流魔術』の関係者はいない。
だからこそ、と言うべきか。彼等の横の連帯は、基本的に強いものがあった。
無論、世界各地に散らばっている以上、よほど個人的に親しくなければ、その連帯は活かす事も出来ないものなのだが。
そうした互いの、現在の近況を確認し合う事も、この会合の意図と言えるのかもしれない。
「そういえば、アルクはどうしたの? 君たち、いつも一緒のイメージがあるんだけど……」
「あぁ……あいつならもう会場入りしてんじゃねぇか? もうとっとと先に行っちまったもんだからよ……」
「そっか……アルクも変わんないねー……」
「ハハッ、だな! って……結構顔を合わせてる俺が言うのもどうなのか……」
人数が少ない以上、より近しく共に修練した間柄の相手とは、より打ち解けやすいと言うのもある。言ってみれば『同期』『同窓』に近い雰囲気だろうか。
本来は師匠であるアルベルト=フォルスの主催する、厳格な行事であるはずなのだが、一部の参加者はそれこそ『同窓会』に近い雰囲気を覗かせている。
「ま、初心忘るるべからずって言うのかねぇ……アルクの奴も、師匠の顔を見ると、色々引き締まるんだろうぜ……
それで、久しぶりに顔を合わせる事が出来るってんで、今日を楽しみにしてたみたいだぜ?」
「確かに、色々と思い出すよねー。私は、違う意味で楽しみだったんだけどさー。……って、そろそろ中に入った方が良いのかな?」
「……お、確かに良い時間だな……んじゃ、入ろうぜ!」
立ち話に花が咲いていた2人だったが、集合時間を考えると、そろそろ中へと入った方が良いと判断したようだ。
連れだって、会議室の扉を開ける。
(……本当に、色々思い出すぜ…………昔の事…………『こっち』に来る、前の事まで……色々と、よ……)
既に席についている中には、懐かしい顔もちらほらと見られる。それに会釈を交わして自分の席へと腰を落ちつけながら、居丈夫はふと過去を回想する。
『初心忘るるべからず』……自らが言った言葉だが、本当にこの会合は、それを思い知らされる。
――――本当だったら忘れたい、しかしこの道に足を踏み入れる理由となった、忌々しい過去をまで思い出すきっかけになるのだから。
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――――5年前
風の国。
古い秩序が今も残る、とある伯爵領に、その村はあった。
山の民として、自然の恵みを精一杯に享受しながら。時として不当とも思える領主の搾取に悩まされながらも、平穏な幸せを噛みしめながら。
「レグルスの奴……また薪拾いにかこつけて、遊んどるな?」
「まぁまぁ、良いじゃねぇかよ。あいつみたいな体力自慢がいりゃ、村も安泰ってもんだろ?」
「そりゃそうじゃが……お、狩人連中がそろそろ出発するのか?」
「あぁ……今日は大物を狙うんだとよ」
村人は、それぞれに日々の糧を得るために、働いていた。ある者は畑を、ある者は山を、それぞれの仕事場として。
そんな様子を眺めながら、村の長老は縄を編み、子供に勉強を教える。
「おっ、お嬢ちゃん……それがお父ちゃんのエルジオ土産かい?」
「うん! 日の光に当ててると、それだけで動いてくれる時計! 朝になると起こしてくれるんだよ!」
「ほー……流石首都だぜ。そんな品物があるなんてよぉ……」
機械製品や、科学の恩恵には遠いが、その分長閑な幸せを、彼等は噛みしめていた。
この様な小さなコミュニティでは当然の事かもしれないが、その中の連帯なども非常に固く、彼等はみんな親しかった。
「……ところで爺、村長が領主さまの屋敷に行ったの、昨日だったよな……?」
「うむ……このところ税の取り立てが厳しすぎるからの……陳情に行ったはずなんじゃが……どうしたんじゃろうな……」
――――その幸せが、もうすぐ壊れてしまう事に、彼等は気づいていない。
もし気づいていたとしても、それを回避する事が、はたして彼等に出来たのかは――――もう、分からない。
「――――ハッ、おぉりゃあッ!」
分け入った山林の中、気合の声が辺りに響く。そして木立ちの中に、荒々しく動き回る、1つの影。
側に、縄でまとめられた薪を置いたまま、樫の棍棒を振り回す、1人の居丈夫の姿だった。
「ッッ…………ふぅ……あー、今日もいい汗かいたぜ……!」
鋭く弧を描く様に棍を振り回していたその動作を止めて、居丈夫は一息入れる。
――――山道と言うのは基本的に危険が多い為、山に分け入る人間は厚手の服装に身を包む。
