少女の家族はあるとき告げた。
私が貴女を産んだのだから、どうか役に立ってほしい。
好きに使うとも、あなたの身体は余すことなく、私の所有物だから。
毎日、一本ずつ切り取ろう。
爪、指、腕、足、臓物。
毎日、少しずつ摺り潰そう。
つま先から膝下まで、指先から肩口まで。
痛みが意味を無くす日は、思ったよりも早く来た。
なぜ苦痛を与えられるのか、考えることに意味はない。
ただ、早く終わることを望んでた。
全ての感覚を削ぎ落とされた身体が、童話の世界に投げ捨てられる。
「あなたが、新しい人間さん? 変わった形をしてるのね」
少女は思う、私はきっとヌイグルミ。
この無垢で美しく完璧な存在にとって。
絶対的な銀の獣の玩具として。
「縫い直してあげる」
カミサマのような存在が、腕を振るえばあら不思議。
少女の身体は元通り。
きれいな肌に元通り。
だからきっと続けられる。
明日からも、ずっと、ずっと、永遠に。
苦痛はずっと終わらない。
毎日、一本ずつ切り取ろう。
爪、指、腕、足、臓物。
毎日、少しずつ摺り潰そう。
つま先から膝下まで、指先から肩口まで。
「まあ、まあ、また崩れちゃったのね。私が直してあげなくちゃ」
少女が本当の絶望を知ったのは、きっと、きっと、その時に。
だから悪意を知ったのも、きっと、きっと、その時に。
「どう、覗いてみて、綺麗でしょう?」
窓の向こうには魔神の国。
永遠の楽園、国民が二つに分かれて血に染まる。
「みんな笑っているわ。とってもとっても幸せなのね」
笑いながら殺し合う。
怖い怖いと笑いながら、カミサマの為に殺し合う。
「ええ、素晴らしいです。お嬢様」
無垢なる獣。銀の魔神。楽園のカミサマ。
絶対の魔神。獣の眠る牢獄に。
「幸福を届けてあげたいです。国境の向こう。世界の外まで。お嬢様の優しさが伝わるように」
少女は一滴、毒を混ぜる。
「まあ、まあ」
いつか、いつか、永遠の楽園を壊してしまう、致命の毒を。
「それはとっても、いい考えね」
◇
なにもかも手遅れな今に至って、私は彼女と相対する。
細く、しなやかな指先が突きつけられていた。
罅割れや発疹の一つもない、白く女性らしい手。
ぴんと立てられた人差し指の先端。
軽く手入れこそされているけれど、まるで飾り気のない爪先。
それは銃口だった。
ナガン・リボルバー。
担い手の意のままに、目前の対象を貫き、魂を捉えて捕食する。
凶獣の顎。向かう先は、地面に座り込んだまま動けない一人の女。
つまり、私の額に、ピタリと合わせられている。
「……もう動かなきゃいけない時間ね。最期よ、あと一度だけ言うわ。メリリン」
この場所で、私が追い求めた標的。
怪物の正体。姿を現した元人格。
サリヤ・"キルショット"・レストマン。
軍勢(レギオン)の総帥(クイーン)は、玲瓏な笑みを湛えて告げる。
「私に協力して」
語るべきことは、きっともうお互い、言葉にし尽くした。
私たちの道は、もう―――
もっと早く、彼女の抱えるモノに気づくことが出来ていたら。
あの夜、彼女にちゃんと伝えられていたら。
私たちの今は、目の前に広がる光景は、違っていたのだろうか。
「なんで、私なの……」
だけどもう、遅い。
「あなたの力はね、私の目的のために有用なの。だから、力を貸してくれると嬉しいわ」
「違うよ……そういうことじゃない」
彼女の声が、遠い。
どうしようもなく、遠い場所から声が聞こえる。
サリヤ、私の親友。
私は彼女のことを、どれほど理解できていたのだろう。
彼女は、私のことを、どう思っていたのだろう。
「私の力が欲しいなら、さっさと撃てばいいんだ。ジェーンをそうしたみたいに。
なのにどうして、選択肢を与えるの、今更」
せめて問答無用で殺しにきてくれたら。
一方的に裏切られたって、怒ることができるのに。
大嫌いだって、面と向かって言えるのに。
「今更、私だけ特別みたいに言わないでよ」
「なに言ってるの? メリリンは、特別だよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
「……嘘だ」
「だって私たち」
「やめてよ」
ああ、私は、ほんとに馬鹿だ。
「"親友"なんでしょ?」
あの夜に、渡してあげられなかった、答えの形。
彼女が何を望んでいたのか、私は知っていた筈なのに。
それは私の罪なのだろうか。
なんて思う心とは裏腹に、唇は震え、漏れ出した言葉には怒りが滲んだ。
「ずるい……」
胸の中がぐちゃぐちゃだ。
こんなのちっともクレバーじゃない。
まるで状況にそぐわない。馬鹿げた意地。
非生産的で非合理な、子供の駄々のような癇癪に等しい。
分かってる。分かってるけど、どうしようもないんだ。
際限なく溢れ出す怒りと後悔が、綯い交ぜになって制御できない。
「ずるいよ……サリヤ」
本当に腹が立つ。どうして、話してくれなかったのだろう。
あの日、彼女の抱えていた深淵を、少しでも分けてくれたなら。
だけど、それはきっとお互い様だ。
私だってそう、私にもっと、勇気があれば。
「言ってくれたらよかった」
聞いてあげればよかった。
「信じてくれたらよかった」
踏み込んであげればよかったんだ。
「一緒に来てほしいって、あの日、言ってくれたなら―――!」
此処に居てほしいって、あの日、言ってあげられたなら。
共に不幸になったとしても、一緒に居ることだけは出来たのに。
私は、それでよかったのに。
「今更こんなの……ずるい、ずるいよサリヤッ!」
私の言葉はもう、サリヤには届かない。
言葉で止まる地点に、きっと彼女はもういない。
そして―――今の私は―――
「ジェーンは……私との契約の為に……戦ってくれたんだ」
「そうね、知ってるわ。記憶の同期は済んでいるから。この子、最期までメリリンを案じていたみたいね」
その亡骸は、今も私の傍らに。魂は、サリヤの胸の内側に。
不器用で、悲観的で、だけど実直な少女だった。
最初はぎこちない関係性だったけど、私の我儘を真摯に聞いてくれて、最期まで契約に付き合ってくれた。
ふとした拍子に見せた年相応のいじらしさ、義理堅い心遣いを、私はずっと忘れないだろう。
ほんの短い付き合いになってしまったけど、そこには絆があったと信じてる。
私はいま、ジェーンの気持ちが分かる。
彼女がソフィアに向けた感情の意味が、痛いほどに。
「私はあんたが許せない。たとえ"昔の親友"の頼みだったとしても、"友人の仇"に協力はできない」
精一杯の怒りと後悔を込めて、私は親友を睨みつける。
「……そう」
サリヤは……しかし、揺るがない。
変化といえば、私を見下ろす目が、ほんの少し細まっただけ。
やっぱり、私の言葉で、彼女が止まることはないのだろう。
「ならどうするの? 本気で私と殺し合うつもり? 勝ち目があるとは思えないけど」
「それは……」
「悪いけど、私はメリリンの手札を全部知ってるわ。見たところ、手持ちの機械だって、ろくに残ってないみたいだけど」
「……っ」
確かに、サリヤは私の超力を知り尽くしてる。
私がサリヤの超力を理解できていなかったことを思えば、なんとも不平等な話だけど。
正直、まともに戦ったら、万に一つも勝ち目は無いと思う。
だけど、サリヤは多分、一つ見落としている。
勝機があるとすれば。
「譲歩を引き出すためのハッタリなら、残念ね。ベストはあなたの協力を得ることだけど。私にはベターな選択肢が存在する。
もう一度言うわ。弾倉には、まだ一つ空きがある。それとも、後ろの彼氏をアテにしているのかしら?」
「サリヤこそ、そうやって脅かせば私が従うと思ってる?
