被制約性のアイソレーション ◆SrxCX.Oges


 世界は、突然に崩壊した。
 視界を埋め尽くす荒廃した光景、しんと静まり返った空気、手元には鳴らない携帯電話。
 広大なようで、実の所現実世界から隔離された閉鎖空間であるミラーワールドの中で、桐生萌郁は他の何もかもとの交信を絶たれていた。
 誰もいない。数少ない知り合いのラボメンもいない。怪物同然の戦鬼達もいない。
 FBも、いない。独りぼっちの桐生萌郁を世界と繋ぎとめてくれた親愛なるあの人が、いない。

「嫌だっ、嫌ぁああっ……!」
 闇雲に走る。適当に文面を作成する。送信ボタンを押す。圏外。
 闇雲に走る。適当に文面を作成する。送信ボタンを押す。圏外。
 萌郁はひたすらに、狂ったように同じ行動パターンを繰り返す。
 その行為が異次元の世界で無意味でない保証があるかなど、わからない。いや、わかりたくないと言うべきか。
 これが無意味であり最早手の打ちようが無いと確定したら、桐生萌郁の世界は終わる。FBとの関係の切断がそのまま、萌郁は永遠に孤立したままになってしまう。
 ……嫌だ、そんなことなど考えたくない。

「あっ……」
 息を激しく荒げながら何十回目かのメール送信の操作を行おうとした瞬間、脚がもつれて体勢が崩れ、身体が無様に地面と激突する。
 アビスの鎧を纏っていたため痛みこそ小さいものの、それでも衝撃の影響は確かにあった。握っていた携帯電話が右の掌から離れてしまう。
 暗闇の中、液晶画面の光が視界で跳ねる……自分の手の届かない場所へと行ってしまいそうになる。
 距離にすれば精々50センチメートル。たったそれだけの距離が、萌郁には果てしなく遠い。
 携帯電話だけは、失くしては駄目なのだ。FBとの繋がりを、こんな自分が他者とまともに交信するための唯一の道具を奪われたら、桐生萌郁はどうやって生きて行けばよい?
 だから、たった50センチの距離を必死に埋めるため、萌郁は地に伏せたまま手を伸ばす。
 指先が、パープルの本体に触れる。
 やっと、世界に帰る鍵を取り戻せる。
 そう安堵した瞬間だった。

「アビスか。だったら倒さなくてもよいか」
 いつの間にか誰かが目の前に立っていて、そいつは携帯電話をひょいと拾い上げた。
 桐生萌郁にとってどれほどの価値がある代物なのか、まるで分かっていないかのように。
「私の、かえせ――」
 声すらろくに出せない萌郁にしては珍しく、焦りと衝動的な怒りが綯交ぜになった要求が口から出てきた。いや、出てきそうになって、飲み込んでしまった。
 突然現れた第三者の姿を、その眼で確かに見てしまったから。

「おい、早くここから出た方がいいぞ」
 マゼンダ色の装甲を纏った仮面の戦士――ディケイド。
 彼が、萌郁の目の前にいた。

「いつまでもミラーワールドにいたらメダルを無駄に食うだけだ。出口は……探せばどこかにあるだろ」
 銀色の装甲のライダーを焼き払い、青のグリードを斬り伏せ、遂には大火力を誇る天使すらも一度は完膚なきまでに叩き潰したディケイド。
 手当たり次第に人々を襲っていたようにしか見えず、萌郁自身がミラーワールドの中にいたために語る言葉さえ聞き取れず、萌郁からすれば結局「理解不能の凶悪なモンスター」との印象しか持ちようのないディケイド。
 奴が、目の前に立っていた。

「おい。俺の話を聞いてるのか?」
 FBとの繋がりを絶たれ、FB以外との繋がりを構築しようとしなかった桐生萌郁は対峙する。
 自らの選んだ行動の果て、誰の助けも期待できない境遇に陥った上で、萌郁はディケイドと対峙する。
 世界の破壊者と、一対一で。

