ナイトウィザード!クロスSS超☆保管庫

第15話01

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月と星と柊と

 それは、百八柱の古代神が、未だ世界の創造に従事していた頃のこと。

「ベッルちゃんっ! あっそぼっ!」
「嫌よ! アンタなんか、顔も見たくないわ!」

 ベルは誤解の余地のない拒否の言葉を投げつけて身を翻し、メイオルティスをその場に残して去ろうとしたのだが。
 このヤンデレ神は(いつものように)総てを自らに都合良く解釈し、屈託のない笑みを浮かべて歓声をあげた。

「あ、分かった! ベルちゃんは鬼ごっこがしたいんだね! じゃ、まずはあたしが鬼ね!」
「違うわよ! 寄ってくんじゃないわよ!」

 そして、メイオの宣言どおり、未完の世界を舞台に神同士の鬼ごっこが始まった。

 空間転移と高速飛行、更には次元移動を繰り返し。
 地水火風の精霊界の海を泳ぎ、数多の世界を走り抜け。
 攻性魔力の塊を背後へとばら撒いて弾幕を張り。
 追いすがる天敵から逃げ回ること数時間。

「ふう。どうにか撒いたみたいね。って、ここドコよ?!」

 やっとの思いでメイオを振り切ったベルは、見知らぬ世界に身を置いていた。

「今日はアステートとの約束があるから早く帰らないといけないってのに! ったく、もう!!」

 憤慨しつつ周囲を見渡せば、眼下には、緑なす沃土が広がっていた。
 落ち着いて、ジッと目を凝らしてみる。
 其処では大勢の純朴そうな人間達が、或いは田畑を耕し、或いは家畜の放牧をしつつ、敬虔に神への祈りを捧げていた。

「へぇ。なかなか良く出来た世界じゃないの。これなら超至高神も喜びそうね」

 ベル達百八柱の神々が世界を創っているのは、人間を繁殖させて愛と安らぎの念に満ちたプラーナを精製させる為だった。
 何故なら、超至高神が(後世、俗にエンディヴィエ本体と呼ばれる事となる)超存在から受けた傷を癒すには、それが最も効果的であったから。
 つまり、穏やかな人々が静かに安心して暮らせる世界こそが、神々の目指す理想の世界なのだ。

 世界の出来栄えに感服するベルの前で、地上から信仰心に満ちたプラーナが大量に立ち昇り、同じ方向に向かって行った。
 その流れを何の気無しに目で追えば、雲上に聳える石造りの立派な神殿の、壁に掘り込まれた紋章が、その主が誰であるかを告げていた。

「あれって……確か、エルヴィデンスの紋章よね? てことは、ここはエル=ネイシアなのね」

 ベルはエルヴィデンスとは大して親しい間柄ではなかったが、大層仕事熱心で、超至高神の信任も厚いと聞いていた。
 また、他の神々や、共に世界創生を行っている精霊王達からも随分と頼りにされているのだとか。

「そうね。エルヴィデンスからメイオの奴に一言言ってもらおうかしら」

 彼女なら、きっとメイオの横暴も治めてくれるだろう。
 そう、他力本願に考えて、ベルは神殿へと足を向けた。



「―でさぁ、メイオの奴がウザくってさぁ、もう始末に負えなくて困ってるのよ。アンタからも一遍、ガツンと言ってやってくんない?」
「ほう、ほう。其れは困ったものだなぁ……」

 黒衣に身を包んだ創造の女神は喋りまくるベルの方を見向きもせず、ガリガリと音を立てて鉄筆で石版に何やら文字を刻み続けていた。
 一通り話し終えたベルは、あまりに素気無い態度に眉を寄せ、黒衣の女神の机の前に立ち、フードに隠された顔を覗き込んだ。

「ちょっと、他神(たにん)の話を聞くときは相手の顔を見なさいよ、って、まあ、こんだけ仕事溜まってちゃー、無理もないか」

 ベルは一旦抗議の声を挙げかけたが、すぐに思い直し、肩を竦めて周囲を見渡した。

 神殿の一角に設けられた女神の書斎は、堆く積み上げられた大量の石版によって足の踏み場も無く。
 ベルが愚痴を零し続ける間にも、大勢の下僕モンスター達が絶え間なく部屋を出入りして。
 書きあがった石版を何処かに運び出しては、何も掘り込まれていない石版や何かの資料となる石版を彼らの女神の傍らに積み上げていた。

(随分と忙しそうね。ひょっとして、邪魔しちゃったかしら?)

