自分は一体、何のために戦っているのか。
 そんな葛藤を抱いたことは、数え切れない。

 廃材(スクラップ)に溢れかえった世界。
 希望が泥に塗られていく世界。
 信義も、誇りも、悪徳の前に踏み躙られていく。
 退廃に汚れた現実を、幾度となく目にしてきた。

 故に、今回も同じだった。
 いつものように、己は何かを失っていく。
 とうの昔に、慣れ切っていた。
 何かを取り零すことなど、そう珍しくはない。
 開闢を経た世界では、いつだって諦念が横たわる。

 悪を成し、狡猾に生きるか。
 奪われ、搾取されて生きるか。
 現実から目を逸らし、怯えながら生きるか。

 それがこの世界を歩む術。
 掃き溜めを這い回る者達にとっての常識。
 ジョニー・ハイドアウトは、そんな世界で生まれた。

 自らの“本当の名”さえ知らず、必死に生きていた幼き日。
 あの日の少年は、いつだって見上げていた。
 決して届かぬと分かっているにも関わらず。
 それでも、果てなき青空へと――手を伸ばし続けていた。




 ジョニーは、真っ直ぐに見据えていた。
 緩やかな岩場の斜面に立つ、凛とした青年の姿を。
 褐色の肌を持つ、優雅なる佇まいの受刑者を。

 エネリット・サンス・ハルトナ。
 アビスの申し子。亡国の騎士。
 彼は青空を背負い、ジョニーを見据えていた。

 その手に握られているのは、四つの首輪。
 受刑者を等しく縛り付ける拘束具。
 そして彼らの死を証明する、確固たる遺品。
 無期懲役、死刑――亡き者達の罪がそこに刻まれている。

 あの場から飛び立ったルメス=ヘインヴェラートの姿はない。
 眼前のエネリットは、彼女の行方を語らない。
 彼女の存在についても触れることなく、そこに立ち続けている。

 メアリー・エバンスの領域は、もはや展開されていない。
 世界は異常から解き放たれ、あるべき姿へと戻っている。
 それが意味することを、ジョニーは理解できた。

 誰が生き残り、誰が散っていったのか。
 彼女が救うべく伸ばした手は、何かを掴み取れたのか。
 ジョニーは否応なしに、答えを突きつけられることになる。


 ――――よう、チェシャ猫よ。
 ――――報酬の話もまだだってのに。
 ――――随分と静かになっちまったな。


 その首輪が“遺品”であることに気付かぬほど。
 鉄の騎士は、愚かにはなれなかった。
 彼はただ、眼前の現実を受け止める。

 義に生きた怪盗は散っていき。
 少女は救われぬまま命を落とした。
 それが、この戦いの結末だった。

 鉄屑の内側。魂が静かに冷えていく。
 悲壮の静寂が、淡々と押し寄せてくる。
 遣る瀬ない感情が、込み上げてくる。

 幾ら虚しさを抱こうとも。
 幾ら哀しみを嘆こうとも。
 現実という答えは変わらない。

 そう、終わったのだ。
 彼女の戦いは、終わってしまった。
 ただ、それだけだった。


「そちらは、協力者の方ですか」
「ああ。便利屋のジョニー・ハイドアウトだ」

 ジョニーを一瞥した後、エネリットは問いかける。
 鉄の騎士と共に居た男――ディビット・マルティーニ。
 メアリー・エバンスとの対峙のために、一時的に結託した男。
 そして刑務開始当初からエネリットと結託をしていた受刑者である。

「で、最初にくたばったのは?」
「“魔女の鉄槌”です」

 ジョニーの葛藤をよそに、ディビットとエネリットは会話を交わす。
 それは事務的な状況確認だった。

「その次に“怪盗ヘルメス”が命を落とし、そして僕がメアリーを仕留めた」

 エネリットは淡々と事実を語る。
 まるで事務処理を行うように、戦局を報告する。

「この刑期20年分の首輪は、メアリーが所持していたものです。
 恐らくは彼女の領域に殺された受刑者のものでしょう」

 その声色には、さしたる感慨もなく。
 ただ淡々と、簡潔に告げられていく。

「獲得の順番は、今の通りで宜しいですね」
「それで構わん」

 そうした遣り取りを経て、二つの首輪がディビットへと投げ渡された。
 “死刑”と“無期懲役”の首輪。記された刑期を確かめて、彼はそれを未使用のまま懐へとしまう。
 ポイントを確保するか、あるいは交渉材料として保持するか。
 その判断は現時点では保留とした――エネリットも同様だった。

