実作に入る段階(場合によってはプロットの段階)で決めておかなければならないのが、人称の選択である。一般的には一人称と三人称が用いられるが、一人称と三人称を混在させる、あるいは複数の登場人物が、場面ごとに交替で一人称で語るといった手法もある。後者二つについては、叙述方法の変更によって読み手の混乱が起きやすい、やりすぎると散漫な印象になるなど、問題点も多々あるので、用いる際には注意が必要である。
実際には、物語の性格や分量などを考慮に入れた上で、一人称か三人称を選択するのが現実的だろう。それ以外の手法を選択するのは、「一人称や三人称では絶対に表現できない何か」があり、加えてそれを第三者に対して納得できるように説明できる場合に限った方がよい。
一人称では、物語の語り手(この人物が主人公とは限らない)が、実際に見聞き、行動したことを、語り手自身の視点で綴っていく(私が〜した、ぼくは〜を見た、など)。この方法のメリットは、語り手の心の内面を深く描写できる、という点につきよう。また、語り手の視点がそのまま読み手の視点となるため、適切な人物造形がなされれば読み手が語り手に対して共感を得やすい、という点も見逃せない。
ただし、一人称による叙述では、視点が一人の語り手に固定されているため、制限が多いという点も忘れてはならない。
語り手とは別の場所で起こっている出来事の描写がやりにくい(別の人物からの伝聞などといった手法に頼らざるを得ないため、そこで物語が途切れてしまう)、ほかの人物の心理描写を行うことができない(厳密には、ほかの人物の様子を見て語り手が内面を推し量る、という叙述は可能)などはその最たるものである。
無論、それらの制限を利用する手法もある。読み手には秘しておきたい重要な場面を目隠しする、他人の心理状態の変化を伏せることで、恋愛小説などでは読み手にこの先の展開を期待させる、などといったことも可能となる。
対して三人称は、物語を登場人物の外側から語っていく(彼は〜した、彼女は〜といった、など)。一人称に比較すると描写の自由度が高い点が最大のメリットである。視点の制限はゆるく、登場人物の心理描写についても、「まったくしない」から「一人称並みに緻密に」まで、自由に描写することができる。その点を利用して、あえて伏せておきたい主人公の思考(過去の思い出など)を恣意的に描写しない、といった手法も可能となる。
最終更新:2007年04月29日 10:14