殺し合いの始まりよりも以前。
数年前の、ある日の出来事だ。


「はーッ……はァーッ………」


人気の無い夜道に、荒い呼吸音が小さく響く。
制服姿の少女は、首元から血を流してしゃがみ込む親友を見つめていた。
少女の息は荒く、目は血走り、瞳は鮮血の様に紅く染まっている。
そして、その口元に生えていたものは―――鋭い犬歯。
その姿を見た者は、彼女をこう呼ぶだろう。
人食いの吸血鬼(ヴァンパイア)、と。

喉が、渇いていた。
腹を空かせていた。
餓えを満たせるものが、欲しかった。

その欲望は年を重ねるごとに膨れ上がっていった。
幼き日には少量の血液で十分だったというのに。
高校生になった今では、その程度では物足りない。

もっと食料が欲しかった。
もっと血液を取り込みたかった。
兎に角、腹を空かせていたのだ。
これまでずっと空腹に耐えてきたが、最早限界だった。


「……ァ……白、兎」


だから彼女は、親友を襲った。
高校のクラスメイトである雪野白兎に、牙を突き立てたのだ。
白兎はその場で膝を突き、唖然とした様子で首筋の苦痛に苛まれている。
そんな親友の姿を見て――――葵は、我に返った様子で顔を青ざめさせる。


「あおい……何、それ……吸血鬼……?」


白兎が、苦痛を堪えながら問い掛けた。
鋭い牙に加えて、人間の血を吸うという先程の行動。
聡明な知性を持つ白兎はすぐに葵の性質を察した。
葵が、普通ではないということを。
吸血鬼のような、血を喰らう存在なのだということを。

「そのッ、あたし、ただ、お腹空いててッ……殺そうなんて、思ってなくて………!
 ごめ、ごめん………ごめんなさい………ッ!」


愕然とした表情で、葵が言った。
必死に謝辞を述べる様に。
自らの罪を懺悔する様に。
己の過ちを、心の底から後悔する様に。


――――親友を襲ってしまった。
――――親友を傷付けてしまった!


葵は己の行為が如何に愚かだったのかを、理解してしまった。
果てしない餓えに負け、親友に手を出してしまったのだから。
自分の為に、友達を犠牲にしようとしてしまった。

血を吸い切る前に思い留まった為、殺さずには済んだ。
だが、それでも――――それでも、白兎を襲ったことは確かだった。
親友に、自分が人食いの化物であるということを知られてしまった。

葵はその場でぺたりと崩れ落ちる。
頬を涙の雫が流れ落ちる。
白兎の目も憚らず、咽び泣いた。
取り返しのつかないことをしてしまったと言う後悔、そして罪の意識。
それらが葵の胸の内をを蝕み、彼女を苛んだのだ。

白兎は、唖然とする様に葵を見つめることしか出来なかった。
親友が吸血鬼で、自分を襲って、泣き始めて――――。
予期せぬ出来事が立て続けに起こった為に、呆然とすることしか出来なかった。
それでも、白兎は考えようとする。
目の前で泣きじゃくる親友を見て、己のすべきことを思考する。


どうすれば、いいのだろう。
葵が吸血鬼で、私を襲おうとして。
でも、葵はお腹が空いているらしくて。
私を襲ったことも、悔やんでいて。
こんなに、泣いていて。
つまり。
―――――どうにかして、空腹を満たしてあげればいいのだろうか。


「…あの、さ……葵」


首筋を抑えながら、白兎が声を掛ける。
葵は涙で歪ませた顔をゆっくりと上げる。
何を言われるのだろう。
やっぱり、突き放されるのだろうか。
そんな不安と疑念を表情に浮かべて、葵は白兎を見つめる。



「今、トマトジュース、持ってるんだけど……飲む?」
「……え?」



白兎から返ってきたのは、予想外の一言。
素っ頓狂な提案に、葵はぽかんと口を開いた。
雪野白兎が出した結論、それは『代用品で腹を満たすこと』だった。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆



少し前まで天上に昇っていた太陽は、ゆっくりと傾き始めていた。
正午から幾許かの時が過ぎ、時刻は昼間へと移行していく。
荒れた山道に陽の光が射し続ける。
岩や土が日光の熱に晒される。
一日で最も気温が上昇する時間帯であることも重なり、山中は温暖な気候に包まれていた。

昼間の山道を、二つの人影が進む。
片方は紅い前髪と蒼い後ろ髪を持つ精悍な顔立ちの青年。
もう一方はロングウェーブの髪と赤いジャケットが特徴的な若い女性。
JGOEのヒーローである氷山リク、そしてラビットインフルの社長である雪野白兎だ。

二人が目指しているのは、この山道の先にある中央区域。
白兎は禁止エリアが狭められていくことで最後に残るであろう、会場の中央を調査することを提案したのだ。

中央、あるいはその近辺に目立った施設は幾つかある。
展望台。ダム。水力発電所。
展望台は単なるオブジェクトに過ぎない可能性が高いが、発電所は別だ。
ダムが建設されている本格的な水力発電所となれば、何らかの用途に使われている可能性は高い。
少なくとも会場内に供給される電力の生成を賄っていても不思議ではないのだ。
第一回放送後に調査した電波塔でも電気が生きていたのだから。

この会場が無人島であることは語るまでもない。
電波等の調査を行った際に、周辺への電波が届かないことを確認した。
完全な孤島か、あるいは異界か。答えは未だ解らない。
外部への電波さえも届かない環境。まるで巨大な密室だ。
少なくとも、此処が普通の島ではないということは明白だ。

だが、この島では電力が生きている。
他に人間が存在しない筈の島で、電気の供給が行われているのだ。
先に述べた通り、電波塔での調査で判明したことだ。


「水力発電所と言えば、普通は作業員による監視や定期的な点検が行われている筈よ。
 にも拘らず、住民が存在しないこの島で電力が滞りなく供給されている」
ワールドオーダーが手を回して、発電所を機能させているかもしれない…ってところか?」
「ええ。…正直言って、かなり手探りな発想だけれどね」


