あなたはだあれ?◆VnfocaQoW2
冴えた半月が青く淡い光で、白亜の城を照らしていた。
観葉植物が見事な蔦を這わせるバルコニーの窓は開放されており、
豪奢なビロードの赤いカーテンがそよ吹く風に踊っていた。
その奥に、童女がひとり、佇んでいる。
観葉植物が見事な蔦を這わせるバルコニーの窓は開放されており、
豪奢なビロードの赤いカーテンがそよ吹く風に踊っていた。
その奥に、童女がひとり、佇んでいる。
愛らしさと美しさを同居させた稀有な存在感を放つ童女であった。
サテンの如き流麗な銀髪は滞ることなく腰まで伸び。
深く澄んだスカイブルーの瞳には一点の曇りも無く。
その顔も、腕も、足も、高級なビスクドールの如く白く硬質で。
水彩画の存在感を以って、現実に立ち昇っていた。
サテンの如き流麗な銀髪は滞ることなく腰まで伸び。
深く澄んだスカイブルーの瞳には一点の曇りも無く。
その顔も、腕も、足も、高級なビスクドールの如く白く硬質で。
水彩画の存在感を以って、現実に立ち昇っていた。
この城の王女と言われれば、誰もが納得するであろう。
月明かりに誘われた妖精と言われても、違和感を抱く者は少ないであろう。
それほどの雰囲気と、儚さを、童女は同居させていた。
月明かりに誘われた妖精と言われても、違和感を抱く者は少ないであろう。
それほどの雰囲気と、儚さを、童女は同居させていた。
「―――あなたはだあれ?」
童女は、室内に設置されていた大きな姿見に向かって問いを発する。
「わたしはアリア。アリア・クリスティ」
答えたのは、鏡の中の誰かではない。
鏡に向かい、問いを発した少女本人であった。
鏡に向かい、問いを発した少女本人であった。
一人遊びか自問自答か、或いは幼きナルシズムの萌芽なのか。
否。これは、儀式である。
小さな天使の愛称で親しまれる名子役、アリア・クリスティが
配役に没入する為に必要とする手順である。
否。これは、儀式である。
小さな天使の愛称で親しまれる名子役、アリア・クリスティが
配役に没入する為に必要とする手順である。
「―――あなたはおいくつかしら?」
俳優とは、大まかに三種類に分類される。
一つは、有り余る自己の個性を押し通し、あらゆる役を自分色に染めてしまう者。
二つは、役割を思案し分析し、自己を保ったままその人物像を演じる者。
三つは、役割に感情移入し、没入し、自己を殺して役割に成り切る者。
一つは、有り余る自己の個性を押し通し、あらゆる役を自分色に染めてしまう者。
二つは、役割を思案し分析し、自己を保ったままその人物像を演じる者。
三つは、役割に感情移入し、没入し、自己を殺して役割に成り切る者。
「わたしは十歳。五年生」
アリアとは、三つ目のカテゴリに分類される女優である。
天才子役の名を恣にしているのは、この没入度合が余りにも深い故である。
その深さはある種のトランス状態にまで達し、
虚構の存在を現実に呼び覚ましたかの如き錯覚を、周囲に与える程である。
天才子役の名を恣にしているのは、この没入度合が余りにも深い故である。
その深さはある種のトランス状態にまで達し、
虚構の存在を現実に呼び覚ましたかの如き錯覚を、周囲に与える程である。
「―――あなたのおしごとは何かしら?」
鏡への問いかけとは、そのプロセスである。
鏡に映る自分を配役のキャラクターと見立て、質疑応答を重ねることで、
向こうの擬似人格をこちらに『降ろす』のである。
鏡に映る自分を配役のキャラクターと見立て、質疑応答を重ねることで、
向こうの擬似人格をこちらに『降ろす』のである。
「わたしは子役。リトルエンジェル」
鞄に差し込んであった主催者からの手紙の内容の殆どを、アリアは理解できていない。
酸いも甘いも舐めてきた芸歴七年の女優とて、実年齢は十歳の童女である。
物理学だの人間原理だの観測者だの言われても、咀嚼できよう筈も無い。
酸いも甘いも舐めてきた芸歴七年の女優とて、実年齢は十歳の童女である。
物理学だの人間原理だの観測者だの言われても、咀嚼できよう筈も無い。
キャストは40人。
テーマは殺し合い。
名簿には、アリア・クリスティの名。
テーマは殺し合い。
名簿には、アリア・クリスティの名。
アリアの未成熟な頭脳が理解できたのは、その程度であった。
「―――あなたはどんな子かしら?」
危機感は無い。
ここで行われようとしているのが、本当の殺し合いだとは、理解していない故に。
虚構の中で生きてきた童女の認識では、この舞台もまた虚構の中にあり、
悪趣味なバラエティ番組の類であろうと自己完結されている。
ここで行われようとしているのが、本当の殺し合いだとは、理解していない故に。
虚構の中で生きてきた童女の認識では、この舞台もまた虚構の中にあり、
悪趣味なバラエティ番組の類であろうと自己完結されている。
「わたしは……」
しかし、キャストの一人として自分はどう演じればいいのか?
