歪は直さねばならぬ。
罪は裁かねばならぬ。
正義も邪悪も所詮は同じ、一つの穴に棲む狢。
害獣は駆逐されると知るが善い。
箍を外して道理を外れ、闇へと潜んだ外道共。
異形は排除されると知るが善い。
此世と天地に目を背け、怠惰に過す有象無象。
愚者は淘汰されると知るが善い。
最早宴は止められぬ。
客を踴らす主とて、釈迦の手中に在るのは同じ。
そして私もまた亡ぶ。
余計な物を祓い落とし、世界は真実の姿を取り戻す。
そう、最後に佇つは――唯一人で良い。
●
昏い――闇である。
僅かばかりの光に照らされた、闇の只中である。
その闇の中に佇む、二つの影がある。
細く靱やかな躯に玲瓏たる月光を浴びる女。
そして、それに対峙する男。
男に見据えられる女の姿は余りにも小さく頼りなく、滑稽ですらあった。
女は口を開く。
「――久しぶりね、一ノ瀬君」
未発達な声帯から発せられる声は、涼やかな、落ち着いたものである。
「本当に――久しぶり。貴方は――随分と変わったみたいね」
色色とありましたから――男は応える。
「貴女も――そうでしょう」
女は口角を吊り上げる。
しかしそれは何処か寂しげな、疲れたような仕草でもあった。
「どれくらいになるかしら。貴方がいなくなってから」
「却説。僕は時間の流れというものを実感しにくい性質ですから」
「迚も――長かったわ。また逢えるなんて、本当に」
思ってもみなかった、と女は云った。
「――可笑しくなっちゃう。こんな時、こんな状況で、こんな話なんて」
「そうですか」
男は飽くまでも無表情を保ったままに女を見下ろす。
女は機械のように正確なリズムで笑った。
「私ね、探偵をやってるのよ」
「探偵――とは」
「職業探偵じゃないのよね、まあ称号のようなものかしら。依頼なんて来ないし、来たとしても受けないわ。
第一、公安に届出も出さずに探偵業は出来ないし。私、まだ学生だもの」
肩を竦めた女は男から目を逸らし、虚空を見詰める。
「私は自分の意思だけで探偵行為を行うの。最初は――人捜しだった」
「その人は――見つかりましたか」
「さあどうかしら」
風が吹く。
女の長髪が揺れる。
「危ない橋も多く渡ったわ。昔は気付かなかったけれど、この世界って危険な事ばかり」
「世界?」
男が聞き咎める。
「ええ。上手い事隠蔽してるみたいだけれど、調べれば解るものよ」
「――成程。それで」
女は長い睫の目を伏せる。
「酷い目に――遭ったわ。具体的に聞きたいかしら」
「いいえ」
「優しいんだ」
「興味が無いだけです」
事実――男は眉一つ動かしていない。
けれどもそれが真実に無関心なのか、或はそう見せているに過ぎないのか、女には判別が出来なかった。
言い表せぬ感情を振り払うかのように、女は云う。
「警察は動かない。動けない、かもしれないけれど。だから」
声を振り絞る。
「――殺してやった」
女は横を向いた。
男は静かに進み、その傍らに立つ。
「罪は適当な相手に押し付けたわ。誰にもバレやしなかった。まあ――私の知性なら、皆に偽の推理を信じこませるなんて容易い事だけど」
女は虚勢を張る。
「いけない事だなんて、そんな事は勿論解ってるのよ。けれど――」
突如――女は感情を顕にした。
「みんな――簡単に人を殺してしまうのよ! どんな理由でも人殺しは駄目だなんて、子供だって知っている理屈でしょう。
安易に人を殺しておいて、正義だとか悪だとか見苦しい云い訳をする。莫迦じゃないの?
国家に干渉されない力があるのなら何をしたっていいの? 悪人だったら殺しても構わないと云うの?
