神様なんかじゃないんだよ ◆z9JH9su20Q
「あいたかった……あいたかった……あいたかった……」
詳細名簿に載っていたのとは随分と差異のある容姿で、可笑しそうに肩を震わせ呟く
カオスに対し。本来、それを他者に齎すプトティラと化した映司でさえ、底知れぬ不気味な恐怖を覚えていた。
直接戦闘の内容は目にしてはいないとはいえ、ジェイクの変身したタトバを制圧した三人が、傷一つ付けられないまま数分で蹴散らされているカオスの強大さは、容易に想像することができる。だから戦場に駆けつけた映司は暴走の危険があれど、タトバでは太刀打ちできないと見て最強のプトティラコンボを解禁したのだ。
クスクスと笑うカオスが何も仕掛けてこない隙に、オーズは大地からメダガブリューを召喚する。そうして得物を構えた時に、ちょうどカオスが口を開いた。
「私、決めてたの……火野のおじさんには、誰よりも目一杯、愛をあげるって……!」
(どういうことなんだ……!?)
何故この子は、俺のことを知っている……?
「もしかして……私が大きくなったから、私のことがわからないの?」
まるで映司の胸中を読んだかのように、カオスがそんな疑問を零す。
「だったら、思い出させてあげる……! 火野のおじさんが教えてくれた、愛をあげて!」
次の瞬間、カオスが消えた。
同時にオーズが本能的に盾として構えたメダガブリューに、超音速の刃が突き立つ。
「――っ!?」
「愛を! 愛を! 愛を愛を愛を愛を、愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を!」
ティラノサウルスの力を持つ、強靭な両足。
加え三本目の足ともなる、逞しい尻尾。
それが、超電磁砲弾の如きカオスの突進を止められず、押されるがままにオーズは運ばれて行く。
「愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛をぉっ!!」
メダガブリュー自体は、未だ離れないカオスの鋭い翼にそれだけの圧を加えられ続けても、罅の一つも入りはしない。しかし大型恐竜をも凌ぐ膂力のプトティラの両腕は、既に最初の衝突の時点で押し負け、胸部のオーラングサークルに斧の硬い側面を減り込ますことを許していた。
大地に三本の溝を刻みながら、オーズはカオスの飛翔する勢いのまま、音速超過でビル壁に着弾。一瞬、前後からその身に掛かった絶大な圧迫感に完全に息を詰まらせた後、壁を突き破って地面の掘削を再開させられる。
「こ……のぉっ!」
机や椅子を破砕し撒き上げながら、今度は内側から外壁を突き破ろうかというその寸前。頭部の翼を開帳したオーズは、プトティラの冷気の力を全開にする。
まず両翼の羽ばたきで逆向きの推進力を生み出し、カオスの勢いを相殺する。続いて己の足と尾を氷結させ、接触していた床に縫い付ける。加えてカオスの両翼をも凍らせ床と一体化させることで、それ以上の前進を完全に食い止めた。
「クスクスクス……」
それから渾身の力でメダガブリューを押し返し、凍らせ損ねた翼の一部を払い除けたオーズだったが、カオスはそれを意に返さず笑っていた。
「言ったでしょ? おじさんの教えてくれた、愛をあげるって……!」
次の瞬間、カオスの両翼を包んでいた氷塊が融解、さらにはそのまま蒸発する。
氷の戒めを脱するため、カオスが両翼に灯したのは無数の黒い火の玉。巻き添えを避けようとカオスが少し距離を取れば、それはそのまま、己の動きを止めてしまったオーズへと容赦なく降り注ぎ始める。
メダガブリューや、放出を続けた冷気による相殺で迎撃を試みたオーズだったが、到底防ぎきれない。数発の着弾を許してしまい、軽くはないダメージをその身に刻む。
「……くっ!」
だが、火炎弾はオーズ自身の拘束を弱めていた。強靭な尾で溶け残った氷を粉砕したオーズは皮翼を羽叩かせ、飛翔。驟雨の如き火の矢から逃れる。
「――逃がさない……!」
カオスもまた禍々しい両翼を広げ、飛び上がったオーズを追う。
「あはははははは!」
追随してくるカオスから、再度火の玉が射出されてくる。さらにはジェイクが使っていたのと同様の、紫色のビームまでもがその弾幕に加えられる。
横殴りの豪雨かと錯覚するような猛攻は、室内という制限された空間内でそう何度も凌げるほど生温くはない。
故にカオスの攻撃で開いた穴から、オーズは夜空へと身を躍らせた。
