雷の国――――熱帯に位置するこの国では、雨季ともなれば頻繁に豪雨に見舞われる。
故に、特に機械技術の成熟を見る前のこの地方では、晴耕雨読の生活様式がごく一般的なものだった。
――――『その青年』も、そうした雷の国で生まれ育った、ごくごく普通の一人の人間に過ぎなかった――――はず、なのである。
世界の平和など、夢想に過ぎない。世の中の事を分かっている人は、みんなそう言う。
人間の歴史を紐解いてみても、どうやらそれが正解らしい。学校でも、図書館でも、本を開けば人間の歴史は戦争の歴史なんだと、飽きるほどに書いてある。
でも、本当に人間は相争う事しか出来ないんだろうか?
いや、それ以前に。人間は人間同士でいつまでも争っていて良いんだろうか?
誰かが、人間同士の戦争を止めなきゃいけない。それは、多分みんな分かってる事なんだ。
でも、誰にもそれは出来ない。出来ないから、今の歴史の積み重ねがある。
そして、これからもずっと、人間は戦いを続けるのかもしれない。手遅れになるその時まで。
サラサラと走るペンの音が止まり、コトリと鉛筆が机に投げ出される。
質素な作りの殺風景な部屋の中で、青年は蝋燭の明かりを頼りに、ノートに日記を書き綴っていた。
日常の感じた事、疑問に思う事、それらに対する自分の想い。それらを書き綴っていけば、いつかその先に自分の行くべき道が見えると、信じているから。
――――もしかしたら、思春期特有の思い込みなのかもしれない。やってる事を冷静に考えれば、軟弱な行為だと父に笑われるだろう。
だけど、それでも自分は自分の道を貫きたい。その為には、確かな道筋を見出して行かなければならないのだ。
このまま、家の後を継いで一農夫として生きていくのも、別に悪い事ではないと思う。しかし、それだけで終わる人生というのも、勿体なく思う。
特に、人間同士の争い――――戦争を、永久にこの世界から無くす手段を。それを見出す事が出来るなら、そのチャンスがあるのなら絶対にモノにしたい。
次に世の中が乱れれば、それに巻き込まれるのは自分たち。友人や家族なのかもしれないのだから。
「……そろそろ寝なきゃな。明日は休みだから、朝から父さんの手伝いがあるし……」
そう呟くと、青年は蝋燭の火を吹き消し、粗末なベッドに潜り込む。
夜の内に、また一雨降りそうだ。もはや子供の頃から親しんだ夜の雨音は、子守歌代わりの様なものである。
取り留めの無い胸の内の疑問に想いを巡らせながら、やがて青年の意識は眠りの中へと落ちていった。
学校に通いながら家の手伝いをする、一人の青年。やはり彼も、そうしたごく普通の農家の青年であったらしい。
ただ一つ、特筆すべき事があるとするなら、学業への熱心さと、それに見合うだけの優秀さを、持ち合わせていた。
この時、彼を知る誰もが幸せな彼の未来図を、思い描いていたに違いない。それなりに大きな仕事を成し遂げ、ささやかな幸せを手に入れる、と言う――――。
だが、誰も知らなかった。彼の中に、鬱屈した世界への疑問と不信が、培われていた事を。
あるいは彼自身すら、それを自覚してはいなかったのかもしれない。ただ、世の中の矛盾を解決したいと考えていただけなのだから。
それが、人間そのものに対する彼自身の見方を、少しづつ変容させているとは、彼自身終ぞ知らなかったのだ。
――――だが、既にこれは過去の
出来事。そして、規定された現在に至るまでの過程は、既に決定されている。
彼がこの後、どういう道を辿るのか。それは既に、不可逆的に決定されている事なのだ。
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フラースの大学への入学が決まった。父さんも母さんも、学校の、近所のみんなも喜んでくれる。
道が開けた。これから僕は、自分の力で自分の道を切り開いていく事が出来る。
父さん母さんと離れ離れになってしまうのは寂しいけど、二人とも「頑張ってこい」と、笑って送り出してくれる。
どこまでも、限りなくどこまでも、力と知識を伸ばしていける。今から楽しみで仕方が無い。
ペンを走らせる音が止まった。フッと笑顔を曇らせて、どこか遠慮しがちに、続きの文章が綴られる。
人間同士の戦いを終わらせるのは「全てに勝ちを収める事」が必要だと言う事も分かった。