そんな訳がないでしょう。なのに――この世界ではそれが罷り通ってしまう」
だから。
「私も、自分の好きに生きる事に決めたのよ。一ノ瀬君」
韜晦もなく云いきった女は、莞爾とした笑みを浮かべる。
「気に入らない奴はみんな殺したわ。何人も、何十人も。そう、私が、この手で――」
「――嘘は良くないですよ」
男が、女の声を遮った。
「嘘? 嘘ですって――」
「嘘は嘘です」
「何を――」
「慥かに貴女は幾度と無く殺人事件を起こした。それは間違いのない事実でしょう。しかし」
貴女が自ら手に掛けた相手はいない筈だと男は云った。
「――巫山戯るのはやめて」
「巫山戯てなどいません。日本警察と云う組織は貴女が思っている程に無能ではないし堕落してもいないんです。
手出しが不可能な相手も、まあ存在はしているのでしょうがね。貴女にそんなバックは付いていない」
「何故――そんな事が云えるのかしら」
「貴女がいる世界に来たのは、今回も含めれば二十六回目になりますからね」
「え?」
混乱する女を無視して、男は続ける。
「確たる証拠もないのに犯人を逮捕する事は出来ない。してはならない。
勿論推理や想像は必要だし時には有効なのでしょうが、その場合も必ず裏付け捜査はなされる。予断は禁物と云う訳ですね。
況して、単なる部外者でしかない探偵の云う事を全面的に信じる事など有り得ない。
幾ら綿密な推理であっても証明など不可能だし、証明できても法的根拠は何もない。
犯人が自白した処で証拠能力無しと判断されればそれで終わりです。逮捕されても間違いなく不起訴だ。
被害者の個人情報、参考人の証言、現場の有り様。少しでも矛盾している部分があれば捜査は振り出しに戻る。
現代社会に於いては無実の人間に罪を着せるのは簡単な事じゃないんですよ――有り得ないとは云いませんがね。
だからこそ発覚した場合は大きな問題になるし、裁判で決着した事件であっても怪しい部分があれば検証が行われる。
冤罪事件は――何度も起こせるものじゃない」
男は女の正面に立つ。
女は動く事が出来ない。
「つまり――こう考えるしかないんです。貴女の推理は――正しい」
善く響く声が、闇の中に拡散した。
「貴女は決して自らの手を汚さない。
事前に被害者となる人間の周辺を調べ上げ、加害者と成り得る人物に手段を提供しただけだ。罪にならない範疇で、ですが。
当然乍ら普通の人間はそんな事をされても殺人などしない。
しかし――その手段を取らなければならない程に追い詰められていたとすれば話は別だ。
被害者となったのは――貴女が云う処の簡単に人を殺してしまう人間、ですね。否――加害者も、ですか。
自らの末路を凡て諒解した上で加害者は被害者を殺害し、貴女はそれを見事に告発してみせる。
ただ一点の間違い――そもそも、何故事件が起こったのかと云う部分を除き。
成程慥かに――。
貴女は自分の起こした事件を推理している振りをして、間違った推理で犯行を他人に擦りつける殺人鬼とも云える訳だ」
「だから――だから何だと云うのよッ!」
女は泣き声で喚いた。
――見苦しい。
「今更何を云ったって、私が殺人鬼である事に変わりはないのよ。そんな人間に情けを掛けて――」
情けなど掛けてはいませんよ――男は冷徹に云う。
「僕が嘘を見抜くのは――ただの趣味です」
虚を突かれた女は蹌踉乍ら二三歩後退する。
「更に云うなら――」
男は追求を止めぬ。
「何故貴女は――偶偶居合わせてしまっただけの事件をも解決したのです。
貴女が単なる殺人者であるのなら、そんな行為は何の益も齎さない」
半ば放心していた女は、男を睨み付ける。
最後の矜持のつもりか。
「私――は――」
女は云い訳を思い付く。
「ただ、犯罪者の――他人の絶望する顔を――見たかっただけ――よ」
強がりも程程になさい――男は見切っている。
「貴女程の才媛ならば、その行為のリスクとリターンの釣り合いが取れていない事など承知している筈です。
警察内部でもマークされている状況となれば尚更ですね」
瞭然と云ってしまいましょう。
「貴女はただ――殺人者が許せなかっただけだ」
女は。
女は潰れるように、その場に崩れ落ちた。
「私を――如何するつもり」
「何もしませんよ。貴女の云う通り、被害者が生前どんな行いをしていようが、殺される謂れなど決して無い。