 彼女がその先に待つ凄惨な結末へと想像が行き渡るのも、さほど時間はかからなかった。

「ぁっ……あ……来るなああああああっっ!!」

 悲痛に叫びを上げながら、萌郁は駆けだしていた。

 駆けて、駆けて、逃げる。
 逃げる方向にミラーワールドからの出口があるかなど、頭になかった。ディケイドから距離を取れればどうでもよかった。
 しかし必死の逃走をどれだけ続けようと、それは意味を成さない。当然だ。萌郁が走るのと全く同じ方向に、ディケイドも萌郁を追って走るのだから。
 振り向いた先で存在感を放つ恐怖の象徴に、視界が滲み始める。
 しかし、ディケイドの姿は程なくして見えなくなった。二者の間に割り込むようにアビソドンがその巨躯で飛び込んできたのだ。
 萌郁の苦しみを汲み取ってか、はたまた獣の本能か。ともかく、今の萌郁の唯一の味方となった怪物は自らの鋭い牙と角を以てディケイドに襲い掛かる。
 あれの行動でディケイドを抑えきれれば、萌郁が逃げる十分な時間を稼いでくれれば非常に嬉しい話だった。

 勿論、そんな淡い期待はすぐに実現不可能と思い知らされる。
 片手に持った剣でアビソドンの攻撃を受け流し、カウンターの要領で蹴りを叩き込む。怯んだところに、さらに剣で追撃する。それが数回繰り返される。
 たかだか10秒未満の中で見せたディケイドの攻勢が、たったそれだけで恐怖に竦みきった萌郁には暗い未来――アビソドンの敗北を想起させるのに十分だった。
 ここまで追い詰められたところで、ようやく萌郁は一枚のカードの存在を思い出す。
 腹部のバックルに手を伸ばし、目当てのカードを引き出した。一刻も早くと、カードをバイザーに装填しようとする。微かに震えた手ではスムーズにはいかないが、それでもどうにか完了させた。

――FINAL VENT――

 仮面ライダーアビスの最大威力での攻撃を発動させるカード、ファイナルベント。
 電子音性を合図にアビソドンが雄叫びを上げ、まさしく泳ぐように空中を荒く舞い始める。
 ディケイドから十分に距離を取ったところで、その鋭利な角を標的まで一直線に向ける。突貫の準備は、整った。
(早く、行って……!)
 終わりの名を冠するカードは、本来なら確実に止めを刺せる終盤の場面でこそ使用するべき一手だ。
 しかし、そんなセオリーは今の萌郁にとって心底どうでもよいことだった。一秒でも早く目の前の悪魔を消し去りたい、ただその一心で萌郁は切札の使用に踏み切った。

 ……そしてその判断は、当然の如く失敗という結果に繋がる。

――FORM RIDE FAIZ ACCEL――

 獲物と見定められていながら、ディケイドは一切臆することなくカードをバックルに装填する。
 赤い光に包まれたディケイドの身体が、銀の装甲に身を包んだ見知らぬ戦士のものへと変わる。直後、胸部装甲の展開と同時に身体に走るラインが赤から銀へ、複眼が黄から赤へと変化する。
 エンジェロイドとの戦闘の最中にも見せた、別の仮面ライダーへの変身能力の類だろう。その能力を行使した意味を考える余裕は、残念ながら今の萌郁には無い。
 何があろうと知ったことかと言わんばかりに、アビソドンが自らの得物を以てディケイドを仕留めんと飛び出す。
 二者の距離は、僅かな時間のうちに埋まる。角は空気を切り裂き、ディケイドの身体へと迫る。