そこが、アリアには判らない。
そこが、アリアには判らない。
映画に於いて、それは、監督が指導してくれた。
TVに於いて、演出家に注文をつけてもらえた。
CMに於いて、スポンサーはリクエストを発し。
全てに於いて、母は噛み砕いた解釈を提示した。
TVに於いて、演出家に注文をつけてもらえた。
CMに於いて、スポンサーはリクエストを発し。
全てに於いて、母は噛み砕いた解釈を提示した。
「―――あなたはどんな子かしら?」
だが、この島には、彼女を導く大人が、誰一人として存在しない。
彼女をキャストの枠に嵌め込む力学が、どこからも発生しない。
故に。
アリアというキャラクターを演じればいいのだと、彼女なりに分析して。
監督や母にキャラ設定してもらわずとも、自分であれば演じられると考えて。
アリアは、己に成り切る儀式に、取り組んでいるのである。
彼女をキャストの枠に嵌め込む力学が、どこからも発生しない。
故に。
アリアというキャラクターを演じればいいのだと、彼女なりに分析して。
監督や母にキャラ設定してもらわずとも、自分であれば演じられると考えて。
アリアは、己に成り切る儀式に、取り組んでいるのである。
「わたしは……」
しかし儀式は半ばでの中断を余儀なくされた。
言い表せぬのである。
アリアという少女が、如何なる少女であるのか。
彼女は自分が、掴めぬのである。
掴めぬキャラクターは、降ろせぬのである。
言い表せぬのである。
アリアという少女が、如何なる少女であるのか。
彼女は自分が、掴めぬのである。
掴めぬキャラクターは、降ろせぬのである。
アリアは焦燥と苛立ちを飲み込んで、三度、鏡の向こうの己に問う。
「―――あなたはどんな子かしら?」
強く吹いた風がビロードのカーテンを大きく翻し、月明かりを覆い隠した。
現れた闇の中に、破砕音が鳴り響く。
その破砕音よりなおヒステリックな叫び声と共に。
現れた闇の中に、破砕音が鳴り響く。
その破砕音よりなおヒステリックな叫び声と共に。
「ダメ! わたしにアリアなんて降ろせない!」
風は止み、月明かりが再び、室内を照らした。
鏡は割られていた。
割られたその場所が赤く染まっていた。
その赤と同じ雫が、アリアの握り締められた左手から滴っていた。
鏡は割られていた。
割られたその場所が赤く染まっていた。
その赤と同じ雫が、アリアの握り締められた左手から滴っていた。
「だって…… アリアなんて子、どこにもいないんだもん……
アリアなんて子、だあれも知らないんだもん……」
アリアなんて子、だあれも知らないんだもん……」
泣いているような。
笑っているような。
十歳児が決してして良い筈の無い、空疎な表情で。
アリアは、呟いた。
笑っているような。
十歳児が決してして良い筈の無い、空疎な表情で。
アリアは、呟いた。
気付いたのである。
気付いてしまったのである。
気付いてしまったのである。
彼女は、私生活に於いてもまた、『アリア・クリスティ』を演じていたことに。
映画に於いては、監督が望む形で。
TVに於いては、脚本家が望む形で。
CMに於いては、スポンサーが望む形で。
全てに於いては、母が望む形で。
TVに於いては、脚本家が望む形で。
CMに於いては、スポンサーが望む形で。
全てに於いては、母が望む形で。
大人受けのよい。聞き分けのよい。
人形のような。いつもにこやかな。
便利で手間の掛からない子役を、
アリアは、演じて来たのである。
人形のような。いつもにこやかな。
便利で手間の掛からない子役を、
アリアは、演じて来たのである。
それは、童女の処世術であった。
自分を守る為の心の壁であった。
色の、銭の、権力の、魑魅魍魎たちが跋扈する芸能界。
そんな算盤尽くの世界に於いて、繊細な心根の持ち主など生きてゆかれぬ故に。