炎上し始めているビルから、すぐにカオスが追って来ることはわかっている。だからオーズは身を翻すその前から、メダガブリューを振り被っていた。
予想の通り。叩き落とした戦斧の先に、忽然とカオスの歪んだ美貌が現れる。メダガブリューはカオスを包んでいた無色透明な障壁を叩き割って、紫水晶のような刃を天使の白皙へと走らせた。
だが。バリアによって勢いを弱めていたその一撃は、容易く刃状の翼に受け止められ、カオスに傷を与えるには至らない。
その結果を苦々しく思った直後。不可視の衝撃に右脇の下から殴り掛かられて、オーズはその巨躯を木葉のように吹き飛ばしていた。
「――っ!?」
何の支えもない空中では、その不意を衝いた一撃に踏み止まることはできなかった。
隙を晒しては拙い、とオーズは再度翼を最大展開して体勢を立て直す。だがそこに容赦なく、天からの一撃が落とされる。
「ぐぁあああああああああああっ!?」
ビリビリと残る痺れは、その攻撃の正体が電気による物であることを示していた。明滅する視界の中、オーズは装甲された拳を振りかぶって迫るカオスの姿を認識する。
落雷の後遺症で、すぐには俊敏な動きを望めない。メダガブリューや尻尾で対応するのは困難だ。
だが。オーズ自身が動けずとも、カオスを迎え撃てる武器は残っている。
「ぃやぁあっ!」
プトティラコンボの両肩に備え付けられたトリケラトプスの角。伸縮自在のワインドスティンガーが、二振りの神速の槍と化してカオスに放たれる。
これにはカオスも瞠目し、おそらくは意識の埒外から襲いかかった攻撃はカオスを見事貫き――は、しなかった。
「――こっちだよ」
霞のように掻き消えていたカオスの声が、衝撃と共に降りて来た。
こちらを遥かに凌ぐ速度で攻撃を回避し、そのまま背後に回っていたカオスが再度繰り出した火の雨を諸に食らい、オーズはまたもや姿勢を崩す。
「……速すぎるっ!」
何とか持ち直し墜落を逃れたオーズは、彼我の圧倒的な差にそんな不平を漏らしていた。
最高速度はもちろん、瞬間的な加速力や小回りの良さでも、カオスの機動性はプトティラコンボの数段以上も上を行く。
それ以外の能力も、その豊富さも手数もオーズの最強コンボを軽く上回っている。辛うじて同等以上と見込めるのは、純粋な膂力ぐらいか。
それすらも、超音速の勢いを上乗せされた突進には押し負ける。カオスを相手取るには、オーズは余りにも速さが足りない。
このままではいいように翻弄され、嬲られ続けるばかりだ。
不意に、凄まじい轟音が鳴り響く。微かに振り返って見れば、先程カオスに叩き込まれたビルが炎上し、崩落し始めていた。
内部で超常の力を持った二人が争い、さらに外からはオーズを狙い外れたカオスの攻撃を連続して被弾していたのだ。そうなるのも当然の結末と言うべきか。
「クスクスクス……」
その光景に手を止めたのは、カオスも同じだった。予期せず訪れたインターバルに、オーズは必死に対抗策を考える。
だが、名案など浮かばない。プトティラの能力は、その尽くが通じなかった。未だ試していない二つの必殺技も、外してしまえばただのメダルの無駄遣いにしかならない上、速度差を突きつけられた現状、カオスに命中させられるビジョンが全く見出せない。この悪魔のような天使を、ここで確実に食い止める方法がわからない。
それでも自分が食い止めなければならない。これ以上、智樹のような犠牲者を出させないためにも。オーズの力を持つ自分が、皆のために。
オーズが無意味な思考を錯綜させ、得物を持ち直す間にも、忍び笑いを漏らし続けるカオスは何かを仕掛けて来る様子はない。だがそんな状態でもカオスの不気味な迫力に、オーズも攻め入ることができずにいた。
この恐るべき敵と空中で対峙し続けているだけで、否応なしに精神を摩耗する。気づけば息遣いが荒くなっていた頃に、変化が訪れた。
「ねぇ……」
カオスの怪しく輝く双眸が、改めてオーズの姿をはっきりと捉える。
「これがおじさんの、“愛”だよね」
直後。
立ち上って来た炎の柱に、オーズの全身が呑み込まれた。
「うあぁあああああああああああああああああっ!?」
熱い。熱い。仮面ライダーに変身していてなお、無視できないほどの灼熱の奔流がオーズを舐ぶる。
その膨大な熱量の正体は、ビルの炎上を利用し、ウェザーの能力を駆使したカオスの生んだ火災旋風。
鉄すら沸騰させる超高温の、
愛の炎である。
(熱いのは、まだわかるのが……っ!)
