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――――最強への道。
――――それは、漢の旅路である。
B-3エリア、大砂漠。
周囲を照らすのは偽りの月明かりのみ。
日中とは真逆の冷え込んだ空気が周囲を支配する。
この夜の闇と気候に加え、砂塵が吹き荒れるという過酷な環境が繰り広げられる。
生半可な者では指針を失い、自らの進むべき方向すら分からなくなるだろう。
この果てしない空間そのものが、訪れた者への試練に他ならない。
そう、試練である。
それも悪くない、と受け入れる漢が一人。
それはある意味で、信じがたい光景である。
砂漠の行軍には不釣り合いな黒いジャージ服を身に纏った男が、大地のど真ん中で鎮座している。
どれだけ風が吹きつけようと、砂煙を叩きつけられようと、決して動じたりはしない。
いや―――それどころか、目を瞑ったまま微動だにしていないのだ。
衣服の下からでも伝わる筋骨隆々の肉体も相俟って、その姿はまるで仁王。
全身から迸る気迫を放ち、ただただ「無の境地」を突き詰めている。
これ即ち、瞑想である。
砂漠の中心で座禅を組み、精神を統一しているのだ。
これは死合、つまりデスゲームだ。
仮想空間を舞台に、たった一つの席を求めて奪い合う闘争である。
そんな状況下で、なぜ彼はこのようなことを行っているのか。
答えは単純。それこそが拳を極めるための道だからだ。
強さを渇望し、心技体を磨き上げる。
己の闘気を充実させるための瞑想は必要不可欠の工程だ。
その漢、
酉糸 琲汰。
己の生き様を拳に捧げる、生粋の喧嘩士である。
「俺を超える者と戦いに行く」。
魂の根幹と呼ぶべきその信念を胸に、彼は常に戦いの日々に明け暮れていた。
自分と同じような喧嘩士との対決は幾度となく繰り広げた。因縁と共に襲いかかってきた不良共は纏めて蹴散らした。反社会勢力の用心棒とは道端で殴り合った。地下格闘技場での乱戦にも身を投じた。山奥では羆と三日三晩に渡る死闘を行った。海では迫り来る鮫をヨット上から撃退した。警察の補導からは全速力で逃げ続けた。
彼の生活。それは闘争そのものだった。
全ては拳を極めるため。
漢の頂点、最強の座に立つため。
戦い続けることで、彼は強くなってきた。
無論、鍛錬を怠ることもしなかった―――修行と実戦こそが琲汰のサイクルである。
突きや蹴りなどの基礎的な動作を研究し続けた。新たなる強敵に備えて技――奥義・覇動昇虎拳など――を編み出してきた。精神力を鍛えるべく飲まず食わずで一日中瞑想を行った。廃車に紐を括り付けて筋力で引っ張るトレーニングも続けた。高速道路では走り屋相手に生身でデッドヒートを繰り広げた。特急電車と真正面から対峙し、寸前のところで身を躱す修行は何度もやった。警察の補導からは全速力で逃げ続けた。
決まった師を持たず、教養も持たない琲汰のスタイルは全て我流である。格闘術も鍛錬方法も、何もかも。
まさに型破り。より正確に述べるならば、常識を破っている。
只管にストイックな彼の意志は、このVR空間でも揺らぐことはなかった。
唐突に始まった殺し合い。生身の肉体を奪われ、仮のアバターで戦うことを余儀なくされた。
喧嘩士(ストリート・ファイター)ならぬ電脳喧嘩士(バーチャル・ファイター)、と云ったところか。
鍛え上げた肉体を行使できないことに琲裁は最初こそ憤ったが、いざ演舞を行ってみればなんてことなかった。普段と変わらぬ動きが問題なく出来たからだ。
腕力や脚力など、基礎能力が少しばかり抑制されている気がしないでもないが――もう少し思い切ってパラメータを割り振るべきだったか。
そんな思いが一瞬でも過ったが、つべこべは言っていられないとゲーム開始当初の琲汰は考えた。後悔、邪念は己を高める妨げになるからだ。