苦い表情で白兎はそう答える。
無人の筈の島で発電所が生きているのならば、ワールドオーダーが何かしらの形で介入した可能性が高い。
その為、発電所の施設を調査すれば主催者の尻尾を少しでも掴めるかもしれない。
はっきり言って、手掛かりが見つかるという見込みは薄い。
前提からして「ワールドオーダーが関わっている『かもしれない』」という推測に基づいているのだから。
だが、白兎とリクはここまで後手に回り続けている。
主催者に関する有力な情報も得られていないのが現状だ。
それ故に調査は手探りにならざるを得ない。
例えアテの小さい可能性でも、二人には直接調べに行くことでしか真偽を確かめる手段が無いのだ。

「手探りでも、可能性があるだけマシさ。確かめて見る価値はあるだろう」
「…そうね。少なくとも、何も得られない訳ではない。
 可能性を考慮し、確認するだけでも行動する意義はある」


山道を進みながら、二人は言葉を交わす。
主催打倒の為の大きなヒントになる可能性は低いものの、少なくとも何かしらの手掛かりにはなるかもしれない。
二人はこれまでも主催や会場に関する考察を繰り返していたが、結局のところ有力な情報を未だに掴めていないのだ。
だからこそ、小さなヒントでも構わなかった。何かしらの情報が欲しかったのだ。
もしも発電所を含めて中央の調査で何も得られなかったとしても、「中央には何も無い」ということが判明する。
それだけでも一応の収穫にはなるだろう。
それ故に、二人は中央を目指して進むのだ。


無言の返答によって会話が途切れた後も。
二人は、黙々と山道を歩いていく。
日差しが照る中で、淡々と歩を進めていく。
周囲への警戒も怠ることも無く、二人の戦士は険しい道を突き進む。
そろそろ、中央へと到着する頃合いだろう。


「…なあ、社長」


そんな中、リクが唐突に声を掛ける。
白兎は無言でリクの方へと視線を向けた。


「俺は、決して屈するつもりは無い。
 この殺し合いにも、ワールドオーダーにも…
 絶対に、立ち向かうことを諦めない。そう誓っている」


歩を進めながら、リクは静かに語り出す。
氷山リク―――シルバースレイヤーとしての誓いを、この場での相棒たる白兎に語る。
自らが何者であるかを確認するように。
己の進むべき道を、改めて認識するように。


「だけど、こうしている間にも罪無き人々が死んでいる。
 理不尽にこの殺し合いに巻き込まれ、命を落としている。
 佐野さんや、おやっさんも…」


リクの語り口に、次第に悔いるような感情が籠り始める。
リクはこの殺し合いに決して屈するつもりは無い。
だからこそ、殺し合いを打破する為に行動している。
だが、そうしている間にも殺し合いは巻き起こり続けている。
己の知らぬ場所で罪無き人々が無惨に殺されている。
主催者の掌の上で踊らされ、殺し合いに乗ってしまった者達が居る。

結果として、数多くの人間が命を落としてしまった。
ラビットインフルの社員、佐野蓮も。
おやっさんこと、剣正一―――――ナハト・リッターも。


「…俺は、自分の無力さがどうしようもなく悔しい」


拳をギュッと握り締め、リクはそう呟く。
苦々しげに、悔しげに、彼は歯軋りをする。
正義のヒーローであるにも関わらず、他者を守ることさえ出来ていない。
殺し合いを打破する為の調査はこれまでにも行っている。
しかし、この殺し合いを止めること自体は殆ど出来ていないのだ。

放送では、次々と犠牲者が伝えられる。
この殺し合いによって命を落とした者達が、淡々と告げられる。
自分はそれを、ただ聞いているだけしか出来ない。
リクの胸の内に込み上げるのは、悔しさだった。
守るべき者達を、仲間達を守れない自分への怒りだった。
これまでは「ナハト・リッター達がそう簡単に死ぬ筈が無い」という慢心があったのかもしれない。
だからこそゲーム開始以降は白兎と共に会場の調査や考察を優先していたのだろう。
だが、そんな常識は此処では通用しない。

この会場には、未だ30人前後の参加者が存在している。
JGOEの仲間であるボンバー・ガールや、ラビットインフルの空谷葵も健在だ。
今もまだ生きていると言っても、彼女らもまたどこかで危機に陥っている可能性がある。
リクは彼女らの元に今すぐにでも駆け付けたかった。
しかし、居場所の宛が無い現状での捜索は困難と言わざるを得ない。
手探りで捜索を行うにしても、得るものがないまま時間を浪費する危険性が大きい。
それ故に他者の捜索を主軸として行動することは出来ない。

リクはそのことを理解している。
だからこそ―――――悔しかった。
自分の力ではどうしようも出来ないという事実が、ただただ悔しかった。

リクの独白を耳にし、少しの間を開けた後。
白兎は、リクを諭すように言った。


「…氷山くんの気持ちは解るわ。でも、全てを救うことなんて出来ない。
 だからこそ、私達は私達にやれることをするしかない」


全てを救うことは出来ない。
ならば自分達にやれることをするしかない。
白兎は、気丈な態度でそう言った。

雪野白兎は、ラビットインフルを経営する社長だ。
同時に悪の秘密結社の親玉でもある。
他者を使う人間だからこそ、組織を運営する人間だからこそ、現実的な視野で物を見ることが出来る。
それ故に彼女はリクの苦悩を理解しつつも、今の自分達がするべき在り方を示した。

この会場にいる者達全員を救うことなど、不可能なのだ。
そんなことが出来るのは都合の良い神様だけだ。
それを理解しているからこそ、白兎はあくまで己が成すべきことをこなす。
主催を倒す為に必要なこと。
今の自分達がやれること。
白兎はそれらを冷静に分析し、此処まで己に出来ることをやってきたのだ。
全てを救うことが出来ないなら、せめて出来る範囲での抵抗はしたい。
白兎は、そう思っていた。