グリード化が進行し、五感を失って行く中で。あれだけ愛おしく感じた自らに残る人間の部分が、こんなにも恨めしく思えるとは。
オーズはメダル消費を厭わずに、プトティラの冷気を再度全開にすることで炎の勢いを弱める。さらに翼と尻尾で突風を起こし、少しでも熱波に抗おうとする。
一秒一秒が嫌というほど長く感じられる灼熱地獄の中、一瞬ごとに確実に消耗しながらも……オーズは何とか、異常気象の猛威を制した。
「……っ!!」
そして――灼熱の竜巻を突破したオーズは、見た。
カオスの掲げた掌の上の、黒い“太陽”を。
「――あったかく、してあげる」
カオスの投げつけたそれは、衰弱しきったオーズに逃亡を許さないまま、その姿を黒で塗り潰した。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○ ○○○
物々しい音を立てて、何かが地面に墜落する。
アスファルトに罅を走らせて倒れ臥したのは、装甲の半分以上を黒焦げさせた紫の怪物。
変身こそ解除されていないものの、完全に痛めつけられ、暴君としての威容を失った仮面ライダーオーズ・プトティラコンボの姿だった。
最早まともに抵抗する力が残っているかも疑わしい獲物へと、死の天使は悠然と舞い降りて来る。
「待って!」
カオスの鼻先を横切ったのは、桃色の光矢。
唯一戦線復帰が可能だった、まどかの放った威嚇射撃だった。
「もうやめて……火野さんが、死んじゃう……っ!」
まどかでは、カオスとプトティラの繰り広げる空中戦に介入するのも容易ではなかった。
まどかだけでは、また路傍の石のように蹴散らされ、何の助けにもなれなかった可能性だって高かった。
そしてまどかは、まだ心の中で映司を避けていた。
それでももっと早くに駆けつけるべきだったのだ。彼一人に押し付けるべきではなかったと、まどかはオーズの惨状を見て後悔する。
そんなまどかの痛切な訴えにも、カオスは涼しい表情で答えるだけだった。
「だって、それがおじさんの教えてくれた“愛”だから」
「こんなことが愛なんて……そんなの絶対おかしいよ!」
「じゃあ、後でおねぇちゃんの愛を教えて。私しりたいの、いろんな愛の形を!」
答えるや否や、急加速したカオスはそのままオーズを思い切り踏みつける。体重そのものは軽くとも、その力が常軌を逸していることは既に痛感している。
追い打ちに呻くオーズの角を掴み、カオスは無理やり彼を立ち上がらせる。
「でも、今は火野のおじさんのばん」
「まどか……ちゃん」
そこで意識を取り戻したらしいオーズは、カオスの怪力に軋みながらも、何とかその仮面をまどかに向けた。
「皆と一緒に……逃げて」
「――できませんっ!」
ああ、この人は、きっと。
本当に……本当に、優し過ぎるから。
「俺は……大丈夫だから。早く!」
その言葉が嘘じゃないとまどかに示すためか、オーズは強靭な尾の一振りでカオスを追い払う。
だが戦闘態勢に入る前に、後退しながらカオスの放ったビームを浴びて、オーズは再び無様に地を舐める。
仰向けに倒れ、いよいよ立ち上がることもできなくなった様子のオーズに対し。カオスは処刑人の刃のように、その翼を振り仰ぐ。
「――だめぇーっ!」
それ以上は見ていられず、まどかは駆け出していた。
カオスもまどかが飛び出してくることなどわかっていただろう。しかしまどかの力で、オーズを救い出すなど間に合わないとタカを括っていたに違いない。
だが実際は、まどかはオーズに重さなどないかのように軽々抱え、カオスの一撃を回避させることに成功していた。
自らの右足を、刻まれることを代償に。
「――っ、まどかちゃん!」
ほんの少し、浅く切っただけだと言うのに。
悲鳴に近い声で心配してくるずっとずっと重傷の映司に、まどかは思わず苛立ちを覚えた。
「どうして……」
限界に近いはずの身体で再びまどかを庇おうとするオーズに、まどかは詰問の声を投げる。
「どうして火野さんは、そんなに優しいのに……っ。どうして、自分の心配はしないんですか!?」