人間は、人間同士で戦うんじゃない。『外』と、相容れない『敵』と戦っているんだ。
例え強引であっても、人間を人間として一括りにしてしまう事が出来れば、恐らく人間同士の戦いは無くなるだろう。
同じ信仰があれば、共に生きていける。同じ言葉があれば、確実に意志は通じる。同じ文化に属すれば、日常の摩擦は無くなる。
今の時代、それをするには『力』が必要になってくる。だからこそ、僕も頑張っていかなきゃならない。
もうそれ以上戦う必要の無い『最後の勝利』を手に入れる為に、人間はみんな戦い続けているはずだから。
晴れ晴れとした笑顔は既にそこになく、青年の表情は何かを決意した様な強張ったものになっていた。
青年が考え、悩み、自分なりに情報に触れ続けて、出した答えはそれだったのだ。
――――戦いをなくすには、戦う必要の無い世の中を作らなければならない。しかし、それは今の世の中、既に不可能に近い。
いや、時勢も関係なく、穏健な手段での平和はそもそも実現不可能であると、考えざるを得なかった。
ずっと学び続けてきた人間の歴史は、正に『力が全てを支配する』と言う他にないものだったのだから。
個人と個人の争いは、国家が裁いてくれる。それは、国家には法律があり、それを行使する強制力があるからだ。
しかし、国家と国家の争いはどうなるのか――――国家を裁ける法廷など、この世には存在しない。
それ以上に遡って、何かに属する事の出来ない集団。それがつまり『国家』であり『社会』なのだろう。
だから、それら同士の戦いともなれば、後は力をこそルールとするしかない。
あるいは、国家を超えた共通の精神文化――――即ち『宗教』にその役割を求める事が出来るのかもしれない。
同じ神を信奉していれば、大抵は信徒同士の争いは、宗教は戒めてくれる。それを生きる指標にしている人間同士の争いは、無くなるだろう。
――――だが、宗教も結局は『国家』とは別の、限界のある集団に過ぎなかった。
宗教同士の対立が起これば、そこにもまた争いが、そして戦争が発生する。そして宗教に生きる人間にとっては、国家よりもより裏切り難い絶対の存在である以上、より性質が悪かった。
結局、どの宗教も最後の勝利を収める事無く、やがて人の心は信仰そのものから離れ始めてしまった。
――――それらを全てぶっ飛ばし、世界を全て統一させる事。それこそが、考え得る最も現実的な『平和への道』だったのだ。
「平和の為の戦争」と言えば、人はそれを矛盾していると言う。だが、結局力なくして平和は実現などしないのだ。
本当に人間が平和に互いを尊重できるなら、国家と国家はさっさと平和的に統一されているだろう。
結局、『外』の人間と同和する事が出来ないから、人間は『国家』と言うコミュニティに属し、そこの一員であろうとする。
コミュニティの『中』でだけ手を取り合い、『外』とは手を取り合う事が出来ないから。だからこの世界は国家を必要とするのだ。
なら――――力を以って強制的に、世界統一の国家を築きあげ、全ての人間を世界そのものに属させるしかない。
綺麗事では、何一つ解決したりしないのだから。
「おいどうした? 今日は御馳走だぞ。早く来い」
「あ……今行くよ、父さん」
――――家族との最後の食事が、出来あがったらしい。今はこれ以上考える必要もないだろう。
青年は、日記を荷造りの荷物の中へと放り込み、部屋を後にした。
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ぼんやり光るモニターの前で、青年は疲れた様子で背筋を伸ばしていた。
このコンピュータと言うものは、非常に素晴らしい機能を持っているのだが、いかんせん中々使いこなせない。
しかし、農村に居た頃は分からなかったが、今の時代、最先端の研究を行う為には、これが必要らしい。
人間の手では3日は掛かる複雑な計算式を、ものの10秒かそこらで片付けてしまうと言うのだから。
その使いこなしも含めて、青年は備えつけのコンピュータに、記憶媒体のディスクを使って日記を書きこむ練習をしていたのだ。
ココデハ マイニチガ シゲキニ ミチテイル
センセイノ オシエル ナイヨウモ ゼンリョクデ ベンキョウ シナケレバ オイツケナイ