「……ああ。そうだな、社長」


悔しさを堪えるように、リクはそう答える。
彼女の言う通りだと、自分に言い聞かせる。
氷山リクは、強い正義感の持ち主だ。
同時に、彼は国家から活動を認可されたJGOEのリーダーでもある。
現実的な判断も時には必要である、ということを理解するだけの判断力はある。
白兎の言った通り、この場に居る全ての人間を救うことなど――――到底不可能だ。
だからこそ、せめて主催を打破する為の手段を探さなければならない。
皆を守ることの出来ない自分の無力さに苛まれながらも、前を進むしかないのだ。


(……私だって、悔しいわよ)


雪野白兎は、冷静沈着な人間だ。
合理的な判断力と鋭い洞察力を併せ持つ優れた経営者だ。
それ故に彼女はこの殺し合いにおいても最前の判断を取ろうとする。
だが、白兎は決して冷徹な人間と言う訳ではない。
彼女もまた血の通った人間である。
散っていった仲間達への想いが、無い筈は無かった。


(ごめんなさい、蓮ちゃん。…社長である私が、貴方を守れなかった)


彼女が追憶したのは、この殺し合いに巻き込まれ、命を落とした社員。
―――――佐野蓮。
ブレイカーズへの復讐の為にラビットインフルへと入社した、人間と怪人のハーフ。
気さくで明るく、社内のムードメーカーとも言えた存在。
彼はもう、この世にはいない。
ナハト・リッターと共に第一回放送でその名を告げられた。
リクが己の無力さを悔いるように、白兎もまた悔しさを覚えていた。
自分達に出来ることは限られている、というのは解ってる。
それでも、自分はラビットインフルの社長だ。
社員を守ることさえ出来ない自分が、悔しかった。
故に白兎は謝辞を述べる。
死んだ人間からの反応など、返ってくる筈が無いと解っていても。


白兎は、整理する。
ラビットインフルのメンバーと言える者で、この場で生きているのは二人。
一人は社長である自分、雪野白兎。
もう一人は。
吸血鬼であり、自分の高校時代からの親友――――――



「社長、どうやら着いたようだ」


ハッとしたように、白兎は現実に引き戻される。
山道の高所で立ち止まったリクの隣に立ち、二人はその先の光景を見つめる。
数百メートル程先に、巨大なダムが存在していた。
その傍にあるのは水力発電所。
それらの施設を確認した白兎は、視線を横へと向ける。
少々離れた地点には展望台と思わしき施設も見受けられる。
ようやく、会場の中央へと到達したらしい。

意を決したように、二人は歩を進める。
調査を行うべく、まずは発電所へと――――――


「…氷山くん」
「ああ」


唐突に、二人が足を止めた。
何かに感付いたように、二人の表情が険しくなる。
山岳を走行する音が二人の耳に入る。
甲高いエンジン音が山中に響いている。
こちらへと、何か向かってきている。
自動車か、あるいはバイクか。
そういった乗り物の類いに乗っている何者かが。


二人が、音の聞こえた方角へと振り向く。
先程まで自分達が進んでいた山道から、少し外れた方向。
リクと白兎は、その視界に捉えた。
こちらへと迫り来る『影』の存在を。
『影』、もとい流線型の黒いバイクはこちらへと一直線に突撃してくる。
猛烈な速度で、迫ってきている。



二人はすぐに察知した。
危険だ、と。
アレは殺意を以て、こちらへと接近してきているのだと。



「社長!避けろッ!!」



リクが咄嗟に声を上げた。
彼の呼びかけを聞き、白兎は即座に回避行動を取る。
そして、流線型のバイクはけたたましい音を轟かせながら。
リクへと目掛けて、突撃を行う―――――!



「シルバー・トランスフォォォォーーーーーーームッ!!!!!!」



[Authentication Ready... ]
[Transform Completion]
[Go! ―――――Silver Slayer]



リクの咆哮と同時に、銀色の輝きが彼を包む。
鳴り響く機械音。光はリクの四肢は変化させていく。
刹那の後、リクの肉体は変化を遂げる。
白銀のヒーロー、シルバースレイヤーへと変身したのだ。
そのままシルバースレイヤーは両腕を前へと突き出し、突撃を仕掛けてきたバイクを全力で受け止めた。



「う、おおおおおおおおおおおおおッ――――!!!!!」



凄まじい馬力がシルバースレイヤーの身体を押していく。
何と言う勢いだ――――改造人間をも上回りかねないパワーが、シルバースレイヤーの両腕に掛かる。
装甲の下で、リクが踏ん張るように歯軋りをする。

一体、これは何者なのか。
これほどの馬力を持つバイクなど、普通は有り得ない。
あるバイクの存在を除いては。
まさか、これは。



「お前は……ブレイブスター!?それに――――」



その時、リクは気付いたのだ。
自らに襲い掛かるそのバイクが何者なのか、ということを。
ブレイブスター。かつてブレイカーズから脱走した時に強奪したバイク。
数々の戦いを共にした、JGOEのメンバーに並ぶシルバースレイヤーの戦友と呼べる存在。
それが、何故。
白銀の車体は黒く染まり、剰えシルバースレイヤーに襲い掛かっている。

何故だ。何が起こった。
シルバースレイヤーは思う。
ブレイブスターを操ることが出来るのは、シルバースレイヤーか。
あるいは、シルバースレイヤーが認めた「仲間」のみだ。
では、このモンスターマシンを操っているのは。



「―――葵?」



横に跳び、回避した白兎がぽつりと呟く。
彼女は、見た。
ブレイブスターに群がり、車体を蝕む黒い蝙蝠達を。
車体と同化するように座席に跨がり、真紅の瞳を輝かせる『吸血鬼』を。
白兎も、リクも、見間違える筈が無かった。


彼女は白兎の親友であり、リクを想う者だった。
二人を襲ったのは、空谷葵だったのだ。
狂気の笑みを浮かべた葵は、ただただリクを見つめていた。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

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此処は何処なのだろう。
あたしは、空谷葵はアテも無く彷徨い続けていた。

空に浮かんでいるのは黒い太陽だ。
まるで全てを飲み込むブラックホールの様な虚無の色に染まっている。
何であんなことになっているんだろう。
葵はぽかんとした表情で思うが。
何故だか、心地よさを感じていた。

