無敵の“ヒーロー”

「強い正義感を持ち、魔王などの巨悪を討つ輝かしい英雄」――――

それが、世間一般の「勇者」という存在に対するイメージであろう。

しかし、すべての「勇者」が、または勇者を目指すとされた「勇者候補」が本当にそうだったのか。
世界を、或いは誰かを救うべく自ら手を挙げ冒険の旅に出た“ヒーロー”ばかりだったのだろうか。

もしかしたら当人の意志とは無関係に一方的に勇者に任命された者がいるかもしれないし、
金や色欲など目先の利益に釣られただけの(こういう言い方は良くないだろうが)"俗物"も居たかもしれない。
或いは大罪人に対する事実上の"処刑"として、剣一本のみ持たせて魔王の城に向かわせたということもあった可能性もある。

もしくは――――

…私はもう随分と民族学者として様々な地で崇高で高潔な英雄傑士の伝承を細かく調べているが、そうする中で嫌でもわかってくる事がある。
伝記とか伝承とか呼ばれるものは所詮は人が伝える話に過ぎず、遥かな時を越えて語り継がれる間に「変質」することは決して珍しくないという事だ。
無論全てが捻じ曲げられた話という訳ではない。しかし、凝り性な学者が根掘り葉掘り調べ上げると、どうしても美しい物語だけが出てくるわけではない。

為政者にとって都合のよい話に「書き換えられ」たり、民衆の間で美化されたり、地域の伝承と擦り合わせされたり時には直接取り込まれたり、
或いは単に聞き間違いにより意図せず変わってしまう…理由は千差万別であるが、このような例は珍しくないのだ。

例えば単なる自警団が偶々村を襲った大型の魔物を討伐しただけのことが、いつしか「邪竜の王を打ち倒した冒険者たち」になっている、
とある国家を一方的に侵略した勢力が自らを「悪政を敷いていた暴君を打ち倒した正義の使者」として"歴史書に書かせる"など、(推測や噂も含めるが)この手の話は調べると枚挙に暇がない。
但しその「原型」の痕跡は、多かれ少なかれどこかに残るものである。

本題に戻るとしよう。

私が数年前にとある地で知った“無敵の戦士ゼノン”という「英雄伝説」は、まさにこのように「後の世において変化した」伝説なのではないか、そう思える部分がある。
内容としては、ある寒村出身の貧しい青年が天武の才に目覚め、幾つもの武器を巧みに使いこなして魔物の軍勢を討伐して周囲を平定した…という、英雄伝説としては王道と言える内容である。
近隣地域では子供に聞かせるおとぎ話としても比較的有名な話であるらしい。

だが、この伝説には地域によって幾つかの「後日談」が語られている事をしばらくして知った。

件の英雄はその功績から王の座に上り詰めたが、次第に悪政を敷くようになり暗殺者に謀殺される(民衆の中の有志が討伐したというバリエーションもある)、
魔物の親玉を討った後どこかに去っていった、後年の戦乱で兵士として戦場に赴くも戦場で命を散らした…形は違えど「何らかの形で消え去る」ということは共通しているのだ。
これはもしかすると、「消えた」のではなく何らかの理由で「消された」ということを示唆しているのかもしれない。

またこの英雄そのものも、今語り継がれている時点での人物像こそ「強い正義感を持ち、困った者に率先して手を差し伸べる、勇者かくあるべき」とばかりの人物となっている。
しかしもう少し古い話になると単に「勇猛果敢な戦士」として描写され、さらに古くなると「極度に好戦的で頭に血が上ると理性を失う程暴れ狂った」という狂戦士の如き描かれ方をしている。

そして―――

ある意味勇者像にトドメを刺すような事かもしれないが、もっと古いものでは「貧しい家庭に生まれ、常に困窮していた」、
人族でありながら生まれつき腕が複数生えた奇形として生まれ、村人はおろか親兄弟からも迫害されていた」、
「そしてある時遂に怒り狂い、無数の腕に剣を持ち、家族と村人全てを惨殺した」という、完全なる「殺戮者」の伝承が原型であったことが判明したのだ。

もしかしたら、今現在に伝わっているこの「魔物を打ち倒す“無敵のヒーロー”」の正体は…今語り継がれているような輝かしい、勇者らしい勇者などでは決してなく――――

「殺意と狂気に染まり、人も魔物も区別なく虐殺を繰り返した末に処刑された殺戮者」…だったのかもしれない。

現在、魔物を討伐した戦いの跡地とされる場所には英雄を讃える為の古い祠が建てられている。
其処にはかつての英雄…或いは殺戮者が纏っていた多腕の全身甲冑が安置されていたらしいが、何時しか忽然と消え失せていたという――――。


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最終更新:2024年04月09日 22:18