まどかの糾弾に虚を衝かれたように、一瞬オーズの身が固まる。
「殺し合いを止めるのも……あの子と戦うのも! どうして全部、自分だけで辛いことを抱え込もうとするんですかっ!?」
殺し合いを止めたい。カオスの脅威を防ぎたい。
確かにそれは、まどか達も等しく抱えた願望だ。だが、映司は……
彼自身が己を守るために戦うことを欲したからではなく、それを望む誰かの為に、その身を捧げている。
そんな、人にあるまじき歪みを抱えているのだ。
「あなたは神様なんかじゃないんだよ!?」
誰かがそれを望んでいるから。誰かがそれを欲しているから。
そのために映司自身がどんな不利益を被ることになろうとも。彼は都合の良い願望器として、そんな勝手な人々のために事を成そうとする。
そんなもの、在るべき人の生き方ではない。
「……比奈ちゃん達みたいなこと、言うんだね」
まどかの言葉に、映司は力なく苦笑していた。
「ごめんねまどかちゃん。でも、ありがとう。
ガメルを砕いた俺なんかを、心配してくれて」
その言葉に、まどかは息を詰まらせた。
あるいは彼という仮面ライダーの、怪物性を見せつけられて。
「……おはなしはおしまい?」
オーズが向き直ったのを見て、カオスがそんな疑問の声を投げかけて来た。
「待っててくれたんだね」
「まどかおねぇちゃんの愛が、わかるとおもったから……」
オーズの冗談めかした問いかけに、カオスはそう素直に答えた。
「……でも、わからなかったの。だから、あとで教えて!」
「――っ、あなた……!」
カオスもまた、身勝手過ぎる。
「どうして火野さんにこんな酷いことをするの!? こんなに優しい火野さんが、あなたに何をしたって言うのっ!?」
「火野のおじさんは、私に“愛”を教えてくれたんだよ!
仁 美 お ね ぇ ち ゃ ん を 殺 し て ! ! 」
「!?」
予想だにしなかったカオスの告白に、まどかもオーズも一瞬、完全に硬直した。
「愛を! 愛を! 愛を愛を愛を愛を、愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を愛を……っ!?」
そんな隙を見逃さず、そのまま襲いかかって来ようとしたカオスもまた、突如として停止する。
「……嘘。仁美ちゃんを、火野さんが殺したなんて……」
弱々しく、まどかは否定の言葉を紡ぐ。
だが、完全にあり得ないとは言い切れない。むしろそれには、ピタリと符合する面もあるのだ
放送の後。マミから、仁美があの戦いの近くに居たということをまどかは聞いていた。
またプトティラとして暴走していた間の映司の記憶は、不確かな部分が多いという。
彼の暴走の一部始終を、まどか達は知らない。
いやそもそも、あのプトティラコンボの強大な暴力なら。例えば虫を踏み潰していたのと同じように、知らぬ間に仁美の命を奪っていても――おかしくは、ない。
もちろん。そんな馬鹿げた可能性は、“もしかすれば”というレベルのものだということは、まどかとてわかっている。
それでも。今、自分を庇おうとするこの存在は。ガメルだけでなく、親友さえも奪っていたのではないのかと。
そんな疑惑が生まれたことに、呆然としたまどかに対し。ギギギ……と、重い石像が動くかのように緩慢に、カオスの顔が向けられる。
「おねぇちゃん……仁美おねぇちゃんを、知ってるの……?」
知っているも、何も。
仁美ちゃんは、大事な、私のお友達――
「っ!?」
「教えて! 仁美おねぇちゃんのことを!」
気づいた時には、まどかはカオスに捕らえられていた。
「まどかちゃ――!」
あれほど執着していたオーズに一瞥すら残さず。まどかの両肩をがっしりと掴んだカオスは、そのまま上空へと飛び立つ。
それを追おうとオーズが頭部の皮翼を展開するが、襤褸切れのようになったそれでは空を舞うに能わなかった。損傷の度合いから見ておそらく、先のカオスの最大火力を受けて一命を取り留めるために、あの大翼を盾として差し出していたのだろう。
