「深夜のひとコマ」
119 :深夜のひとコマ:2012/06/20(水) 23:54:28
120 :深夜のひとコマ:2012/06/20(水) 23:55:23
暗闇の中、手探りで冷蔵庫のドアを開けた。
人工的なオレンジ色の光と冷気が、風呂上がりの肌を撫でる。
「どれにしようかな…っと」
冷蔵庫の中で幅を効かせる酒やジュースと控え目に入った食料に、家主の長い一人暮らしの孤独を見る。
乏しい選択肢の中から、いつものコーラを取った。キャップをあけて一口呷り、冷蔵庫のドアを閉める。
冷蔵庫にもたれてもう一口。この部屋での事後は、不思議とこの味が欲しくなる。
これは八年前の真夏日、昼下がりの思い出(と、いう名のトラウマ)が要因だ。
汗まみれでべたつく肌と、朦朧とする意識のなか握りしめた裸銭。優しく俺をさする手。
気まずさの中で差し出されたコーラの味。涙目の俺を気遣う笑顔。夕暮れの空の色。
どれもこれも、この一本で鮮明に思い出せる。
「まったく…」
トラウマなんて言いつつも、同じ行為を繰り返すのは、俺が余程の馬鹿である事の証左だと思う。
『モモさんの事、嫌いじゃないですから』
あの日、夏の暑さで茹で上がった脳みそから絞り出した一言が、二人の関係の全てだった。
嫌いじゃない、愛してるってわけでもない。楽しいのならそれでいいや。で、ここまで来た訳だ。
だらしない馬鹿二人、つかず離れず、奇妙な縁だと思う。
喉の渇きが癒えたので、なんとなく見慣れたペットボトルを見る。
「憎いねぇ」一言呟くと、自然と口角が上がる。
労いを言葉にせず、いつものコーラを冷蔵庫に仕込むのはタヌキ親父の年の功か。
しかし、これを性交の報酬とみると、俺の身体も随分と安くなったもんだと思ってしまう。
八年前からすれば、驚異の99.25%OFF。自他共に認める吝嗇家の俺でも、素直に手を出せない割引率だ。
…まあいいか。八年もたてば、いい加減賞味期限も切れているだろう。
食べたがる物好きが居る方がおかしいんだ。
コーラを手に寝室に向かうと、扉の隙間から光と音が漏れている。
…あの人、まだ起きてるのかよ。
俺はそっとドアを開けると、ベッドに腰掛けTVを食い入る様に見ている眼鏡のオジサンに声をかけた。
「お風呂、あがりました。ついでに一本、いただいてます」
「あぁ、どーぞ」
オジサンはこちらを振り向きもせず、くわえ煙草のままひらひらと手を振った。
「モモさん、何見て…」
男同士の会話が流れる画面を覗き込む。映像を確認した瞬間、ギクリと心臓が跳ねた。
放課後の教室で、嫌がる学生服の青年にロン毛で眼鏡のいかにもな変態教師が、やや強引に迫っている。
そんなひどく見覚えのある光景が映し出されていた。
「うっわ。サイテー」
「え?何が?」
モモさんはニヤニヤと笑いながら、とぼけて見せる。わかってる癖に、白々しい。
「うーん…確かに。みんな帰ったからって、教室で襲っちゃうのは良くないよ?」
「あんたが書いた設定じゃないか!」
ああ、もう。折角、ほんの少し上がったモモさんの株が、みるみる暴落してゆく。
今TVモニターに映し出されているのは【放課後に浪漫sを】というタイトルのゲイビデオだ。
モモさんの代表的シリーズであり、BL・やおいを強く意識した作品である。
…故に、気障なアドリブ芝居が多く、個人的には恥ずかしくて、改めて見たいとは思わないビデオなのだ。
「そうじゃなくってね。今、見る必要ないでしょって事。ましてや、出演者の目の前で」
「一度、スッキリ冷静に、自分の仕事ぶりを振り返ることも重要だよ」
お互いにね。と、微笑みながら可愛らしく付け足す。
確かに、男児たるもの一戦交えた後の今ほどスッキリと冷静な時間も無いだろう。
さすが仕事人間だ。時間の有効な使い方を知っていらっしゃる。最低だけど。
俺はセミダブルのベッドに、腰掛けたオジサンを避けつつ寝転がった。
「見ないのかい?」
「当たり前でしょ」
腹の底から沸き立つ、モモさんへの罵倒の言葉を、半分ほど残っていたコーラで一気に飲み下した。
画面を見てしまわないように眼鏡を外して、ぼやけた天井を眺める。
それでも、否応なしに情報が耳から入って来てしまう。