貴女も又、正義だとか復讐だとか、そんなくだらない理由を盾に殺人を行う者と同じ位置に立ってしまった訳だ。
そして自分で手を下さなくとも殺人は殺人。許される事ではない。
しかし――貴女の場合は法で裁く事が不可能であるのもまた事実。精精が公務執行妨害でしょう。大体、今この状況では通報も何も出来やしないでしょうに」
「そんな事を――云ってるんじゃない」
「――勘違いをしないで下さい」
男は強い口調で云った。
「こんな――こんなくだらない、訳の判らないゲームに本気になる必要は無い。
貴女も理解しているように、命は皆平等です。悪人だから、犯罪者だから死んでもいい等と云う理屈は通らない。
だから――貴女がここで命を捨てたとしても、全く意味は無いのです」
「意味が――無い」
女は俯き、血が出る程に唇を強く噛み締めた。
風が止んだ。
闇を纏った男は女に背を向け、大声を上げる。
――まだ早いと云うのに。
その女への責苦はまだ足りぬと云うのに。
しかし――呼ぶと云うなら止むを得まい。
「さあ――もうこれで満足でしょう。覗見もいい加減にして出てきたらどうです!」
その声を契機に――。
私は、その場に出現した。
●
再び――風が吹いた。
「全く以て――お見事な推理でしたよ、
一ノ瀬空夜さん。探偵も顔負けだ」
この世の物とは思えぬ声。
真白の洋服。
剥出の骸骨。
真紅の双眼。
微かな月光すら否定する幽かな漆黒。
「あなたに褒められても――嬉しくありませんね、
月白氷さん」
男――一ノ瀬は真っ直ぐに死神と対峙する。
死神――月白は静かに嗤う。
「名前を覚えていて下さったとは、光栄ですねえ。一ノ瀬さんと対面したのは一度きりだと云うのに」
「あなたの顔は忘れたくとも忘れられませんからね。出来る事なら二度と会いたくなかった」
それではこの再会は幸福ですねと月白は嘯いた。
「私が行う事は何時でも何処でも変わりません。誰かが幸福ならばそれでいいんですよ」
一ノ瀬は胎児のような姿勢で蹲る女をちらりと見遣った。
月白は塵芥でも見るような目で女を見下した。
「その女はね、迚も酷い人なんですよ。貴方は甘い。この程度で許してはいけないでしょう」
「許した覚えも無ければ糾弾した覚えもありませんね。僕はただ――世間話をしただけです」
月白は心底愉しそうに笑う。
「己の心すら解らず無軌道に他人を傷付け、挙句の果てに取り返しのつかぬ大罪を犯す愚か者。
卑怯でしょう。矮小でしょう。穢いでしょう。だから私はこの女に――破滅の幸福を呉れてやりました」
「趣味が悪いのも相変わらずですね。こんな時くらいは自重なさったら如何です」
一ノ瀬は月白を見据える。
「こんな時だから――ですよ。あの世界の支配者とやらの力には、流石の私や貴方でも対抗できない。
ならばこそ、せめて平素と同じ日常を送る事こそが、彼奴への反抗となるのでは?」
「冗談でしょう」
「冗談ですよ」
しかしねえ――月白は肩を竦めた。
「彼奴の力が強大である事は事実でしょう。貴方は恐ろしくはないのですか」
「真逆」
強かな顔で一ノ瀬は笑った。
「あんな男の一体何を恐れろと云うのです。それこそ冗談だ」
「ほう。その自信に理由があるなら是非伺いたいものですが」
「交換条件が一つあります」
す、と手を翳す。
「僕の話に納得が出来たのなら――手を引いて頂きましょうか」
「何からです?」
「この世界から」
月白は――大いに笑った。
「まずは――確定事項から云ってしまいましょうか。
あの男は口だけは達者ですがね。大した異能を持っている訳じゃないんです」
「大胆な事を云うものですねえ」
如何にも意外だとでも云いたげな、戯けた口調で月白が云った。
「言葉一つで世界を革命してしまう力を大した事がない、とは。いやはや」
「言葉で世界が変わる訳がないでしょう。否、世界を変える事など誰にも出来ない」
明瞭且つ落ち着いた口調で一ノ瀬が云った。
「水は堰き止めようが流れを変えようが、常に高きから低きに流れるもの。
天然自然の理に逆らって物事の成る道理はない。
革命と云う言葉も所詮は社会体制の変革に過ぎぬもの。
指導者が変わったところで、雨を降らせる事だって出来ませんよ」
「それでは――貴方や他の方方が用いる異能はどうなのです?」
「実際に起こっている以上、それは世界の法則に逆らっている訳ではありませんね。