枝や蔦、植物の棘は言うに及ばず、病気を媒介する虫に刺されない為にも、肌をなるべく露出しない、厚手の服装が要求されるのだ。
汗を拭うスキンヘッドの居丈夫も、全身の服装はその原則に従い、がっしりとした重厚な服を羽織っていた。
流石に暑いのか、帽子は側に投げ出していたが――――やはり、肌を出さない事をしっかり留意した服装をしている。
そんな姿で、気合を込めながら棒を振り回していれば、暑くなるのも無理は無いだろう。
「けど、まだまだだよなぁ……俺は学がねぇ……その分、強くなってやるんだ……!」
ストレッチを軽く施しながら、居丈夫は唸る。単なる趣味から随分とはまり込んでしまったが、棒術はやはり面白い。
それを修めていく事は、非常に充実感をもたらしてくれるのだ。確かな手応えとして、身体に蓄積されていく。
――――何かに熟達していく事は、日々に喜びを与えてくれる。それが、自分の好きな事と言えば、尚更である。
「あー……とは言え、そろそろ戻らねぇとな……――――――――ッ!?」
しかし、仕事を疎かにしていては、家族や長老から叱られてしまう。
仕事の合間を縫っての修練も限界があると、居丈夫は帽子と薪の束を抱えて立ち上がった――――村の方角から煙が上がっているのを見たのは、その時だった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「おい……なんだよありゃあ!? 警鐘なんか、聞こえてねぇぞ……!」
何か非常事態が起こった事に間違いは無い。居丈夫は薪をその場に放り出し、棍棒片手に慌てて駆けだす。
ただの火事とは思えなかった。その時には、山にも知らせられるように、鐘を打ち鳴らす手はずになっていたはずなのだから。
「…………まさか、領主どもが……!?」
――――頭を掠めたのは、その可能性だった。何かにつけて高い税金を課し、強権的に、一方的に自分たちを抑圧してくる、頭の痛い存在。
つい昨日、村長がそれに対して正式に抗議をするために、領主の城へと出発したと言うのは聞いていたが――――。
「……ともかく、急がねぇと……!」
ともあれ、今は現状を把握するのが先決だった。何かが起こっているのなら、すぐにそれを対処しなければならない。
自分の様な体力馬鹿でも、何かの奴には立つはずだ。人手は、多ければ多いほど良い。
慣れた山道を駆け降りる居丈夫。村はそろそろ見えてくる――――そんな頃合だった。
「――――――――――――――――ッッ!!」
嫌な何か――――予感としか言いようの無い何かを感じる。居丈夫は思わず、その場に踏みとどまってカッと目を見開く。
ここから先に進むのは不味い。根拠も無いはずなのにそんな直感が囁いた。
何か、村へと戻る戻る事は、自分の身に言いようの無い危険を近付ける事になる。そんな予感が。
「……………………っ、この臭い…………!」
鼻に届いてくる――――人の焼ける臭いが、年に1度、あるかないかの葬式の時にのみ嗅ぐ事になるはずの臭いが、それを更に後押しする。
死が、すぐそばにある。もうそれは不確かな感覚ではない。確信が持てるほどの、事実だ。
「……くっそ…………どうなってやがるんだ…………!」
とは言え、行くべき場所と言うのは他にはない。居丈夫は意を決して再び足を走らせる。
自分たちの村に、何かがあったのは間違いないのだ。それを放置していても、仕方が無い。
だが――――認めたくは無かった。その『何か』が、致命的な事態である事は間違いない。
でなければ、こんな死臭など嗅ぐ事になるはずが無い。煙と共に、警鐘が打ち鳴らされているはずだ。残っている村人が、対応に駆り出されているはずだ。
普通だったら、あるはずのものが無い。普通だったら、無いはずのものがある。
そこに、異常の重大さをかぎ取る事は、難しくは無かった。
「…………嘘だろ、嘘だよな…………!!」
冷静に考えれば考えるほど、事態は深刻さを増してくる。
いつしか居丈夫は、それを打ち消すための言葉を、無意識に呟いていた。村へと足を進めながら、うわ言のように口の中で繰り返していた。
認めたくないという思いが、無意識のうちにそれを呟かせていた。そうでもしなければ、心が押しつぶされてしまいそうだったから。
死の臭いは、それだけ重大な事実を、断片として居丈夫に伝えてくるものだった。
それでも居丈夫は進む。事態を把握しなければならないから。他に出来る事も無いから。
――――そして、居丈夫は後悔する事になる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……うっ、な……ぅ、なんだよこれ!?」