凄く、眩しい。
暖かくて、ぽかぽかする。
真っ黒なのに、あの太陽は明るい。

陽の光を見上げる葵の口元には笑みが浮かんでいた。
吸血鬼と言えば、夜の怪物というイメージを持たれがちだ。
だが、あたしは太陽が好きだった。
明るくて、きらきらしてて、あったかくて。
薄暗い夜とは異なる、光そのものの星。
そんなお天道様が、大好きだった。

べちゃりと、液体を踏む様な音が響く。
ぽかんとした顔で葵が足下を見下ろす。


赤。赤。赤。赤。赤。赤。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤――――――――。


足下は、真っ赤な血に塗れていた。
どこから湧いてきたのかも解らないそれは、あたしを中心に少しずつ広がっていく。
まるで大地を覆い尽くしてしまうかの様に、拡散を続ける。

真っ赤で、臭くて、でも甘ったるい匂いがする。
血液の香りが、あたしの鼻を付く。
すごく美味しそうだ。
なんて、美味しそうなんだろう。


『やっぱり、そうなるわよね』


べちゃり、べちゃり、べちゃり。
足音が、あたしの耳に入ってくる。
広がっていく血を踏みながら、誰かが近付いてくる。
誰だろう。『あたしの世界』に、誰が来たんだ。
あたしは、足音の方向へと目を向けた。


「ああ……誰かとおもえば。ひさしぶり」


黒い髪の少女が、そこにいた。
ツーサイドアップの髪。ブレザーの制服。
そして、その両手から生やした獰猛な『鉤爪』。
知らないはずがない。忘れるはずもない。

クロウ
いままであたしを何度も殺そうとしてきた、同族だ。


「死んだんじゃなかったの?」
『ええ、死んだわよ。だからこれは、あなたが見ている夢に過ぎないの。
 此処は、あなたの心の深層の風景』


クロウは、淡々とそう答えてきた。
彼女によれば、これは夢らしい。
言われてみれば、確かにそうだ。
クロウはあたしの知らない所で死んだ。
訳の解らない殺し合いに巻き込まれて、誰かも解らない相手に殺された。
そんな彼女があたしの目の前に居る。
だったら、これは夢か幻のどちらかでしかない。


『あなたは血を吸ったのね。あんなに頑なに拒んでいたのに。
 尤も、いつかはこうなるんじゃないかと思っていたけれど』


クロウは、どこか呆れた様子で言ってきた。
拒んでいた――――そういえば、そんなこともあったっけか。
小さい頃は、まだ少ない血で賄うことが出来た。
だけど、成長していくに連れて、生きていくために必要な血液が増えて。
ずっと餓えに苦しんできて
我慢できなくて、一度は■■も襲っちゃって。
それでも、トマトジュースを勧められて。
その御陰で、何とか餓えを凌げて。


『トマトジュースで誤摩化していたんだっけ?
 あんなもので、ちゃんと腹を満たせるわけなんてないのに』


ばっさりと、あたしを切り捨てるようにクロウは言った。
駄目、だったみたいだ。
現にあたしは、今こうして血を求めている。
今までの分の餓えを満たそうとしている。


『吸血鬼は血を喰らうバケモノ。私もあなたも同じ。
 人の命を対価に生き長らえる存在。認めたくなんて、ないけれどね』


そう、吸血鬼とはそういうものなのだ。
数時間前、研究所で魔王に『呪い』を掛けられたことは認識している。
あの魔王のせいで、自分達は餓えに飢えているのか?
違う。あれは所詮きっかけに過ぎない。
あたしたちは、元からニンゲンの血を喰らう生き物なのだ。
呪いは、血を吸うことを拒み続けてきたあたしの背中を押しただけ。


『今までのあなたは自分を誤摩化していただけ。
 泥水を飲み込んで“自分は満腹だ”って思い込んでいただけなのよ。
 あなたは空腹を否定して、ずっと飢えていた。
 だから、血の味を思い出した途端―――――そんなザマになった』


クロウの言う通りだった。
トマトジュースで吸血鬼の腹が満たされるか。
そんな訳が無いだろう。
あれはただの、人間の飲み物だ。
血液なんかとは訳が違う。
それでも、これで満足だと思い込んで、あたしはずっとジュースを飲み続けてきた。
あんな泥水で自分を誤摩化し、何年も血を吸っていなかった。
生きるために必要な人間の血液を、だ。


あたしの知らないうちに、胸の内で『血を求める欲求』が無意識のうちに高まっていた。
血を吸いたいと言う本能が少しずつ膨れ上がっていた。
それでもあたしは、泥水で誤摩化し続けてきた。
トマトジュースで大丈夫だ、なんていう思い込みで欲求を抑え込んでいた。
高校一年生の時から今に至るまで、5年間も。
そんな状態で「人喰らいの呪い」を掛けられたら―――どうなるか。


答えは簡単。
今までの餓えの分だけ、欲求が爆発して。
空腹を満たすだけが目的の『バケモノ』になる。
親友による代替品の提案は、あたしをそこまで育て上げた。


クロウがそれを自覚させてくれた。
クロウが教えてくれた。

―――――否、違う。

クロウは、いない。
クロウは、とっくに死んでいる。
あのクロウは、あたしの心が生み出した幻に過ぎない。
じゃあ誰が教えたのか。


それは、あたし自身だ。


自分が吸血鬼であるという自覚があるからこそ、理解していた。
ジュースで餓えを満たせる筈が無いし、誤摩化す分だけ自分の上は蓄積していく。
目を背けていただけで、全部知っていたのだ。

あたしにとって、クロウは象徴だ。
吸血衝動と、人間性。それら両方の象徴だ。
狂気と正気の狭間で揺れ動く吸血鬼だからこそ、今のあたしの目の前に姿を現したのだろう。
あたしの吸血衝動を指摘する存在として。
同時に、こんなあたしを哀れむ存在として。


『あなたはこれからも、食べ続けるの?』


唐突に、クロウがそう問い掛けてきた。

◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆

◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆




「空谷さん!!どうしてッ!!?」



ブレイブスターを受け止めながら、シルバースレイヤーが声を上げる。
そんな馬鹿な。何故彼女が、襲い掛かってきた。
空谷葵は吸血鬼であるということはリクも知っていた。
だが、彼女は普通の人間と変わらないように生きていた。
決して人を襲う様な存在ではない。
ましてや、親友である雪野白兎まで襲う様なことは断じて――――!