――START UP――

 今まさに貫かれるはずだったディケイドの身体。それが、瞬きする間もない時間で萌郁の前から消えた。
 標的を失ったアビソドンは無様にも地面に突っ込み、勢いのまま無意味に大地を抉り取っていく。
 なぜ。どうしてこうなった。
 混乱の極致となった萌郁の脳がそれでも必死に事態を理解しようとした矢先、その脳は思い切り揺さぶられた。
 遅れて、自らの顎に生じた激痛を萌郁は理解する。
 この時になってようやく、銀のライダーとなったディケイドが眼前に立つのを認識できた。
「悪いが、このままお前を連れて行く」
 ディケイドが何事か喋った内容を、十分には把握できなかった。
 把握するよりも先に、萌郁の意識が暗転したのだから。


 アクセルフォームのファイズが有する超加速に物を言わせて、アビスを一撃蹴り上げて気絶させる。残された制限時間の限りでミラーワールドからの脱出口を求めて駆ける。
 時間切れで変身解除となったら、続いてガルルフォームのキバへと変身し、指折りの脚力に任せて再び走る。
 速度に秀でたライダー達の姿を借りながらの脱出は、追ってきたアビソドンの眼がディケイドの後姿を捉えたその時に終了した。
 アビスの身体を抱えたまま、ディケイドはビルの窓ガラスへと飛び込む。その一秒後、鏡面から飛び出した身体は現実世界の大地に降り立った。
 こうして現実世界への帰還を果たした士は、鏡面の向こう側に映るアビソドンの恨めしそうな姿を一瞥し、しかしそれ以上の興味を持つことなく視線をアビスへと移した。
 気を失って身動きしない身体を抱えたまま、空いた手を腹部へと伸ばしバックルからカードデッキを抜き取る。即座に変身が解除され生身の姿が露わとなった。ぐったりと士の腕に身体を預けるのは、眼鏡をかけた若い女だった。

「……変な手間をかけちまったか」
 ミラーワールド内部で偶然発見したアビスと接触し、一先ず見境無く襲い掛かってくる類の相手ではないだろうと確認したため脱出を提案した矢先の、逃走と迎撃であった。
 閉鎖空間に閉じ込められたために冷静さを失っていたのかと考えたが、今ではもう一つの可能性にも既に行き着いている。

 門矢士が、ディケイドだから。破壊者として暴虐を尽くす姿を目撃されたから。
 もしそうだとしても何も不自然なことではないだろうと、士の頭は冷静に受け止めていた。
 課せられた使命を果たす過程は誰にも理解されない。有無を言わさず戦意を向けるのだから、恐怖されてもおかしくはない。
 士が誰からも警戒されるのは、ごく自然な話だった。

「おい、出てくればいいだろ」
 例えば、こうして士に銃口を向けられてようやく建物の陰から姿を現した男のように。

「……ディケイド」
「お前、俺を知ってるのか?」
小野寺ユウスケから聞いた。今の君が変わってしまったということも」
 現れたのは、若い少年が一人だけだった。
 士からすれば初対面の相手であったが、向こうは既にこちらを知っているようだ。どうやらどこかでユウスケと出会い、話を聞いたのだと思われる。
 そうであるならば、彼が士に向ける瞳に警戒の色を含ませているのも、破壊者としての名で士を呼んだのも頷ける。
「だったら話は早い。答えろ。お前は、仮面ライダーなのか?」
 投げ掛けられた士からの問い。
 それを受けて幾何かの逡巡を見せながらも、少年は意を決したように自らの名を名乗った。

「僕はフィリップ、そして仮面ライダーダブル…………だった」
「だった?」
「今は仮面ライダーじゃない、というだけだ」
 答えは肯定、しかし過去形。
 士はその真意を考え、いくつかの仮説を思い浮かべる。
 一つは仮面ライダーへの変身に必要な能力を失ったとの意味。
 もう一つは、いつかの照井竜のように仮面ライダーとしての自己認識を捨てたという意味。
 そして、少なくとも後者の場合は彼の意思に関わらず士は彼を仮面ライダーであると判断し、破壊しなければならない。
 正確な判断が、求められている。