――――村に入る前から、それは転がっていた。顔見知りの、惨殺死体。
槍によるものと思われる、身体を突き破る傷跡が、入口付近に転がっている死体に残っていた。
ある者は胸元を、ある者は腹部を、またある者は頭部を――――もはや一部が砕け散ってしまっている頭を残して、もの言わぬ躯として転がっている。
血が、肉片が、そして脳の一部が、身体からこぼれて地面を汚す。
「う、ぅ…………ぅぅううううわぁぁぁぁぁぁッッ!!」
とても正気を保てない。居丈夫はそれを尻目に走りだした。そんな死体、とても見てはいられない。
だが、その足は村の中へと向いている。「見なければならない」と言う理性が、まだ残っていたのだ。
自分の家は、家族は無事なのか。他に誰か生き残っていないのか。それを確かめるべく。
もっとも――――心はとうに悲鳴を上げていた。走り出す必要も無かったのに走り出したのは、やはり本心では逃げたかったからだ。
「ッッ――――――――爺さん、爺さん!!」
そして見つけた、長老の身体を抱き起こそうとする居丈夫。こんな所に倒れていてはダメだ。ちゃんと起こして手当てしないと――――――――。
――――『ボチャリ』
「ひぅっっ!!」
――――――――斬りつけられて殺されたのだろう。抱き上げた長老の身体から、力無く左腕が千切れ落ちる。
血だまりの中に落ちた左腕が、飛沫を飛ばして居丈夫の腕を汚す。
抱きあげられた時にだらりと垂らされた、身体に残る右腕が、地面に奇妙な血文字の様な線を、指で描いていた。
「ぁぁああぁあぁ、ぁぁぁあぁあぁぁ…………!!」
――――そっと亡骸を、血だまりの中に下ろす。手を離してしまっては、また血しぶきを飛ばす事になっていたからだ。
そんな『場違いな理性』も、この場合は『狂気』と言うのだろうか?
「――――父さん……父さん、母さん……!! 父さんッ!!」
嵐の如くかき乱される居丈夫の心に残ったのは、後1つだけ――――自分の肉親の安否だ。
痛いほどに右手に樫の棍棒を握り締めながら、居丈夫は再び走る――――否、上手く走れない。
以前、茶目っ気を起こして限界まで走りまくった時だって、ここまで息は苦しくならなかった。ここまで身体が疲れて萎えたりはしなかった。
身体が空回りする。ふわふわと、意識だけがどこかへ行ってしまいそうだ。夢の中で走る様に、身体が思う様に動かない。
――――夢の一種には違いないだろう。これは悪夢だ。それも、覚める事が無い――――。
「う、わっ……!! う、うぅ…………!!」
誰かの死体を踏みつけて、派手に転んでしまった。不安定な足場を踏み抜いた為だろうか、足首が痛む。捻ってしまったのかもしれない。
だが――――居丈夫はそれを、知覚出来ない。こみ上げてくる激情は、そんな『情報』を処理できない程に荒れ狂っていた。
とにかく立ち上がる。痛みを訴える足首の神経の声を、脳は聞き届けない。居丈夫の意志は、ただ走る事だけを脳へと命令する。命令中枢のはずの脳へと。
村の中心からやや外れた、自分の家へと身体を向かわせる。その命令が、まだ身体へと届いている内に――――――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「う……っ、…………父さん、母さん…………!」
家の前に辿りついた居丈夫は、息を整えながら、そう己に確かめる。
今は、ともあれその確認だけはしなければならない。今の自分にとって、それ以上に大事な事など無いのだ。
確認して、その後は――――その後の事など、今考えられる事ではない。とにかく、今は父と母の安否の確認を――――――――。
「……………………っ、……………………?」
その時――――何かが視界の隅で揺れた。
自宅の脇に生えている、大木が、その視界の隅に映っている。
燃え残ったのだろうか? ……例えそうだとしても、枝など熱だけで焼き払われ、風に揺らめくような葉など、残っているはずもない。
なら、何が揺れたのか? ――――――――――――――――恐らく、それを目にした事は、居丈夫にとって痛恨の、後悔を生み出したのだろう。
「…………………………………………?」
真正面から視界に入れた当初は、それが何なのか、よく分からなかった。
意識は正常に働いている。決して、思考がフリーズを起こしたと言う訳ではない。本当に、目に入ったそれが何なのか、よく分からなかったのだ。
――――その感覚を、これから味わう事になるとも知らずに、疲れた中にも訝しげな表情を浮かべて、居丈夫はそれを凝視する。