愚痴を零すことに意味など無い。何事も挑戦、為せば成るのだ。
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瞑想を始める前、琲汰は支給品の確認を行った。
興味深い代物は「スイムゴーグル」なるアイテム。
このゴーグルを身に着けている間は水泳や潜水の能力が大幅に向上し、更に強い海流の抵抗を受けずに泳ぐことが出来るらしい。
普段ならば「この肉体があれば十分」と考えるだろうが、この未知数の状況で備えは大事だ。必要ならば海を泳いで移動することも考えようと琲汰は当たり前のように考えた。
そして彼は思考からメニューを開き名簿を確認した。
そこで見つけた名―――思わぬ僥倖だと琲汰は驚いた。
天空慈 我道。かつて道端で琲汰と拳を交え、しかし決着付かずのままだった男。
空手は実戦に使えてこそ。そんな理念を掲げる超実戦空手流派『無空流』の師範代である。
向こうはあくまで「暇潰しの喧嘩」といった風ではあったものの、あの一件で琲汰は我道に興味を抱いたのだ。
そもそも決着がお預けになったのは琲汰が派手に暴れすぎて近隣住民からの通報を食らったせいだが、そんな事情を彼は省みない。
この地にあの男が呼ばれたのもまた宿命か、と琲汰は考えた。
必ず決着を付けねばと、そう決意を固める。
それに、どうやら
大和 正義なる青年もこの地にいるようだ―――昨年の全日本選手権は観させてもらったが、中々に見所のある若武者。
腕前も然ることながら、あの精悍な眼差しを気に入った。
我道の元門下生という話も聞いている。今はまだ素人(アマチュア)に過ぎずとも、更なる鍛錬を重ねれば大成するであろう器の持ち主と琲汰は直感した。
出来る事ならば彼が成熟してから拳を交えたいものだったが、これもまた修羅の宿命か。
美空 善子という名も聞いたことがあった。確か我道の門下生だったか。
どれほどの腕前を持つかは未だ把握していないものの、叶うならば一目会ってみたいものだと考える。
犯罪者やアイドルなどの名前が並んでいることには一切気づかない。彼は己の好奇心を唆られないあらゆる事柄に無知である。「我道の門下生・美空 善子」は知っていても「アイドル・美空 ひかり」など全く知らないし、アメリカ合衆国の現大統領が誰なのかさえ彼はよく分かっていない。
強さを求めるあまり世俗的な観念はほぼ放棄しているのだ。生活においても野宿やサバイバルは当たり前、どうしても金が必要ならば闇格闘技や用心棒稼業、あるいは日雇いの肉体労働で稼ぐのである。
ともかく―――彼の関心の対象となるものは、強者のみ。
この地にはまだ見ぬ猛者共が集っているのだろうか。
待ち受ける闘争の予感に武者震いしながら、琲汰は砂漠のど真ん中で座禅を組んだ。
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やがて琲汰は、ゆっくりとその両眼を開く。
闘気は研ぎ澄まされた。肉体が気力で満ち足りている。
ならば、道は一つ。行動あるのみだ。
その屈強な脚によって、琲汰は立ち上がった。
この場における酉糸 琲汰のスタンスは当然決まっている。
――――強者との闘争。それだけだ。
勇猛なる闘士と全力で戦い、強さの高みを目指す。
普段と一切変わらない。戦うことだけが琲汰の生き様だ。
生きるか死ぬか。それもまた一興。喧嘩(ファイト)とは暴力、暴力とは命の奪い合いへと連なる。
例え闘争の果てにどちらかが散ることになったとしても、それは当然の摂理に過ぎない。
彼が望むのは強者。戦う意志を持つ闘士。
それ故、弱者に興味は無い。されど、挑んでくるならば受けて立つ。
力無き者には相応の戦いがある。例え弱者が手段を選ばずに襲いかかってきたとして、足元を掬われることがあるとすれば、それは己の実力不足の為だ。