「……そうか。お前の言葉を信じるとすれば、俺はお前を倒す必要は無いな」
「仮面ライダーなら破壊する、ということか……? 教えてくれ、そんな戦いに何の意味がある?」
「それが分かったら、俺を止めようとでも言う気か?」
「……その話の前に、その女性を僕達に預けてほしい。君に事情が無いなら、彼女は僕が保護させてもらう」
 フィリップの目当ては、どうやら横たわっている女性のようだ。
 知り合いなのか赤の他人なのかは不明だが、保護と言ったところを見るに少なくとも害する意図は無いのだろう。
「何だ。それなら別に構わん。連れていけ」
 すぐ後ろのビルの壁面に女性の身体を運んで持たれかけさせ、安静な姿勢にさせる。
 その士の様子を見て、とりあえず安全であると認識したのだろう。士から目を離さないままではあるが、フィリップが士の方へと歩みを進めてくる。

「力ずくで、な」
 そして士は、踏み出されたフィリップの足元にライドブッカーの弾丸を撃ち込む。

「……君は」
「まあ、これも必要なことだ。悪く思うな」
 言いながら、二発目のために銃口を向け直す。
 その時には既に少年の手に緑色の物体が握られていた。その小さな箱型は、照井竜やバーナビー・ブルックスJr.も所持していたガイアメモリだろう。
 そして次に彼が取った行動は、照井竜のように媒介となるツールの使用ではなかった。

――CYCLONE――

 緑のガイアメモリは、少年の首筋に直接押し当てられていた。
 直後、彼の身体が緑の異形へと変貌する。
 その姿を一目見ただけで、士には瞬時に判別出来た。彼の肉体は怪人のそれであり、仮面ライダーではない。わざわざ怪人の姿で応戦するのを見るに、仮面ライダーでなくなったという言葉には変身ツールの紛失の意が含まれているようだ。

 ……勿論、全てはこの少年の言葉と行動をそのまま真実と受け止めるなら、の話であるが。

 そして事実を確認した士が取るべき行動は決まっている。
「仮面ライダーなら誰かを傷つけない……とでも思ったか?」
「……狙いはその女性か、それとも僕か!?」
「自分で確かめてみろ、“元”仮面ライダー」
 挑発的な態度を取り、少年に敵意を向ける。
 名の知らぬ女性の身柄をかけての、緑の怪人となった彼との戦闘。それが今の士の選択だ。

 理由は一つ。門矢士が、“仮面ライダー”を探し求めているから。


「なあ、やっぱりこんなの引き受ける必要無かったんじゃないのか?」
「……俺に」
「質問するなって言われてもな。実際無駄だろ、これは」
 火蓋が切られたサイクロン・ドーパントとディケイドの攻防――と言っても、サイクロン・ドーパントの防戦一方なのだが――を見つめながら、笹塚は照井に語りかける。
 いかなる原理か鏡の中から飛び出したディケイドを発見した時点で、こちらに気付かれる前に逃げるかまともに相手にせずにやり過ごすかを考えた照井達であったが、ただ一人フィリップだけは別の案を提示した。
 ディケイドとの対峙、および素性の知れない女性の保護である。
 女性の保護に関しては、彼女が目覚めた後で情報交換を行えるメリットがあると言った。その後に面倒まで見なければならない羽目になるかもしれないと考えれば気が進まないのも事実だが、そちらは最重要事項ではない。

 問題は、照井が明確にディケイドの標的とされている点だった。
 以前の戦闘での口振りから判断するに、ディケイドは“仮面ライダー”を特に優先的に倒すことを方針としているようだ。しかし奴の考え方を全て把握しているわけでもない以上、照井が仮面ライダーの力を失ったと知ったところでディケイドが納得するかは不明と言わざるを得ない。
 ゆえに、フィリップの策を実行すれば照井は手傷を負わされる可能性が高く、また彼女との情報交換がその不利益を見込んでまで実行するに値するメリットのある物かと言われれば、答えは否。