 ――首輪はポイントに関係なく、先にディビット、次にエネリットと交互に所有権を得る。
 刑務開始直後に交わした約束通り、二人は事を進める。
 そして今回の首輪入手の流れは“死亡順”とした。

 ドミニカの死によってメアリーの領域が破綻。
 その過程でルメスが接近、説得を行うも失敗。
 そしてルメス殺害直後の隙をついて、エネリットがメアリーにトドメを刺した。
 刑期20年の首輪――宮本麻衣のものである――に関しては“メアリーの死亡に伴い入手”と判定。

 戦況の流れはディビットにも推測できたが故に、認識の擦り合せは円滑に進んだ。 
 よって第1、第3の首輪――ドミニカとメアリーの首輪をディビットが確保し。
 残る第2、第4の首輪――ルメスと麻衣の首輪をエネリットが確保する形になった。

 首輪の所有権に関する話は、円滑に進んでいく。
 共に打算を理解しているが故に、不要な波風を立てない。
 これまでの取引に基づいて、黙々と履行するだけだった。
 それがアビスの掟を知る悪人にとっての合理だった。

 ジョニーは、無言でそれを見届ける。
 何も言わず、何も訴えず。
 沈黙の中で、苦渋を噛み締める。

「便利屋」

 やがてディビットが、ジョニーへと呼びかける。

「ヘルメスは残念だったな」

 淡々と、ディビットはそう呟く。
 哀れみもなく、ただ事実を確認するように。
 ジョニーは、何も答えない。

「お前はこれからどうする気だ」

 ディビットは、沈黙を貫くジョニーへと問う。

「こっちは少々“人手”を求めている」

 欧州の帝王、ルーサー・キング。
 彼の抹殺を視野に入れて、ディビットは言う。

「手を貸すのならば、前金として首輪の融通をすることも構わない」

 それは、新たなる依頼の提示だった。
 こちらの戦力に加わるのならば、恩赦ポイントを分け前として与える。
 ディビットはジョニーを便利屋として見込み、彼を引き込もうとしていた。

 ジョニーはルメスを失った。
 しかしディビットには、エネリットが付いている。
 二体一。主導権は当然、ディビットの側にある。

「依頼を引き受けないか。“鉄の騎士”よ」

 ジョニー・ハイドアウトは、答えを返さず。
 無言の中で、思案に耽り続けていた。

 何かを取り零し、何かを失っていく。
 これまでも、そんな道筋を歩み続けていた。
 きっとこれからも、同じなのだろうと。
 彼は無言のままに、言い知れぬ確信を抱く。

 それでも。そうだとしても。
 己が戦い続ける意味とは、何なのか。
 ジョニーは、追憶する。




 ――――時は遡る。
 それは第一回放送直前のこと。
 ルメス=ヘインヴェラートとジョニー・ハイドアウト。
 彼らが夜上 神一郎と邂逅した直後の遣り取り。

『なあ、へルメス』

 最初の放送を目前に控えていた中。
 傍に立つルメスへと、ジョニーが呼びかける。

『この世界の深淵には“闇”が潜んでいる。
 例のネイティブ・サイシンの話もそうだ』

 その言葉を聞き、ルメスは微かに目線を落とす。
 ネイ・ローマンから突きつけられた、自らの正義の矛盾。
 裏目に出た意思の顛末――その象徴たる出来事。
 それを振り返り、彼女は負い目を抱きつつも。

『人間が業を成すのなら、業を正せるのも人間だけだ』

 それでも彼女は、ジョニーの言葉と共に。
 その視線を再び上げて、彼へと向き直る。
 あの件は己への戒めであることには間違いなく。
 故に、絶望に打ちのめされる訳にはいかなかった。

『……だからこそ、お前が背負うような“意志”は絶やしちゃならないのさ』

 確固たる想いを宿しながら、静かに語るジョニー。
 そんな彼の言葉に対し、ルメスは毅然とした眼差しで応える。
 例え世界が何処までも醜くとも、歪んでいようとも。
 誰かを救う為の手を伸ばすことは、決して止めてはならない。