「リク、さん」



葵は、笑っていた。
目の前のシルバースレイヤーを見て、狂気の笑みを浮かべていた。
ぞくりと、シルバースレイヤーの背筋に悪寒が走る。
何かが違う。
今の彼女は、どこかおかしい。
そのことを本能的に察知したのだ。
それでも、彼女は空谷葵だ。
何故こうなったのかは解らないが、兎に角止めなくてはならない!


直後、ブレイブスターの側面に閃光が走った。
どこからともなく放たれた光線がブレイブスターを攻撃し、車体と同化する葵を痺れさせたのだ。


白兎が銃を構え、ブレイブスターを攻撃したのだ。
それは白兎の支給品、リッターゲベーア。
JGOEのメンバーであり、この殺し合いで落命したナハト・リッターの愛銃。
ダイアルを回すことで三つのモードを自在に切り替えることが可能なウェポンだ。
白兎は「ショックモード」によって非殺傷用のショック光線を放ち、ブレイブスターを怯ませた。


「うおおおおおおオォォォォッ!!!」


その隙を狙い、シルバースレイヤーはエネルギーを活性化させる。
肉体のパワーを全力で振り絞り、ブレイブスターを押し返したのだ。
シルバースレイヤーとて改造人間。そのパワーは通常の人間とは比較にならない。

押し返されたブレイブスターはジャリジャリと地面を削りながら、凄まじい勢いで後退させられる。
その隙にシルバースレイヤーは後方へと下がり、ブレイブスターとの距離を取る。


「…社長」
「ええ、氷山くん。…葵は、本気よ」


シルバースレイヤーに目配せをしつつ、白兎は言う。
今の突進で、既に二人は理解していた。

空谷葵は、本気で自分達を殺しに掛かってきている。
殺意を以て、襲い掛かっている。


何故、どうして、何があって―――――。
二人の胸の内には無数の疑問が浮かんでいる。
だが、その答えは解らない。
真相を知るのは、後で良い。
今重要なことは、空谷葵を止めることなのだから。

怯んでいた葵とブレイブスターが、再びエンジンを噴かし始める。
ショック光線では、やはり数秒ほど動きを止めることが限界だったか。
彼女はじきに襲い掛かってくる。


「大丈夫か、社長」


シルバースレイヤーが、ぽつりと白兎に問う。
雪野白兎と空谷葵は、友人だ。
シルバースレイヤーこと氷山リクは、そのことを知っていた。
だからこそ、彼女を気遣うように聞く。
親友と戦うのは――――大丈夫か、と。


「……ええ」


白兎はあくまで気丈に答える。
その表情の奥の苦悩を、隠しながら。
シルバースレイヤーがそれに気付いていたのかは、定かではない。
だが、今は目の前の相手が優先だ。

彼女は、空谷葵は、
自分達を、殺しに来ているのだから



「――――来るぞッ!!」



シルバースレイヤーの声と共に、二人は動き出した。
圧倒的なスピードで地を駆り、ブレイブスターは疾走を再開したのだ。


荒れた山岳を変幻自在の軌道で動くブレイブスター。
二人を翻弄しつつ、様子を伺うように。
悪魔のマシンは、山道を狂ったように走り回る。

シルバースレイヤーは距離を取りつつ、超人的な脚力で様子を伺う。
シルバースラッシャーは無闇には使えない。その凄まじい切れ味によって、葵を殺してしまいかねないからだ。
白兎はリッターゲベーアを後方へと下がり、ブレイブスターから離れつつ銃を構える。

前衛を務めるのはシルバースレイヤーだ。
圧倒的な馬力を誇るブレイブスターを正面から相手取れるのは、それこそ超人の域に達した者のみだ。
白兎は優れた戦闘術を備えているとは言え、肉体的にはあくまで常人に過ぎない。
ブレイブスターとの戦闘においては援護射撃に徹する他無いのだ。


荒れ狂うマシンを操り、葵は視線を明後日の方向へと向ける。
視線の先にいるのは、想い人のシルバースレイヤーではなく、親友である白兎。
葵は、本能的に感じた。



―――――邪魔だ。



直後、葵の肉体から無数の闇が放たれる。
闇の支配者たる吸血鬼の使い魔、漆黒の蝙蝠だ。
放たれた蝙蝠は、離れた位置に立つ白兎目掛けて一斉に迫る――!


「社長ッ!」
「貴方は葵の方に専念して!こっちは私が何とかする!!」


声を上げるシルバースレイヤーに対し、白兎は即座に答えた。
瞬時にリッターゲベーアのダイアルを切り替える。
対象を焼き切る光線を放つレーザーモードへと即座に変更。
そのまま迫り来る蝙蝠目掛け、白兎はレーザー光線を放って応戦を始めた。
葵は蝙蝠を向かわせることで、白兎による援護を封じたのだ。


対するシルバースレイヤーは、ブレイブスターへと視線を向ける。
あのバイクのスペックは誰よりも理解している。
正真正銘、常人には到底扱えない域に達しているスーパーマシンだ。
それこそ操れるのは、ナハト・リッターのように相応の訓練を受けたものか。
あるいは、改造人間や怪人のような常人を逸脱した者だけだろう。

それ故にシルバースレイヤーは、攻め倦ねていた。
ブレイブスターと距離を取りつつ走りながら、様子を伺い続けていた。
シルバースレイヤーは遠距離戦に適した武装を持たない。
身体能力を極限まで高め、近接戦闘に特化させた改造人間なのだから。
そのため、敵と戦う際には間合いに近付く必要がある。
通常の怪人相手ならば訳も無く行えることだ――――しかし、今の相手はブレイブスター。
その瞬発力、機動力は圧倒的だ。まともに間合いを詰めるのは困難を極める。


だからこそ、ブレイブスターの機動力を封じるか。
あるいは―――――敵の接近を待つ必要がある!