単に現代の科学では解明できない現象、概念だと云うだけです」
そう、概念――一ノ瀬は続ける。
「喩えば――重力と云う概念がありますね。
あの男が『重力の働く向きは反転する』とでも云えば、まああの男も含めて、その周辺にあるものが空に向かって落ちていく事になるのでしょう。
しかし重力と云う概念――言葉が出来る以前から、現在僕らが『重力』と呼ぶチカラは存在しているのです。
より解りやすく云うならば――僕には『一ノ瀬空夜』と云う名前があります。
だが、『一ノ瀬空夜』は僕を指し示す言葉ではありますが、僕そのものではありません。
言葉は動かないし、喋らないし、生きていない」
「意味は本質ではない、と」
「そう云う事です。そして――あの男は『攻撃は無意味だ』と云って銃弾を止めましたね。
却説、『攻撃』とは一体何を指し示す言葉なのでしょうか。
仮に――あの男に向けて発砲した人物は、単なる挨拶のつもりで攻撃の意図など一切無かったとすればどうでしょう。
何故止まってしまったのか、全く理解できない筈だ。
これはまあ極端な例えではありますがね、あなたのような方が居るくらいですから、そう云う文化を持つ世界に生まれた者だっている可能性はある。
序に云うなら『無意味』と云うのも妙ですね。そもそも世界のあらゆる物事には意味など初めからない。
僕達人間が勝手にこれはこう云う物だと決めているだけです」
言葉とは。
「言葉とは、受け取る側次第で如何とでもなるものです。
発せられたあらゆる言葉は、受け取った者の数だけ別な意味を持つ。真理では有り得ない」
世界とは。
「世界とは、二つに分けられる。個人の内部の世界と、外側の世界です。
言葉は内側から発せられて、外側に向かうものですね。内側の世界に於いては言葉は全能です。世界そのものでもある。
しかし外に出されてしまった段階でそれは世間と云う膜に吸収され、大した効力を持たなくなってしまう。
世界になど――届く訳がない」
解りますか。
「要するにあの男の異能は、『言葉の意味を自らの都合の良いように解釈し、それを他者に押し付ける』能力――なのです。
ま、あの男の視点から視れば『世界を書き換える』能力とも云えない事はない――のでしょうがね。
そんなご大層なものではないと云う事は、理解して頂けたと思います」
ぱん、ぱんと、月白が手を叩く。
「随分と――口が能く回るものですね」
「僕は確固たる自分の世界と云うものを持っていませんからね。
どうしても他者からの借り物の言葉が多くなる。だからと云って、僕の今の考察が間違っているとは思いませんが」
「根拠は――あるのですか?」
勿論ですと一ノ瀬は云った。
「この僕が云う以上――間違いはない」
「ああ成程。貴方はそう云う存在でしたね」
感心したように月白が云った。
「劣化すると雖も、僕は一度視れば使える訳ですからね。当然使い方も効力もその時点で把握出来ている」
そこで一ノ瀬は声を低くした。
「能力の効果範囲は最大でも200m程度。なんとまあ、随分と狭い世界もあったものです。
『解釈の押し付け』も、ごく単純なものしか不可能だ。更に、発動するには口に出して命令する必要がある。
ま、そうは云っても強力と云えば強力な能力なのでしょうが――対処法は幾らでもある。
最も単純な方法は、何かを云う前にさっさと昏倒させて口を塞いでしまう事でしょうね」
世界の放浪者は――あくまでも淡泊に、世界の革命者の異能を解体した。
「中中面白い話でしたよ、一ノ瀬さん。ではもう一つの異能――『パーソナリティを書き換える』と云うのは、どうなのです。
今この場で会話をしている我我とて、常にあの能力の危険に晒されているのではないのですか」
「あれは単なるペテンです」
一ノ瀬は断言した。
「慥かに――あの男は他者の人格を書き換えたり、異能を付与する能力は持っている。
これも『解釈の押し付け』である事には変わりはありませんがね。能力行使が可能な範囲もごく至近に限られています。
更に――人格の書き換えも万能ではない。こちらも矢張り、ごく単純なものしか不可能でしょうね。
『この能力自体の付与はできない』と、あの男本人も云っていたでしょう。
又、飽くまでも書き換えるのは人格であって存在ではない。存在自体があの男と同じになると云うのなら、肉体もまた変質する筈です。
