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与謝野晶子(よさのあきこ)とは、明治から昭和にかけての歌人作家思想家

"君死にたまふことなかれ"

概要

戸籍上の本名は志よう(しょう)。

明治11年に大坂和菓子屋で生まれた晶子は、学校に通うようになると源氏物語などの日本の古い文学を学ぶようになる。また、影響で、尾崎紅葉樋口一葉と言った、当時の小説にも関心を持ち始めた。

20歳ごろには、手伝いをしながら和歌投稿するようになり、大阪で開かれた和歌でのちにとなる与謝野鉄幹と出会う。1901年に2人は結婚し、また同じ年に代表作であるみだれ髪出版している。

その後も多くの短歌を残しただけではなく、平安時代紫式部が書いた源氏物語現代語訳女性教育に力をつくすなど、1940年に亡くなるまでとても活動的な日々を送った。教育にも関心を持っており、日本で最初の男女共学校である文化学院を創ったことでも知られている。

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歴史
最終更新:2026年07月31日 16:11
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