 今更ながら、自分の行動を省みてみる。
 いや、自分の来訪は、仕事の合間の良い気晴らしになった筈だ。
 希望的観測で自分を誤魔化したところで、ベルは――多分、延々と喋り続けた所為だろう――ふと、喉の渇きを覚えた。

 お茶を頼もう。

 そう思った瞬間、ウーパールーパーのヌイグルミに羽根と角を付けたような外見の精霊が目の前に現れ、スッと紅茶を差し出した。

「ドウゾ」
「あら、気が利くわね。いただくわ」

 当然のように受け取り、口を付ける。適度な甘さと豊かな風味が口内を満たし、ベルは思わず口笛を吹いた。

「ヒュウ。アンタんトコの下僕、結構使えるじゃない。ウチの落し子どもより有能そうね」
「そうか……ああ、そうだろうなぁ……」

 折角、世辞を言ってやったと言うのに、女神はそっけなく応じて休みなく鉄筆を走らせ続けた。
 黒ローブのフードを目深に被っている為、表情を伺う事が出来ないが、声の調子から察するに、どうも機嫌が悪いらしい。

「どしたの? 何か嫌な事でもあった?」
「ああ、それはだな―」

 不穏な気配を感じ取ったベルの問いにエルヴィデンスが答えようとした、その時。

「エルちゃーん。ちわわー」

 神殿の入り口から厄病神の声が響き、ベルは思わず怖気を震った。

「やばっ! メイオだわ! あ、あたしがココに来たって事は言わないでくれる?」
「ああ、良いぞ」
「恩に着るわ!」

 積み上げられた石版の陰にベルが身を潜めるや、否や。
 屈託のない笑顔を満面に浮かべたメイオルティスが、勢いよく扉を開けて飛び込んで来た。
 乱暴に開けられた扉の金具が悲鳴を上げて壁から外れ、エルヴィデンスは不機嫌を絵に描いたような顔を石版から上げた。
 途端、迸った鬼気も、それを避けるべく慌てて主の視界から逃げ出した下僕達をも気に留めず、メイオは無邪気な声を出した。

「エルちゃん、おひさー。ベルちゃん見なかった?」
「見てはおらんな」

 嘘ではなかった。彼女はずっと、石版から顔を上げなかったから。

「ふーん。じゃー、ベルちゃんが今ドコにいるかも知らないんだね」
「ああ。知らんな」

 嘘ではなかった。ベルが今"この部屋の"何処にいるか、彼女は確認していなかったから。

「ふーん。残念だなー。にしても、すごい仕事量だね。エルちゃんは出来る子だって、超至高神も褒めてたよ」
「ああ、そうか。そんな事より自分の仕事は済んだのか、メイオ」
「もっちろん! 終わったから、これからベルちゃんと遊ぶの!」
「暇なら他の奴を手伝ってやれ。火の精霊王のカーンが、神手(ひとで)が足りんと愚痴っておったぞ」
「そうなの? じゃ、ベルちゃんを見付けたら一緒に行くよ。でも、ベルちゃんったら、一体ドコに行っちゃったんだろ?」

 頬に人差し指を当てて小首を傾げるメイオを捨て置き、エルヴィデンスは再び石版に鉄筆を走らせた。
 書き終えた石版を山と積まれた石版の上に乗せ、うーんと一つ、大きく伸びをする。
 そして、書き終えた石版の山を、訓練された下僕が淀みない動作で運び出すのを見送って。
 別の下僕の差し出した石版を受け取り、再び鉄筆を走らせる。

 その様子を、部屋の隅で息を潜めたベルがはらはらしながら窺っているとは露知らず。
 メイオは暫し無言でエルヴィデンスの仕事風景を見つめた後、一縷の望みを抱いた様子で口を開いた。

「ねぇ、エルちゃんはベルちゃんが行きそうなトコ、心当たりない?」
「ふむ。そうだな」

 エルヴィデンスは筆を止め、また別の石版を手に取ってガリガリと何やら書き込んでメイオに向けて突き出した。

「この場所で待っておれば、そのうち会えるのではないかな?」
「ほんと?! 嬉しいなぁ! やっぱり、エルちゃんは頼りになるの!」

 メイオは石版を抱きしめて小躍りし、「じゃ、早速行ってみるね!」と叫ぶや神殿の壁をブチ破り、砲弾のように外に飛び出して行った。
 再び顔を上げたエルヴィデンスが執務室の壁に開いた大穴に溜息を吐くや、下僕の一人が「心得た」と言った風情で進み出る。
 魔道具・逆さ時計の針をキリリッと巻き戻し、破壊された壁を速やかに復元した下僕は、自らの女神の微笑に頬を染めつつ一礼して退出した。
 それから暫し間を置いて、ベルは――気配を探り、メイオがエル=ネイシアを去ったのを確信して――石版の山の陰から姿を現した。