 ルメスはそれを理解していた。
 そしてジョニーも、その意志を認めていた。

『改めて――詳しく聞かせてくれ。
 お前が掴んだ“世界の秘密”について』

 だからこそジョニーは、踏み込むことを選ぶ。
 怪盗から断片的に伝えられた、この世界の深淵。
 その箱の底へと触れることを、彼もまた望む。
 ――――ルメスは、そんなジョニーを真っ直ぐに見つめていた。

 結局の所、ヴァイスマンの超力の前には全てが筒抜けだ。
 幾ら盗聴等への対策を行おうとも、彼はその秘匿すらも見通すだろう。

 そしてルメス達は、既に察していた。
 受刑者達の転送を担っているのはミリル=ケンザキ看守官。
 この刑務に何らかの意図があるとすれば、受刑者の配置も作為的なものと思われる。

 世界の深淵に触れたルメスを参加させ、面識のある便利屋との接触を意図的に誘導したのであれば。
 刑務内での“情報伝達”さえも、彼らにとっては織り込み済みである可能性が高い。

『まずは先に、話さなきゃいけないことがある』

 故にルメスは、それを“語る”ことを選ぶ。
 例えこの行動さえも、彼らの思惑通りだったとしても。
 それでも彼女は、伝えねばならないと判断した。
 もしもの時。自らが命を落とした時に、その意志を託す為に。


『――――“世界を救ったとされる男”の話よ』


 怪盗は、便利屋へと語る。
 世界の深淵を暴くに至るまでの物語を。

『欧州超力警察機構の実働隊である“対超力犯罪特殊部隊”。
 そこに属していたのが、“世界を救ったとされる男”』

 ゆっくりと、しかし滔々と語るルメス。
 その含みを持った言い方に、ジョニーは訝しむような表情を見せる。

『……“救ったとされる”ってえのは、随分と曖昧な物言いだな』
「ええ、そうよ。彼は世界を救ったにも関わらず、その“痕跡”しか残されていない」

 それは実に、奇妙な物言いだった。
 ルメスは“その男”をひどく曖昧に語る。
 世界を救ったとされ、今では痕跡だけが残された人物。

 表と裏の社会に精通するジョニーでさえも、そうした人物には覚えがなかった。
 故に疑問を抱いたジョニーは、改めてルメスへと問う。


『何者だ。そいつは』
『“嵐求 士堂(ラング・シドー)”』


 ジョニーの問いかけに、一呼吸を置き。
 世界を救ったとされる男の名を、ルメスは告げる。
 彼は某国の警察から“欧州超力警察機構”に引き抜かれ、特殊部隊に属することになった捜査官ただった。


『その男は、ピトスの箱に触れてしまった』


 ルメスとジョニーには、知る由もなかったが――。
 彼はかつて、ソフィア・チェリー・ブロッサムの同僚にして恋人だった男。
 世界から忘却され、彼女が焦がれ続ける、久遠の幻影である。




 開闢以降にGPA本部の多大な恩恵を受けた日米とは異なり、現在の欧州は犯罪の温床となっている。

 かつては“世界の危機”を前にし、あらゆる国家がその垣根を越えて手を取り合った。
 しかしそれを乗り越えた先では、再び国家間の利害関係が顕在化する。
 特に“GPA欧州支部”は前時代のEUを母体にし、その非加盟国をもなし崩し的に取り込んで誕生している。
 故に開闢を迎えた後に、それらにまつわる問題が大きく浮かび上がった。

 超力という新たな混乱と資源を前にして、欧州は前時代の“EU懐疑論”を引きずる形で対立した。
 歯止めの効かない超力犯罪への対策、超力研究の共有や人道的是非。
 超力人材の奪い合いによる国家間の緊張。前時代同様の経済基盤に基づく軋轢。

 開闢直後に浮き彫りになった政治的不和は、欧州全土の足並みを乱した。
 政情の混乱はGPAによる統制を妨げ、結果として組織犯罪の台頭を許す形となった。

 そしてフランスの一大マフィアである“キングス・デイ”が急拡大を果たし、新時代最大の犯罪組織へと成長した。
 彼らの政治と経済に及ぶ社会掌握と広域的なネットワークに各国政府は対処し切れず、やがて欧州は組織犯罪と不可分の地域になった。
 そうした状況は、前時代のコミックヒーローから名称を引用した“アヴェンジャーズ”と呼ばれる自警団が活発化する土壌にもなった。