その結果、オーズは攫われたまどかに手を届かせる術を失った。
それを知っていたのだろうカオスは、邪魔が届かないようにまどかを空へと連れ去ったのだ。
「そっかぁ……おねぇちゃんが、仁美おねぇちゃんの言っていたお友達なのね」
「あなた……仁美ちゃんと、どんな関係なの……?」
納得する様子のカオスに、肩の痛みに耐えながらまどかは恐る恐る問いかけていた。
それを合図にカオスは上昇を止めて、上を向いていた顔をまどかに向き直した。
「仁美おねぇちゃんは、私に愛をくれたんだよ!」
カオスは実に嬉しそうに、仁美との思い出をまどかに語ってくれた。
痛いのだけが愛だと思っていたカオスに、色々な愛の形があるのだと教えてくれたこと。
その中で、カオスの愛を探すのを手伝ってくれたこと。
裸足のカオスに、上靴を履かせてくれたこと。
大きくなるのも愛だと教えてくれたこと。
「それでね! そばにいるとあったかくて、はなればなれになって痛いのが愛だって! 火野のおじさんに殺されて、私に教えてくれたの!」
そこで――嬉々として語っていたカオスの笑顔に生じた変化に、まどかは気づいた。
「あなた……」
「仁美おねぇちゃんとはなればなれになって、私、とっても痛かった! でも、それで愛を見つけたの!」
「泣いてるの……?」
「だから……仁美おねぇちゃんが教えてくれた愛を、みんなにあげるの! そうすれば……おねぇちゃんが教えてくれた愛を、ずっと感じていられるから!」
笑顔のまま、止めどなく涙を流すカオスに。
まどかが覚えた感情は、映司に感じたそれとどこか似た――憐憫の情だった。
(そっか……この子も)
あまりにただ純粋で。仁美のことを、愛していて。
だけどそこに、映司のように歪みを抱えてしまった……道を誤りそうになっている、迷子なのだ。
(……止めなきゃ)
ううん、止めたい。
まどかの大事なお友達のことを、こんなに思ってくれているこの子を。
だってこのままじゃ、カオスはあんまりにも可哀想だ。
「……おねぇちゃんも、おにいちゃんと同じこと言うんだね」
他意はなく。ただ素直に「へー」と言った様子で、カオスが呟いたのに対し。
「ねぇ、カオス」
決意を固めたまどかは、彼女に言い聞かせるように話しかけた。
「仁美ちゃんのこと、あなたに教えてあげる」
「ホント!?」
表情を輝かせたカオスに、まどかはしっかりと頷き返す。
「だから……」
「じゃあ――おねぇちゃん、食べていい?」
「――えっ?」
一瞬、思考が途絶した間に。
カオスの両掌が、まどかの両肩を握り潰した。
「――っ!」
悲鳴を押し殺したまどかに、カオスは小首を傾けながら優しく囁いてくる。
「だいじょうぶだよ……食べるまえにいっぱい、いっぱい愛してあげるから……だからおねぇちゃんの中の、仁美おねぇちゃんの思い出を、私にちょうだい――?」
「ぃ……や……」
「――鹿目さんっ!」
頼もしい呼び声と共に、黄色いリボンがまどかを包む。
カオスをも拘束したそれは、これまで同様一瞬しかその役割を果たせない。だがその一瞬の隙に、まどかはカオスの手から引き抜かれていた。
マミのリボンに引き寄せられた先で、まどかはマミを乗せて跳躍していたオーズに抱きとめられる。
「良かった、まどかちゃん……っ!」
マミと合流後、飛行能力を失くしたプトティラからタトバコンボに変身し直したオーズは、そのバッタの跳躍力でビルを昇り、そこからさらに高度を稼ぐことで、遥か上空のまどかの下に魔法のリボンを――救いの手を届かせることに成功したのだ。
だが。追撃するカオスの方が、まどか達を抱え落下するオーズよりもずっと速い。
カオスの接近に気づいたまどかとマミは魔導障壁を重ね掛けし、それを砕け散らせながらも拳の直撃を防ぎきる。
それでもカオスから手渡された慣性が、高空からの落下を加速させる。魔法少女や仮面ライダーといえど、無事では済まない勢いで。
――ダメ。
――このままじゃ、死ねない。まだあの子を救っていないのに。
(お願い――力を貸して、ガメル!)