「…………………………………………、ぁ……………………」
奇妙な何かが、木からぶら下がっているのだ。例えるなら、『奇妙な果実』の様な何かが――――黒ずんだ何かが。
――――やがて、ピタリと意識が止まる。それが何なのか分かったから。それ以上の事を考えては、どうにかなりそうだったから。
――――――――黒焦げに焼かれた両親の死体が、木からこれ見よがしに吊るされている事を。
「――――――――っ、――――――――――――――――――――――――――――――――!!」
声にならない声を上げて、居丈夫は木に飛びつく。よじ登ろうとして、やはり身体が上手く動かず、その場にひっくり返る。
――――なんであんな死に方をしているんだ。せめて下ろさなければ、両親が…………可愛そう? 痛々しい? ――――ともかく、ひどい。
「わぁぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁぁぁあああぁッッ!! っっんぅ、がああぁぁぁぁぁあぁぁあぁぁ!!」
叫び声すら空回っていた状況は過ぎ去り、思いきり悲鳴を上げながら、居丈夫は尚も木をよじ登ろうとしては、根元にドサリと落ちる。
何度も何度も繰り返し――――結局、両親の亡骸を落としてやる事さえ、出来なかった。
思わず、その場にへたり込む居丈夫。精根尽き果てて、燃え尽きてしまった様に感じられた。
「お……う、……だよ。……も……、……………り………う…」
「……!?」
立ち上がる気力さえも失った居丈夫の耳に、どこからか声が聞こえてくる。この期に及んで、何なのだ――――絶望的な表情を浮かべたまま、居丈夫は音源を探す。
「おー…、…こえるかい? 起きる…か…だよ。今日も……日、良い日…ありま…よ……!」
女の子が、倒れていた。その手に、ソーラー電池式の、目覚まし時計を――――自慢げに見せびらかしていた、エルジオ土産の一品を、固く握りしめながら。
壊れた様に、がさついた音質で、ひたすら設定されたセリフを繰り返していた。それを聞く人など、もういないと言うのに。
「――――ぅぅぅうあああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」
「…日も一日、元…で頑張ろ…『バキャリ!!』――――――――」
そんな声を聞いていては、本当にどうにかなってしまいそうだった。こんな事があったのに――――そんな声を聞いている事に、耐えられる訳がない。
居丈夫は思わず、棍棒を時計目掛けて振り下ろした。棍棒は綺麗な弧を描き、時計を砕く。小さなソーラーパネルが、割れて転がった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「畜生!! 畜生、畜生、畜生…………ッ!!」
村人たちの亡骸を前に、居丈夫はくず折れてひたすら涙を流す事しか出来なかった。
それ以外に、何ができると言うのか。なにもかも、壊れてしまった。なにもかも、死んでしまった。なにもかも、なにもかも。
――――今になって、足首が痛む。今になって、色んな悲しみが胸を打つ。恐怖と衝撃が過ぎ去れば――――自分の体は、こんなにも参っていたのか。
「……いたぞ! 生き残りだ!!」
「……!?」
その時、誰かの怒号が聞こえてきた。先ほどの時計の様な、機械の声ではない、明らかに生きてる人間の声である。
顔を上げた居丈夫の目に飛び込んできたのは、甲冑に身を包んだ、5人の兵士。
――――その甲冑には、領主のシンボルがしっかりと、刻みつけられていた。
「さあ、我々と共に来てもらおうか!! 手向かうなら、この場で始末するぞ!!」
高圧的な言葉――――権力を傘にきて、領主の兵士が横暴な振る舞いをするのは、よく知っていた。
だが――――今この時は、それを看過出来る気がしない。居丈夫は、ふらりと立ち上がりながら、右手の棍に力を込める。
「…………村がこんなになってるのは……お前らの仕業か……?」
「領主様の命令だ!! 税を納めないお前らなど、殺されて然るべき存在と言う事だなぁ!!」
「――――――――ッッ!!」
それを聞いた瞬間、居丈夫の感情は振り切れた。身体が軽くなる。痛みや苦しみがどこかに吹き飛ぶ。ただ、この連中を殺さなければならないと、魂が叫んでいた。
振るった棍棒は、兜を横から打ちつける。そして、わずかな隙間が見えた瞬間、そこに思いきり突きを見舞った。
「ご、ぅあ……!!」
喉の潰れる音がして、その兵士は脱力し、その場に倒れた。恐らく、首がへし折れたのだろう――――即死だ。