琲汰は本質的に己だけを見ている。強者への敬意は持ち合わせているとはいえ、彼が他人を見る上での最大の価値基準は「自身を高みへと導く存在かどうか」なのだ。ある意味で強者も弱者も関係は無い。
さて、と琲汰はメニューからマップを確認。
ここが北西に位置する砂漠の一角であることは明白だ。
目指す場所は決まっている。「砂の塔」だ。
この会場に存在する四つの塔のひとつ。
屋上にあるオーブに触れることで塔の所有者となり、定時メール受信時にGPを得る権利が与えられる。
しかし、琲汰の目当てはその特典ではない。
所有権を目当てに塔へと接近してくる参加者を待ち受ける。それが目的だ。
強者と判断すれば勝負を挑み、この拳の糧とする。相応の猛者には敬意を払いたいものだと琲汰は考える。
弱者は無視だ。寧ろ勝手に塔の所有権を得てくれる方が有り難い。GPを蓄えれば弱者も強くなる可能性が生まれるからだ。
いざ往かん。
酉糸 琲汰はこのデスゲームにて、闘いへの一歩を踏み出す。
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数分。否、数十分は経過したか。
琲汰の目の前に広がる景色は全く変わらない。
砂漠。砂塵。夜空。月明かり―――。
座禅を行った場所で見ていた光景と何一つ変わらない、ように見えた。
そもそも、此処は砂漠だ。そう簡単に抜け出せる訳が無ければ、風景に富んでいる訳でも無い。
若くして巌のような面構えを持つ琲汰は、神妙な表情で周囲を見渡す。
「此処は、どこだ」
この場において初めて、琲汰は口を開いた。
彼は気付いていないが、この大砂漠で探索系スキルは必須に等しい。
それが無い場合、止まぬ砂塵や判別の付かない地形という自然の脅威によって方向感覚が失われるからだ。
彼のスキルは格闘能力の向上と維持を齎す「無念無双」のみ。探索能力など意識の外だ。
つまるところ琲汰は、道に迷っていた。
「これも俺に課せられし試練、ということか……」
試練ではなく、道に迷っているだけである。
彼はあらゆる事柄を鍛錬に置き換え、前向きに捉える習性がある。
此処で延々と彷徨い、抜け出すことも出来ず、やがて野垂れ死ぬ。
仮にそんな運命を辿ったとして、彼は己の不運を呪ったりはしない。
この修練を乗り越えられなかった不甲斐なき自分に責があると考えるからだ。
故に彼は、ただ黙々と目の前の脅威に立ち向かい続ける。
「先ずはこの砂漠を生き抜くべし、さもなくば闘争への道は拓かれん―――成る程、道理に適っている」
ならばその試練、受けて立とう。
武人としての自己解釈で即座に納得した。
酉糸 琲汰は徹底してストイックな戦士だ。
強さを磨く為ならばあらゆる修練を怠らない。社会の基準から外れることも厭わない。
それ故に、彼自身は気付いていない。
彼は無頼の闘士であると同時に―――何処か抜けているのだ。
[B-3/大砂漠/1日目・深夜]
[酉糸 琲汰]
[パラメータ]:STR:B VIT:B AGI:B DEX:B LUK:E
[ステータス]:闘気充実
[アイテム]:スイムゴーグル、支給アイテム×2(確認済)
[GP]:0→10pt(キャンペーンで+10pt)
[プロセス]:
基本行動方針:ただ戦い、拳を極めるのみ。
1.「砂の塔」を目指し、そこを訪れる者を待つ(辿り着ければの話だが……)。
2.強者を探す。天空慈我道との決着を付けたい。
3.弱者は興味無し。しかし戦いを挑んでくるならば受けて立つ。
※探索系スキルがないので方向感覚を完全に失っています。どこに辿り着くのか本人もわかっていません。
【スイムゴーグル】
装備している最中は水泳能力・潜水能力が大幅に向上する。
更に諸島エリアの海域などにおける強い海流を無視して泳ぐことができるようになる。
最終更新:2020年10月05日 22:15