 そうしてフィリップの案を却下しようとした頃には、ディケイドもいよいよ照井達の気配に気付いてしまった。さてどう撒くべきかと考える照井に、フィリップはなおも食い下がった。
 ディケイドは自分が引き付ける。その間に二人で女性を確保し、すぐに自分を回収して撤退すればいい。そのためにも、笹塚には少量で構わないのでセルメダルを貸してほしい。
 結局、照井達はフィリップの提案を呑むことにした。セルメダルこそ消費するが、それでも速やかな撤退が目標ならば……と、フィリップに付き合うことにしたのである。

「あのフィリップって奴、自分で体張るのは結構だけどな」
「だけど、何だ?」
「あの女を保護しようってのも、要は単なる善意じゃないのか? そんなものに、俺達が付き合ってる場合なのかよ」
「……分かっている。何かあったら、俺がけじめをつける」

 笹塚の指摘したことは、実の所照井にも思うところがあった。
 自らの意思で“仮面ライダー”の正義を放棄した照井とは異なり、相棒を喪ってなおフィリップの正義感は消えていないことは再会の際の会話からも明らかだ。
 そのフィリップが提案した「正体不明の女性の保護」は、題目こそ情報収集だが、その実は単なる正義感に拠るものなのではないか。
 彼との付き合いは短くないのだ。その程度、笹塚よりも想像するに容易い。

 それでもなお照井がフィリップの案を呑んだのは、フィリップ自身が最前線に出るために照井の不利益が小さいことを評価したためか。
 はたまた、十二分の実力を持つディケイド相手に打って出る度胸を買ったのか。
「まさかとは思うが……今になってあいつに肩入れしようってわけじゃ」
「黙っていろ」
 ……亡き翔太郎が遺した正義が果たされるのを見届けたいと、心のどこかで望んでいるでもいうのか。
 最後の可能性だけは無いだろうと思っているが、それでも照井の判断を客観的に見ればそのように受け取られてもおかしくはない状態にあった。

 そもそも、照井達がキャッスルドラン周辺まで移動してきたこと自体もフィリップの提案が発端だ。
 何らかの爆発の類だったのだろう、夜空の暗さの中でひときわ異彩を放った強い輝きを視界に収めた三人の中で、真っ先に現地への急行を提案したのがフィリップであった。その際に照井と笹塚に述べた理由付けもまた、今回とほぼ似たようなものだ。

(俺は……また繰り返してはいないか?)
 これでは、同じではないか。
 シュテルンビルトで鹿目まどかの願いを聞き届け、ディケイドやオーズとの戦いに割り込んで。そして、照井の本懐とは何ら関わりの無い理由で手傷を負わされたあの経験。
 ここでフィリップに付き合って時間を費やすこともまた、あれと同じような話ではないのか。
 そして、この先もまたフィリップは照井に今回のような提案をしては、あれこれと理由を付けて突き合わせるのではないだろうか。

 戦力増強のために引き込んだフィリップが、フィリップの中で今も熱を持つ仮面ライダーの正義が……結局、照井の枷となっていくのではないか?
 仮面ライダーごっこは、もう終わったのに?

「……あ-、そろそろ行っとくか? これ以上やるとフィリップがヤバそうだ」
「何?」
 疑念に囚われようとしていた照井の意識は、笹塚の呼びかけで現実に呼び戻される。
 見ると、随分と距離が開いた先でサイクロン・ドーパントがディケイドに斬りつけられていた。
 実力差が明白である以上、確かにこれ以上戦わせるのは本当に危険かもしれない。
 何より、ディケイドとの距離がこれだけ開けば十分か。
 ……とりあえず、今は面倒事だけ片付けておくのが手っ取り早い。