故に――無機物に対しても能力を行使出来ると云うのはハッタリでしかない。
あの男が行ったパフォーマンスは、梨に赤い絵の具を塗りたくってこの梨はこれで林檎と云う存在になりましたと主張するようなものだ」
「辛辣ですねえ」
「遣り方が杜撰だからです。自分で用意した人物を使う等、怪しんで下さいと云っているようなものではないですか。
人体切断マジックを行う奇術師だって観客の中に紛れ込ませたサクラを使うくらいの工夫はする」
大体――一ノ瀬は自らの首を指し示す。
「これを云ってしまうのは少少大人げないと云うか、身も蓋も無い話だとは思いますがね。本当に万能の能力ならば、こんな小細工は要らない。
万能だったとしても、僕が『この殺し合いは無かった事になる』とでも云えばそれで終いですが」
「御尤」
一ノ瀬は一度深呼吸をして、居住まいを正した。
「却説――これ迄の話でお気付きになった事がある筈ですね。
簡単に云えば――あの男の異能では、異世界から人物を呼び寄せる事も、このような悪趣味なゲームの舞台は用意する事も出来ない、と云う事です」
「おやおや。それでは貴方の推理は振り出しに戻った事になりますが」
「戻ってはいませんよ。繰り返しになりますが、僕はあの男の異能がどんなものなのか完全に把握している訳ですからね。そこに間違いはない。
だから――間違っているのは、あの男が一人でこのゲームを催した、と云う認識です」
「ほう。あの男は単なる操り人形で、黒幕が他にいるとでも?」
「それは違う。飽く迄も
主催者はあの男です。でなければもう一人のあの男の存在が矛盾する。
協力者か、部下か、将又何らかの物品か――まあそれは判りませんがね。あの男が単独で舞台を用意できない以上は、陰にそう云った存在がある」
「ふうむ――」
月白は腕を組み、態とらしく納得したような態度を取った。
「そして――ここからは根拠も何もない、完全な僕の予想、想像になるのですが――」
一ノ瀬は無表情のまま言葉を紡ぐ。
「あの男の言動と行動を鑑みるに、僕は――あの男は唯の臆病者だとしか思えない。
本当に自分の能力に絶対の自信があるのならば、小細工など一切用意しなくとも良い。
自分の能力を開示する事も、首輪の存在も、要は脅迫です。
そんな事をしなければ自分自身が真っ先に狙われると云う事を、本人が一番解っているのです。
単に殺し合いをさせたいだけならば、こんなだだっ広い場所に移動させずともあの場で行わせれば良い。
そうしなかったのは、一斉に襲って来られたり流れ弾に当たってしまうのが怖かったからです。
そもそも、殺し合いには
ルールも、それを説明する必要もない。
元元殺し合いを行っているような関係の人物同士が食料も無い孤島に突然拉致されれば、何もせずとも殺し合いは発生する。
時間が経過すればする程、それに巻き込まれる者達も多くなる。
皆の前に姿を現してルールを説明したのは、自分はゲームの主催者であり、参加者よりも上の位置にいるのだとアピールしたかったのです。
だから――あの女性には痛い所を突かれたのでしょうね。
人間の可能性等と云う、恐ろしく曖昧な、何の意味もない言葉を吐いて早々にその場を切り上げるしかなかった。
あの場には人間でない者も多く存在していたのですが、そういった者にどんな影響を与えるのかと云う事も頭には無かったようだ。
神を『完成物』と称する辺りは一神教的な思想の影響を受けているようにも思えますが――。
否、単に、神と云う言葉に対して漠然としたイメージしか持っていないと云うだけの話でしょうね。
結局――あの男にとっては自分が知るもの、信じるものだけが世界の凡てなのです」
だから。
「僕はあんな男など、恐ろしくも何ともない。哀れだと云うなら解りますがね」
月白はくつくつと笑い声を立てた。
「いや、流石ですねえ。実はね、私は凡てを承知の上で貴方を試させて頂いていたのですが。
私が思っていた事とぴたりと一致する。いやあ、面白かった。さあ次は――あの男に破滅の幸福を与えてやりましょうか」
月白は。
自らの頭部を、いとも容易く片手で取り外し――もう片方の手で、首輪を放り捨てた。
片腕に抱えられた髑髏が、嗤った。
「こんな物で私を拘束しようとはねえ。永く生きてきましたが、此程の愚か者に出会ったのは初めてですよ。