欲望ひしめく苦界に於いて、幼き子供の感性や良心など邪魔以外の何物でもなき故に。
アリアは、大人の顔色を窺って、窺って、窺い尽くした。
アリアは、己を殺し、殺し、殺し尽くした。
自分を守る為の心の壁であった。
色の、銭の、権力の、魑魅魍魎たちが跋扈する芸能界。
そんな算盤尽くの世界に於いて、繊細な心根の持ち主など生きてゆかれぬ故に。
欲望ひしめく苦界に於いて、幼き子供の感性や良心など邪魔以外の何物でもなき故に。
アリアは、大人の顔色を窺って、窺って、窺い尽くした。
アリアは、己を殺し、殺し、殺し尽くした。
それから七年近くが経過した今―――
すでに彼女は存在していなかった。
或いは、遠い過去の記憶としてしか思い出せなくなっていた。
自分の価値観を。自分の感性を。自分の心を。
己を守るための手段が、いつしか守るべきそれらをも封殺してしまっていたのである。
或いは、遠い過去の記憶としてしか思い出せなくなっていた。
自分の価値観を。自分の感性を。自分の心を。
己を守るための手段が、いつしか守るべきそれらをも封殺してしまっていたのである。
虚構の世界に虚像として存在する幼き小さな天使は、
実世界においてもまた虚像でしかなかったのである。
実世界においてもまた虚像でしかなかったのである。
アリアの膝が砕けた。
両の拳で瞼を覆った。
何者でもない自分でいる空しさに、彼女は耐えられなかった。
かといって、被り続けていた『アリア』の仮面を再び装着することも出来なかった。
己ではない己という薄気味悪さを、我慢できなかった。
両の拳で瞼を覆った。
何者でもない自分でいる空しさに、彼女は耐えられなかった。
かといって、被り続けていた『アリア』の仮面を再び装着することも出来なかった。
己ではない己という薄気味悪さを、我慢できなかった。
「誰か……」
故にアリアは、探すことに決めた。
この舞台で自分の役割を決めてくれる、誰かを。
この舞台で自分の役割を決めてくれる、誰かを。
「誰か…… アリアに『台本』を下さい……」
キャラクターさえ把握できれば、彼女は、完璧に成り切ることができる。
それが例え正義のヒーローであろうとも。
それが例え邪悪の殺人者であろうとも。
手にした鏡の破片に己を映し「あなたはだあれ?」と問いかければ。
それで擬似人格は、アリアに降りる。
何者かが宿れば、アリアの器は満たされる。
それが例え正義のヒーローであろうとも。
それが例え邪悪の殺人者であろうとも。
手にした鏡の破片に己を映し「あなたはだあれ?」と問いかければ。
それで擬似人格は、アリアに降りる。
何者かが宿れば、アリアの器は満たされる。
「誰か…… アリアを『配役』して下さい……」
虚像に傷ついた少女は、それでも尚、虚像に救いを求める。
空疎な己を埋めるには、それしか思いつかぬ故に。
空疎な己を埋めるには、それしか思いつかぬ故に。
【一日目・深夜/B-3 城内・王妃の私室 → ?】
【アリア・クリスティ】
【状態】自我薄弱、左手裂傷(軽)
【装備】不明
【所持品】基本支給品、支給品不明、鏡の破片(←城内で入手)
【思考】
1.自分に役割を振ってくれる人を探す
2.設定された配役に沿って行動する
3.全てはTVの企画だと考え、殺人ゲームに放り込まれたとは思っていない
【状態】自我薄弱、左手裂傷(軽)
【装備】不明
【所持品】基本支給品、支給品不明、鏡の破片(←城内で入手)
【思考】
1.自分に役割を振ってくれる人を探す
2.設定された配役に沿って行動する
3.全てはTVの企画だと考え、殺人ゲームに放り込まれたとは思っていない
10:残酷な現実のテーゼ | 時系列順 | 12:テンカウントです、王女様。 |
10:残酷な現実のテーゼ | 投下順 | 12:テンカウントです、王女様。 |
アリア・クリスティ | :[[]] |