「ふう。助かったわ。やっぱり、アンタは頼りになるわね、エルヴィデンス」
「何、私も、お前とは一度ゆっくりと話をしたいと思っておったのでな。良い機会だと思っているのだよ」
「へえ? アンタがあたしと?」

 礼を述べたベルは、意外な台詞に片眉を跳ね上げた。
 自分は何か、この仕事中毒気味な黒衣の女神の注意を引くような真似をしただろうか?
 お互いに年に数度、遠目に姿を垣間見る機会があるかどうか、と言う程度の間柄でしかない筈なのだが。

「少し待ってくれるか? あと一息で一区切りつくのだ」
「う、うん? 別にいいけど……」

 ベルが思い悩む間も、エルヴィデンスは時折資料に目を向けつつ石版に文字を刻み続けた。
 脇目も振らずに仕事に没頭し、ベルやメイオの話にも上の空だったのが気になったベルは、眉を顰めてエルヴィデンスの正面に立った。

「あんまし根を詰めすぎると身体壊すわよ? さっきから何をそんなに熱心に書いてるのよ?」
「知りたいか?」

 手を止め、幽鬼のような仕草でユラリと席を立ったエルヴィデンスの声は、まるで冥界の腐沼の底から響くかのようで。
 呪詛を孕んだ言葉と、敵意に満ちた思念を浴びせられ、ベルは急に胃を冷たい手に捕まれたかのような錯覚に襲われた。

 噴き出した憎悪に全身を打たれ、ビクリと身体を振るわせる。
 巨大な掌に頭を抑え付けられる幻覚に襲われる。
 胸を押し潰されそうな、強烈な圧迫感に苦しめられる。

(なんで? なんで、この女は、こんなにもあたしを憎んでるの?)

 思い当たる節は何もない。何もないのだが、目の前の女神が激しく自分を恨んでいるのは間違いない。
 混乱したベルの鼻先に、書き上げあげられたばかりの石版が突きつけられ、一読するや瞬時に疑問が氷解した。
 そこには、見覚えのある地名が並んでいた。つい先月まで、ベル自身が創世に従事していた世界のものだ。
 どうやら、そこで大規模な天変地異が起こり、大惨事になったらしい。
 そして、超至高神から災害復旧と原因究明を命じられたエルヴィデンスは、多忙を極めた後、次のような結論に達していた。
 即ち、今回の災害は創世を担当したベール=ゼファーの手抜き工事が原因である、と。

「えー……えーと……そのー……」

 たった今、紅茶を飲んだばかりだと言うのに、ベルの口の中はカラカラに干からび、舌が上顎に張り付いて動かなくなっていた。
 エルヴィデンスは全身からそこはかとない疲労感を漂わせ、予想外の事態に言葉を失ったベルへと静かに歩み寄る。
 その様子は、人間で言えば「ずっと会社に缶詰になってて、一ヶ月くらい家に帰ってません」という状態に相当するだろう。

「私はな。自分の割り当て分の仕事は、もうとっくの昔に済ませているのだよ。
 エル=ネイシアの土台は一通り出来上がり、後は様子を見ながら微調整を加えるだけなのだ。
 そうして、その後は、ゆっくりと下僕達の育成を楽しめる筈だったのだよ。それが、その筈が……」

 声が震え、後は言葉に成らなかった。

 仕事というモノは、「しない奴」の所から「する奴」の所へ流れていくものなのである。
 上司にしてみれば、働かない奴を無理矢理働かせるよりも、働く奴に遣らせる方がずっと楽だ。
 が、だからといって一人に仕事を集中させれば、その有能な人材は過労で倒れてしまい、結果、役立たずだけが組織に残る。
 そうならないように職場を管理し、適切に仕事を割り振るのが管理職の役目ではあるのだが、超至高神は自分が楽な方を選んだらしかった。

「なぁ、ベール=ゼファー。どうして貴様は何事につけて、すぐに手抜きをするのだ?」
「あー……えーと……そのー」
「どうして貴様は真面目に働こうとしないのだ? なぁ?」
「いや、えと、その……」

 鬼気迫る風情で詰め寄るエルヴィデンスの言葉よりも迫力に押され、ベルは思わず一歩後退った。
 意味もなくグルグルと回る頭で、大急ぎで対策を講じる。
 大きく深呼吸をし、気を静める。同性すら魅了する(と、自分では信じて疑わない)蟲惑的な笑みを浮かべる。
 そして、精一杯可愛らしい声で、こう言った。