いや、こんな事を云っては失礼かもしれない。何せ私は幸福を与える者。この首輪が外れたのも――奇跡の賜物なのですから」
「――勘違いをしないで下さい」
一ノ瀬は表情一つ変えず、死神を睨み付ける。
「現在此処で語られているあの男に関する話題は、現在此処に居る僕達が形成する世間でのみ有効な話題――世間話に過ぎないのです。
此処とは別の場所に存在するであろう、あの男のペテンを信じる者達が形成する世間では、それは通じない」
「何が――云いたいのです」
「貴方もあの男と同類だと云うことですよ月白さん」
世界を渡る者は、死神へと一歩を踏み出した。
風に吹かれ、騒騒と草木が音を立てる。
「正直に云えばね、あなたがあの男を玩具にして壊してしまおうが、他の参加者を皆殺しにしてしまおうが、文句を云う気は無い。
そうなったならなっただけの理由があるのですからね。だが」
あなたは世界を壊してしまうと一ノ瀬は云った。
「あなたは今、首輪を外しましたね」
「外しましたとも。爆破された所で意味はないんですが、気分が悪いのでね」
「そう、それ自体は全く構わない。首輪の存在など、所詮はあの男が規定したルールに過ぎない。世界の理ではない。
外したのがあなたであると云うのが問題なのです」
「嫌われたものですねえ。知っていると思いますが、私、死にませんよ?」
一ノ瀬は月白の言葉を無視した。
「本来ならば――あの首輪はそう簡単に外れていいものではない。
それはこの殺し合いの場に存在する七十余の存在の、それぞれの世界に存在する共通認識です。
僕らのような存在は例外中の例外だ。
だから解釈は多様に発生し得る。
例えば、何らかの技術や能力によって首輪を解除したのだと素直に受け取る解釈。
例えば、首輪が爆弾になっていると云う情報自体がブラフだったと云う解釈。
例えば、あなたの首輪だけが偶偶不良品か何かだったと云う解釈。
例えば、あなたは実はあの男が差し向けた手下だったと云う解釈。
例えば、首輪の解除と云う事実を信じる事が出来ないからそれ自体を無かった事にしてしまうと云う解釈。
人の――世界の数だけ解釈は存在する。そして、それらはその世界の中では凡て正しい。
事実か否かは関係ないのです」
しかし。
「あなたが関わった物事からは――解釈の余地が消えてしまう。
願いだとか幸福だとか、奇跡だとか破滅だとか、そんな安っぽい言葉一つだけで凡てが説明出来てしまう。
多様な解釈、多様な文化――その多様さが豊かさに繫がる。何を誰が見ても同じように考えるような世界など――僕は」
厭だ。
「――僕の云い分はこれで終わりです。さあ、どうです。納得したのならば――消えて下さい」
「ふふふ――」
髑髏は嗤う。
「本当に宜しいのですか。私があの男に破滅を与えれば、死人は減るかもしれませんよ」
「そんな事は関係がない。先程も云ったでしょう、殺し合いにルールは必要ないと。
始まってしまった以上――もう、あの男を止めるだけではこのゲームは終わらない。
それに――あの男もこの世界に生きる人間の一人でしかないのですからね。特別な存在などではない。
本人がどう思っているかは知りませんが」
「屁理屈ですね」
「屁で結構」
月白は片手に自らの頭部を持ち乍ら器用に腕を組んだ。
「まあ――好いでしょう。十分に娯しませて頂いた事ですしねえ。大変愉快な一時でしたよ。
それに――慥かにこの世界はどうもやり難いようだ。ここは貴方の顔を立てるとしましょうか。ああ、でも、その前に――」
月白は指を鳴らす。
ぱちん、という軽い音と共に――一ノ瀬の首輪が解体される。
地面に落ちた首輪は、粉粉に砕け散った。
「選別ですよ。貴方には奇跡の幸福を差し上げましょう。
これで貴方はもうゲームの参加者ではなくなった。何時ものように世界を彷徨う放浪者へと逆戻りと云う訳です。
嬉しいでしょう? 何、他の参加者の方方の事など気にする事はありません。命は一番大切なのですからねえ。
ふ――ははは、ははははははははは――」
高笑いと共に死神は闇へと同化する。
何処――。
何処から来るのか。
何処へ往くのか。
その答えを自らだけが知る死神は――何の痕跡も残す事無く、この世界から消滅した。
●
顔を上げて眼を開くと彼の顔がすぐ近くにあったものだから私は驚いて眼を閉じ、俯いてからもう一度、今度は薄く眼を開いた。
