猫又とは、日本の妖怪である。

 尻尾が二股に分かれた、かなりでかい猫であるとされる。
畔田伴存『古名録』72を引く南方熊楠によれば、目は猫の如く、状(かたち)は犬の如くして長し、という。
 藤原定家『明月記』に登場する、人を襲う猫又(1233年)は、狂犬病にかかった犬なのではないかと言われる。

 南方熊楠は、『大和本草』にある「猫または(支那で)金花猫という」を紹介した上、「猫狗」*1が「猫跨」になり猫又になった可能性を示唆した上で、中国の文献に出る「ドウテイ*2」の和名「マタ」が、ドウという多分おさる*3が、『明月記』の怪物は「目が猫みたい」なのでこれが猫マタと命名され、猫跨から尻尾が分岐しぃのなんのとなったのではとする*4。また荒俣宏『世界大博物図鑑』によれば、津軽では狒々と同類とされる*5

多田克己によれば、飼い猫が、
a暗い所で毛先から根元にかけて体毛を逆になでると光る(『本朝食鑑』)
b行燈の油などを舐める(『和漢三才図絵』)
c尾が長くうねって蛇のように見える
d腐臭に誘われて死体に寄っていく
e尾が二股に分かれる、
 また人のいないときに自分で火を興す(『画図百器徒然袋』の「五徳猫」)という兆しのあったのちに猫又になるという*6

 手拭いを被って踊る、死体を操る他、喋るという特徴もある。多田克己は、「寺で飼われていた」猫が年を経ると喋るようだとし、「京都の静養院の猫」が踊りを誘いに来た近所の猫と立ち話をした、あるいは江戸増上寺の脇寺の飼いネコが落下する際「南無三宝」と叫んだという話の他*7、根岸鎮衛『耳嚢』の話にある、江戸牛込山伏長のお寺で、飼われていた推定年齢1桁歳の猫が、鳥を獲り損ねて「残念なり」と言うのを、聴いた和尚さんにつかまりナイフを突きつけられ正体を明かせと言われた猫が
「いやペットは十年飼われてると人語くらい操れるようになるじゃないですか」
といったうえ自身は「狐と猫のハーフ」なので喋れるといった、話のみ*8を載せるが、同耳嚢には、「鳥の捕獲に失敗し「残念なり」と言った猫が飼い主に問い詰められた」フォーマットで、お侍が、喋ったペットを捕まえて確認するとソレが
「何にも言ってないもん!!」
と答えたため、そこの家では猫の飼育が禁止された、という話も収録されている*9

参考資料
 『南方熊楠全集第六巻』『猫又』
 『南方熊楠全集第四巻』『猫又』
 多田克己『幻想世界の住人たち4 日本篇』
 荒俣宏『世界大博物図鑑
 根岸鎮衛『耳嚢』岩波文庫上中巻
 村上健司『日本妖怪大事典』

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最終更新:2021年08月20日 16:25

*1 『南方熊楠全集第4巻』556頁によれば、『徒然草』の「襲うのが猫怪獣だと思ったらわんこだった話」の他に、近衛天皇の久安六年七月、近江、美濃の山内へ現れ、子供を喰らい損なった奇獣を「猫狗」と言ったという話が『百練抄』第七にあるそうな

*2 どう(豸+柔)てい(豸+廷) 

*3 南方先生は『全集6巻』503頁の『猫又』で「よく睡る」点から「多分キツネザルの伝聞」である可能性を示唆している

*4 『南方熊楠全集第6巻』平凡社刊505頁

*5世界大博物図鑑 第5巻』135頁

*6 多田克己『幻想世界の住人たち4 日本篇』433~434頁

*7 多田克己『幻想世界の住人たち4 日本篇』434頁

*8 根岸肥前守鎮衛『耳嚢』岩波文庫中巻35頁

*9 根岸肥前守鎮衛『耳嚢』岩波文庫中巻359頁