「働いたら負けかな、って思って」
「くたばれ地獄で懺悔しろ」

 冗談の通じない奴だ。

「貴様がダラダラと過ごしている間、私がどれだけ働いていると思っているのだ?
 貴様に遣らせるより私に遣らせた方が早いからと、超至高神が割り当てた仕事の配分がどれ程偏っているか分かっているのか?
 貴様の手抜き工事が原因で起きた事故の処理を、私が何十件押し付けられたか知っているのか?
 貴様は何故、いつもいつも致命的に詰めが甘いのだ?
 何故だ? 何故、私が貴様の怠慢のツケを支払わねばならんのだ?」
「う……うう……」

 ネチネチネチ。

「個々の仕事はな、別段大した問題ではないのだ。だがな。片付けても、片付けても、すぐにまた次の仕事が来るのだよ。
 私だって、私だってな、こんな雑用はさっさと済ませて、可愛い可愛い下僕達を愛でる作業に戻りたいのだよ。
 それが、それが貴様の怠慢の所為で、この部屋と事故現場を往復する毎日だ。もう何日も下界の様子を伺う暇も無いのだよ」
「う……うう……」

 グチグチグチ。

「貴様がサボった分の皺寄せに私が苦しんでいる間、貴様はと言えば、メイオとじゃれ合ったり、アステートと遊んだり、アチコチ食べ歩きを楽しみおって。
 働かずに喰う飯は美味いか? 暴食の女王よ」
「ぐ……ぐ、ぐう……」

 エルヴィデンスの舌鋒に胸を抉られながら、ベルは必死で反論の糸口を探し、猛スピードで思考した。

(落ち着いて……落ち着くのよ、ベール=ゼファー……言われっぱなしで済ますなんて、絶対に認められな―)
「一大事だよ、エルヴィデンス!」

 ベルが何かしら返す言葉を見つけるよりも、早く。
 突如、荒々しく扉が開かれ、上品な雰囲気の老婦人が慌てた様子で飛び込んで来た。

「エデンが、第九世界が自壊を始めていてね。急いで修復しなきゃならないんで、一緒に来てくれないかね」
「がっでむ!」

 抑えきれぬ怒りの赴くまま振り回された腕が、偶然にも近くを通りかかった下僕に当たってその場に打ち倒す。

「あ、ちょっと、かわいそうかも」

 最愛の女神から謂われない暴力を受けた下僕に同情したベルは、エルヴィデンスに声をかけようとしたが、それよりも一瞬早く、現実を把握した下僕は、慌てて跳ね起きて、もの凄い勢いで部屋を飛び出して行った。

「みんなー、見てみてみてー! 女神様に触ってもらっちゃったーー! ほら、ここ! 痕がついてるだろー?」
「うわーいいなー」「うらやましーなー」

「下僕って……」

 廊下の向こうから聞こえる歓喜に満ちた下僕の声が、ベルから、語るべき言葉を奪い去った。

「流石、よく躾けているね。エルヴィデンス」
「煽てても何も出んぞ、ラサ」
「いやソレ皮肉でしょ? 常識的に考えて」
「そんな事よりも、だ!」

 ベルの呟きで逸れ掛けた会話を荒々しく断ち切り、後に邪神と呼ばれる事となる女神は乱暴に床を踏みつけた。
 次いで、凶報を齎した地の精霊王へと憤怒も露に向き直り、常人ならば死を免れぬほどの殺気を吹き付けて食ってかかる。

「何故、私なのだ? 其処のポンコツに遣らせればよかろうに!
 昨晩クィンティと片付けた事故の報告書を、つい今しがた書き終えたばかりなのだぞ!
 今朝ラシィに頼まれた仕事には、まだ手を着けてさえおらんと言うのに!」
「どうしても、貴女の手腕が必要なんだよ。
 ただでとは言わないよ。地の精霊界からエル=ネイシアへのプラーナ供給量を増やすからさ。
 エルクラムを抜いて第三世界になれるくらいにね」
「む、それは一考に値するが」

 ラサの申し出に、エルヴィデンスは胸の前で腕を組んで考えるそぶりを見せ、脈ありと見た地の精霊王が更に畳みかける。

(あ、これってチャンスかも?! )