私のすぐ隣に、彼は腰を下ろしていた。
こう云う時。
どんな事を――云えばいいのだろう。
「一ノ瀬――君」
「貴女の事だから、あの状態でも話は確り聞いていたでしょう。まあ――僕はどうも、この世界からいなくなる事になったらしい」
「――そう」
本当に。そう、としか、云えなかった。
「あまり――驚いていませんね」
「驚いてるわ。けれど――超能力と云うか、そう云うものの存在は――私も、知ってはいたから」
――何を。
云っているのだろう。
私は。
「でも――卑怯ね、貴方。だって、自分だけ無傷で脱出してしまうのでしょう」
「僕に文句を云われたって困りますよ。好きでこんな体質になった訳じゃない」
「そう――なの」
改めて、私は彼の事を全く知らなかったのだと実感した。
「大体――僕はこの世界では何も成せちゃいない。
普通の人から視れば、まあ訳の判らない屁理屈を唱えるだけ唱えて消えてしまった意味不明な人物としか解釈されないでしょう。
二度とこの世界に関わる事が出来ないのだから、生きていようが死んでいようが変わりはしませんよ。
しかし――貴女にとっては都合が良かったのではありませんか」
――嗚呼。
矢張り、彼は凡て見抜いているのだ。
「物凄い威力の異能を持っているだとか、戦闘技術があるだとか、そんなレヴェルではない――このゲームそのものの破壊者となりかねない人物。
即ち、月白氷と一ノ瀬空夜。その二人を早々に退場させられる訳ですからね」
「何の――事かしら」
私は無駄な抵抗をする。
「お株を奪ってしまうようで、少少抵抗はあるのですが。どうせ最後なのだから云ってしまいましょうか」
彼は云う。
「――この事件の犯人は、貴女ですね」
風が。
止んだ。
「手口は平素と変わりなく――真犯人である貴女は決して手を汚さず、決して疑われない位置に存在した訳だ」
云い訳を。
云い訳をしたら負けだ。
「何故――判ったの」
「云ったでしょう、貴女の世界には何十回と訪れたと。
まあ――それとは別に、視なくてもいいものが勝手に視えてしまう能力と云うのも、僕は複製してしまっていると云う事もあるのだけれど――」
解らない。
けど。そうなのだろう。
「正義の味方に悪の組織、犯罪集団、連続殺人者――どれもこれも、貴女が許す事が出来ず、排除しようとした者達です。
そうでない者達の大半も、その殆どが貴女の周辺にいる人物だ。貴女こそが――このゲームの中心だった」
そう――許せなかった。
迷うことも、悩むことも無く、皆、簡単に人を殺してしまう。
排除しなければ。彼が戻ってきたとしても、ずっと隣にいる事が出来なくなってしまうかもしれないから。
けれども。私も何時しか排除すべき者共と同じになっていたのだ。
だから――私もまた、亡びねばならなかった。
ただ。彼が静かに暮らせるような世界を――作りたかった。
「とは云え――貴女は、あの男に協力している訳ではない。飽く迄も、単なる参加者でしかない。
単に、あの男がこの面子を揃えてこのゲームを開催するように誘導していっただけだ。
しかし――流石の貴女でもあの男に協力する者がいるとは考えていなかった。
だから、貴女にとって完全に想定外の存在である異世界からの来訪者までもがこの世界にやって来てしまった。
ただまあ、貴女は排除すべき者を排除出来るのならばそれで構わないのだから、それは然程重要な事ではない」
その――筈、だった。
此処で、彼に逢う迄は。
何処で。私は、間違えてしまったのだろう。
「ええそうよ、私が犯人。けれど、貴方が云ったようにこれは犯罪にはならない。いえ寧ろ、世界は――善い方向に向かっていく筈よ。
そうでしょう? あんな屑共、いない方がマシだもの。あの男だってこんな事をしたらタダじゃ済まない。テロリズムなんてやってる場合じゃなくなるわ。
私だって――勿論死ぬつもりよ。あの怪人に惑わされて、貴方に、説得されてしまったけれど――」
――違う。
こんな事を――云いたいんじゃない。
彼は――。
酷く哀しそうな眼で私を視た。
「何度でも云いましょう。誰が何処で何をしようが、世界は決して変わりはしませんよ。
そして、貴女がここで命を捨てたとしても、全く意味は無い」
そうだ。私はそれを間違えていた。
だけど。だけどだけど。
「ふん――そうね、世界は変わらない。でも、社会は変わるでしょう?