駆け抜けながらの睨み合いを続けていたシルバースレイヤーと葵。
荒れた岩石の道に踏み込んだことで、シルバースレイヤーの機動力が少しだけ落ちた。
それを見計らったかのようにブレイブスターが、瞬時に軌道を変える。
そう、シルバースレイヤー目掛けて再び突撃を行ったのだ―――!


(来るか…!)


シルバースレイヤーは迫り来るブレイブスターを見て、心中で呟く。
2秒にも満たない時間で、ブレイブスターは衝突してくるだろう。
だが、その僅かな時間でもあれば良い。
突撃を受け止めつつ両腕にエネルギーをチャージし、全力でタイヤを攻撃する。
肉を切らせて骨を断つと、言わんばかりの戦術こそがシルバースレイヤーの狙いだった。
相棒であるブレイブスターを傷付けるのは気が進まないが、今はつべこべ言っていられない。
とにかく圧倒的な機動力を封じることが先決だ――――そう考えたのだ。



「――――ッ!?」



しかし。
シルバースレイヤーは、動けなかった。

瞬間、シルバースレイヤーの肉体に『負荷』が掛かったのだ。
まるで重力にのしかかられているかの様な重みが、全身を襲う。
重力操作――――葵が持つ特殊能力だ。
彼女は二人に掛かる重力を強化し、その動きを僅かな間でも封じたのだ。



そして。
凄まじい勢いで、シルバースレイヤーが突き飛ばされる。
山道を転がり、そのまま岩石へと衝突した。



「氷山、く―――――!?」


傷付きながらも蝙蝠達を光線で何とか焼き切っていた白兎は、声を上げようとする。
しかし、彼女もまたその動きが封じられる。
白兎にもまた、重力操作による圧力が掛けられたのだ。


「ッ、あ……!!?」


重力の負荷によって動きを制限された白兎。
彼女の身体に、次々と蝙蝠が食らい付く。
必死に身をよじらせ、リッターゲベーアで何とかレーザー光線を放つ。
だが、重力によって思うように動けない。
白兎の身には次々と生傷が生まれる。


白兎は葵の能力の性質を知っていた。
葵の重力操作の射程は、せいぜい本人を中心とした10m前後。
そのため自身への重力負荷軽減など、基本的には近接戦闘の補助で用いることがメインだった筈だ。
だというのに。


(葵の能力射程が、伸びてる――――?)


明らかに、範囲が『広がっている』。
10m以上離れているであろう白兎にも効果が発揮されたのだから。
葵の様子がおかしいのは理解していたが、能力まで変容している。
それもその筈だ。
白兎は知らぬことだが、葵は既に人間の血を吸っているのだ。


吸血鬼は血液を糧とする生き物。
吸血によって自らの力を高める怪物。
それ故に、吸血を行ったことで――――葵の能力は普段よりも強化されている。


ブレイブスターより分離した葵が、跳躍する。
岩石に衝突し、立ち上がろうとしていたシルバースレイヤー目掛けて迫る。


「空谷、さん…!」


機動力の源であるブレイブスターを乗り捨てたことに驚愕しつつ、シルバースレイヤーが呟く。
重力の負荷から離れたシルバースレイヤーは、迫る葵を見据えた。
振り下ろされた両腕を、クロスさせた両腕で間一髪で防ぐ。

互いに弾かれ合い、距離を取ったシルバースレイヤーと葵。
直後、自らの重力を軽減させた葵が駆け抜ける。
凄まじい瞬発力を発揮し、シルバースレイヤー目掛けて爪を振るう。

シルバースレイヤーはこの一撃を左腕で受け流すことで防ぐ。
そして――――右手の拳に、エネルギーをチャージさせた。



[Right Hand Charge]



爆音の様な打撃が、轟く。
シルバースレイヤーの右拳の一撃が、葵の胴体へと叩き込まれた。

葵の身体が勢いよく吹き飛ぶ。
エネルギーチャージによる打撃を受けては、吸血鬼と言えどひとたまりも無い。
シルバースレイヤーの加減によって葵を無力化させる程度の威力に抑えたものの、それでも威力は絶大だ。


純粋な格闘能力と戦闘技術において、シルバースレイヤーは吸血鬼である葵を上回る。
肉体を改造され、ヒーローとして数多の死線を乗り越えてきたシルバースレイヤー。
吸血鬼としての能力を持つものの、全力の戦闘とは無縁の生活を送ってきた空谷葵。
その経験値と能力の差は明白だった。

故に、直接戦闘になれば有利なのはシルバースレイヤー。
シルバースレイヤーは吹き飛ばされた葵を見据え、彼女の行動を封じようと迫る。
何度も咽ぶ葵が捕まるのは、時間の問題――――そう思われていた。


「何…!?」


その時、シルバースレイヤーは気付く。
ブレイブスターが、走り続けていたのだ。
その車体は未だに黒く染まっている。
それどころか、無数の蝙蝠が憑依しているのだ。


葵はブレイブスターから離れた後。
蝙蝠達を使役し、憑依させ――――マシンを遠隔操作させていたのだ。


獰猛な魔物と化したマシンは、猛烈な速さで駆け抜ける。
マシンが目指す先は、シルバースレイヤーではない。



「―――――社長ッ!!」



重力の負荷をその身に受け、蝙蝠達の対処で手一杯となっている――――雪野白兎。
彼女目掛けて、ブレイブスターは全速力で突進を仕掛けたのだ。

無論、白兎もブレイブスターの存在に気付く。
蝙蝠に噛み付かれながらも、咄嗟にリッターゲベーアを構える。

敵が、余りにも――――速すぎる。
重力ののしかかる身体を何とかよじらせながら、白兎は引き金を引いた。
放たれた光線は、ブレイブスターの前輪を焼き切って破壊する。


突進の勢いが、弱まる。
しかし、それでも凄まじい速さであることには変わりなかった。
重力の負荷、蝙蝠による攻撃を堪えながら、回避を行おうとして。


バランスを崩しながら、ブレイブスターが突撃した。
全速力の直撃は免れたものの、衝突であることに代わりはない。
それ故に―――――白兎が、吹き飛ばされる。
同時にブレイブスターも前輪を失い、勢いよく横転した。


