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虫講座「所有論」

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ol20

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社会において,誰かが何かを所有するとき,そこになくてはならないのは社会的契約であり制度だ。例えば,そこに一本の鉛筆があるとしよう。それがもし自分が昔から持っているものだとしても,その裏付けをするものは何もない。その鉛筆に彼の命が通っているだろうか?いや通っていない。しかし,その鉛筆を突如として奪うものは存在しない。なぜならそれは窃盗として制裁を受けるようなルール作りがなされているからだ。したがって,私的所有という意味合いの根本には,社会的な制度(所有物は所有者のモノであるという取り決め)が信頼性を持って受容されていて,誰もがそれを当たり前だとして理解している社会がある。「制度」というものはそれだけでは成立し得ず,国家等といった社会的なコミュニティとそのコミュニティの参加者の間において,ほぼ全員に近い同意(こういったものを社会契約という)を得られていて,初めて成立するのである。したがって「所有」の概念とは近代社会であればこその概念であり,そうでない社会は略奪と殺戮の連続である。それは「弱肉強食」の社会と同義であるといえよう。

制度が確立しない時点での物理的な存在は,その本人の身体でさえも所有出来ないと言えよう。なぜなら先ほども述べた通り,弱肉強食の肉は本人の身体が略奪された場合の例であるからだ。現時点で制度なしに自由に所有出来る唯一のものは単に「意思」のみであるかもしれない。さて,我々が制度によって所有を許された場合に,このことは略奪や窃盗が許されなくなったことを意味するが,人間の本能として他人の所有物を手に入れたいという欲求は当然発生するだろう。その場合に行われる行動が「交換」である。すなわち物体の所有権をお互いに書き換えることを意味するが,この取引の優れている部分は,全員が社会契約として所有の概念を受容しているが故に,その所有権の書き換えに関しては,その両者間の同意さえあるだけで同時に社会の同意を得られたことを意味するところにある。その物体の所有に関して所有者が自由であればこそ,その交換がいとも容易く出来るのであり,交換することに社会の同意を得る必要は皆無であってしかるべきである。

ところで周知の通り,交換には大変なコストがかかる。わらしべ長者の例を引くまでもなく,欲しいものに辿り着くまでに時間も距離もかかる。なぜなら,お互いが欲しいものを所有している2人が偶然にも出会い,交換出来る確率があまりにも低すぎる。したがってその交換の中間にワンクッション,誰もが欲しがるものを設定してやることでそのコストを解消出来る。それが「貨幣」である。現代の貨幣は,一応銅やアルミなど一定の金属を使ってそれなりの価値を感じさせているが,実際ただのガラクタである。紙幣などは紙切れ以外の何者でもない。それがなぜ誰もが欲しがるものになるのか,それは「それが貨幣だ」と約束し,それを受容するコミュニティの参加者がいるからだ。つまり,「これはガラクタだけど,誰もが欲しがるものだよ」という約束を全員がすることによって誰もが欲しがるものになる。いわば都市伝説とかUFOとかと同じで実体は何もない。貨幣信仰の信者にのみ貨幣が価値を持つ。余談だが,先日ニュースになった「円天」も「円天」信仰者にしか価値を成さないし,例えばヨドバシカメラのポイントもヨドバシカメラの利用者にしか価値を成さない貨幣であり,ヨドバシカメラが存在しなくなればその貨幣は無価値化する。同様なことは現在の貨幣にも言える。すなわち,「貨幣」信仰を支えているのは貨幣を制定している「政府」,日本国家が信頼されているからに他ならない。

「政府」の話は後ほどに置いておくとして,「貨幣」の優れている部分はそれさえ持っていれば,誰もが交換したがることである。そして貨幣の量に応じて,物体と交換するか交換しないかを決定することができるから,貨幣量が彼にとってそのまま物体の価値と同義になる。貨幣と物体との交換を考える人間が無数に集まれば,理論上は一つの貨幣量に全員が同意するということになる。それが「価格」であるということだ。「価格」は需要と供給のバランスによって決まる。すなわち需要者が多ければ多いほどその価値=必要な貨幣量が高くなるということであるから,必然的にみんなが欲しいものは価値が高まるということになる。この仕組みは,すなわち世の中に存在する限られた資源をたくさんいる人間の間でどう分配するか,という問題を見事にしかも自動的に解決してくれる。

そもそも人間社会,さらに言うならば自然社会は限りある資源をどう分配するかという問題に常に苛まれている。自然はそれを弱肉強食の論理や自然淘汰などといった方法で自動的に解決するので問題が発生しない。人間も自然の中に含まれているのだが,あえて含まれていないという西洋風の考えを下地に論を展開すれば,人間社会はいかに資源を分配するかという試行錯誤の歴史の上に成り立っている。土地を分配するための戦争や原油を分配するための市場取引など。これらは全て資源が有限であるがゆえに発生する不可避の問題であると言える。上述した「貨幣」もそれを解決するための一つの方法である。

貨幣には様々な種類のものがある。円・ドル・ヨドバシポイント・Edyマネー・VISAカード・肩たたき券などもそうだろう。これらは相互に変換が可能であって,それゆえに相対的に価値も変動する。例えば円の価値がさがった場合,否応無しにヨドバシポイントの価値もさがっていることになる。(続くかもね)