「だったら、いい加減切り上げさせてもらうか」
 胸に巣食う歯痒さを、振り切ってしまうために。
 赤のガイアメモリのスイッチで、心の揺らぎを一度リセットする。

――ACCEL――


 フィリップが笹塚から借り受けたセルメダルの枚数は必要最小限の量に過ぎない。
 サイクロン・ドーパントへの変身状態の維持コストを賄うだけならともかく、固有の能力の発動コストに枚数を充てる余裕はほとんど無い。
 そのため、サイクロン・ドーパントの本領である風を操る能力を迂闊に使うことが出来ず、強化された肉体のみを武器としての戦闘を強いられていた。
 そのことは当然ながら、フィリップが不利な状況に陥るのに十分な理由となっている。
 セルメダルの節約のためかディケイドも能力発動のキーとなるカードを使用することなく戦っているが、それでもなおフィリップを守りの体勢に追い込むほどに攻撃の勢いが苛烈だった。

 そして、今また剣がフィリップの胸部を斬りつける。
「ぐぅっ……!」
 浅い傷に留まってくれたが、それでもダメージには変わりない。
 呻くフィリップの隙を突いて繰り出されたディケイドの肘打ちも命中し、体勢を崩し地面に膝を付く。
 そんなフィリップを見下すディケイドの双眸には、敵意以外のいかなる感情が秘められているのか読み取ることは出来ない。
「……こんなことを、している場合じゃないだろう、ディケイド……!」
「生憎、俺にも俺なりの責務ってのがあるからな」
 怒りを滲ませたフィリップに対しての、不遜なディケイドの言葉。それがまた、フィリップの中の不可解と苛立ちを増大させる。

 相棒の死と共に、フィリップの仮面ライダーダブルとしての姿は失われた。
 照井竜は、仮面ライダーアクセルの力も正義も自ら放棄してしまった。
 人々の命が脅かされている中で、人々を守るべき仮面ライダーがいない。
 それでも戦わねばならない責任があるというのに、自分達は一体何をやっているのだろう。
「君は……」
 目の前の戦士は、今のフィリップが願っても得られない“仮面ライダー”の名を冠したディケイドは、どうしてこんな所でフィリップと戯れているのだろう。
 為すべきことは、他にいくらでもあると言うのに……!

「君が誰かを守らないなら、僕が守る……!」
 突き出した右の掌から、真っ直ぐに吹き荒ぶ突風が発生する。
 今の今まで控えていたサイクロン・ドーパントの能力の発動に、今このタイミングで踏み切ったのだ。
 勿論、風一つでディケイドを倒すことなど不可能だ。精々数秒の間動きを止めるくらいしか出来ない。
 しかし、それで十分だ。

――ACCEL――

 向こう側から響いた電子音声と共に、赤い影が飛び出した。
 アクセル・ドーパントと化した照井竜が、笹塚と共に女性の下へと駆ける。
 二人がこの行動こそ、フィリップの策が達成に近づいている証拠である。

 わざわざフィリップが単身でディケイドに挑んだのは、何のことはない陽動作戦である。
 穏やかに事を収めることが叶わない可能性に備え、まずフィリップが一人でディケイドと接触し、戦闘になったら守りに徹しつつ少しでもディケイドを女性から離れさせる。
 ある程度の距離を稼げたと感じたらディケイドの足止めに集中し、そのタイミングを見計らって照井と笹塚が女性の保護に向かう。
 他者の保護に消極的な照井達の不満を小さくするために考え出した策だが、少なくとも今の瞬間の時点では上手くいっているようだ。

 しかし、この策には欠点もいくつか存在する。
 ディケイドがフィリップとの応戦に執着する保証が確実ではなかった点。
 そもそもフィリップが倒されてしまっては元も子もないために危険な戦いを強いられる点。