こっちだって、もう一度言ってやる。やってみなよ、やれるもんなら! ……あ、あと、あんなん彼氏ちゃうわ!」
「……ふん、どうだか」
何に対しての言葉なのか、再会以来、サリヤは初めて不服そうに、何か言いたげに口の端を曲げた。
拗ねた時に見せる表情。あの頃と変わらない癖に、私は胸が締め付けられる。
ほんとに、サリヤなんだって、分かってしまうから。
首を振って、雑念を振り払う。
そして、もう一度まっすぐに、サリヤと視線を合わせた。
サリヤの超力銃そのものは、プレートアーマーを装着すれば数発は耐えられるだろう。
でも、弾丸にジェーンの超力が上乗せされてしまえば話は変わる。
彼女の言うように、為すすべなく一方的に殺されてしまうことは想像に難くない。
やってみろよと挑発したものの、やる気になられたら、ひとたまりもないのが実際の話で。
だから私は、やられる前に動く必要があった。
「あなたに人が殺せるの? メリリン」
「さあね、でも、殺さなくたって、勝つことは出来るから」
「この期に及んで楽観的ね」
さりげなく腕を、刑務服のズボンの内側に差し入れる。
何かを隠せる場所なんて、私にはもうそこしかない。
上半身は下着一枚だし、プレートは周囲に散らばりっぱなしだ。
案の定、サリヤは目ざとく察知した。
視線が僅かに下がり、指先がぴくりと動く。
「言っておくけど妙な動きは―――」
「私はあんたを止める」
会話を続けて、気を逸らす。
直前まで気づかせないように。
「本気?」
「言葉がもう届かないなら、いいよ。腕ずくで引き倒して、言うこと聞かせてやるから」
それは、非生産的で非合理な、子供の駄々のような癇癪に等しい。
分かってる。分かってるけど、どうしようもないんだ。
「驚いたな。少し変わったのね、メリリン」
「………っ! どの口が……!」
際限なく溢れ出す怒りと後悔が、綯い交ぜになって制御できない。
だから時には、後悔よりも、怒りという衝動に身を任せて。
いま、この場に立ち会ったもう一人。
後ろで見守ってくれているアイツのやり方を、一回くらい、参考にしてみてもいいだろう。
勝負は一瞬。
がさりと、中庭を吹き抜ける風が僅かに残る芝生を揺らした。
それが合図だった。
「補え(モルデオ)―――!」
「―――使用―――」
発砲音と駆動音に打ち消され、互いの声は届かない。
撃ち出された弾丸が私の手を、正確には手を覆っていたプレートアーマーを弾き飛ばす。
私の身体動作は止められたけど、こちらの指示は完遂していた。
天頂から飛来したドローン、そしてサリヤの背後から回り込むように走行するラジコン。
私に残されていた手札、2機の尖兵が同時に攻勢を仕掛ける。
2機に搭載されていたボルトガンとテーザー銃。
しかし、それらが力を発揮する前に、一発ずつ、装甲に極大の孔が穿たれた。
撃墜されたドローンは衝撃で真っ二つに割れながら地面を跳ね回り、ラジコンはパーツを撒き散らしながら横転する。
目前では右の指先を天頂に、左の指先を背後に向けたサリヤの姿。
相変わらずの腕前だ。
メルシニカ(私たち)はお世辞にも武闘派とは言えなかったけど、決して戦えなかったわけじゃない。
いつか私がローマンに切った啖呵は、サリヤにも当てはまる。
どこで習ったか知らないけれど、彼女の射撃精度は仲間内でも並ぶものは無かった。
あえなく奇襲は撃ち落とされ、手札は尽きる。
私が、この中庭に持ち込んだ手札の全てが。
「これで、終わり?」
結局サリヤは振り返るまでもなく。
私に最後通牒を言い渡そうとして。
「だったら―――?」
それが仇となった。
ひゅ、と。彼女の息が詰まる。
背後から受けた衝撃によって一瞬、身体が大きく傾いた。
いつか、その身体に宿らせていた達人の男なら、躱すことが出来ただろうか。
あるいは紅の獣ならば、びくともしなかったろうか。
しかし今は、何故かサリヤ以外の人格は表出していない。
使えないのか、あるいは使いたくないのか。
達人の技能を降ろさない理由は不明だけど、そこに付け入る隙があった。
「っ……な、る、ほど」
むせこみながら、サリヤは私を見た。
唇の端から一筋の血が流れている。
サリヤの背後には、煙を上げて停止する機械の残骸がある。
それはあり得ざる3機目の尖兵だった。
「正直、驚いたわ」
軽く屈みこんだ身体を少しずつ起こし、口元を伝う血を拭う。
彼女の纏う、黒いドレス、ではなく。白く長い袖口で。
「力の全容を分かってなかったのは、お互い様ってこと?
それにしても……まさかアレに手をつけるなんてね……大胆な子」
3機目の機械。
ジョニーがさり気なく残してくれた有り合わせの機材で作ったもの。
即席の超力で形成した固定砲台には、一発のボルトガンが装填されていたこと以外、別段なんの特異性もない。
ただ、気づかせない為に、いくつかの策を講じた。
ズボンに突っ込んだ手はもちろんブラフ。
同時に突っ込ませたドローンもラジコンも同様。
そして、最後の一つこそが大本命。
『接続<アクセス>―――終了。周囲環境の上書き<アップロード>を終了します』
アナウンスと共に、背後の球体が静止する。
「システムB……」
中庭の巨大オブジェ。
エンダという少女曰く、異世界構築機構。それは銀鈴の死と共に停止していたけど、破壊されたわけじゃない。
十分な解析や解体を行ったわけじゃないから、複雑な動きや改造は出来なかったけど。
『壊れない機械はない』、ちょっとバグらせるくらいなら。
システムAだかBだか知らないけど、それでも、そいつが人工物(きかい)で出来ているなら―――
「確かにあなたの超力の及ぶ範囲よね。
エンダのアプローチとは真逆の、超力ではなく機械方面からのハッキング、か。あーあ、ますます有用じゃない……」
周辺環境の上書きによって、隠した3号機から成した不意打ち。
だけどサリヤは、どうやら深傷を負っているようには見えなかった。
口元の血も、おそらく衝撃を受けた際に口内を嚙み切ってしまっただけなのだろう。
残念なような、ほっとしたような、複雑な気分になる。
「びっくり……させられちゃった」
「…………」
「でも、それだけ」
「……みたいだね」
そもそも、私の作戦が成功していたならば、彼女は背後からの衝撃によって、既に気を失っている筈で。
悠長に会話が続いている事実が、失敗の証明なのだ。
私の乾坤一擲を阻んだもの、それは彼女が身に纏う鎧だった。
プレートアーマーよりもずっと簡易的ではあったけれど、突如転送されたそれが、背後から放たれた銃撃を防いでいる。
「懐かしいね、その格好」
「そうね。別に指定したわけじゃないのだけど。皮肉のつもりかしら、刑務官」
黒のドレスの上から羽織る装甲。
それは丈の長い白衣だった。
"シエンシアの再来"と呼ばれていた頃の彼女が纏っていたような。
『ポイント使用―――防弾コート』
決闘開始直後。
端的に、刑務官に向けて宣言された。
サリヤによる恩赦ポイントの使用だった。
「予想を越える搦手を使ったところで、結局、メリリンの攻撃手段はジャンルが限られるわ。
最終的に機械を使った遠隔攻撃に収束するなら、結果をいち早く対策するのは定石でしょう」
「刑務闖入者のくせに……ポイント使うとか、厚かましいと思う」
「首輪は引き継いでるんだし、いいでしょ? 現にケンザキは応えたワケだしね」
「ああ言えば……こう、いう……」
風に乗って、甘ったるい匂いがする。
鼻先から頭頂にかけて、ツンとした刺激が駆け上がる。
アルコールとはまた違う、痺れるような酩酊感。
視界の左右が黒く塗りつぶされていく。
眠気と吐き気が同時にせり上がり、真っすぐ立っていられなくなる。
何が起こっているのだろう。