 仕事熱心な二柱の女神が交渉を始めるや、ベルはこっそりと戸口の方へにじり寄り……
 機を見計らい、一気に外へと飛び出した。

「あああああたしは、これで失礼するわ! じゃね!」
「待て、ベール=ゼファー! まだ話は済んでおらんぞ!」

 こうして、ベルはエルヴィデンスの怒声を背に受けながら、大慌てでエル=ネイシアを後にしたのだった。



「で、その後アステートと食事に出掛けたら、行った先でメイオの奴が待っててさぁ、折角の一時がダイナシよ。
 あの陰険ババァ、あたしのお気に入りのデートスポットをメイオにバラしやがって!
 おまけにエデンを直すとき、あたしの貯蔵庫から勝手にプラーナ持ち出したのよ? ったく、もう!」
「何故、エルヴィデンス様は、その場所の事をご存知だったのでしょう?」
「何でも、あたしを捕まえて説教かまそうと、あたしが立ち寄りそうなトコを下僕に調べさせてたらしいわね」
「よほど、腹に据えかねていたのでしょうね……」

 ベルの思い出話を聞かされたリオンが、鎮痛な表情で首を振った。
 ここは、裏界の一角に聳える蝿の女王の居城。
 窓の外で巨大な歯車の回転する私室で、ベルはエルヴィデンスとの過去の因縁を振り返っていた。

「ま、あンときの借りは今回の件で返してやったわ。あのババァ、さぞかし悔しがってるでしょーね」
「……他の古代神の計画を妨害して、出てくる台詞がそれですか?」
「にしても、さぁ。アンゼロットが柊蓮司を殺したいほど憎んでたってのは意外だったわねー」

 リオンは小さく溜息を吐いたが、ベルはそれに気付かぬまま、小首を傾げて話題を変えた。
 冥界の瘴気を吸収し、冥魔王へと変じて柊蓮司を苦しめたアンゼロットの狂態を思い出し、ぶるりと身体を震わせる。
 あれ程までの悪意と憎悪の持ち主など、裏界の魔王にも居はしない。
 大抵の魔王の脳内は、上位者への恐怖と、それを忘れさせてくれる楽しみの事で埋まっているのだから。

「この書物には、そのような事は書かれていません。
 柊蓮司を妬んでいたのはエルヴィデンス様の方で、アンゼロットは操られていただけです」
「はえ? 何でまた、あのババァが柊蓮司を嫌うのよ?」

 自慢の書物に目を落としたリオンにしたり顔で否定され、ベルは不審気に眉を寄せた。

「エルヴィデンス様は世界の守護者を三人も倒し、今や世界一つを支配下に置いています。
 ですが、あの御方も、今まで常に順風満々に過ごしては来た訳ではありません」
「まあね。古代神戦争に負けたときに『これでもかっ!』ってくらい厳重に封印されたそうだしね。
 総ての下僕から引き離されて、エル=ネイシアに唯一柱だけで閉じ込められて、自力で写し身も造れなくされて。
 それで仕方なく、エルンシャの娘とか、アンゼロットの姉とかに憑依しようとしてたんだっけ?
 アンゼロットが仕事サボった隙に復活した過去2回の戦いでも、ロクに力を発揮出来ずに負けたって聞いたわ」
「ええ。そのとおりです。もっとも、敗れたとはいえ、その戦いでアンゼロットとイクスィムを倒しているのですが」

 どこかのぽんこつとは大違いです、とは口には出さず、ベルの相槌に調子を合わせ、リオンは書物のページに視線を走らせる。

「あの方は世界を奪うために姿を偽ってエルンシャに仕え、全幅の信頼を得るほどに敬虔に振る舞いました。
 あの嫌味な陰険ババァが十年以上もの間、非の打ち所のない聖女を演じ切ったのです。
 恐らく、筆舌に尽くし難い精神的ストレスがあった事でしょう」
「嫌味な陰険ババァて。アンタもけっこう言うわね、リオン」
「対する柊蓮司はと言えば、労せずして、幾度となく世界を救う運命に恵まれています」

 ベルのツッコミをサラリと聞き流し、リオンはパラリと書物のページを繰った。

「知ってのとおり、アンゼロットは長年に渡り、実に乏しい戦力で裏界を封じ続けて来ました。
 それに興味を持ったエルヴィデンス様はアンゼロットの戦果について詳しく調べました。
 そして、もしも御自分が同じ立場にあったならばと思索を巡らせて―
 馬鹿馬鹿しくなってしまったのです。
 碌な訓練も受けておらず、何の思慮もなく、ただただ勢いに任せて暴れるだけで成功し続ける柊蓮司の姿に」