悪の組織だなんて子供みたいな事を云って、要は犯罪者の集まりじゃない。
それを取り締まるんじゃなく、殲滅しようとする正義の味方だって怪訝しいわ。
どうして国に認められているのか、私には全然解らない。
このゲームは、そんな社会に対しての――」
違う違う、全然違う。
「いいえ、変わりません。いいですか、此処に集められた人数は――たかが七十余名でしかないのです。
勿論その位の人数だったら死んでもいい等と云う理屈は通りませんが、今現在この時だって世界中で大勢の人達が理不尽な理由で亡くなっている。
病気、飢餓、貧困、差別、戦争。社会には――人間には、未だ解決できていない問題は山のように積み重なっている。
このゲームは『テロリストによって起こされた誘拐殺人事件』以上のものには決して成り得ない。
暫くの間は世を騒がす事になるかもしれませんが、社会が変わる事は絶対にない。革命など――起こらない」
――やめて。
「何を云ったって負け惜しみよ。早く――私の前から消えて、一ノ瀬君」
顔を伏せる。
怖かったから。
「わかりました――もう僕が出来る事は何もないらしい。しかし」
貴女は何か云いたい事があるのではないのですかと、彼は問うた。
彼の顔を、私は見ることが出来ない。
「いいから――早く、消えて」
「馬鹿野郎」
「――え?」
「馬鹿野郎と言った。俺がアンタに言ったんだ
音ノ宮・亜理子」
彼は。
初めて、私の名前を呼んだ。
「アンタは世界も社会も本当はどうでも良かったんだ。見ていたのは自分の周りだけだ」
「い、ち――のせ、くん」
「どうして――そんなに回りくどいんだ。たった一言、解釈の余地も何もない言葉を――どうして言えない」
彼はすっくと立ち上がり、堂々とした態度で私に背を向けた。
嫌。
いや、いや。
「私、わたし――」
「もう遅い」
遠ざかる。
遠ざかっていく。
「世界が崩れても――」
いかないで。
「――俺は、アンタを」
そうして一ノ瀬空夜は私の前から去った。
天空を支える支柱が砕け散ったと云うのに、月も雲も平素と同じ位置に在った。
大地を支える土台が崩れ去ったと云うのに、震えているのは私の体だけだった。
私の隣にいた人は、最初からこの世界にはいなかった。
でも。
彼が云った通り、私はこの灰色の世界で、償い切れぬ罪を背負ったまま生きていかなければならないのだろう。
このゲームの中で、死に怯えなければならないのだろう。
その時になって漸く私は、自分が泣いている事に気が付いた。
そして私が――。
音ノ宮・亜理子が一ノ瀬空夜に再会する事は、二度と無かった。
【A-8 草原/深夜】
【音ノ宮・亜理子】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、ランダムアイテム1~3(未確認)
[思考]
基本行動方針:生存する
1:不明
【一ノ瀬空夜 消滅】
【月白氷 消滅】
最終更新:2015年07月12日 02:17