わからないけど、どっちしろ、もう私に手札はない。
細くなる視界の端、地面に咲き乱れる紫色の花々が見えた。
「あなたの負けよ。……ごめんね、メリリン」
紫骸(ダリア・ムエルテ)。毒花の粒子が意識を刈り取っていく。
ああ、最後の時に、それを聞く。
悔しいな。『ごめんね』なんて、そんな言葉、聞きたくなかった。
最悪の、再会だった。
薄れていく意識の中で、もう叶わない望みを知る。
私は、ただ、迎えてあげたかったんだ。
あの日、『ただいま』を聞いて、『おかえり』を伝えたかった。
それだけだったのに。
「謝らないでよ……サリヤ――ううん、もう、違うんだね」
今も胸に燃え上がる、後悔と怒り。
口にした渾名は決別の証であり、同時に。
負けた私の、苦し紛れの、ささやかな反撃だった。
「あんたの勝ちよ、"キルショット"」
◇
「そこまでだ」
仰向けに倒れていく女性の肩を、青年の腕が抱きとめた。
衝撃波を地へ流し込むことによる縮地。
二人の女性の間、訪れた決着に、若きギャングスターが介入する。
地面に落ちる金属片が、硬質な音を響かせた。
プレートアーマーの鉄板が散らばる庭の中心で、メリリンは朦朧とする意識の中、彼を見上げていた。
「あ、れ……ロー……マン?」
「ネイでいいぜ、メリリン」
女の濁った黒目に映る頬傷、白髪をウルフカットにした男の横顔。
ネイ・ローマンの介入とは即ち。
銀鈴の襲来に端を発した一連の騒動における、一旦の収束を意味していた。
「ネイ……、っ……ろ、ローマン……」
「ちっ……惜しいな。まあいいさ、テメエはもう寝とけ、後は俺がやっとく」
「でも……わたし」
「いいから寝ろ」
「うぅ…………」
あやされるようにして、メリリンの身体から完全に力が抜ける。
刑務開始から12時間超の緊張状態。
敗北による弛緩。嗅がされた毒花の粒子による軽い麻痺症状。
様々な負担が重なり、遂に限界を迎えたのだろう。
ローマンは体制を変え、気絶したメリリンを背中に担ぐ。
そうして、もう一人の女と向き合った。
「よォ、また会ったな寄生野郎(パラサイト)。いや、新しい女王様(クイーン)とでも呼べばいいか?」
ウェーブがかった薄紫色の髪。紫と琥珀のオッドアイ。
銀鈴が残した黒ドレスの上に、白衣を羽織った女。
サリヤ・"キルショット"・レストマン。
我喰いの元人格にして、主人格。
ローマンにとっても、ここブラックペンタゴンにおいて、計3度もの衝突の果てに迎えた邂逅。
「少し正確じゃないわね。元を正せば、私が元人格だから」
「メリリンの反応見る限り、そうみてえだな。キルショット、だったか?」
「ええ、一応、初めましてになるのかしら、ネイ・ローマン。前に話したときは、第5席に座っていた時だから」
以前の邂逅では、本条清彦が主人格を担っていた。
サリヤにとっても、自我を酩酊という名の暗幕に沈めていた状態での会話だった。
だが、今は違う。
本条、銀鈴、二つの主人格が討ち果たされ。
ついに白日に晒された元人格。致命の一撃(キルショット)。
我喰い(ナガン)の総帥(クイーン)を、孤高のギャングスタは不躾な目で凝視する。
「で、まだ続けるかい、キルショット」
「私にその気がないことくらい、分かっていたから今まで黙って見ていたんでしょ、ギャングスタ。
ケジメを欲したのはその子だけよ。私の望みは、最初に言った通り」
「メリリンの超力(ネオス)か。なら生憎と、コイツの意思はハッキリしたろう」
「ええ、残念だけど」
対峙する二者の間で、徐々に緊張が高まっていく。
「なら腹に収めてみるかい? 災害(カラミティ)や令嬢(バートリ)みてえによ」
「そうだと言ったら、あなたに何か関係あるかしら?」
「クソみてェな質問だ」
赤黒い閃光が走り、空気が罅割れる。
「オレの女(モン)に手ェ出す奴がいるなら、潰すだけだ」
「オレの? 笑わせるわね。これは私たち"メルシニカ"の問題よ」
「はッ……違うね、この女はもう、"アイアン"だ。テメエはとっくに外様なんだよ亡霊女」
痛みを伴う衝撃の余波が二人の頬を掠めている。
ゆっくりと、撃鉄が上がっていく。
「メリリンといい、あなたといい、無謀ね。万全な状態ならいざ知らず、片腕を落とされたあなたが、メリリンを庇いながら私と勝負できると思う?」
「おぉ、言い切ってやるよ。テメエ如き相手にもならねえ。銀の化物は失せた。引き篭もり野郎の寄生戦術も使わねえときた。笑えるなァ、テメエが歴代最弱だよ、元祖女王の名が泣くぜ」
「可愛いわね、それ、本気?」
「試してみるかよ?」
「………」
「………」
飽和していく殺意が決壊する。
その間際。
「……やめましょ、時間が勿体ないわ」
「……ま、それには同意してやるよ、クソ女」
嘘のように、急激に霧散した。
「場所を変えましょうか、ネイ・ローマン」
「仕切んじゃねえよ、キルショット」
険悪な空気はそのままに、殺意のみが取り払われる。
つまり、そう、前述の通り。
ネイ・ローマンの介入をもって、一連の騒動は一旦の収束を見ているのだ。
ケジメに拘ったのはメリリンただ一人。
他の2名。サリヤもローマンも、とっくに結論づけている。
全ての因縁、確執を後回しにしてでも、解決せねばならない直近の脅威がある。
「どうしてもメリリンを喰うつもりなら、ぶっ殺してやってもいいが」
「さっき言ったでしょう、一旦パスよ。負ける気はないとしても、あなたと事を構えた結果時間切れ、なんて結末が一番馬鹿らしいわ」
対決が一応の結末を見た以上、彼らは思考を次に進めなければならなかった。
あくまで、この場において、サリヤがメリリンの超力獲得に拘らなければ。
「だが、それはそれで解せねえよ。親友に銃口向けてでも、欲しい力じゃねえのか?」
「まあね、だけど、知ってるでしょう? 私が装填した超力は原則、劣化を免れない。欲しいのは、"今のメリリンの力"よ」
生きた超力は成長する。
本人は無自覚かもしれないが、メリリンの超力はサリヤが知る頃よりも発展していた。
システムBを起動してみせた現象こそが証左。
彼女は自らの力によって、感情の上でも、合理の上でも、メリリンの捕食はサリヤにとって必ずしも最適解ではないと知らしめたのだ。
「もちろん食べちゃうのも選択肢よ。手段を選ぶつもりなんてないわ。でも、それは少なくとも今じゃない。だって勿体ないじゃない?」
「そういうことかよ……クソが」
吐き捨てたローマンに構わず、サリヤは中庭の芝生の上を歩いていく。
一つの遺体の上で、白衣の女はふと足を止め、男の背で寝息を立てる女を見た。
「今更……なんて、お互い様よ、メリリン」
我喰いの仕組んだ計画に、メリリン・"メカーニカ"・ミリアンの存在は組み込まれていなかった。
当たり前の話。組み込まないために、サリヤは彼女のもとを去ったのだから。
愚かな科学者のことなんて、忘れてくれれば良かった。知らないところで、勝手に幸せになってくれたらよかったのだ。
深淵(アビス)に落ちてから再会するなんて、想定外にも程がある。
世界のシステムを破壊するために。当時の彼女が知る限り、最高の適正を誇る超力。
それを計画から除外することこそ、最後の不合理にすると決めていたのに。
「ばかね。どうして、今になって、私の前に現れちゃうかな」
今、撃たない理由は、先程ローマンに告げた通り。
だけど、撃たない理由が、一つもなくなってしまった、そのときは―――
「あなたもそう思うでしょう。もうとっくに、引き返すことなんて出来ないのに」
視界の端、球体オブジェの影。
黒いライダージャケットを身に纏う、ハットを被った女性が立っている。
一言も話すことなく、ただ、ただ、じっと、サリヤを見つめている。