 古女王は政治家だ。
 政治とは、総てを同時に得られはしないと認め、物事に優先順位を着けるものだ。
 言い換えれば、政治とは『何を切り捨てるか』を決めるものだ。

 しかし、もしも。
 もしも、総てを同時に得られるのなら。
 政治なるものは必要がなく、古女王が今まで支払ってきた代償は無駄であった事になる。

 つまり、柊蓮司の在り方は、エルヴィデンスの生き様そのものを否定してしまうだ。

「報われない努力家であるエルヴィデンス様にとって、柊蓮司の存在は決して認められるものではなかったのです」
「それはちょっと、幾らなんでも大げさすぎるんじゃない?」

 ベルが更に首を傾けると、リオンはまた書物のページを繰り、其処に書かれた記述に目を走らせた。

「そうですね。直接刃を交えてみて、エルヴィデンス様も色々と思うところがあったようで。
 もう既に、柊蓮司への憎しみは解消されています」
「まぁ、そうよね。柊蓮司だって、まったくの苦労知らずって訳じゃないんだし」

 今までに柊蓮司が味わってきた不幸の数々に思いを馳せ、ベルは腕を組んでウンウンと頷いた。
 この世の不運を一身に背負ったような顔をした珍獣を「神からも羨まれる幸運児」と呼ばれても違和感しか感じない。
 異世界から結果だけを見れば、或いはそのような勘違いも起こるのかもしれないが。

「それでもさー、やっぱ、アンゼロットを操っていたぶらせるってのは悪趣味にも程があるわ」
「魔王の台詞とも思えない御言葉ですね。
 それに、エルヴィデンス様がアンゼロットを操ったのには、実際的な意味もあったのですよ?」

 古女王は当初、冥魔王と成さしめたエルンシャにアンゼロットを攫わせ、エンディヴィエ封印の間に共に封じる予定だった。
 だが、柊蓮司の尽力によって正気を取り戻したエルンシャがベルの不意打ちを受けて倒れ。
 アンゼロットがショックで放心状態になったのを見て、千載一遇の好機と看做した。
 アンゼロットを洗脳し、八大神に封じられた自らの本体を解放させようと目論んだ。
 だからこそ、アンゼロットを殺そうとしたベルを止める為、より効率良く精神干渉を行う為、ベルの写し身を奪って顕現したのだ。

「現在のエルヴィデンス様は能力の大半を封じられており、そう簡単にはアンゼロットを完全な傀儡にできません。
 そこで、エルヴィデンス様は段階を踏んで洗脳を行う事にしたのです」

 まずは『アンゼロットには、柊蓮司を憎む"理由"がある』と言う事実を利用して『お前は柊蓮司を憎んでいる』と刷り込む。
 次いで、柊蓮司に嗾け、反応を見ながら精神干渉を繰り返し、見事、アンゼロットに柊蓮司を殺させる事が出来たなら―

「アンゼロットの精神は罪の意識によって完全に崩壊し、意思無き人形に成り果てていた筈だったのです」
「うーん、理屈は分かるんだけどさぁ。やっぱ悪趣味だわ、ソレ」
「ベルだって、裏界第二位の実力を持つ大魔王が駆け出しウィザードばかりに手を出しているのですから、趣味が良い方だとは言えませんよ。
 手応えのあるゲームがしたいのなら、どうして天界に攻め込まないのです?」
「ふふっ。分かってないわね、リオン」

 ベルは哀れむようにリオンを哂うと、教え諭すように持論を述べた。

「いい? ゲームってのはね、難易度が高けりゃいいってモンじゃないのよ。
 天界の奴らは戦って面白みのある連中じゃないの。見習いウィザードどもをからかう方がずっと楽しいわ」
「つまり、世界結界の外で直接介入禁止規定のない世界の守護者とガチって雷神王結界陣で動きを封じられて八神魔法を打ち込まれるよりも、
世界結界の内側で手抜きしながら年端もいかない子供にタンブリングダウンとネイティブ絶技符スロウでハメられる方が楽しいのですね。
 良く分かりました」

 いつか殺そう。
 ベルは心に固く誓った。

「それよりも」

 リオンは溜息をついて首を振ると、一転、真面目な顔をベルへと向けた。

「エルヴィデンス様と柊蓮司がギリギリの戦いをしているとき、どうして柊蓮司に手を貸したりしたのですか。
 あの方に恩を売り、政治的立場を強める絶好の機会でありましたのに。
 裏界の魔王が、古代神から世界の守護者を守ってどうします」
「ぐっ!」