ナカマタチモ ソレゾレニ ユメニムケテ ガンバッテ ベンキョウシテ イル
コノママ イツマデモ スゴシテイタイ クライダ
「……手書きに比べて、読みづらいな……でも、タイピングの練習にもなるし……こうやって触れてないと、中々追いつけないな……
……僕も、田舎者だなぁ……と言っても、みんながみんな、コンピュータに触れてた訳でもないはずだけど……」
思わず愚痴をこぼす。
――――この時代、文字は最低限の出力しか出来ない。ましてや、本来は計算用の機械に過ぎないのだから、文字といくつかの記号ぐらいしか打てなくても仕方がないだろう。
簡単な文字しか打てないが、これでも外部記憶装置とモニター一体型の、最新鋭のコンピュータなのだ。文句を言っても仕方が無い。
これから、勉強する研究の内容はどんどん複雑化していく。その為には、このコンピュータもより使いこなして行かなければならないだろう。
手書きの方が便利じゃないか、とぶつぶつ文句を言いながらも、青年は慣れない手つきで文章を打ち込んでいく。
ニンゲンノ センソウモ ドンドン キョウリョクナ ヘイキガ ツカワレテ イル
ソレニ オイツクニハ ボクモ ツヨイヘイキヲ ツクレルヨウニ ナラナケレバ ナラナイ
ヨノナカハ ハイテクニ ナッテイク コノ フベンナ コンピュータモ イズレ モットベンリニ ナルダロウ
カテナケレバ ナニモ ハジマラナイ セカイヲ ヘイワニ スルタメニ ゼッタイニ カタナケレバ ナラナイ
カミガミノ サイゴノ センソウヲ ラグナロクト イウラシイ
セカイハイズレ サイゴノセンソウヲ シナケレバ ナラナイ ソレヲ ボクガ シナケレバ ナラナイ
カツタメニハ ドンナ シュダンデモ ツカワナケレバ イケナイダロウ
「全く……ひどく読みづらいじゃないか……せめて、文字の色だけでも変えられればなぁ……
でも、モニターの関係上、色は変えられないって言うし……書き文字と数字記号の併用もできないし……
……これから、出来る様になっていくとは思うんだけど……」
苦笑しながら、文章を保存してコンピュータの電源を落とし、まるでレコードの様なディスクを抜きだす。
これでは便利なのかなんなのか、良く分からない。しかし、日ごとに同じ大学の中で、このコンピュータに関する研究も進んでいるのだ。ならば、機能もどんどん充実化していくだろう。
――――青年はコンピュータの未来よりも、人間の未来を考えていかなければならないのだ。
「勝つためには、どんな手段でも、使わなければならないだろう」
自分が先ほど書いた文章を思い返す。世界の全てを統一させると言う事は、「世界に勝つ」と言う事そのものだ。
本当に世界を平和にさせたいのなら、その不可能に近い事を実現させなければならない。その為に、自分は今大学にいるのだ。
――――両親の顔がチラリと頭をかすめるが、これはもう決めた事なのだ。
今まで以上に、学業に身を入れなければならない。そして、あらゆる場面で勝利を得られるような、戦いの手段を作り上げなければならない。
すっかり暗くなった夜道を、下宿へと向けて歩いて行った。
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――――時は流れた。
青年は大学を卒業後、兵器開発の為に工業メーカーに勤める様になった。
機械兵器と、付け焼刃ながらも生物兵器に関する知識も修めていた青年は、取り付かれた様に開発への情熱を傾けた。
それは、学生時代に機械と生物の両方を勉強していた時の様に、やはり周囲の人間を驚愕させ、呆れさせるほどの勢いだったのだ。
だが、それは同時に青年の苦難の始まりでもあった。
非人道的な兵器は使ってはならない――――青年の時代の読みは外れ、戦争にも『ルール』が作られ始めていたのだ。
あらゆる手段を活用して、勝つために戦わなければならない。青年はそう考えて、この道を選んだと言うのに。
やがて、空回りする情熱は周囲との軋轢を生み始め、程なく青年は姿を眩ませてしまった。
勝利を手にする手段を、雷の国の『軍』から見切りをつけ、テロリストの専属研究者に転身したのである。
しかし、それは同時に青年自身の良心との戦いでもあった。
確かに、あらゆる兵器を開発する自由は手に入れた。しかし、自分の理性は必要だと考えていても、感情がそれを認めないと言う事が増えてきたのだ。
