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【名前】石本 小竹(いしもと しの)
【容姿】173cm 黒のショートヘア(センターパート) 眼光鋭い
【生年月日】1970年1月11日(49歳)
【所属】福岡ソフトバンクホークス(三軍投手コーチ)
【利き腕】右投右打 サイドスロー
【守備位置】投手
【能力】(00年 14勝を挙げ松坂と同数で最多勝獲得、リーグ優勝に貢献)
148㎞ CB Dカーブ4 シュート2 サークルチェンジ2 先○
対ピンチB ノビB 対左E 球持ち○ 対強打者○
【背番号】38(91~97、02〜)27(98)17(99~01)
【球歴】布施高―大阪ガス―ダイエー(91~01)―阪神(02~06)―中日(07~08)
中日投手C(09~11)ー熊本一軍投手C(15~17)―ソフトバンク投手C(18二軍、19三軍)
【性格】実直、一徹
【その他】大阪府東大阪市出身。サイドで本格派の先発という、今では絶滅危惧種とも言えるタイプの名投手。
布施高での3年夏には学校史上最高(当時)のベスト16まで進出するも、準々決勝で立浪和義らを擁するPL学園に10-0コールド負けを喫した。
高校卒業後は大阪ガスに進み、ここでサイドスローに転じて才能が開花。ノビのある速球で押していくスタイルは「平成の杉浦(忠)」とも称された。
1990年にはチームを都市対抗野球ベスト4に導き、同年のドラフトでダイエーから3位指名を受け入団した。
ダイエーでは1年目から一軍登板を果たし、根本監督が就任した3年目の1993年には先発ローテに定着。
プロ入り当初は典型的な荒れ球パワーピッチングで鳴らしていたが、西武からやってきた工藤との出会いをきっかけに「勝てる投手」への道を模索するようになった。
その成果が実り97年に初の二桁勝利を達成。99年には故障もあったが先発・中継ぎ双方をこなして優勝・日本一に貢献し、続く00・01年は2年連続二桁勝利。
01年のオフにFA宣言し阪神に移籍。入団会見では「バリバリやる。工藤さんがホークスでやったように、チームが強くなっていく手助けをしたい」と語った。
阪神でも2年連続二桁勝利を挙げ、03年は日本シリーズでも第3・第6の2戦に先発するなど星野監督時代における投手陣の中心として活躍。
しかしこの03年の終盤ごろからは常にどこかしらに痛みを抱えて投げている状態であり、球威と成績は右肩下がりに。
チームが再度優勝を果たした05年は3勝、翌06年はほとんど働けずオフに自由契約となったが、翌春キャンプで中日のテストに合格し入団。
中日では取り組む姿勢の見本として、また技巧派のリリーフとして07年の日本一に貢献。
08年はキャンプから状態が上がらず「これだけ追い込まなければ、というところまで行く前に体が悲鳴を上げるようになり、求められる役割を果たせないな、と限界を感じた」と引退を表明。二軍での引退試合を花道に現役生活を終えた。
引退後は引き続き中日で投手コーチを務め、落合監督と共に退団。
15年には熊本の投手コーチに就任。現在に繋がる投手陣の整備に成果を挙げたが、17年に退団。
この年就任した園部監督との対立も噂されたが、これについて本人は「仕事仲間として息の合わないことはあったが、個人としてのわだかまりはない」とコメントした。
その後は古巣ソフトバンクに復帰し二軍投手コーチに就任。2019年は三軍を担当した。来年は四国で投手コーチを務めるとの報道が出ている。

  • 選手として
時にはアンダースローとも称された、真横〜やや下から腕の出るフォームから、150km前後の力のこもった速球を投げ込む本格派。
ちなみに本人は「アンダーという意識でやったことはあらへん」と口にしている。
ウイニングショットのカーブはサイドスローから曲がりつつ大きく落ちる独特の軌道を描き、ブレーキも効いていて三振を取れるボールだった。
プロ入りしばらくはほとんどこの2球種、加えて稀にシュートくらいしか投げていなかった。
90年代後半あたりから次第に多彩な球種を使うようになっていった。最晩年の中日時代には、球速は最速で145㎞程度になっていた。

  • コーチとして
コーチとしては全体の中からポイントを見極めた上での指導を心がける。厳格で恐れられることもあるが、手腕と熱意は本物。
リリーフの登板管理に気を使えるコーチであり、フォームの変化から疲労、変え時を見極める能力にも長けている。
コーチとしての理想像にはプロ入り当時のダイエーで投手コーチを務めた権藤博を挙げており「選手が試合で力を出し切れるように、という目線を常に持った人やったな」と述べている。
ゆえに監督にもはっきりと異議を唱えるタイプのコーチであり、上記のように対立を招くこともあった。

  • 人物
大阪弁で喋ることが多い。上記概要にある発言は概ね翻訳が入っている。
案外しゃべるのは好きだが、気の利いた話はあまり得意ではない。酒はよく飲む。
名前が初見ではまず読めないことで有名。
既婚者だが子はない。

  • 対人関係
プロ入り時には対戦したい打者として西矢の名を挙げていた。特にルーキーイヤーの1打席だけの対戦が今でも思い出とのこと。
00年前後には西園寺との対決でパリーグを沸かせた。巨人時代の姿には寂しさを感じたという。
ダイエー時代のチームメイトには信濃弘前荒川などがいた。特に弘前は阪神でもチームメイトとなっており、腐れ縁と言える関係である。

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最終更新:2019年09月30日 20:57