コアメダルの力を引き出していることは知らずとも。まどかは今度こそ救いたい者を救うべく、救いたかった、自分を救ってくれた者に祈る。
その時。
(わかった~!)
頭の中で、予想だにしなかった声が聞こえた気がした。
(えっ……?)
「ぃよおぉぉぉぉっしぃこっちだ、オーライオーライっ!」
落下地点で待ち受けていた、虎徹の呼び声が聞こえてきた。彼はその大柄な肉体で以て、自らをクッションにしようとしていたのだ。
本来なら、それでも四人揃って激突死するはずだった衝突は――落下していた三人の重さが不自然に軽減されたことで、自然落下以下にまでその威力を下げていた。
それでも軽くはない衝撃に、全員が目を回しながらも。まずは生き残ったという事実を噛み締める。
「いたたた……」
折り重なった四人の一番上にいたまどかは、未だ両腕を力なく垂れさせたままながら、真っ先に起き上がった。そんなまどかの下へ、不意に近づいて来た小さな影があった。
「あなたは……無事だったんだね」
現れたのは、ライブモードのファングメモリだった。
カオスが襲来してから、最初に繰り出した竜巻に巻き込まれた際。まどかは実は、ディパックの中身を幾つか零してしまっていたのだ。
先程カオスに捕まった際にファングメモリが助けてくれなかったのは、そういう理由のためだ。
もっとも、カオス相手ではファングメモリが居ても――と考えていたところ。
不意に夜空を仰いだファングメモリが、まどかの頭上目掛けて跳躍したのだ。
瞬間。夜は白光に切り裂かれる。
降り注いだのは四条の稲妻。何とか起き上がったばかりだったまどか達に、立ち直る暇すら与えず放たれたカオスの追撃だった。
「――皆!」
感電し倒れ伏せた三人を見渡し、唯一無事だったまどかは声を張って呼びかける。
その足元でショートするのは、駆けつけて早々、身を挺してまどかを守護したファングメモリだ。
ファングメモリが身代わりになってくれたことで、まどかのみ自由を得ていたが――未だ両肩の治癒も完了していない以上、できることなどほとんどない。
だというのに――
「ごめんなさい……」
ちりちりと。まどかの肌を炙る熱波は、真上に出現した黒い“太陽”から届いて来るもの。
まどかのソウルジェムを絶望に染め上げようとするそれは、真上にまで降りてきていたカオスが再度顕現させた、特大のドス黒い火の玉だった。
「ひとりひとり……いっぱい愛してあげるつもりだったけど。もう、メダルがなくなっちゃいそうだから……」
言うなれば、今まではまだ遊んでいたということか。
だが、もう。それもやめて、一気に纏めて焼き払おうと。
――ダメだ。あれはもう、防ぐ術がない。
あの邪悪な炎の洗礼を浴びれば、誰一人として助からない。
逃げないと――そこまで考えたところで、まどかはさらなる絶望に足首を掴まれる。
他の三人は、まだ……自力で逃げられないのだ。
(そんな……!)
彼らを置いて逃げる? そんなこと、できるはずがない。
連れて逃げるにしても、三人同時は困難だ。そもそも、今から肩が動くまで回復させているようでは、カオスの攻撃から逃げ切れない。
だけど、まどかにあれを防ぐ術はない。逃げないと確実に死んでしまう。
ああ、ダメだ。迷っている間にも、逃げ切るための猶予が消えて行く……!
嫌だ、死にたくない。だけど、マミや映司達にも死んで欲しくない――――!
でも、死んでしまったら……もう、カオスを――
「あ……っ」
そこでまどかは、思い至った。
思い至って、しまった。
ここから最も多くの者を、救済するその解答に――!