 オーストラリアとラテンアメリカの“麻薬密輸戦争”の中心地にもなったように。
 今現在、新時代の欧州とは大規模な組織犯罪の総本山と化している。
 あらゆる商業や産業の陰にマフィアが絡んでいるとされ、犯罪に基づく経済活動が完全に定着している。
 それにより人道の問題や貧富の格差も拡大し、民間人による非行や市街地のスラム化も後を絶たない。
 そうして治安の悪化した地域で、マフィアが顔役として自警活動を仕切る――そんな悪循環が繰り返されていた。

 欧州の犯罪地帯化を加速させたのは、紛れもなく“キングス・デイ”である。
 故にその“きっかけ”もまた、6年前のルーサー・キング逮捕を発端とする。

 あの“キングス・デイ”の大首領の逮捕に成功し、国際裁判での有罪が確定したのだ。
 それから間もなく、GPA欧州支部は諸々の確執を棚に上げてようやく結束した。
 彼らは欧州最大の悪党であるキングの逮捕に乗じ、悪化し続ける欧州犯罪情勢の収拾を図った。

 結束したGPA欧州支部は“欧州超力警察機構”を設立。
 欧州全域の治安維持と犯罪掃討を目的とし、諸国を跨いだ捜査権と逮捕権を持つ機関である。
 その実働部隊として、各国の警察から選抜された警察官による“対超力特殊部隊”も結成された。
 ソフィア・チェリー・ブロッサム、ラング・シドーはそうしてGPA直属の捜査官となった。

 欧州における国境の垣根を超えて犯罪捜査を行う“欧州超力警察機構”は一定の成果を上げている。
 しかし致命的な初動の遅れは覆せず、余りにも盤石化した組織犯罪の根絶には程遠いのが実情である。

 こうした欧州支部の失敗は、GPA本部高官による“超力の管理・均一化”の構想を推し進める要因になったとされる。




『シドーはGPAが抱える“計画”を掴んだ。
 世界の深淵で、禁忌の蓋を開けてしまった』

 それは、秩序の統制者が秘める陰謀。
 社会の裏側。世界の暗部。
 深淵の奥底に隠された、変革の種。

『そしてシドーは告発しようとした。
 彼らにとっての逆鱗。触れてはならないタブーをね』

 GPAの警察機構に属する青年は、恐らく偶然にそれを知ってしまった。
 彼は正義と秩序の影に潜む“計画”を、内部から暴こうとしていた。 

『だけど、GPAは当然シドーの動きを察知していた。
 その告発を封じ込めるべく、彼を罠に嵌めた』

 しかし、個人の力には限界があった。
 余りにも強大なシステムは、逆に告発者を掠め取ったのだ。

『認識の阻害か、現実の改変か……原理は不明だけれど。
 ともかくシドーは、“事実を捻じ曲げる超力”を持っていた』

 GPA直属の捜査官であるシドー。
 彼の超力は当然上層部も把握している。
 それ故に黒幕達は、その超力を利用した。

『だからこそ自らの超力によって、自分の存在もろとも“告発”を抹殺するように仕向けられた』

 シドー自身の手で、告発を抹殺させるべく。
 彼らは手を回したのだ。

『そうしてシドーは、任務として“世界を滅ぼす敵との戦い”に駆り出された』

 ――――世界の危機。世界の存亡を懸けた戦い。
 そう呼ぶに相応しい“敵”が、他でもないGPAの手で差し向けられた。

『それは既に死刑判決を受けて、地の底で密かに服役していた囚人だった』

 かつて魔の海域(バミューダ・トライアングル)を支配し、数多の災厄を引き起こしたとされる女。
 “死海の魔女(セイレーン)”と畏れられ、GPAが結集した精鋭部隊によって制圧された怪物。
 その果てにアビスへと収監され、空間対象超力実験の被験体となった“秘匿受刑者”。

 その被害は余りにも甚大であったが故に、シドーによる事象改変後の世界においても“現象”として痕跡が刻まれていた。
 ドン・エルグランドが彼女の存在を“嵐の化身”として記憶していたように。