 痛いところを突かれたベルは思わず呻き声を漏らすと、じっと自分を見つめるリオンから視線を逸らして口の中でモゴモゴと呟いた。

「ああああのババァは、昔っから気に食わなかったのよ……やたらと説教臭いわ、他人の物を勝手に使うわ、それに……それに……」
「そうは言っても、それらはベルの怠慢が原因なのでは?
 勝手に使ったというプラーナも、元々、世界を創造するために集めたものだったのでしょう?」
「いや、まあ、そうなんだけど……あ、あたしが集めたんだから一言断って当然でしょう?
 今回の件についてだって、その、あのババァの方から縄張りを荒らしに来たんだし……」
「そういうベルだって、エル=ネイシアから神条皇子を攫ってきたではありませんか。
 その言い訳はダブルスタンダードになるのでは?」
「そ、そんなの早い者勝ちでしょ! 皇子の件は、あの子の素質に気付かなかったババァの落ち度よ!」
「それなら、エルヴィデンス様がベルからアンゼロットを奪っても早い者勝ち。今まで倒せなかったベルが悪いと言う事ですね」
「うぐっ!」

 言い返され、言葉に詰まったベルを見つめる視線の温度を若干下げて、リオンは更に追い討ちをかける。

「どう言い訳するおつもりですか?
 このままでは『ベルはアンゼロットの下僕になった』と言いふらされるかもしれません。
 増してや『裏切り者のベルを討ち果たした者には、後見人となって裏界皇帝となるのを手助けしよう』とか言われた日には。
 総ての侵魔が――ひょっとしたら、冥魔王も――ベルの首を取って名を挙げようと、一斉に襲いかかってくるでしょう」
「ま、まっさかぁ。あのババァにそんな影響力あるワケ―」
「本気でそう思いますか?」

 リオンは席を立ち、顔を背けたベルの前に回り込んだ。
 ベルの目をまっすぐに覗き込み、噛んで含めるように、聞き分けのない幼子に言い聞かせるように、静かに、穏やかに言葉を紡ぐ。

「裏界は力が総ての世界です。
 ベル。貴女は輝明学園やダンガルド魔術学校に忍び込んでは、見習いウィザードに見つかって余裕でフルボッコされていますね?
 対して、向こうは世界の守護者を3人も倒しています。シャイマールすらも遥かに凌ぐ戦果を挙げているのです。
 どちらが強そうに見えるか、わざわざ説明が必要ですか?」
「ぐ……ぐぐぐ……」
「ベル・フライを慕うBFL団は僅か数万人。その内訳は、何の社会的影響力もない男子高校生ばかり。
 一方、あの方の表の顔であるセルヴィ宰相の支持者は国民のほぼ総て。もちろん、その中には裕福な貴族や高名な神姫も含まれます。
 第八世界と第三世界では色々と条件が異なりますが、それにしても桁が違いすぎるとは思いませんか?」
「ぐ……ぐぬぬぬ……て、あれ? この瘴気は……?」

 リオンに畳み込まれたベルが溜まらず視線を泳がせると、部屋の隅に瘴気が蟠り、一人の少女が姿を現した。

 その身を包むは、茨のようなレースに飾られたドレス。
 右目を覆うは、薔薇の眼帯。
 腰まで伸びた紫髪を靡かせるは、全身から立ち昇る瘴気。
 満面に浮かべるは、亀裂めく禍々しき凶笑。

 冥姫王プリギュラ。エルヴィデンスの盟友たる、冥魔王の一柱だ。

「はぁい、ぽんこつちゃん。遅くなってごめんねぇ。はい、これ。借りてたコンパクト返すわぁ」
「プ、プリギュラ! アンタ今までドコ行ってたのよ?!」
「闇海姫(シャドウ★ネプチューン)ちゃんの具合が悪そうだったからぁ、先にエル=ネイシアまで送ってきたのぉ。
 途中でエルンシャに追いつかれそうになっちゃってぇ、撒くのに苦労したわぁ。
 マトモに戦っても勝てるんだけどぉ、もしも闇海姫ちゃんを拠り代にされたら堪んないものぉ」
「うんうん! そうよねぇ!」

 ベルは話題を逸らすべく、力強くプリギュラの言に同意した。
 蝿取り紙のようにネットリとした喋り方といい、何処となく食虫植物を連想させる雰囲気といい、いけ好かない女ではある。
 だが、リオンの追求から逃げるのには利用出来そうだ。

「ベル。それでエルヴィデンス様には何と言い訳を―」
「ね、ねぇ、プリギュラ! まだ暫くコッチに居られるの? 何だったら、表界をアチコチ案内してあげようか?」

 ベルはリオンの台詞を強引に遮り、不利な話題から逃れる好機とばかりに、勢いよく冥魔王に言葉を掛けた。
 このまま話を有耶無耶にして、プリギュラを連れて表界に逃げてしまおう。

(それに、この女があの陰険ババァのお気に入りなら、手懐けておいて損はないわ)

