恵果(746~805)
(1)空海の師である
中国の僧。
真言宗の第七祖。幼くして出家し
不空に師事。20歳で金剛界の修法を授かり伝法阿闍梨となった。その後、22歳で
善無畏門下の玄超から胎蔵界の修法を授かり、
密教で初めて『金剛頂経』と『大日経』の二大経典の法統を受け継ぎ統一させた。
中国『青龍寺』の主として、三代の皇帝(代宗・徳宗・順宗)に信任を受けたことから「三朝の国師」と呼ばれた。802年に病を煩い、以後、健康状態はあまり芳しくなかったが、805年、日本からの留学生である
空海に3ヵ月間に渡り
密教の全てを伝え、その数ヵ月後に60歳で亡くなる。空海が恵果のもとに訪れた際、「お前が来ることは知っていた。今日か明日かとずっと待っていたが、とにかく間にあって良かった」と述べたという。
(2)恵果のもとには、中国全土はおろか海外からも弟子が集まり、その数は伸べ千人を超えているものの、恵果より金胎両部の秘法を全て授かった者は少ない。そのうち、恵果の正嫡と呼ばれる義操と空海の2人は、それぞれ中国密教と日本密教の中心的な人物に、また、新羅から修行に来ていた恵日と悟真は朝鮮半島に密教を広めることとなる。これは「人を選んで法を伝える」という密教の教えに従ったと同時に、恵果が密教をより多くの国々に広く伝えたいと願っていたからだといわれる。
参考
学研 真言密教の本
ナツメ社 図解雑学 空海
最終更新:2006年06月13日 22:40