お互いの身体を弄る衣擦れの音や、荒い呼吸に交じる甘い声。わざとらしい口付けや唾液の音。
中でもうるさく響くのは、ねちっこく気色悪い言葉責めを繰り返す俺自身の声だ。
『フフッ…。こんなに固くして…。ヤダヤダ言っても、身体は正直だね』何言ってるんだ、コイツ。
『可愛い顔しちゃって。ん?本当はいやらしいコトばっか考えてたんだろう?』うるせータコ。
『っ…はぁ…あぁっ…堪らないよ…』こっちの台詞だ、バカ。
…カラミで見せる技の中でも、言葉責めは得意分野と思っていたが、改めて聞くと酷いもんだ。
台詞のチョイスも、低く抑えた猫撫で声も、形骸化した"鬼畜眼鏡攻め"の上っ面をなぞっているだけで、何の
感動もない。「こういうもんでしょw」という驕りや惰気が透けて見える、安っぽいプロの仕事だ。
それっぽい事をしゃべればいいと思っている。小手先でごまかそうとしている。情熱が感じられない。等々
……ここまでクッキリと冷酷に反省点が浮かび上がるなんて、賢者タイムって凄い。
こんな事ならイクんじゃなかった…。いや、そもそもこの部屋に来なきゃよかった。
冷や汗で湿る背中に敷いた灰色の毛布が、どんよりと空を覆う雨雲のようだ。
「だあーっ!もう。見るのは勝手ですけどね、ヘッドフォンで聞いてください!」
「えー。やだー」
ニヤニヤとエロいビデオを満喫中のオジサンが駄々をこねる。かわいこぶるなよ、オッサン。
「なんすかコレは!新手の羞恥プレイですか!?」
「おっ…それもいいねぇ。こう、過去のビデオを流しながら…」
「絶対にやめて。精神にくるから」
それを聞いてモモさんが笑う。
「そんなに恥ずかしいもんなの?」
俺は何度か首を縦に振った。それを確認したオジサンがまた嬉しそうににやける。
「…どれくらい?」
一時停止ボタンを押してから、俺の顔を覗き込む。
ねえ。と、無防備な首筋を猫でもあやすかの様に優しく撫でて来る。
「そうですねぇ。どこぞの誰かがタイムマシーン作って、下手に過去に介入しちゃって、そのしわ寄せで
これを撮影中の俺にドッカーンとカミナリが落ちたりして………ここから消えたい、ぐらいに」
「随分と壮大だね」
「じゃ、シンプルに。殺して」
「やだよ」
即答かよ。俺の首に掛かる指に、少し力を入れてくれれば良いだけなんだけど。
「…とにかく、己の未熟さが目についてね。えぇ、反省しましたよ。こんな陳腐でカスみたいなカラミやって
男優を名乗ってたんですからね。ゴミですよ。今後、吉岡アキトと書いてゴミムシと読んで下さい」
ブツブツ言いながらモモさんの手を払い除ける。
「卑屈」
はね除けられた手で、俺の額をぺちんと叩いた。
「反省したなら、次回に活かせばいいじゃないか。それとも、もう僕の作品には出たくないとか?」
「…そりゃ、次があるなら…。お呼びがかかる限りは、出たいっすよ」
「よかった。まだ僕には、君が必要なんでね」
モモさんは安堵の表情で、俺の髪を撫でる。珍しく、嫌にくすぐったい台詞を吐いた事が気になった。
「なんですか、それ」
「うーん。やすい、からかな?…いろんな意味で」
少しの間、いろんな”やすい”を頭の中で探してみる。
「…お互い様ですよ」
「だね」
まあ、いまさら確認する必要もなかったな。と、二人笑い合う。
モモさんの指が、俺の毛先を弄ぶ。照れ臭くなった時にやる、いつもの癖だ。
「さて、そんな僕等の次回作をより良い物にするために、反省会の続きをば…」
モモさんは再生ボタンに指を掛けると、躊躇無く押した。
『あっ……先生ぇ…僕ぅ…イッちゃうぅ…』『フフッ…イかせてあげる♪』
画面の中の駄メガネ(鬼畜教師役)が、揚々と腰にラストスパートをかける。
「えーー。明日早いのにー」
「起こすから、大丈夫だよ」
……いつ寝るつもりだよ、オッサン。
「じゃあ7時に。おやすみなさい」
「ダメダメ、今夜は寝かせないつもりだから。ね」
「もっと艶っぽい相手に言え。じゃ、グッナイ。モモさんも早く寝ましょうねー」
モモさんのわがままを遮るように、毛布を頭まで被ると、俺はゆっくり目を閉じた。
【了】
最終更新:2012年09月04日 15:56