社長、と声を上げようとした。
しかしシルバースレイヤーに再び葵が迫る。
紅い瞳をぎらつかせ、獰猛に牙を剥いてくる。
白兎に気を取られたシルバースレイヤーの右肩に、葵が噛み付いた。


「く、そ……!」


シルバースレイヤーが怯み、葵を見下ろす。
強化装甲で覆われたシルバースレイヤーの身体は、易々と貫けるものではない。
それでも、葵の牙はごく僅かながら装甲を貫いていた。
吸血鬼の膂力と、リクへの執着によって。
彼女は、怪人の装甲をも貫かんとしていた。

何とか引き離そうと、葵を掴む。
しかし彼女は離れない。離れようとしない。
両腕を使い、シルバースレイヤーの身体にしがみつく。
顎の力を強め、牙を突き立てる。
まるで、執念のように―――葵はシルバースレイヤーに食らい付く。


離れない。
決して、離れようとしない!



「空谷さん、許してくれ……っ!!」



[Right Hand Charge]
[Right Hand Charge]
[Right Hand Charge Over]



謝辞の言葉を述べた直後。
シルバースレイヤーの右腕が、弾け飛ぶ。
エネルギーチャージの応用とも言える意図的な暴発だ。
爆発した右腕の衝撃によって葵は吹き飛ばされる。
その顔は裂傷や爆風で傷付けられ、無惨な姿と化す。

宙を散った破片が戻り、シルバースレイヤーの右腕は再び形成される。
吹き飛ばされた葵の顔もまた、吸血鬼としての再生能力によって治癒される。


数秒の睨み合いが行われる。
葵が再び、笑う。
まるでシルバースレイヤーを喰らうことを、待ちわびていたかのように。
普段の姿からは想像がつかぬ、狂気の表情で。


そして、葵が駆け出した。
シルバースレイヤーもそれに続き、駆け出さんとする。
だが、出来なかった。


重力操作。
凄まじい重圧が、シルバースレイヤーにのしかかる。


重力による行動制限。
改造人間の身体能力をフル稼動すれば、少しの時間を費して逃れることは出来る。
だが、その僅かな時間が命取りとなる。
吸血鬼である葵に取っては、その時間だけで十分だ。
シルバースレイヤーに食らい付くには、それだけで十分――――!



そして、葵が迫る。
シルバースレイヤーへと迫り。
牙を剥き出しにし、全力を振り絞って食らい付―――――




「このッ、馬鹿葵イイィィ――――――ッ!!!!!」




吹き飛ばされた筈の白兎が、吼えた。
瞬間、葵目掛けてペットボトルが投げつけられた。
容器に満杯で入れられているのは、真っ赤な飲み物。
それはトマトを搾汁して精製された飲料。


そう―――――トマトジュースである。




◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆




『あなたはこれからも、食べ続けるの?』


クロウがあたしにそう問い掛けてきた。
無言でクロウを見つめるあたしは、足の裏に広がる感覚に気付く。

足下の血が、もっと広がっていく。
どくどく、どくどく、どくどくと。
排水溝から水が溢れ出るかのように。
血はどんどん溢れて、池のようになっていく。
そして血の池の中から、ヒトだったものが浮かんできた。


佐野さん。
剣さん。
ミリアちゃん。


足下から広がる血の池に、死体が浮かんでいる。
あたしが見知った人間達が、死に飲み込まれている。
いつもだったら、きっと表情を歪めていただろう。
おぞましい光景に、絶句していただろう。



だけど。
今は。



「もっと、もっと、食べたい」



とても、おいしそうにみえた。
だから私は、そう答えた。

食べたい。血が欲しい。
誰かの血が、欲しい。
そうだ、■■や■■さんみたいな人達も。
みんなみんなみんなみんな、あたしが――――――――



『…そう、やっぱりね』



そう呟くクロウの顔は、どこか寂しげで。
そのまま彼女の姿は、霧の様に掻き消えてしまった。
クロウが消えてしまったのを見て。
何故だかあたしは、悲しくなった。


◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆ ◆◆◆◆



全力を振り絞った回避。
前輪の破壊による速度低下。
それら二つの要因による、正面からの直撃の回避。
それによって私は、雪野白兎は衝突による轢死を免れた。

それでも、身体中が痛い。
骨が何本も折れているのが、感覚で解る。
左腕はあらぬ方向に折れ曲がっている。
右足も、殆ど引き摺っている状態だ。
今自分が動けているのは、半ば根性によるものだった。


「…葵」


先程投げたトマトジュースは、ランダムアイテムの一つだった。
まさかこんな形で、再び葵にジュースを投げ渡すなんて思ってもみなかった。
ジュースを投げつけられた葵は、ゆっくりと私の方へと向く。
氷山くんもまた動こうとしているが、重力の強い負荷によって思うように動けない様だ。

彼が復帰出来るまで、恐らくは十数秒。
それまでに時間を稼がねば、彼は殺されるだろう。


「あなたは、血を吸いたくなかったんでしょう」


私は、葵に向けて言う。
あの子のことは、よく知っている。
高校の時からの親友だったのだから。
吸血の衝動を必死に堪えて、私を襲ってしまった時もあんなに動揺して。


「人を殺すのが、嫌だったんでしょう!?」


だから私は、今の葵に呼びかける。
人を殺すことを拒絶していた葵が、あんな姿になっている。
何故そうなったのかなんて、解らない。
ただ、葵がああなっていることが―――――どうしようもなく悲しい。