理想と現実のはざまで。青年自身が想いもしなかった形で、彼もまた苦しむ事になるのである。
――――そうして、青年は『青年』と呼ばれる時機を過ぎ、更に時は流れた。
「うああああああああああああああああッッ!!」
暗い部屋の中、コンピュータに向かっていた男性は、突如喚き声を上げて、立ち上がる。ガタンと椅子が倒れた。
側に備えてつけてあった電気スタンドを引き倒すと、本棚目掛けて振り下ろす。
バチッとショートする音を響かせて、部屋が真っ暗になった。更に本棚から本がバタバタと零れ落ちる。
フゥッ……フゥッ……と、まるで獣の様な荒い息が、真っ暗な部屋の中に不気味に響き渡る。
その中に、ぼんやりとモニターの発光の光だけが浮かび上がっていた。
もうイヤだ。おれはこんなことがしたかったんじゃない。
ニンゲンのノウにデンキョクをさしこんで、エイキョウをはかるだの、ドウブツがくだけちるほどのキョウシンザイをカイハツするだの、そんなことがしたかったんじゃない。
たしかに、あらたなヘイキはヒツヨウだ。だが、こんなことをするカチがどこにあるというのか。
……いや、カチはあるはずなのだ。サイシュウショウリという、かけがえのないカチが。
いままでしてきたことをムダにするなら、このままこのミチをあるきつづけるほうが、ただしいのだろう。
というよりも、いままでしてきたことをムダにするのは、いまいじょうのタイザイだといったほうがいいのかもしれない。
かたなければならない。かたなければ、なにもかもムダになってしまう。だが、このままでは、ニンゲンとしてイミのないショウリしかつかめない。
どんなシュダンをもちいても、かたなければならない。そう、わかっているはずなのに……。
こうやって、まよっていることはツミなんだろうか。じぶんのカコをうらぎりたいんだろうか。
……セカイをうごかすことのつらさというのは、こういうことなんだろうか。カミのレベルのおこないにてをだした、むくいなんだろうか。
どっちにしても、おれはこのままくるしみつづけるしかないのかもしれない。
そこには、男性の苦しみが溢れていた。「世界を平和へと導く為の最終勝利を目指す。その為に、あらゆる手段を行使する」と言う、男性の道は、進退極まり始めていたのだ。
何かもを度外視して、ただ勝利の為だけに。そう思っていたはずの男性であっても、人間としての苦しみから逃れられるはずもなかったのだ。
もはや、開発する意味すら分からなくなる、狂気に偏った兵器の数々。そして、その為に日々繰り返される罪業。
もう限界だと、男性の心が叫んでいた。しかし、今この生き方を翻すのは、今までの道行を全て否定する事。それも、出来るはずもなかった。
「うっ……くそぉ…………――――――――畜生ぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!!」
もう耐えられないとばかりに、男性は部屋を飛び出す。せめて、何か心の慰めでもなければ、到底耐えられなかった。
だが、反社会的行動をしている身分である以上、迂闊な事は出来ない――――大した慰めを得る事も出来ないまま、男性は苦しむ事しか出来なかった。
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あらたな「こじんけいこうようショックガン」のイリョクは、たいしたものになっている。
ニンゲンのノウが、どれほどのショックでゲンカイをむかえるのか、ケンキュウしたことは、けっしてムダにはならなかったようだ。
ドウジに、クウキチュウでカクサンしてしまうデンキを、うまくホウシャするホウホウもカイハツできた。これは、あらたなホウコウへオウヨウがきくだろう。
さらに、センノウようのヤクヒンのカイハツもジュンチョウにすすんでいる。テイキテキなトウヨがヒツヨウだが、イシキそのものにサヨウするのはたしかだ。
――――あらゆるカノウセイがかんがえられる。つかえるシュダンは、すべてカイタクしておかなければならない。
センノウにしても、あのクスリがカンペキであるとはおもわない。ほかにも、シュダンやノウハウをチクセキするヒツヨウがあるだろう。
「そうだ……今のままでは、足りはしない……!