「あの子を守ってくれてありがとう。でも、ごめんね、ジェーン。貴女の望みには応えられない」
「テメエ、誰と喋ってる?」
背中を刺すような声に振り返ると、メリリンを背負ったローマンが、訝しげにサリヤを見ていた。
もう一度、オブジェクトに目を向けると、しかしそこには誰もいない。
「ねえ、私たち、組みましょうか。ブラックペンタゴンから出るまでの、ほんの短い期間限定で」
「ああ? なんだそりゃ、信用できると思ってんのかオイ」
脈絡のない言葉にローマンがは露骨に苛立つ。
しかしそれは、今度こそ彼に向けられた言葉だった。
「……あなた達に損はさせないわ。
あと数分、下準備しながら話すから、聞いて判断すればいい。
乗らないならメリリンを連れてさっさと消えて、次に会うときは敵同士。それでいいでしょ?」
芝生に横たわる遺体のそばに屈み。
サリヤは白衣のポケットに手を差し入れ、何らかの作業を始めようとして。
「ああ、そうだ。ネイ・ローマン」
けれど、その前にもう一度だけ、ローマンを見上げた。
「もしもシラフで会う機会が巡ってくれば、伝えようと思っていたことがあるの」
「……んだよ」
訝しげに睨みつける青年に向かって、サリヤは何でもない事のように、それを告げた。
「欧州では、妹が世話になったわね」
「……?」
「分からないなら別にいいわ。ただ、言っておきたかっただけだから」
◇
「……!」
「……」
どこか緊張感をはらんだ男女の会話が聞こえる。
耳に届く空気振動が、私の思考の靄を晴らす。
目を擦りながら身を起こすと、身体にかけてあった布が捲れ、膝の上にずり落ちた。
掴んで持ち上げてみれば、袖がぴろりと垂れ下がる。どうやら衣服のようだった。
薄い黄色の、上着とズボンが縫い合わされた、いわゆるツナギ。
整備士が着用するボイラースーツ。
昔、私が仕事で着ていたものと少し似ている。
どうやら私は並べられた椅子の上で寝かされていたらしい。
硬くなった身体を伸ばしながら横を見ると、傍らの机上には、黄色い帽子とゴーグルが置かれてあった。
周囲は清潔な環境とは言えなかったけど、どこか落ち着く感覚がある。
それもその筈、私にとっては慣れ親しんだ光景だったから。
たくさんの機械が犇めく、生産ライン。ここはその控室。
ブラックペンタゴン南東、工場エリアに戻ってきていたようだった。
「ほら、あんまり煩くするから、起きちゃったみたい」
「……メリリン」
声の方向に目を向ければ、そこには二人の男女が立っている。
ネイ・ロ―マンと、もう一人―――
「サリ……、ッ、キルショット……!」
「そ、あなたはもう、そう呼ぶのね」
ああ、夢じゃなかったんだな、と。
最初に思ったのは、そんなこと。
追っていた親友の仇が、親友自身で。
友人を殺して、今、目の前にいる。
「動いても、大丈夫かよ?」
なにやら一触即発の空気に見えたけど。
ローマンは私が起きていることに気づくと、詰め寄っていたサリヤから離れ、さり気なく私との間に立ってくれた。
私が小さく頷いて答えると、少しだけ安堵したように、表情を緩め、口を開く。
「……お前が眠ってたのは20分くらいか。
そんで、その間、あの女から色々聞いた。……で、結論から言うと、だ」
一瞬、私から目を逸らし。
親指で背後のサリヤを指して。
「アレと組む。一時休戦だ」
「ええ!?」
「お前が嫌がるのは分かってる。だから、ここから出るまでの、残り4時間限定の話だ」
「いや、でも」
「オレが決めた。文句ないな?」
「納得行かないって!」
「…………ハァ」
ローマンは後手に頭を掻きながら、首をぐるりと回し。
ぐっと私に顔を近づけ、低い声で脅すように言った。
「オイ、テメエはもう"アイアン"だろうが。ボスの決定は絶対、それが掟だ」
「くッ……パワハラリーダーめ……!」
なんとなく機嫌が悪い様子のローマンに詰められ、緊張する私の耳に、小さな物音が届く。
ローマンも振り返ってそれを見た。
「おい、どこ行くんだテメエ」
「お邪魔でしょうから、少し出るわ」
サリヤは控室のドアを半開きにして、私たちの様子を眺めていた。
「ネイ、10分で戻るから、それまでにメリリンを説得して。出来なければ、この話は無しよ」
そうして、彼女は部屋を出ていく。
姿が消え、扉が閉まる前に、どこか寂しげ声が私の耳に届いた。
「本気で喧嘩するなんて、いつ以来かしらね」
「あんたが……二日酔いで商談すっぽかした時でしょ?」
「いいえ、メリリンが飲酒運転で得意先のビルに突っ込んだ時が最後よ」
「そんなの……酔ってたから憶えてない」
「お互い様ね、私もそんなの憶えてない」
ばたんとドアが閉められる音が響き。
少しの間、静寂が訪れる。
いきなりローマンと二人にされ、なんとなく気まずい空気が流れていた。
ローマンは視線を逸らして、何事かつぶやきながら考えこんでいる。
「ちゃんと、話し合え、か。
ああ……ギャルの奴の言う通りにするのも癪だがな」
私を説得する言葉を模索しているのだろうか。
そういえば、私が目覚める前、ローマンとサリヤはなにやら揉めていたようだけど。
組むという話がまとまっていたのなら、あれは一体何を言い争っていたのだろう。
「あーその、なんだ、メリリン」
さっき凄んだことを気にしているのだろうか。
ローマンはバツの悪そうな表情で頭を掻きながら、逆の手でバッグを引き寄せようとして、それが出来ないことに気づいたのだろう。
舌打ちしながら、頭に回していた方の手を下ろして、皮の紐を掴んだ。
「あの女は―――」
「わかった」
「……まだなんも言ってねえ」
「これ以上、我儘言わないよ……」
本当のことをいうと、一度負けたことで、少し毒気を抜かれてしまったし。
なにより、改めて彼の腕を見てしまったら、もう、何も言えなくなってしまった。
もともと、サリヤを含め、ブラックペンタゴンからの脱出は全員の総意だった。
和を乱したのは私だ。我を通すために、足並みを狂わせた自覚はある。
「ごめん、ローマン。付き合わせちゃって……それに、その……腕」
彼の右腕を見る。
痛ましい傷だった。肘から先が千切れ、応急処置として巻きつけられた包帯の先は赤く染まっている。
若く頑丈なネイティヴ世代でなければ、痛みと出血で動くことも難しいほどの重傷だった筈だ。
「謝るなよ」
だが、ローマンは怒りを込めて、私の目を見返していた。
「言ったろうが、オレがやってきた全部は、オレが正しいと思ったからやったんだぜ」
それはいつか語っていた彼のルール。
「オレの悪は、オレのルールに背いたやつだ。その掟にはオレ自身も含まれる」
自らの矜持にしたがって彼は生きてきた。
この深淵においても、それは揺らぐことはなかったのだ。
今日までは。
「なあ、メリリン。お前はオレのモノになったが」
「なってない。あとメリリン言うな」
「オレは、お前の為に死ぬつもりなんざ全くねェ」
「聞けよ」
「オレの行動の落とし前はオレがつけるべきだ。そいつは、"あの女"も同じだろう」
「…………」
「お前とあの女の間に、なにがあるのかは知らねえ。オレの知ったことじゃねえよ。
だがな、あの女がやった全ての因果は、奴自身にある。お前じゃねえ」
彼が何を言おうとしているのか。
なんとなく分かった。
「たとえば、オレのシマにヤクを持ち込ませた。その落とし前は、必ず付けさせる。
ブラックペンタゴンを出た後、オレと奴は正真正銘、敵同士だ」
さっき、彼女に謝られたときに過った感情を思い出す。
ああ、そっか、だから私は嫌だったんだ。
「お前は、お前がここで、選んだモンに落とし前をつけろよ。
選びたいモノを選べ。それ以外は、置いて行け」
因果はどこまでも追いかけてくる。