『その強大な敵を止めるために、シドーは“事象改変”を使うように追い込まれたの』

 2年前に彼女は“脱獄囚”という名目で解き放たれ、そして特殊部隊が討伐へと向かった。
 ――既に彼女は正気を失い、超力に突き動かされて憎悪を振りまく災厄と化していた。
 狂乱の嵐と化した魔女を止めたのは、超力を発動したシドーの自己犠牲だった。

『彼はそうして世界を救った。
 その存在と引き換えに、誰にも省みられないままに』

 告発者を始末し、用済みになった囚人をも処分した。
 全ては筋書き通りに事が運んだのだ。


『事件はそれで終わり、告発も闇に葬られる筈だった』

 シドーのネオスは“対象の存在抹消”すら可能とする。
 いわば概念干渉型の超力であるが故に、世界へと絶大な影響力を齎すのだ。
 それによって彼の存在、彼の告発は全てが葬られた――その筈だった。

『だけどシドーを巡る顛末と事の真相についての“記録”が、超力暗号として密かに残されていた』

 しかし同様に概念干渉が可能な超力を持つ者、あるいはその超力を利用したシステムならば。
 認識阻害や現実改変の影響を突破し、情報としての“記録”を残すことも不可能ではない。
 ――彼の軌跡と、彼が掴んだ世界の秘密は、この世界に遺されていた。

『そして時を経て、私はその“記録”を偶然盗み出した』

 それこそが、ヘルメスの掴んだ“世界の深淵”。

『私はそれを通じて、彼の軌跡――そして“秘められた計画”を知った』

 闇に触れた男の告発は、“伝令の神”の異名を冠する怪盗ヘルメスへと受け継がれた。
 彼が開いたピトスの箱。その禁忌は、今なお解き放たれる時を待ち続けている。

『何故、告発にまつわる記録がわざわざ残されていた?』

 その話を聞き、ジョニーは問いかける。
 当然の疑問だった。闇に葬られたはずの情報が、なぜ秘密裏に保管されていたのか?

『“記録”を保管していたのは、GPA本部とのコネクションを持つ欧州支部の官僚よ。
 シドーの抹殺にも関与したとされるけど、同時に本部の高官とは水面下での確執や対立もあったらしいわ』

 これは私の見立てだけれど――と、ルメスは前置きをして。

『その官僚は、闇に葬られた告発を密かに拾い上げたんだと思う。
 有事の際に本部を揺さぶる為の“切り札”として、シドーが掴んだ陰謀を利用しようとしたんでしょうね』

 つまりシドーの告発は、GPAの政治的駆け引きの武器として利用されかけたのだ。
 本部との確執を持つ支部の官僚が、一種の“脅迫材料”としてそれを確保していた。
 そして彼の超力は割れているからこそ、事象改変を突破して“記録”を残せる超力人材も用意することも出来たのだろう。
 闇に葬られた筈の情報が“記録”されていたことについて、ルメスはそう推測していた。

『しかし奴さんは、そいつをまんまと怪盗サマに盗まれたと』
『ええ。間の抜けた顛末ってこと』

 経緯を察したジョニーに対して、ルメスは苦笑と共に答える。
 確かなのは、喪われたはずの情報が今なおこの世界に残されていて――それを“怪盗”が掴み取ってしまったということだ。

 シドーが深淵を掴み、それを暴こうとし。
 その意志は、巨大なシステムに捻じ伏せられ。
 彼の勇気さえも、政争の道具に利用されかけ。
 やがて己を貫く怪盗が、真実を盗み出した。 

『シドーが知ってしまった深淵。
 ――世界を真の意味で“管理”するための計画。
 便利屋さん。これから私が知る“全て”を貴方に伝える』

 そしてルメスは、改めてジョニーを見つめる。
 この依頼の始まり。便利屋に断片が伝えられた”ピトスの箱“。


『彼が伸ばそうとした手を、無意味なものにはしたくない』


 その計画が世界に善を齎すのか、あるいは悪を齎すのか。
 その答えは未だ分からずとも、ルメスが確かに信じることがあった。
 ――世界の行く末とは、“一握りの権威”の思惑に掌握されるべきものではない。
 彼女はその真っ直ぐな眼差しによって、自らの決意を示す。

 怪盗ヘルメス。先代より受け継がれし信念は、此処に有り続ける。
 彼女はいつだって、権威と繁栄から捨て置かれた者達のために戦い続けてきた。
 現実の壁に、善行の矛盾に苛まれようとも、それでも歩むことだけは止めたくないと。
 ルメスは戒めと共に、自らの矜持を貫くことを選んだ。