「ッッ!! こいつを殺せ!!」
「来やがれこのド畜生がぁぁぁ!!」
仲間が潰されたのを見るや――――あまりに一瞬で、咄嗟の対応ができなかったのだろう――――兵士たちは散開して、居丈夫を包囲に掛かる。
そのまま、隙を見て居丈夫を殺そうと言うのだろう。危険な状況に追い込まれた居丈夫は、それでも怒りのままに吼え狂い、全て殴り殺そうと叫んだ。
――――その時だった。突如、どこからともなく『矢』が飛び込んできて、兵士たちを撃つ。
「うわっ!?」「な、なんだ!?」
「――――っ、好機!!」
その矢は甲冑を貫くほどの力は無い。だが、ともあれ居丈夫にはチャンスだった。その隙に、居丈夫は、棍を振るって兵士を打つ。
兜を殴り飛ばす。そこに更に矢が射こまれる。兵士の頭に矢が突き立ち、ゴリッと音を響かせて、頭蓋骨を割り砕く。
第三波の矢が飛んでくる。残った兵士2人の兜の隙間に見事に命中し、兵士が倒れ伏す。兜の中から血がトロトロとこぼれてくる。
残った一人に、居丈夫は全身全霊の一撃を放つ――――兜ごと、最後の兵士の首があらぬ方向へと折れ曲がる。後ろ前を向いたような恰好のまま、その兵士も倒れた。
――――居丈夫を囲っていた兵士たちは、こうして全滅した。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「レグルス、大丈夫か!?」
「お、お前ら……! 無事だったのか!!」
居丈夫を呼ぶ声に、ハッとして顔を上げる。矢を射こんできたのは、村の狩猟団――――獲物を取るために山に入っていた一派だったのだ。
「間に合ってよかった! お前だけでも生きてたんだな! ともかく、今はここを離れるのが先決だ! ついてこい!」
「あ、あぁ……だけど、どこに?」
「山の中に、村の猟師が使う休憩所がある! そこに一端退くぞ!」
「わ、分かった!!」
6人の青年たちに導かれ、居丈夫もその場を後にする。
ここは既に、領主の配下の連中が抑えているだろう。そんな中に居たままでは、殺して下さいと言っている様なものだ。
とるものもとりあえず、一行はその場を後にした。
「ここか……ガキの頃、ふざけて来て以来だな……」
――――山小屋。7人の青年たちは、そこに飛び込んでようやく一息つく事が出来た。
「……レグルス。お前のおやっさんも……」
「……みんな、死んじまったよ……! 俺の親父とお袋だけじゃねぇ……! 爺さんも、ガキ達も、みんな……!」
「……やっぱり、そうか……ッ」
身体が休まると、次にやってくるのは、先ほど目のあたりにした、凄惨な事実に対する、心の反応。
その場にいる面々は、みんな顔を俯け、それぞれのやり方で自分の心を鎮めようとする。
「……領主の奴は……」
「……?」
「領主の奴は、今回の事……どう落とし前つけるつもりなんだろうか……? こんな事、いくら領主とは言え、軽々に出来る事じゃ、ねぇだろ……!?」
心の傷に対する対処の1つは、その傷から目を逸らし、別の何かに意識を向ける事である。
居丈夫は、ふと気になったその事――――領主とは言え、こんな事を出来るのか――――と言う事を、何気なく口に出してみた。
「……落とし前なんて、つける必要ねぇんだよ。多分……」
「……え?」
「前に村長から聞いたんだけどよ……俺たちに掛かってる税金……風の国本来の、300%だって話だぜ?」
「……嘘だろ? なんだってそんな額を……!」
「……100%は普通に処理して、100%で『上の連中』の機嫌を取って目こぼししてもらって……残る100%を、自分たちの懐に入れてるって話だ……
そうすりゃ、後は本当かどうか分からない理由をつけてしまえば、領主の権限って奴で、なんとでもなる……」
猟師の青年が口にした言葉は、居丈夫にはにわかに信じがたい事だった。しかし、そう考えれば、納得のいく話もある。
ああも領主やその下の兵士が好き勝手出来るのは、中央政府の縛りを緩くする、何らかの手を打っているから――――そう考えると、確かにありうる話だ。
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「……くそったれ……許しておけるかよ、そんな事……! そんな事の為に、俺たちの家族は、みんな殺されたのかよ!!」
「レグルス……なら、どうするつもりなんだ?」
「……みんな、俺はやるぜ……例え死ぬ事になっても、一矢報いてみせる……! どっちにしろ、あの兵士たちを殺した以上、俺たちは賊扱いだ……!