自分のモノであっても、他人のモノであっても。
弱い私は、全てを選び、拾い上げることは出来ない。
そうあろうとした者から脱落していった、ならば。
「オレは、オレに付いてこれない奴は置いていく。
たとえ、オレ自身の因果がそこにあったとしてもだ。追いつけないなら振り切る。目の前に現れるならブチ抜く。
そんだけだ、お前だって例外じゃねえ。メルシニカ(あの女)を選ぶなら、好きにしろ、お前の選択だ」
彼なりの発破なのだろうか。
それとも―――
「だが、お前がアイアンであることを選ぶなら、お前はオレの因果(モノ)だ」
目を逸らすことは出来なかった。
彼の矜持に答えるならば、半端な答えは許されないから。
今この瞬間だって、きっとひとつの選択。
私の因果なのだろう。
「……私は、あんたのモノになんかならない。生意気いうなよ、クソガキめ……」
立ち上がり、用意されていたツナギを穿いて、机の上の帽子とゴーグルを頭に乗せる。
これを用意したのはきっとサリヤなのだろう。
メルシニカ時代の、私の格好に随分似ている。
敵に送られた塩、だとしても構うもんか。最期に勝つために、飲み込んでやる。
ローマンの脇を通り抜け、控室のドアを開け放つ。
工場エリアでは6時間前と同じく、規則正しい生産ラインが動いていた。
見たところサリヤの姿はない。
都合がいいので、そのまま天上に向かって手を伸ばす。
「『補え、私の愛する人工物質(モルデオ・アルティフィシアル)』」
豊富な機械設備が解体され、様々な金属が私の頭上に集まってくる。
ネジ、ボルト、モーター、プラスチックのフレーム、溶かした鉄で加工した銅線。
パーツを複雑に組み合わせた精密機器。だけどシステムBを動かすことに比べれば容易い。
超力の絡まない機器の作成は難しくないし、サイズもそう大きくない。完成までにそう時間は掛からなかった。
ひょっとすると、サリヤは私の行動を見越して、ここに連れてきたのだろうか。
完成した機器を手に持ち、ローマンに向き直る。
差し出したそれは、45センチほどの鉄腕。
肘から先を補う、漆黒の義手だった。
「でも、勘違いしないで。あくまでこれは契約だよ、ローマン」
あいつと、私の因果に、決着をつける為。
まず、ここを出る必要があるのなら。
「協力してくれるなら。脱出するまでの間は、あんたの片腕(アイアン)でいてあげる」
◇
ごうん、ごうん、と。
規則正しい駆動音が、壁を隔てた向こう側から聞こえてくる。
遡ること二十分前。
工場エリアの控室にて、メリリン・"メカーニカ"・ミリアンがまだ寝息を立てていた時のこと。
ネイ・ローマンは控室の椅子に座り、メリリンの寝顔を眺めていた。
なんのことはない、他にすることもない故に、そうして時間を潰している。
サリヤ・"キルショット"・レストマンから話を聞いた彼は、『一先ず乗る価値はある』と判断した。
だが同時に、メリリンの納得無しには受けられる案件でもないと断ずる。
その方針で、彼女の目覚めを待っていたのだが。
「…………」
先程から、不可解な現象が発生していた。
「………」
「……………ええ、ええ、…………違うわ」
サリヤは控室の外でメリリンが目覚めるまで待機する。
そういう手筈になっていた。
彼女はいま、一人で工場エリアで佇んでいる。筈なのだが。
「……………あなた……は、もう…………ね」
「あいつ、誰と話してやがる?」
機械の駆動音に混じって、僅かに違う音がする。
女性の声、間違いなくサリヤの声だろう。
しかし独り言にしては長過ぎる。誰か生産ラインに来ているのか。
不気味な気配を覚えたローマンは立ち上がり、扉に近づく。
すると、少しだけ言葉を聞き取ることが出来た。
「来る途中……………被験体…………。
そう、そんな距離……凄まじい魂の強度ね……感服する」
サリヤの声。
しかも明らかに会話だ。
独り言の類には聞こえない。
「ええ……彼なら中に居る……会わないの?
……未練に……なる? ……そう……分かった、伝えておくわ」
中庭に集っていた誰か、或いはあの場にいなかった刑務者が訪ねてきたのか。
前者であれば、サリヤと自然に会話が出来ていることに違和感がある。
となれば、後者か。
しかしなぜ、相手の声が聞こえない。
思考を巡らせるローマンをよそに、奇妙な一人会話が続いてく。
「あなたには3つの道があるわ。
この島のシステムに取り込まれるか。私の内側に来るか。或いは―――"これ"の中に入るか」
そこまで考えて、柄にもないと思い直す。
何を、立ち聞きまがいなことをしているのだろう。
気になるなら、聞けばいい、それだけのことだ。
「そう、分かった。じゃあ、おいで―――」
「誰と喋ってんだ、テメエは」
ローマンが扉を開け放つ。
ちょうど、奇妙な会話が終わったタイミングのようだった。
扉の正面に立っていたサリヤが振り返る。
彼女以外に、やはり誰もいない。
機械の駆動音だけが響いている。
しかし、不可解な変化が一つだけあった。
サリヤの手に握られたアクセサリが、強烈な光を放っている。
2色の螺旋が明滅し、ローマンの目を眩ませる。
赤と青が絡み合い、熱と冷気が通り抜ける。
ローマンは、その鮮烈な気配を知っていた。
「…………大金卸」
この刑務で最初に出会った、一人の漢女。
本気での再戦を近いあった、拳の求道者。
その気配が今、風のように通り抜けて、消えたのだ。
流星のアクセサリに宿る光も、徐々に収まっていく。
「『再戦の約束、果たせなくてすまない』と、伝えてほしいって言われたわ」
サリヤはアクセサリを白衣の内側に仕舞い。
ローマンに向き直った。
「死して尚、約束を憶えていたのね」
「あの漢女が来てたのか? ブラックペンタゴンに?」
「ええ、ただし、魂だけになって……ね。彼女の肉体は、ここよりずっと遠い場所で滅びた。海が見えるくらい北西って言ってたかしら」
「魂だけここまで走ってきたってのか? ありえねえだろ、んなオカルトみたいな話」
「そうね、普通はあり得ないことだわ。魂だけで、これほど長い距離を劣化せずに動けて、あまつさえ会話まで出来る存在なんて」
サリヤの指摘するポイントは、少しズレていた。
ローマンはそれを訂正しようとして、口を閉ざす。
「絶対者。たまにいるのよ、進化を必要ともしない、天然の強者がね。あなたもさっき、中庭で見たでしょう?」
「……銀のバケモンか。あれと同類だったってのか?」
「力のベクトルは違ってもね。お嬢様も初代デザーストレも、共通項は『不変』であることよ。飛躍が必要ないの、なぜなら生まれながらに完成されているから」
絶対的魂。揺らがぬ存在。不変。
不敗の強者であった筈のローマンに、初めて恐怖を与えた存在たち。
「ねえ、超力がどこに宿るか、知ってる?」
「……魂だろ」
「正解」
レギオンの存在が明らかにした、人体81番目の臓器。
不可視の肝。それがいったいどこにあるのか、解明できた科学者はいない。
だが、超力を司る機能が、脳にも心臓にも、目に見える臓物の何れにも無いことだけは証明されてきた。
では消去法で一つしか無い。
そして、それの視覚化なくして、超力の研究は進まない。
ならば続く流れは必然だった。
「つまりレギオンの全ては、C理論証明の礎。『システムC』の試作機(プロトタイプ)よ。
被験体:Oも変わり種だけど、広義ではその一種に含まれる。だから初代デザーストレの魂を知覚できたのね」
魂だけになってまで戦おうとするなんて例外は彼女だけとして、という補足を添え。
サリヤは滔々と講義のように話を進める。
「死者の魂を活用する。これが私と妹(H)の基本設計。対して被験体:Oは死者の肉体を活用する。
それぞれの理論を合わせれば、いよいよ完成かしら?