 急いで策を組み立てたベルが熱心にかき口説くと、プリギュラは唇に人指し指を当てて思案する様子を見せた。

「アキバとか、一緒に行かない? 美味しいドラ焼き屋見つけたのよ」
「んー、それもいーけどぉ、その前に一つ聞きたい事が―」
「何々なに? 何でも聞いてちょうだい!」

 逃げ場を求めて畳みかけたベルに、プリギュラが応じて曰く。

「セルヴィには何て言い訳するのぉ?」

 逃げ場は、なかった。

「なななななんであたしが言い訳なんかしなきゃならないのよ!
 あいつはあたしの獲物を横取りしようとしたんだから当然でしょっ?!」
「自分が何をしたのか、全然分かってないのねぇ、ぽんこつちゃん」

 プリギュラは薔薇の眼帯に覆われていない左目を細め、唇の両端をついっと吊り上げると、蔑みに満ちた瞳でベルを見た。

「アンゼロット一人の足止めも出来ない超☆無能魔王の尻拭いをぉ。
 冥界陣営で唯一、守護者殺しと世界の簒奪の両方を達成した最高の戦果の持ち主がぁ、頼まれもしないのに買って出てくれたのよぉ。
 泣いて喜んで感謝するところじゃないのぉ? それをダイナシにしておいて、その態度は何ぃ?
 縄張りを荒らされた? プライドを傷つけられた? そんな台詞はアンゼロットを倒してから言ったらどうなのよぉ。
 悪い事は言わないわぁ。セルヴィから謝罪と賠償を要求する抗議文が届く前にぃ、自分から詫びを入れたほーが身のためよぉ。
 条件次第じゃあ、わらわも庇ってあげるけどぉ?」
「……言ってくれるじゃないの、プリギュラ」

 冥界の腐沼の底から湧き上がって来たかの如き怨嗟に満ちた声が発せられ、室内が、否、城全体が苛烈な殺気に満たされた。
 だが、駆け出しのウィザード程度ならば、それだけで息の根が止まるであろう重圧を浴びて、尚。
 少女の姿をした冥魔王は、裂けるような笑みを崩さぬまま、冷ややかに裏界の大公を"見下して"いた。
 其の不遜な態度に益々怒りを掻き立てられ、ベルは眉を吊り上げ、頬をヒクつかせて荒々しく椅子を蹴って立ち上がり―

「い、いけません、ベル!」

 それまで黙って見ていたリオンが、額に汗を浮かべ、悲鳴のような声をあげてベルの前に割り込んだ。

「エルヴィデンス様の計画を妨害するのに、今回はあまりにも遣り口が露骨過ぎました。
 パールの時とは違い、今回は相手の方が遥かに格上。
 更に、ルー様の時のように失脚させた訳でもない以上―」

「うっさいわね! アンタはあの陰険ババァをダシにして、あたしをからかいたいだけでしょーが!
 そんなに心配ならアンタが詫びに行ってきなさいよ!」
「あ、ソレ、いーわねぇ」
「は? え、いえ、それは―」

 怯えるリオンに、プリギュラの袖口から一本のリボンが飛んだ。
 闇海姫の強大過ぎる魔力を抑える為に古女王が造った魔道具・クラーケンリボンが頭上で蝶結びを象るや、瞬く間にリオンの姿が縮む。
 そして、数秒後。ベルとプリギュラの前には、一人の2歳児が佇んでいた。

「あ、あら……?」「こ、これは……ちょっと、かわいい……かも?」

 ベルは一瞬呆けた顔になったものの、すぐに気を取り直し、ネズミを見付けた猫のような笑みを浮かべて黒髪の幼女の頭を撫で回した。
 あのいけ好かない陰険ババァも、偶には面白い玩具を作るらしい。

「いー格好ね、リオン。この姿ならブラ付けるの忘れても問題ないわね」
「え? え?」
「じゃ、逝ってきなさい、リオン。ご・武・運・を」
「ちょ、まっ、ベル! まさか本気で言って―」
「さ、鉄子ちゃん。一緒にセルヴィのトコに行きましょうか」
「え? いえ、その……ベル!」

 逃げようとしたリオンの小柄な体躯を素早く抱き上げた冥魔の王は、蝿の女王に目礼一つするや空間転移で姿を消した。

「フン! いーきみよ。たっぷり絞られてくるといいわ。さって、ゲン直しにアキバのうさぎ屋にでも行ってこよっかなー」

 その場に一人残ったベルは誰に言うともなく呟くと、ポンチョを翻し、ドラ焼きを食べに表界へと赴いた。



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