もっと、もっと極めなければ……!」
モニターに向かう男性の瞳には、狂気の光が爛々と輝いていた。
悩んで悩んで、悩み続けて――――結果として、男性は狂気を芽生えさせ、己の良心を完膚なきまでに殺してしまっていた。
もう、迷いはしない。悩む理由などない。ただ、勝つためにあらゆる手段を行使する。それだけを考えていれば良いのだ。
「フフ……クフハハハ……! そうだ、何を悩んでいたんだ……!
俺は、この世界の愚かさに幕を引く人間だ……! 世界の……人間同士の戦争を、超越的な力で終結させて、現実的平和を実現させる……ッ!
『最終勝利』こそが、『悠久秩序』を樹立する為の、唯一の手段……! 世界は、俺の手で終わりを迎えて、新たに生まれ変わる……ッ!
愚かな世界は死んで、新しく賢明な世界は、俺の手で生み出されるんだ……ッ!」
志は今でも、しっかりと男性の中に掲げられている――――ひどく、その形を歪めながら。
世界の平和を――――矛盾しない現実としての、世界の平和を目指していた男性の願いは、世界を蹂躙して地均しすると言う、最悪の方法を見出した。
若い頃から気付かなかった歪みは、狂気を孕む事で、最悪の形で現出したのである。
真っ当に銃や爆弾を作っていた頃の方が、ずっと幸せだっただろう。今となっては、もう戻れない――――人間らしい心を取り戻す事は、出来なかった。
ヒケンシャがあげるヒメイをきくのが、サイキンたのしくなってきた。それはつまり、おれのモクテキがカンセイにちかづいているアカシなのだから。
つぎは、どうやってあいつらをくるしめてやろうか。ジョウホウをひきだすためのゴウモンも、いろいろとかんがえなければならない。
こればっかりは、コジンのやりかたのモホウになるだろうが、しかしゲンダイにはゲンダイのホウホウが、きっとあるはずだ。
やるべきことはつきない。そして、そのたのしみもつきない。セカイにかつためには、ゼンリョクをハッキしなければならないのだから。
そしてそれは、つねにシンセンなオドロキと、ヨロコビにみちている。
「凍った人間を湯につければ簡単に千切れ落ちる……そんな事、実際にやってみるまで分からなかったもんだ……!
同じ様な驚きが、きっとまだまだ溢れているはずだ……! 俺は、必ず……!」
一端モニターから目を離して、満足げに中空を仰ぎ見る。その先に、自らの研究・開発のビジョンでも見ているのだろうか。
――――やがて、やけに神妙な表情で、続きの日記をタイピングしていく。
だが、ケッキョクこうしたセイカをつかうのは、みんなニンゲンなのだ。ジッサイにたたかうのは、ニンゲンなのだ。
なら、やはりニンゲンそのものもまた、キョウカしていかなければならないだろう。
ニンゲンをつよくするのは、ソウビであるのはもちろんだが、ニンゲンがニンゲンのままでは、おのずゲンカイがある。
「ニンゲンをこえるニンゲン」……いつかつくらなければならないだろう。また、キソからのケンキュウになりそうだが。
だがなにより、ニンゲンにカクジツにかつためには、それがいずれヒツヨウとなるはずなのだ。
「新種の人間……あるいは、人工的に強化した人間……サイボーグ、か?
現実的には、不可能だって言われているが……勝つためには、それくらいの事はしなければならないかもな……」
神妙な表情の奥で、新たな愉悦を求める狂気の光が、瞳の奥で輝いていた――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……………………む、おっ?