世界の歩みは早いわね。私たちモルモットを糧に、やつらの方舟は出港する」
『私たち』という響きに、不穏な何かを感じ取る。
それは、被験体という括りではなく。
刑務者すべてを含んでいるように聞こえた。
「なんの話をしてんだテメエ……」
ローマンは気づく。
この話の向かう先。
「テメエの目的は……なんだ?」
得体のしれない我喰いの正体。
サリヤは一体何のために、わざわざ深淵に落ちてきたのか。
「世界の根幹(システム)を破壊するため」
端的な答えに、まず反感が込み上げる。
『全部ぶっ壊れちまえ』
そんなことを言ったやつは、過去にもいた。
都度、ローマンは思うことがある。
「くだらねえ」
「あら、どうして?」
それは彼が幼少の頃から、横たわる事実であった。
「世界なんざ、もうとっくにぶっ壊れてんだろうが」
生まれた頃から両親はヤクに溺れ、社会は腐っていた。
ストリートの秩序は乱れ、犯罪は横行し、まだ戦争が起こってもいないのに、毎日夥しい数の人間が死に続けている。
ならば近い将来、必ず起こるとされている超力を用いた世界大戦が勃発した時、一体どれほど死ぬのだろう。
冗談ではなく、今度こそ人類は滅びるかもしれない。
開闢の日、全てが狂ってしまった。
ローマンが生まれた時には、世界なんて最初から壊れていた。
崩壊を転がり落ちる一方の社会で。
それでも、だからこそ彼は自らの掟(ルール)と組織(シマ)を立ち上げ、生きる場所を作ろうとしていたのだ。
「今更、わざわざ自分(テメエ)で壊す価値があるとは思えねえ」
そんなローマンにしてみれば、サリヤの望みは実にくだらない。
幼稚な願いにしか聞こえなかった。
「ふふ……そうね。ほんとうにそう、くだらない望みね。世界に、壊す価値なんてない。同意するわ」
願いを切り捨てられた女は、それでも薄く笑っている。
悲しみも、怒りもない。諦観に満ちた微笑だった。
「だけどもし、『壊す価値のある世界』が、これから芽吹くとしたら?」
「なに……?」
『ABC計画』。
その根幹の理論形成に関わっていた科学者の一人。
彼女の娘にして、実験材料、そして助手を務めさせられていた女は知っていた。
「世界をこんなにした人達は、壊れた世界を捨て去って、美しく清廉な場所に行きたがってる」
汚れた世界で膿を出し切り、選ばれた者たちは、方舟に乗って美しい場所へと。
責任を放り捨てて逃げ出そうとしている。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず。なんて言葉、清彦さんに教えて貰ったっけ。
……ねぇ、ふざけてると思わない?」
蓮の花のように、汚れた泥から芽吹く新世界。
新たな世界、新たな秩序、新たな社会。
全ての間違いを無かったことできる場所。
美しい、科学者の夢、人類の到達点。
「システムCは新世界の根幹、だから破壊する。間違いから生まれた世界(モノ)は――」
間違いしか生まないから。
それがサリヤの矜持であり、復讐だった。
「つまり、この刑務は……」
「そういうことよ。全員が実験動物。奴ら、どうなったっていいのよ、世界ごとね」
彼女の本質は『科学者』だ。
根っからの戦闘者ではない、話術に長けた交渉人でもない。
「あと4時間、"力"をちょうだい。かわりに私は"知"をあげる。
言ったでしょ、損はさせないって」
「……メルシニカ(テメエ)は敵だ。ここを出たら容赦はしねえ」
「承知の上よ。好きにしなさい。私も、その時は容赦しないから」
では科学者――賢者の強さとはなにか。
無論、知っているということだ。
「例えば、そうね、一つアドバイスをあげましょうか、ネイ・ローマン」
そうして、女は軽やかに、
「あなたは――"ルーサー・キングには勝てない"」
特大の地雷を、正面から踏み抜いた。
「―――っ」
ローマンはサリヤの襟首を掴み上げ、投げつけるように控室の壁に叩きつけた。
一呼吸の間も置かずに実行された暴威。
無意識に放たれた衝撃波によって、サリヤの胸元が焼け焦げている。
「けほっ……乱暴者ね……あの子も、こんな奴のどこがいいんだか」
「オイ」
氷のように冷え切った視線。
そして刃のように鋭利な、低い声だった。
「死にてえならハッキリそう言え。あと自殺してえなら、もっと楽に死ねる方法を選べよ」
アイアンハートのリーダーが誰を狙っているか。
裏社会においては、公然の事実であったろう。
しかし、その一言はネイ・ローマンの逆鱗。
とりわけ、最も触れてはならない部分に、彼女は不躾に触れたのだ。
「ハッキリ言ったつもりよ。あなたでは勝てない」
「じゃあ望み通り死―――」
ローマンは怒りのままに衝動を解放しようとして、しかし止まった。
頭を潰すために、殴るために振り上げた腕には、拳がついていなかった。
肘から先の途切れた右腕の先端。
傷口が開いてしまったのだろう、大量の血が滴り落ちている。
それを見るローマンの耳に、女の声が届いていた。
「"今のあなた"では……ね。話は最期まで聞くものよ」
ローマンの右腕に女の手が添えられる。
「私に出来るのは軽い治癒まで、わるいけど欠損部位を生やすほどの効力はないの。
後は……そうね、メリリンに頼んでみたら?」
「なんのつもりだよ」
サリヤの触れていたローマンの右腕。その断面に、紫煙が纏わりついている。
楽園の切符による治癒が発揮され、断面の傷口を接着し、血を止めた。
「ルーサー・キングのことは、欧州を視察したときに一度だけ見たことがあるわ。
彼はおそらく到達者(プレシード)よ」
超力の第二段階。
オールド、あるいはネイティヴ世代にして、次世代(ネクスト)レベルの出力に至る者。
次世代の到来を待たず、次の領域に到達した超力。
故に、先行到達者(プレシード)。
超力の出力が飛躍的に上昇する者。
超力のタイプそのものが大幅に変異する者。
超力のベクトルが真逆、あるいは無関係な超力が突如付与される者。
進化の形は様々だが、オールド、ネイティヴ、どちらの世代にも極少数、観測された事例だった。
「驚くことじゃないわ。私の専攻こそが、プレシードだもの」
そしてかつては彼女の母親、シエンシアの研究対象でもあった。
サリヤの肉体を、システムCの実験に使い尽くしたあと。
ついでのように投じたサブ・プロジェクト。
研究の結果、プレシードは人類にとって、平等に配られた切符ではないと分かった。
だから、シエンシアはそれが分かった時点で、呆気なく手を引いた。
彼女の望みは人類そのものの飛躍。
一部の選ばれた人間にしか齎されない先行進化は理想とは程遠い。
「いずれにせよ、第二段階に到達した者と、そうでない者の超力には、天と地ほどの差が生じる。
プレシードに覚醒した存在に対抗しうる者は、同じプレシードか、あるいは例外たる絶対者」
絶対者。銀鈴や大金卸樹魂のような、特例。
覚醒を必要としない、生まれながらの完成形。
彼らは、しかしそうであるが故に、第二段階には至れない。
「さて、ネイ・ローマン、あなたはどちらに該当するかしら?」
「…………」
「そう、まだどちらでもないわ。残念ながら、少なくとも後者ではなかった」
中庭で巻き起こった蹂躙劇。
銀鈴を前にして感じた恐怖は、未だ忘れていない。
ローマンは、絶対者ではない。それを突きつけられた。
「だからこそ、今のあなたにはチャンスがある」
「どういう意味だそりゃ」
「第二段階は誰でも到達できるわけじゃない。だけど、可能性を持つ人間にも条件が課せられる」
因果関係は未だに瞭然としない。
だが、統計として、そこに至る人間には共通項が存在した。
「強いストレスに晒され続けた過去。社会への諦観。深い悲しみと怒り。鬱屈した精神性の発露。
そしてなにより、底のない恐怖と苦痛。それらが至らしめるマイナス感情の究極を超えること。
陳腐な言葉だけど、そうね、つまり―――『絶望』を踏破すること」
故にこそ、昨日までのローマンは至れなかった。
「敗北を知らぬ、孤高のギャングスタ。でも、今は違う」
ネイ・ローマンは今日、挫折を経験した。
大金卸樹魂によって、越えられぬ壁を知った。
銀鈴によって、本当の恐怖を知った。
「今のあなたなら、到達できるかもしれないわね。
逆に言えば、できなければキングには勝てない」
「…………」
「私にとって、あなたは利用価値がある。メリリンの超力とは別の意味でね。
できる限り役に立ってから死んでほしいの。
