鍋島化け猫騒動

「佐賀化け猫騒動」「白石の化け猫騒動」とも。
肥前35万石鍋島家(現在の佐賀県・長崎県あたり)を舞台にした怪談。江戸時代初期、二代藩主勝茂(かつしげ)の時に起こったとされ、芝居や講談となった。

あらすじ

白石の秀屋形(現在の佐賀県杵島郡白石町)で
ある時、勝茂は家臣、龍造寺又一郎(りゅうぞうじ またいちろう)と碁を打った。その時、些細なことから口論し、勝茂は又一郎を手打ちにしてしまう。

この又一郎の首を、その飼い猫が又一郎の母の元に持ち帰ると、母も自害して果てた。
その怨念を継いだ飼い猫は化け猫猫又?)となり、鍋島家に怪異をもたらす存在となった。

勝茂の子は突然死んでしまい、勝茂自身も病に倒れた。また様々な怪異が佐賀中で起こった。
不審に思った家臣団は寝ずの番をしようとするが、夜になると起きられなくなった。しかし、一人、千布本右衛門(ちぶ もとえもん)は太ももを錐(もしくは脇差)で刺して、起きていた。
すると、勝茂の側室である豊の方が化け猫の本性を現した。本右衛門はこれを退治することに成功する。その後、勝茂も快方に向かい、怪異も消えたという。

背景

戦国時代、肥前を中心として九州における最大勢力の一つとなった竜造寺家は、「沖田畷(おきたなわて)の戦い」で当主や重臣の多くが戦死してしまう。生き残った重臣、鍋島直茂(なおしげ)は、病弱な跡継ぎである龍造寺政家(まさいえ)に代わり国政の実権を握った。
1607年、政家とその子高房が死亡。自然と鍋島家が主家である龍造寺に取って代わり、龍造寺家は滅亡した。
この鍋島と龍造寺の確執が化け猫騒動となって流布したという。

その他

この化け猫は尾が七本で、豊の方を食い殺し、それに化けたという。また、完全に退治はされておらず、今も生きていると言われる。

この後、千布家は祟られてしまったので、祠を建てて猫の供養をした。祠は現在、佐賀県杵島郡白石町の秀林寺にある。
最終更新:2005年09月28日 22:06