やれやれ……なんだか、人生をもう一度走り抜けてきた気がするのぉ……こんな夢を見るとは思わなんだ……」
デスクに頬杖をついていた老人が、目を覚ました。いつの間にかうたた寝をしてしまっていたらしい。
全力で走りぬけてきた半生を――――いや、もはや人生の全容と言って良いだろう、それを思い返す。
若い頃は色々と迷走し、悩んだりもしてきた。だが、何も変わってはいない。全ては、あの青年期の時の誓いのままに今まで生きてきた。
世界に対して最終勝利を収め、悠久の秩序を築く為に。その為に、今の今まで生きてきたのだ。
今では縁あって、
カノッサ機関で幹部級として活動する事も出来た。ここならば、自分の理想と寸分違わない活動ができるだろう。
「……久しぶりに、日記も書いてみるとするかのぉ……」
おもむろにスリープ状態のパソコンを起動させると、何らかの実験資料が表示されている画面を閉じて、テキストエディタを起動させる。
思えば、今まで随分と時間が掛かってしまった。だが、同時にこの様な修羅の道に至りながら、96のこの歳まで生きてこられた事が、まず幸運だったのだろう。
今では、もはや何もかも、発想のほとんどを形にしてしまえるほどに、技術は進歩した。同時に、若い頃には思いもよらなかったアイディアが湧いてくる。
せこせこと、銃だの爆弾だのの個人用火器だけしか作れなかった頃とは、もう違うのだ。
サイボーグ、生物兵器……それも、単なる新種のウィルスなどではない「兵器としての生物」を生み出す事になるとは、あの頃は想像もしていなかった。
だが、それでもなお、わしらの邪魔をする奴らに対して、勝ちには及んでいない。それが歯がゆくてしょうがない。
今では国だけではなく、義勇的に立ち上がってきた連中の方がよっぽど脅威になるのだから、世の中も変わったと言えるだろう。
奴らの愚かな正義や求める主義など、断じて認める気は無い。
「全ての人間が手を取り合う事が、世界の幸福の前提条件」であると、信じ切っている。それでは世界は緩慢に腐るだけだと言うのに。
どれほどおかしい事なのか、言ってしまえばこういう事だ。
「甘くて辛くてしょっぱくて、キレがあってコクがありつつまろやかな旨みこそ、至高の味だ」と。
本当に馬鹿な連中だ。頭を使って出した答えがそれとは……もはや、怒りを通り越して絶望すら感じる。
そんなもの、あるはずがないし、もし実在したとして、それほどグロテスクなものなどあり得ないと言うのに。
人生の終わり際になって、私の命は夕日の様に沈もうとしている。その前に、最終勝利を成し遂げなければ。
私は人生の黄昏に、最終勝利と言う綺麗な夕焼けを、見る事が出来るのだろうか?
「……そう、世界に絶対の筋金を……絶対の価値観を植え込む為なんじゃ……負けてなぞ、おられんわい……!」
混沌を望む機関の中で、最終勝利などあり得るのか。それを自分に問いかけた事もある。
だが、世界の全てが混沌であり続ける事ができたなら、それは「混沌と言う名の秩序」となる。それを生きてる人間全てが忘れなければ、何も問題はない。
その為に――――如何なる犠牲を払ってでも、自分は戦い続けなければならないのだ。
「さて……少し息抜きするかのぉ。どれ……『殺人ジュース』はどこまで出来たんだったかの!?」
日記を保存し閉じると、そこにはプライベートの表情を覗かせた好々爺がいた。無論、その瞳の狂気は今も輝くままに。
老人は、今個人的にハマっている研究があった。仕事の範疇を超えて、息抜きにやっている研究である。
「『殺人的な味覚』とは言うが……中々難しいもんじゃのぉ……」
それは「純粋な『不味さ』だけで人を殺す事は出来るのか」と言う、途方もなく愚かな研究だった。
だが、興味が向いてしまった以上、突き詰めずにはいられない。それは、良心を捨てて狂気に墜ちたあの時から、変わらなかった老人の性分だった。
毒でもなく、人体にそぐわない物質でもなく、過剰摂取でもない。それで人間を味覚のショックだけで殺すジュースは作れるのか。
老人にとっての楽しい夜は、まだまだ始まったばかりである。
最終更新:2013年06月30日 23:24