 そんな彼女の意思を前にして――ジョニーもまた、暫しの間を置き。
 やがて静かに、確かなる感情を宿しながら、彼は口を開いた。

『“勇気を出すべし。落胆してはならない”』

 ジョニーは、言葉を紡ぐ。
 怪盗を、そして己自身を鼓舞するように。

『“その行いには、必ず報いがある”』

 その言葉に目を丸くし、そして噛み締めるように受け止めるルメス。
 やがてジョニーは、ふっと自嘲するように呟いた。


『こいつは、聖書の言葉さ』




 幼き日の己自身を、ジョニーは追憶していた。
 退廃の路地裏。救いなき袋小路。
 運命を弄ぶ、神々の遊び場。
 彼にとっての世界とは、そういうものだった。

 神は人を救わず、神は世界を救わない。
 悪徳の渦巻く掃き溜めでは、誰もがそう信じている。
 ジョニーもまた、それくらい分かり切っている。

 それでも彼は――あの日の少年は。
 廃材の山の上で、読み続けていた。
 誰からも省みられず、打ち捨てられていた書物を。
 暴力と悪徳の世界で、価値なきものとして扱われる教義を。

 人々の魂のよすが、あるいは指針。
 迷える子羊に寄り添う、救いの道標。
 煤けて薄汚れた“聖書”が、少年の拠り所だった。

「悪いな、バレッジ・ファミリーの旦那よ」

 無垢な信仰など、疾うの昔に捨て去った。
 されど“鉄の騎士”は、神を信じることの意味を知っている。
 どれだけ悲嘆に打ちのめされようとも。
 それでも希望を貫くことの意味を、悟っていた。


「――――俺は、ルメスの依頼を遂行する」


 ジョニー・ハイドアウトは、そう告げた。
 砲身に覆われた、無機質な表情の奥底で。
 自らの矜持と決意を滲ませながら、ディビット達を見据える。

「先約を果たさなくちゃならない。
 ここで引き下がるつもりはねえのさ」

 ルメス=ヘインヴェラートは死んだ。
 少女を救うことも叶わず、志半ばで命を落としたのだ。
 後に残されたものは、首輪という“戦利品”。
 彼女の存在は、ポイントとして消費される。

「受けた依頼は、必ずやり遂げる」

 結局は、綺麗事でしかないのかもしれない。
 彼女の死を以て、希望は潰えたのかもしれない。
 伸ばした手は、何処にも届かなかったのかもしれない。

「それが俺の、便利屋としてのケジメだ」

 それでもジョニーは、戦うことを続ける。
 伝令の神。ヘルメスの名を冠する、怪盗。
 彼女から託されたものを、繋ぎ止めていく。

 例えこの世界が、神に弄ばれる箱庭だったとしても。
 例えこの世界が、荒み切った掃き溜めなのだとしても。
 それでも世界が絶望への道筋であることを、彼は否定したかった。
 世界が美しくないとしても。世界は生きるに値するのだと、彼は信じたかった。

「だから、あんた達とはここでお別れだ。
 ……次に会う時は、敵同士かもしれねえがな」

 そう告げて、ジョニーは背を向ける。
 己の目的を貫く為に、自らの道を往くことを選ぶ。
 そんな彼を見据えて、ディビットは静寂を保っていたが。

「なあ、便利屋」

 やがてディビットが、静かに口を開いた。

「何故そうまでして怪盗の依頼に拘る」

 彼の非合理に対して、疑問を投げかけた。
 自らの無謀な理想を貫き、無に帰した偽善者。
 彼にとって怪盗ヘルメスは、敗残者でしかなかった。

「お前は打算の出来る男だろう。
 奴のような理想主義者の為に命を張るのか?」

 だからこそ、便利屋へと問いかける。

「――――何の意味がある」

 その戦いに対し、ディビットは断じる。
 無価値であり、無意味であると。
 引き際を見誤っているだけに過ぎないと。

 鉄の騎士は、ゆっくりと振り返る。
 沈黙。静寂が場を支配する。
 暫しの思慮を、噛み締めた後。
 彼は、鉄屑に覆われた口を開いた。


「女が信念のために戦っていた」


 ジョニー・ハイドアウト。
 彼は確かに、祈りを受け取った。
 気高き信念に生きた、強い女の祈りを。


「男が命を懸ける理由なんざ、それで十分だ」


 その背中に、覚悟を背負い。
 鉄屑の騎士は、再び歩き出す。
 孤高の便利屋は、自らの戦いへと進んでいく。

 去りゆく彼の姿を、ディビットは見届けていた。
 自らの矜持を貫くことを選んだ便利屋を、無表情のままに見据えていたが。
 やがて彼の視線は、すぐ傍に立つエネリットへと向けられた。

