円仁(794~864)
(1)下野国(栃木県)に生まれ、九歳で仏門に入り十五歳で
最澄に弟子入りする。四十三歳の時に入唐請益僧となる。
天台宗の総本山である『天台山』『五台山』に詣でようとしたが、その許可を当初は得る事が出来ず、かわりに揚州海陵県開元寺にて『悉曇』と
密教の金剛界法なども学んだ。しかし、翌年には帰国することとなった『円仁』だが、嵐でふたたび唐土に押し戻され、しばらく逗留したが、そのさい巡礼を許されたという。
そして
天台宗教学、
密教教学を学んだが、その際
道教による廃仏運動の騒ぎに巻き込まれた。そこで道士に変装し難を逃れたという。
帰国後公家から多くの庇護を受け、数々の事業を成功させた。
また寂後、
最澄に伝教大師の号を贈るとともに、慈覚大師の号が贈られた。
参考
学研 「仏教人物事典」
最終更新:2006年09月13日 22:16