「私は知ってる!あなたが優しい子だってことを!
 人と吸血鬼が生きていける世界を望んでいたことを!」



だから私は、声を荒らげる。
優しくて、明るくて、吸血鬼の未来を望んでいた葵。
そんな彼女が理性を失い、本能のままに暴れている。
そんなの、認めたくない。



「だから、だからっ!!!」



だから、私は呼びかける。
葵がこちらへと殺意を向けたことも気に掛けず。




「私の声に、応えて―――――――葵ッ!!!!」



だから私は、叫ぶ。
親友(あおい)が、迫った。
氷山くんの声が、轟いた。
私は、避けることなんて出来なかった。


死の恐怖を目前にしたから。
自分の最期を、直感したから。
だけど、それだけじゃない。
親友から目を逸らすことなんて、私には出来なかった。


氷山くんが負荷から逃れ、動き出した。
もう、間に合わない。
葵は眼前にまで迫っているのだから。
一瞬が、永遠のように感じる。


――――大丈夫か、社長。


戦いが始まる前に、氷山くんにそう言われた。
自分は、感情を押し殺していた。
自分の成すべきことの為なら、あの葵を倒すことも必要だ。
悔しくても、つらくても、全てを救うことなんて出来ない。
だから自分は、自分のやるべきことをやる。
その為なら、親友と戦うことも大丈夫だ。


そう思っていた。
だけど、違った。
大丈夫なんかじゃ、なかったのだ。


私は、生きることよりも、親友と向き合うことを選んだ。
社員である蓮ちゃんを守ることが出来なかった。
そのことを悔やんでいたから、せめて葵だけでも助けたかった。
だから私は、こんな無茶をしている。
正気を失った親友を止める為に、瀕死の身体を押して叫んでいる。
無理だと――――解っているのに。



瞬間。
葵の牙が、私の首筋に食らい付いた。
あの時よりも、何倍も、何百倍も、痛かった。
そして、なんとなくだけれど。
葵が、悲しんでいるように見えた。




◆◆◆◆



雪野白兎が、崩れ落ちた。
首筋から血を噴き出しながら、倒れた。
空谷葵がそれを飲む。飲む。牙を突き立てながら飲む。

重力の負荷から逃れたシルバースレイヤーは、間に合わなかった。
白兎は、壊れた人形のように事切れていた。

知り合いや仲間達を守れず。
剰え、この場での相棒ですら守ることが出来なかった。
シルバースレイヤーを苛む無力感と絶望が、肥大化する。
だが、今の彼に負の感情に囚われている時間など無かった。


白兎の血を吸った葵の姿が、変貌していく。
髪が白く染まる。
犬歯がより鋭く尖る。
背中から禍々しい漆黒の翼が発現する。
悪魔の如し姿へと、その身を変化させる。



「空谷、さん――――――」


シルバースレイヤーは、愕然と呟いた。
まるで、悪魔の様だ。
彼はそう思ったのだ。
そして、変貌を遂げた葵は。
ゆっくりと、シルバースレイヤーの方へと向く。

ミリアの血。白兎の血。
葵はそれらを喰らった。
糧として血液をその身に取り込んだ。
それ故に、葵は自らの吸血鬼としての力を最大限に引き出せる様になったのだ。

吸血鬼は血喰いの化物だ。
多量の血液を吸うことで己の力を高め、そして全力を発揮出来る。
クロウが輸血パックを使い、真祖に匹敵する力を得た様に。
葵もまた、二人の血を吸うことで普段を遥かに上回る力を獲得したのだ。



「リクさん」



葵が、笑みを浮かべた。
今の葵は、最早理性を失った獣に過ぎない。
彼女の目に映るのは、獲物か。
あるいは、愛する者だけ。




吸血鬼―――空谷葵が、牙を剥く。
日の光の下、宵闇の怪物が咆哮を上げた。




【雪野白兎 死亡】

【F-6 山中(ダム付近)/午後】
【氷山リク】
状態:無力感と悔しさ、疲労(中)、全身ダメージ(小)、右腕ダメージ(中)、左腕ダメージ(小)、エネルギー残量40%
装備:なし
道具:基本支給品一式、ランダムアイテム1~3(確認済み)
[思考・状況]
基本思考:人々を守り、バトルロワイアルを止め、ワールドオーダーを倒す。
0:葵を止める。
1:エネルギーの回復手段を探す
2:火輪珠美と合流したい。
3:ブレイカーズ、悪党商会を警戒。
※大よその参加者の知識を得ました
※心臓部のシルバーコアを晒せば、月光なら1時間で5%、日光なら1時間で1%エネルギーが回復します

【空谷葵】
[状態]:疲労(中)、腹部にダメージ(中)、顔面にダメージ(中)、食欲旺盛、人喰らいの呪、吸血による強化
[装備]:悪党商会メンバーバッチ(2番)
[道具]:サイクロップスSP-N1の首輪
[思考・行動]
基本方針:血を吸いたい
1:氷山リクがほしい
2:おいしいの(若い女の子)もたくさんほしい
※いろいろ知りましたがすべて忘れました
※人喰いの呪をかけられました。これからは永続的に人を喰いたい(血を吸いたい)という欲求に駈られる事になります。


※F-6の雪野白兎の遺体の傍にリッターゲベーア、デイパック(基本支給品一式、工作道具(プロ用)、ランダムアイテム0~2(確認済み))が落ちています。
※ブレイブスターは前輪を破壊され、走行不可能な状態でF-6で横転しています。


【リッターゲベーア】
雪野白兎に支給。
ナハト・リッター専用の万能銃。
剣正一の師匠である先代ナハト・リッターが作り上げたガジェットで、SF映画の光線銃のような外見をしている。
グリップについているダイヤルを操作することで、
レーザーモード(壁や機械などを破壊する為のレーザー光線を発射)
ショックモード(非殺傷用のショック光線を発射)
フックモード(ワイヤーと繋がったフックを発射)の3つのモードを切り替えられる。


【トマトジュース(500ml)】
雪野白兎に支給。
500mlのペットボトルに入れられたトマトジュース。
いつもキンキンに冷えているので打ち身を冷やす手段にも使える。
「トマトジュースを開発した人は偉大だ!」

126.A bargain's a bargain. 投下順で読む 128.デッドライン
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私の運命の人 空谷葵 世界の中心で愛を叫んだけもの
氷山リク
雪野白兎 GAME OVER

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最終更新:2016年06月03日 12:16