――
鹿目まどかは、
火野映司とは違う。
それを枯らした映司と違って、まどかには自分への欲がある。当たり前に自らの身を案じ、恐怖を感じることができる。物事を考える時に、自分の我侭を挟むことだって多々ある。
それは恥ずべきことではなく、人間として生きるために、当たり前に備わっているべき欲望なのだ。
だが、それでも。
自分への欲望も、我侭な恐怖心も持ち合わせていながら。
それでもまどかは、たとえそれがどんなに自分にとって辛い道であっても。
それが最善の答えであるなら、それしか手段がないのなら。自分の意志で、どんな不幸をも選択できる強さを持っている。
救済の魔女となる少女は――そんな強さを持ち合わせてしまって、いたのだ。
「――ガメル。もう一度、力を貸して」
最初はただ、力持ちになっただけだと思っていたのだが。どうやら少し違ったらしい。
ただこの場では、とにかく今までできたことができれば良い。
成すべきことを解し、それを実行する決意を固めたまどかは躊躇わず、身を沈める。
同時、カオスがその暗黒の太陽を投擲せんと構えた。
「――ごめんなさいっ」
だがそれが放たれるより――低い体勢でまどかの放った回し蹴りが、這い蹲っていた三人を蹴り飛ばす方が一瞬、早かった。
「!?」
まどかに蹴り飛ばされた三人は、各々が驚愕の色を表情に彩る。華奢な少女の足では動かしようもないほどのオーズや虎徹の巨体もまた、重さがないかの如く、軽やかに飛んでいた。
――カオスの放った獄炎から、充分逃れられる速度で。
「――っ!」
密集していた標的が散らばってしまったが、カオスは既に射出を終えてしまっていた。望んだ効果を得られないことに、腹立たしさをカオスはその表情に刻む。
「――大丈夫だよ」
だが、一人だけ。
カオスの攻撃から、逃れるタイミングを最早、完全に逸してしまった者が残っていた。
「鹿目さんっ!」
「まどか!」
「まどかちゃんっ!」
マミが、虎徹が、映司が。彼女に救われた三人ともが、命の恩人に呼びかける。
手遅れかもしれなくとも、そこから逃げてくれと。生きることを、最後まで諦めるなと。
だが、眼前に迫る絶対の死と向き合っても。まどかは動じず、自らを飲み込もうとする黒炎に向き合っていた。
――いや、動じていない、わけではない。
やはり怖い。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。
せっかくガメルが助けてくれた命を、こんなところで散らすなんて申し訳がなさ過ぎる。
だけど――
(ごめんね、ガメル)
まどかはもう一度、胸中で彼に謝罪する。
(私はこの子を、見捨てられない――)
そしてまどかは、自らを殺す者へと微笑みかけた。
「――私の記憶を、あなたにあげる」
「やめろっ……、やめてくれぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」
その悲痛な声で。オーズが、映司が未だ満足に身動きできない中、必死の思いで手を伸ばしている姿が想像できた。
初めて出会った時は、正義を成そうとする彼から純粋なガメルを守ろうとして……逆に、ガメルに助けられてしまったけれど。
最後はガメルのように純粋な者から、そのオーズを守って……今度こそ死ぬなんて。何やら数奇な巡り合わせだと感じてしまう。
映司が正義の人であることは、もう嫌というほどわかっている。何度も彼には助けられた。
だけど自分を蔑ろにする彼は、その功績を無視して正義の重荷を全て背負い、どこまでも己を傷つけてしまう。
彼が助けを求める誰かの手を掴むとしても。自分のために手を伸ばさない彼の手は、誰にも掴むことができないのに。
それでも、願わくば――彼の命だけでなく、そんな歪な火野映司の魂にも、救済が訪れんことを。
「鹿目さん――っ!」
マミさんは、すっごく頼りになる素敵な先輩だけど。本当は、とっても寂しがり屋の女の子なのを知っている。
折角また、あの悲劇も乗り越えて、手を取り合えたのに。また一人にしてしまって、本当にごめんなさい。
「おいよせ、まどかぁっ!」
ワイルドタイガーさんは……真木への宣戦布告に、また泥を塗ってしまってごめんなさい。
だけどきっと、あなたみたいに本当に強い人なら――皆を救えるって、信じてる。
――二人のことを、お願いします。
そして最期にまどかはもう一度、哀れな天使に意識を向けた。
お望み通り、記憶をあげる。
(仁美ちゃんの代わりに……)
亡くなってしまった、カオスの慕う親友の代わりに。
この子の、心の中で。
「私がめっ! って、してあげる……!!」
その言葉が、発せられたと同時に。
天使の放った地獄の業火は、鹿目まどかの全身をその魂(ソウルジェム)ごと喰らい尽くした。
【鹿目まどか@魔法少女まどか☆マギカ 死亡】
最終更新:2013年11月13日 00:06