だったら、奴等相手にとことんまでやってやろうじゃねぇか!」
――――居丈夫の様に、その悲しみを怒りへと変換して、何かにぶつけるのも、自分の心を守る、防衛反応だ。
そうした理屈を抜きにしても、居丈夫は領主たちが許せなかったのは事実である。要するに自分たちは、搾取できなければ潰すと言う、家畜の如き扱いをされたのだ。
そんな事の為に、家族や隣人たちは殺され、あのような目に遭わされたのだ。
その怒り、領主たちにぶつけなければ、とても収まらない。
「……だが、レグルス……勝算はあるのか?」
「勝算? だったら聞くがよ、このまま逃げ続けて、逃げ切れると思うか? だったら、抵抗した方がずっと建設的だろうが!
それに、俺たちは素人って訳でもないだろ!? 俺にはこの棒が、お前らには弓矢と狩りの道具があるだろうが!」
「それはそうかもしれないが……しかし、俺たちは7人しかいないんだぞ?」
「仲間なんざ、探せば済む話じゃねぇか! どうせあの領主のやる事だ、不満を持ってるのは俺たちだけじゃねぇだろ!」
「そ……それは良いとして、どうするんだよ……俺たちには、帰る場所ももう無いんだ。いずれ追い詰められるぞ?」
「言っただろ、一矢報いるんだって! それに、俺たちにはこの山があるだろう!?
ここが俺たちの居場所だ! それに、あの兵士どもなんかより、俺らがよっぽどこの山を理解してるじゃねぇか!」
「…………!」
蜂起を促す居丈夫の言葉に、難色を示していた面々も、徐々にその表情を固めていく。
人数も練度も、領主の率いる兵士たちに比べて低い。なら、自分たちは地の利と士気を以って戦えば良い。
このまま逃げても、いずれは重罪人として、処断されるのも目に見えている。なら、居丈夫の言う通り、一矢報いた方が良い。
更に、自分たちから搾取出来なくなった分は、伯爵領の別の村から吸い上げる事になるだろう。それらの面々も、自分たちと同じようになる可能性がある。
――――――――猟師の青年たちの瞳も、居丈夫と同じ様に、怒りの炎を帯び始めた。
「レグルス……俺たちは、帰る場所も家族も、みんな失ったんだ……!
……だから、俺たちの命、お前に預けてもいいか!?」
「おう……そうこなくっちゃよ! このまま泣き寝入りして、あっさり殺されてたまるかってんだ!
俺たちは、そんな死に方するために生きてきた訳じゃねぇだろ! なら、そんな死に方を強いてくるあの連中に、抗わなくてどうするんだよ!」
「……そうだ……みんなの仇、俺たちがとってやるぜ!!」
――――小さな山小屋の中に、青年たちの怒りと、悲しみと、奮起の声が響く。
奪われた怒りは、何より大きい。失った悲しみは、何より大きい。だからこそ、彼等は奮起する。
自分たちが奴隷ではないと言う事を、証明するために。
――――結果として、居丈夫の言う通りとなった。
やってきた討伐隊は、地形を活かした戦いと、あらかじめこしらえていた罠を以って、撃退する事が出来た。
これに勢いを受けて、彼らは他村の強制徴収の現場を襲撃した。自分たちと同じ様に殺戮されそうだったその場に飛び込み、兵士たちと戦った。
その姿に、村人たちも蜂起して、青年たちに加勢し、領主の兵隊を打ち負かした。
彼等を仲間に引き入れた居丈夫は、それらを『山賊団』として編成する。そして、山に自分たちの砦を築き、堅固な守りを固めていった。
その傍ら、領主の金庫や食糧庫を襲撃。一進一退の攻防を続けつつ、劣勢になれば砦に籠り、罠を以って敗走させる、と言う日々が続いた。
気づけば、山賊団は800人を数え、伯爵領における最大の抗民勢力となっていた。
――――1人の棒術使いの怒りが、巨大な山賊を作り上げるに至ったのである。
最終更新:2013年03月19日 16:51