 ――――命を懸ける理由。
 ジョニーの言葉を聞いたエネリット。
 その瞳に宿っていたのは、静かなる激情。

 エネリットは、己の目的を改めて噛み締めていた。
 亡国の王子にとっての、貫くべき矜持。
 己の出自へと連なる、“復讐”という闘争。
 この男もまた、自らの存在を懸けている。

 人間には、成し遂げねばならないことがある。
 合理さえも超越して、果たさねばならない意志がある。
 それを貫かなければ、己の存在すらも揺るぎかねない。
 魂の根幹――信念と呼ぶべき尊厳。
 その為ならば、時に命すらも賭け金に乗せられる。

 合理の怪物。打算に生きるディビット。
 彼にとって、それは相容れぬ観念でありつつも。
 それでも少しばかり、思うところがあった。
 この男にとっても、ただ一つだけ。
 損得勘定を抜きにした信念が宿っていたからだ。

 ――首領、リカルド・バレッジ。
 彼への仁義と忠誠だけは、決して揺るがない。

 鉄の騎士が貫いた矜持と、亡国の王子が覗かせた激情。
 二つの意志を前に、ディビットは己を顧みた。
 自らがこの場で戦うことの意味を、その手に握り締めた。





 伸ばした手は、希望を紡ぐために。
 翔ける翼は、人々を救うために。
 地獄の果てにも、光があると。
 伝え行くことこそが、我が使命。

 伝令の神。交渉の使者。救済の渡鳥。
 この名が示すものは、意志を繋ぐ道標。

 紳士淑女諸君、ごきげんよう。
 我が名は、怪盗ヘルメス。
 世界の“絶望”を盗みに参りました。

 ――――どうか、ご容赦を。





【F-5/岩山麓/一日目・午前】
【ジョニー・ハイドアウト】
[状態]:健康
[道具]:なし
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.受けた依頼は必ず果たす
1.怪盗(チェシャキャット)の依頼を果たす。
2.メカーニカを探す。見つけたらローマンとの取引内容も話す。
3.夜上神一郎への強い不信感と敵意。
※ネイ・ローマンと情報交換しました。
※ルメス・ヘインヴェラートが掴んだ情報を全て伝えられています。

【ディビット・マルティーニ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、ドミニカ・マリノフスキの首輪(未使用)、メアリー・エバンスの首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.恩赦Pを稼ぐ
1.タバコは……どうするか。
2.エネリットの取引は受けるが、警戒は忘れない。とはいえ少しは信頼が増した。
3.ルーサー・キングを殺す、その為の準備を進める

【エネリット・サンス・ハルトナ】
[状態]:健康
[道具]:デジタルウォッチ、ルメス=ヘインヴェラートの首輪(未使用)、宮本麻衣の首輪(未使用)
[恩赦P]:0pt
[方針]
基本.復讐を成し遂げる
1.ディビットの信頼を得る
2.…命を懸ける理由、か。
※現在の超力対象は以下の通りです。
【徴収】などが対象に発覚した場合、信頼度の変動がある可能性があります。

①マーガレット・ステイン(刑務官)
 信頼度:80%(超力再現率40%)
 効果:徴収(相手の同意なしの超力借り受け。再現度は信頼度の半分)
 超力:『鉄の女』

②ディビット・マルティーニ
 信頼度:40%(超力再現率同値)
 効果:献上(双方の同意による超力の一時譲渡。再現度は信頼や忠誠心に比例)
 超力:『4倍賭け』

098.美獣の鱗(りん) 投下順で読む 100.熱き血潮のカプリチオ(前奏)
時系列順で読む
無垢なる祈りは少女の夢を壊せるか ディビット・マルティーニ [[]]
エネリット・サンス・ハルトナ
ジョニー・ハイドアウト [[]]

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最終更新:2025年07月16日 21:39