 そして、何よりもう一つ。
「なるほどな」
 フィリップの狙いが陽動に過ぎないとディケイドに気付かれる可能性が、決して低くは無い点。
 照井達がいよいよ姿を見せたことに対してディケイドがさして驚いた反応を見せていないのを見るに、この危惧はどうやら的中してしまっていたようだ。もしかしたら、最初に会った時点で既に見透かされていたのだろうか。
 それでも、フィリップは引き下がるわけにはいかない。
 もう一度や二度能力を使うくらいのセルメダルなら残されている。たとえディケイドが銃を使って照井か女性を撃とうとしたところで、風で手元を狂わせるくらいは可能なはずだ。
 フィリップへの攻撃を重視するつもりなら、それこそ防いでみせるまでだ。
 ディケイドが次に取る行動に備え、一瞬の動きも見逃さぬよう注視するフィリップ。それに応えるようにディケイドが見せたのは、二枚のカードだった。

(トランプ……?)
 一見するとなんの変哲も無いトランプのカードが二枚、ディケイドの左手に握られていた。
 走る照井の方をちらりと一瞥し、それと同じくしてディケイドの左手が微かに動き始めるのをフィリップの目が捉える。
 カードを投擲するつもりなのか。しかし、普通に考えればカードが人間の身体に当たったところで殆どダメージにはならない。
 それでも、ディケイドがその行動を取ろうとしたことに言い知れぬ不安感を抱かずにはいられなかった。

 もう一度、ディケイドの身体に向けて風を発生させる。
 狙い通り、手から離れたカードが、あらぬ方向へと飛ばされていく。
 どんな目的があってのことか知らないが、少なくともカードが何者かの身体に襲い掛かることはなくなったはずだ。
 そのことを認識し、小さく安堵したフィリップ。
 しかし、そんな安堵は容易く消されることとなる。

 照井からも女性からも離れて行ったはずの二枚のカード。
 それが、空中で旋回し再び彼ら目掛けて滑空し始めた。

(自律型!?)
 カードに仕組まれていた機能に気付いた頃には、もう遅い。
「照井竜っ!」
 今更フィリップが追い付けないとあっては、頼みの綱は照井達だけだ。
 名を呼ばれた照井竜は、移動を止めて既にエンジンブレードを構えている。
 その刀身で、飛来したカードを受け止める。その瞬間、カードは小規模な爆発へと変貌した。
「くっ……」
 咄嗟にエンジンブレードの刀身で受け止めたことで、二人ともダメージは避けられた。しかしその代わりに、行軍を止められる羽目になる。
 たった一秒程度のタイムラグ、それが文字通り致命的な隙となる。
「あっ――!」
 回転しながら空気を切り裂くカードが、女の身体へと迫る。
 フィリップとの距離は、遠い。今更何をしようと防ぎようが無い。
 照井達は、動かない。ブレードを振るったところで正確に叩き落とすのは困難だ。

 跳べ、跳んでくれ。

 フィリップの脳裏に過った願いは、つまり身体を張って照井が女性を庇えとの命令に等しい。
 それが身勝手だとしても、願わずにはいられなかった。
 何も救えぬ自分が嫌だから、せめて照井が“仮面ライダー”であってくれと、フィリップは必死に願い続ける。
 そして、その想いに応えるようにもたらされた結末は、


『もー! ワケわかんない! なんでディケイドはあいつ等と戦ってるのさ!?』
『僕に聞かないでよ……正直、ディケイドもディケイドでバースとかいうライダー倒したりして様子がおかしいとは思ってたけど、一体何考えてるの?』
『アカンわ、ワイらでディケイドと力合わせようと考えとったが、こりゃあそんなこと言ってる場合やないぞ』
『おいディケイドォー! テメーのやるべき使命ってこんなことじゃねーだろ! とっととここから出しやがれ!』
『あ、桃の字。上開いたで』
『なんと? よし、こいつはチャンス! 俺達でまずディケイドをふんじばって……』
『センパイ。今の僕達じゃ無理だってば。ていうか、ディケイドが自分でディバッグを開けたってことは、多分……』
『そりゃあお前、ベルトを取り出して、その後、お、お、おおおぉぉぁぁぁああああーーーーーっ!?』



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最終更新:2015年01月05日 19:25