使われる一方が嫌なら、あなたもせいぜい、私を利用することよ」
しばしの沈黙が過ぎ。
ローマンは軽い舌打ちを一つ入れてから、落ち着いた声で言った。
「一つ質問だ」
「なあに?」
「てめえは、どっちだ?」
襟首を掴んだ左手からは既に力が抜けている。
それでもサリヤは体制を変えぬまま、先程までと同じトーンで答えた。
「シエンシアは人類が平等に進化できる方法を模索していた。
研究初期こそ、第二段階(プレシード)も候補ではあったのよ。
彼女は人が行使可能な、ありとあらゆる責め苦をモルモットに施し、超力が第二段階に移行する方程式を解こうとしていたわ。
科学の力で誰もが超力を進化させることができれば、人類全員が次世代(ネクスト)に到れる、なんて理想を追って。
……でも、実験は半端なところで終わってしまった」
「理由は?」
「実験が完遂される前に、途中でモルモット自身が絶望に至り、自力で到達してしまったからよ」
「…………そいつは、どうなった?」
「当然、捨てられたわ。今度こそ、利用価値はなくなったのだから」
「…………」
「母にとって私は、最期まで使えない失敗作だった」
そのとき、控室の奥で、布が擦れる音が鳴った。
「ほら、あんまり煩くするから、起きちゃったみたい」
「……メリリン」
襟首から手を離し、ローマンは振り返る。
ちょうど、椅子の上で寝ていたメリリンが、身を起こすタイミングだった。
◇
「話は纏った。ってことで、いいのかしら?」
「……一応」
「まあな」
工場エリア控室。
煤けた小部屋のなかに、3人の男女が向き合っている。
部屋の壁の前には巨大なホワイトボードが設置され。
その正面に、まるで講師のようにサリヤが立っていた。
「確認だけど。禁止エリア発動までの残り4時間……から3時間半くらいかな。
私たちは一時休戦、タイムリミットまでにブラックペンタゴンからの脱出を目指す。これでいいわね?」
私とローマンは生徒のように対面の椅子に座っているけど。
仮に生徒だとすれば、その態度は酷いものだった。
「いいんじゃない、それで。さっさと話を進めてよ、キルショット」
私は不貞腐れたようにサリヤと目を合わせず。
「おお、4時間後にぶっ殺してやるよ」
ローマンは不良まるだしで足を組み、行儀悪くエネルギーバーを齧っている。
私の呼び方に、サリヤがの表情が僅かに動いた気がした。
少し、胸が痛む。いや、駄目だ、甘くなるな。
ここは意地を通すところだ。
頑なな態度を崩さない私を諦めたのか、サリヤはため息を一つ吐き出してから、本題に入った。
「現在、唯一の脱出口とされているエントランスには、ヴァイスマンが送り込んだ補助要員、被験体:Oが待機している。
これを撃破して、ブラックペンタゴンないし禁止エリアに指定された領域を脱するのが、私たちの共有する目標よ」
残り僅かな制限時間。
生き残るための、作戦会議が始まったのだ。
「被験体:O。設計コンセプトは肉体の活用。敵は端的に言って膂力の怪物よ。
超力名称、『餓鬼(ハンガー・オウガー)』。増強された筋力と再生力。
お嬢様のように超力ごちゃまぜの何でもありってわけじゃないけど、肉体(フィジカル)が及ぼす破壊力は決して引けを取らない。
ここまでが、私が研究所にいた頃、読んだ資料で得た情報よ。
あれから10年以上経過している今、実践投入に差し当たって改良が施されていても不思議じゃないわ」
サリヤが齎す敵の情報。
私たちが様々な遺恨を飲み込んで、ここに立つ理由だ。
「前提として、メリリンも、ネイも、そして私も、味方は私たちだけと考えて。その方が動きやすいから」
「おい待てテメ――」
「そうだよ、なんで私たちだけなの?」
しかし、いきなり引っかかってしまった。
ローマンに被せるように、私は抗議の声をあげる。
ブラックペンタゴンにはまだ、多くの人員が取り残されている筈だ。
脱出を第一に行動するなら、彼らと連携した方が成功率は上がるだろう。
確かに、信頼できないやつもいるけど……変な爆弾魔とか、侍とか。
とにかく、被験体とやらがどれだけ強いとしても。
いま揃っている超力を纏めてぶつければ、なんとかならないだろうか。
銀鈴レベルの怪物が配置されていたらお手上げだけど、その場合は戦うという前提から見直すことになる。
「殺せない存在じゃないわ。
全員が一丸となって被験体に挑めば、あるいは容易に倒せるかもね。だけど残念ながら、その前提は成り立たないのよ」
ホワイトボードの上を、サリヤの握るペンが走り、ブラックペンタゴンの簡易マップを描き出す。
「問題は二つ。一つはエントランスの形状。もう一つは被験体の、ある特性よ」
サリヤはペン先でエントランスの周囲、つまり連絡通路を指した。
「エントランスそのものは広く、動きやすい空間よ。
でもブラックペンタゴン内側からエントランスに出ようとすると、どうしたって一人ずつになるわ。
この細い通路のせいでね」
一人ずつの入場を矯正される入口、それ即ち各個撃破のリスクを背負うことを意味する。
「最もシンプルな案は、通信手段をもって複数の入口から同時に突入する方法。
犯罪者同士の即席チームでやれるかは疑問ね。参加する全員が囮にされるリスクを飲むことになる。
ひょっとすると、中庭で仕切っていた彼らなら、実現してしまうかもしれないけど」
ディビット・マルティーニとエネリット・サンス・ハルトナ。
交渉の土台でサリヤから主導権を奪ってみせた、彼らの手腕なら、確かに可能かもしれないと思えた。
私も、意地を張らずに彼らの言うことを聞いていれば、加わることが出来たのだろうか。
今の私と、どちらが正解の道だったのか。
余計なことを考えそうになる頭を軽く振って、サリヤの言葉の続きを待つ。
「破壊可能な壁を壊して侵入口を広げる、なんてやり口もあるけど、可能とする超力保有者の協力が必須ね。
ネイはこっちにいるし、ギャルは言うこと聞かないでしょうから難しいと思うわ。
いずれにせよ、集団戦は失敗のリスクを抱えていて、そして失敗した後こそが地獄よ」
それが、2つ目の要因。被験体の特性。
「O(オーク)の本領は食人による強化と超再生。ひとりでも死人が出た途端、手が付けられなくなる。
味方が殺されて、回復されて、強化されて、それによって更に死人が出て、以下繰り返し。
混戦が泥沼化するほど被害が拡大していくわ。最悪の場合、ブラックペンタゴンの内側にいる全員が殺される展開すらあり得るでしょう」
味方が敵を強化してしまう。
烏合の衆ほど、怪物に利する。
この事実があるからこそ、サリヤは忠告するのだ。
被験体を相手にする上では、味方は自分達だけと思え。
「プレーンな状態なら、私やネイでも、ある程度は相手出来るでしょうけど。
5人くらい食べちゃったらもう無理ね。
極端な話、愚か者が各個撃破されてたりすると、現時点で無敵の怪物に育ちきってる可能性すらある」
「それじゃ、私たちはどう動けばいいの?」
「"金庫番"と"王子様"は狡猾よ。可能な限りの連携を実現しようとしているはず。
規律ある動きが為されているなら、素直に利用しましょう。その場合は簡単に済むわ。
想定しなきゃいけないのは、既に戦線が崩壊している場合よ」
最悪を想定して動く。
化物が育ちきってしまったら、その時どうするか。
混戦に乗じて脱出を優先するのか、それとも。
「グズグズした挙げ句、他陣営が全滅後の敗戦処理こそ、最も忌避されるパターンよ。
そうなるくらいなら先陣を切ったほうがマシだわ。
どちらにせよ、タイムリミット2時間前には行動に移したい。
あくまで脱出が最優先。一方、可能な限り、被験体は倒したいわね」
「どうして? リスクなんでしょ」
「ええ、でもリターンも大きい」
「……首輪か」
ローマンの呟きに、サリヤは軽く頷く。
確か被験体の首輪は特別で、400点もの恩赦ポイントの山分けが可能と聞いた。
「だがまさか、ポイントが欲しい……わけねえわな、テメエが」
もちろん、と薄く笑って。
サリヤは私に視線を向けた。
「解析の調子はどう? メリリン」
「…………」
「その様子だと、芳しくなさそうね」
「……うん」
私の膝の上に置かれた鉄の輪。
たった一文字、『死』と刻まれたそれは、ジェーンの形見、彼女の首輪だった。
工場エリアに戻ってから、サリヤに手渡されたもの。
忸怩たる思いはあるけど。今は飲み込む。
せめて彼女の残した物を活かしたいと思うから。
首輪。
