メルグ国に数多有る、とある料理屋の裏口。
夜も更け、今日の営業を終えて後片付けに忙しい店長兼コックの男が扉を叩く小さな音に気付いたのは偶然だった。
「あいよ、こんな時間に誰だ?」
裏口の扉を開ける。
だが扉を開けた男の正面には誰もおらず、室内からの灯りに僅かに照らされた路地の闇が広がるのみ。
「…気のせいか」
男はそう呟き、扉を閉めようとしたその時。
「
料理人様、ほんの少しばかり食べ物をお恵み下さいませんか?」
自らの足元から幼い少女の声がした。
男は思わずギョッっとしてその視線を足元に移す。
「…!?」
まず目に入ったのは薄汚れた
三角帽。
その三角帽の鍔は僅かに上を向いており、その鍔の下にはこちらを懇願の眼差しで見つめる少女の顔があった。
「………」
溜息一つ。
男はまずこんな女の子相手に驚いた自分を恥じる。
辺境の町や村ではあるまいし、扉を開けた途端魔物や
魔族に頭を齧られるような事などあるものか。
そして溜息を吐いて落ち着いた男はこの少女を観察する余裕が生まれた。
一言で現すのなら"小汚いガキ"だ。
年の頃で言うと十歳前後。割と整った顔立ちはしている。
だがその身に纏っているのは被っている三角帽と同じく薄汚れてボロボロの衣服。
そんな衣服の上からは更に所々穴の開いたマントを羽織っていた。
(浮浪者のガキかよ…)
恐らくはそうであろう。
表通りには決して表れないが、路地裏や地下にはこう言った連中がそれなりに居るらしい。
それは国外の難民まがいの者であったり、この国において料理の才の無かった落伍者。そして魔物モドキや魔族のような連中だ。
このような連中に慈悲を与えると大抵碌な事にはならない。
一度でも甘い顔を見せると味を占めた野良猫や犬のように事あるごとに現れるだろう。
だが。
「…分かった。料理は無いが食材なら少しだけ余っている」
男は甘かったのである。
ケーキやヴィラレイズよりも遥かに。
衛生面上から屋内に入れる訳にはいかない。
男は少女にそこで待つよう言いつけると厨房に向かい、肉や野菜の切れ端を厨房の隅に置いてあった空の小麦袋に放り込んでいく。
内心はどうであれ、余った食材をゴミ箱に投げ捨てるよりはマシだろうと言い訳を考えながら。
「ほら、持っていけ」
男はぶっきらぼうに食材の入った小麦袋を少女に投げ渡した。
少女はその投げ渡された袋を慌てた素振りであったものの無事に受け取る。
「だがもう来るんじゃないぞ、ウチにも面子があるもんでな」
そう言って男は扉を閉めた。
室内からの灯りが遮られた路地は闇に閉ざされる。
「………」
そんな闇の中、袋を抱えた少女はその扉に向かってお辞儀をすると。
「ありがとう」
少女がそう言うと同時、閉められた目の前の扉が一瞬だけ淡く光った。
「おい店長!今日の飯はいつも以上に美味いな!」
客でごった返す店内。
美食の国において料理人以上に舌の肥えた客達が出された飯に舌鼓を打ちながら料理を褒めたたえる。
「今日の飯じゃねぇぞ!その前の飯も美味かっただろうが!」
「違いない!ガハハハ!」
この店の店長兼コックである男はそんな称賛を聞きながら、今日もひたすら料理を作り続ける。
あの日以降、店には確実に変化が訪れていた。
日々頭を悩ませる害虫や
ネズミ等の衛生面を脅かす存在が店から消えた。
仕入れに関してはより良い食材の手に入る確率が上がった。
迷惑な客が来なくなり、良客が定期的に来るようになった。
安く買う事が出来た
グリル軍放出の食材
保存用の魔法道具が驚くほど優秀な性能だった。
ウェイトレスとして雇った
シーメルグキャットがシーメルグキャットらしくないレベルで非常に優秀だ。
そんな感じで怖いぐらい良い方向なのである。
店は今日も大忙しであった。
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最終更新:2023年04月10日 05:55