私たちの生殺与奪を握る枷だ。
もし、これを外すことができれば、私たちには逃げ惑う以外の選択肢が生まれるのだろうか。
だけど、今のところ、結果は順調とは言えなかった。
私だってぼーっとしてたわけじゃない。
刑務開始直後、すぐに自分の首輪に触れて、解析した。
結果は、何も分からなかった。
私の力は集積回路のような精密機器を直接弄くれるほど繊細じゃない。
でも、それにしたって超力の通りが悪いのだ。内部構造が全く読み取れない。
「でしょうね」
期待された役割を果たせなかった私を前に、意外にもサリヤはあっさり納得していた。
「ただの爆弾入りの首輪なら、とっくにあなたが外しているわ。
それが出来ない以上、システムAが仕込まれていると考えるのが自然ね」
ブラックペンタゴンの外壁と同じ仕様ということだろうか。
超力を通さないシステムが内蔵されている。
「だけど、こうして死体から外したサンプルがあれば、多少は進展するでしょう?」
それは間違いない。
ジェーンの首輪も、超力による解析こそ受け付けないけど。
アナログな手段で解体を試みることは出来る。
長く繊細な作業になるし、爆発の危険はあるけど、やる価値はある。
「もっと多くのサンプルが必要ね。可能な限り集めたいわ」
確かに、物はあればあるほど良い。
なにぶん手作業だから時間は掛かってしまうけれど、僅かな違いからブレイクスルーを見つけられるかもしれない。
ああ、そうか、だからなのか。
「……被験体の首輪は……特別性……」
「ええ、ポイントなんてどうでもいいけど、首輪があなたの手に渡ることには意味がある」
"通常の規制を受けず、禁止エリアにも侵入可能な特別仕様"
ヴァイスマンはそう言っていた。
如何なるサンプルよりも解体(ばら)す価値のある首輪。
比較こそが解析の基本だ。
そして私のモットーは、『壊れない機械はない』。
「サブ・プランの件もあることだし、メリリンは可能な限り解析を続けて」
首輪の解除が成功すれば、行動の幅は大きく広がる。
事実上、ブラックペンタゴンでのタイムリミットは消え去るし。
すでに閉鎖されたエリアへの侵入も可能になる。
まあ、そのために被験体を倒さなきゃいけないとしたら、本末転倒というか。
被験体の首輪が、ブレイクスルーになると決まったわけでもないのだけど。
それでも少しずつ、動くための指針が見えてきた。
「つまりまとめると、他陣営の動きを見つつ、タイムリミット2時間前までに、生存重視で脱出を敢行。
欲を言えば被験体の首輪はできる限り手に入れたい。
……まあ、だいたい、こんなもんかな」
「並行して、メリリンは首輪の解析を進めること。
ネイは体力を温存して、被験体の対処に備えて。
オークの育ち具合は私が見れば分かるから、押し切るか逃げるかは状況によって判断しましょう」
「突入場所は?」
「一先ず中庭を想定するわ」
「……壁をぶち抜くってことか?」
「ネイの超力で突破できるのは確認済みでしょ?
あなたが居る強みを活かしましょう。各個撃破を避けるベターな動きよ」
まとまってきた道筋に、私は少しだけ手応えを感じていた。
だけど、分かってる。
この作戦が上手く行っても行かなくても、脱出に成功しても、失敗しても。
4時間後、私たちは再び敵対する関係なのだ。
その事実から目を逸らしてるわけじゃない。
サリヤのことも、自分自身のことも、私はまだ、許せていない。
だけどせめて、今だけは、目の前の脅威に集中したかった。
ふと、隣を見ると、ローマンもなにやら険しい表情で。
「なにか質問は?」
総括するように手を叩いたサリヤへと、彼は大雑把な動きで手を上げる。
「どうぞ」
「いや、オレは、さっきからずーっと気になってんだがな……」
「気になることでもある、ネイ?」
「それだよ、ふざけてんのか?」
「……?」
そこで、彼はやっと、我慢していた一切を解放したのだ。
「テメエ、さっきから何を馴れ馴れしく、オレの名前呼んでんだ?」
ああ、正直、私も気になっていたけれど。
ずっとスルーしていた事柄だった。
触れるのが怖くて。
いや、たぶん、サリヤのことだから、私が知っているサリヤなら。
「だって、あなた中庭で、『ネイでいいぜ』って言ったじゃない?」
こういう天然な解答をかますと分かっていたから。
「テメエには言ってねえよボケ、殺すぞ!」
跳ね上がった椅子がサリヤの頭に飛んでいき、早抜きの指鉄砲がそれを弾く。
キレ気味になっているローマンに対し、サリヤは天然の煽りを連発する。
「やめなよ、ローマン。こういう性格だから、怒っても無駄だ……よ……」
言い争う声が遠くに聞こえる。
声は、どんどん遠くなる。
視界も遠く、歪んで、滲んで、見えなくなる。
「あれ……」
気づけば、熱い何かが頬を滑り落ちていた。
いつかの日々を思い出す。
「なんだろ……これ……」
メルシニカのミーティング。サリヤと、仲間と、私がいた。
あの場所に、戻ることは二度と出来ない。
分かっていた筈なのに。もうとっくに、乗り越えた筈なのに。
神様がいるとしたら、それはとても意地悪なやつだと思う。
奪ったものを与えて、また奪うなんて残酷だ。
夢のような時間。
思い出して、胸に溢れ出すものは喜びじゃなく、耐え難い寂しさ。
それは、幻想のような今。
たった3時間後には失われてしまう、夢の続きだったから。
まだ先は見えない。
刻限は迫りくる。
ただ、傷つくことだけが、私に約束されていた。
◇
【E-5/ブラックペンタゴン南東第2ブロック・工場エリア/一日目・午後】
【メリリン・"メカーニカ"・ミリアン】
[状態]:全身にダメージ(小)、薄黄色のボイラースーツ、帽子とゴーグル
[道具]:デジタルウォッチ、フルプレートアーマー、銀鈴の首輪(使用済み)、ジェーンの首輪(未使用)、工場エリアで集めた機材
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.生き延びる。サリヤとの決着をつける。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.可能であれば被験体の首輪を解析する。
※ドミニカと知っている刑務者について情報を交換しました。
※ジェーンの首輪を手作業で解析中です。
首輪にはシステムAが仕込まれていると見られ、メリリンの超力だけでは解体できないようです。
【ネイ・ローマン】
[状態]:全身にダメージ(大) 、疲労(中)、右腕肘から先欠損
[道具]:デイパック(幾つかの食糧と酒)、鋼鉄の義手(メリリン作成)
[恩赦P]:99pt
[方針]
基本.やりたいようにやる。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.ルーサー・キングを殺す。ディビットの申し出を受けるのも悪くない。
4.オレに落とし前をつけさせるんじゃなかったのか。何くたばってんだよ、ハヤト=ミナセ。
※ルメス=ヘインヴェラート、ジョニー・ハイドアウトと情報交換しました。
※サリヤ・"キルショット"・レストマンから超力の第二段階(プレシード)について知らされました。
【サリヤ・"キルショット"・レストマン】
[状態]:健康、我喰い
[道具]:グロック19(装弾数22/22)、デイパック(手榴弾×2、催涙弾×2、食料一食分)、黒いドレス、丈の長い白衣(防弾コート)、流れ星のアクセサリー(R)
[恩赦P]:90pt
[方針]
基本.アビスに保管されているシステムを破壊する。
1.被験体:Oを攻略する。
2.ブラックペンタゴンを脱出する。
3.目的の為にメリリンの超力を利用する。
※超力の第二段階を体得しています(詳細不明)。
※現在のシリンダー状況
Chamber1:サリヤ・K・レストマン(女性、元人格、空気銃能力、以下弾丸を統制)
Chamber2:ジェーン・マッドハッター(女性、殺傷能力、人格凍結)
Chamber3:ソフィア・チェリー・ブロッサム(女性、無効化能力、人格凍結)
Chamber4:ルクレツィア・ファルネーゼ(女性、再生及び幻惑能力、人格凍結)
Chamber5:欠番
Chamber6:エルビス・エルブランデス(男性、毒花能力、人格凍結)
※流れ星のアクセサリー(R)の吸収状況(現在確認されている限り)
1.大金卸樹魂『炎の愛嬌、氷の度胸(ホトコル)』
最終更新:2025年10月31日 09:37