陣野優美は先ほど送られてきたメールを確認していた。
具体的にはその中の一通『施設追加のお知らせ』だ。
「食事処に温泉……。いいじゃない」
目を引いたのはやはりその二つだ。
陣野優美は物資・資源の溢れる現代日本から異世界に召喚された。
連れていかれた異世界では食事も元の世界と比べて遥かに低い水準だったし、風呂に至っては毎日入る習慣すらなく、冷たい川の水か井戸水で水浴びをするのがせいぜいで、毎日不満を垂れたものだ。
しかも優美は奴隷として売却されている。
奴隷に身を落としてからは、ただでさえ低かった生活水準は更に下回った。
特に食事は完全に悪意を持って劣悪なものを食べさせられていた。それからの日々で口にしたのは麦粥と水、精液に排泄物、そして優美自身の脚の肉くらいだ。
一方、汚れた玩具は好みではなかったらしく、水浴びだけはきちんとさせてもらえていたのだが。
そんな生活を送ってきた優美が、バーチャルの世界とは言えまともな食事、まともな風呂にありつける施設が追加されるという知らせに心躍らせないわけがなかった。
とはいえ、明記されている食事処はもちろん、温泉についてもおそらくGPを使用する必要があるだろう。
手持ちは60pt。決して潤沢とは言えない。
塔を支配した参加者や積極的に他参加者を殺害している参加者がスキルや装備品を獲得して強化されていくことを考えると、食事や温泉といった無駄遣いに終わってしまいかねないものに使用する猶予があるかは微妙なところだ。
GPを稼げるか。また、稼げる目途が立つか。
それ次第で施設を利用するか否かから考えなければならないだろう。
まあなんにせよ。
「優美先輩!!」
近づいてきたカモを喰らってから考えよう。
◆◆◆
中空に閃光が走る。
バリアと爪が衝突し、火花が散る。
間違いなく、バリアが無ければ首が飛んでいた軌道だ。
距離を取り、同時に着地した両者がにらみ合う。
「やっぱり丈美だったのね」
優美の言葉に、丈美は胃が痛くなった気がした。こめかみを抑えたい衝動を抑制する。
なにせ優美は今、こちらの正体には気づいていながら、何の確認もせずに殺しにかかったのだ。
枝島の言葉が嘘であってほしいと願っていた丈美だが、それは裏付けとしては十分すぎる言葉だった。
「優美先輩、本当に、ゲームに乗ったんですね」
それでも確認したかった。
「いやねえ、ただのスキンシップよ」とか「おふざけを真に受けるの、あんたの悪い癖よ」とか聞きなれたセリフで、自分の確信を否定してほしかった。
「ええ、そうよ。誰に聞いたの?」
そして当然のように肯定される。
「さっき逃げられちゃったアイドル……は、ちょっと方向が違うし、スナイパーは会話が通じる相手じゃなさそう。
となるとまあ必然的に、白井先生情報ってことよねえ」
論理的思考能力が落ちている様子もなし。
「あれは白井先生じゃありませんよ。
白井先生に片思いしてる枝島先生が、外見再現して着てるだけです」
「は? なにそれ? キモッ」
完全に素のトーンで放たれる軽口。
何者かに操られている、とかの線も薄そうだ。
もはや疑いようがない。
優美は完全に自分の意志でゲームに乗っている。
十分予想していたこととは言え、やはりショックは大きい。
「優美先輩、もうやめましょう」
とはいえ丈美の為すべきことは当初と何ら変わらない。
マーダーを辞めさせ、優美を連れて元の世界、元の家に帰る。
それだけだ。
「連れていかれた先の異世界でなにがあったのか、ざっくりと話は聞いています。
自棄になってゲームに乗りたくなる気持ちもわからなくはないです。
でも、一緒に帰りましょう」
説得は無駄と悟りながら、それでも丈美は言葉を紡ぐ。
一縷の望みを諦めることはできなかった。
「日本に帰れば、腕も脚も目だってどうにか……」
「なるわけないでしょ。馬鹿なの?」
そんな丈美の悪あがきを、優美は一蹴する。
「完全に失われた体のパーツやら機能やらを完全回復させる技術なんて、そっちの世界にあるわけないでしょ。
仮にあったとして、姉びいきのあの両親がそんなお金を私に使ってくれると思う?」
陣野姉妹の両親は姉びいきを通り越して愛美至上主義だ。
厄介なことに彼ら自身にその自覚は皆無だが。
丈美自身、その事実は陣野家との交流の中でよく知っており、閉口せざるを得なかった。
一瞬で間合いを詰めた優美が爪で喉を狙う
「それより丈美、私、GPが欲しいのよ」
短い悲鳴と共に思わず顔をかばった丈美をバリアが守る。
「それ私に死ねって言ってるのと同じですよね!?」
「そう言ってんのよ!」
一方的に再開される戦闘。
孤を描くバリアの外郭を爪が滑る。
その勢いを殺すことなく肉薄、バリアに足をかけ、丈美の背後に回る。
振り返った丈美の目に映るは、右腕が異常なほど筋肥大した優美。
振り上げたその腕から、大ぶりのパンチが繰り出される。
耳をつんざくほどの激突音が響き、バリアに深い亀裂が走る。
「そんな!? バリアが!」
「硬った! チートじゃない!」
叫びは同時。
たまらずバックステップで逃げる丈美を優美が追う。
しかしスキル『跳躍』で強化された跳躍力には追いつけず、距離が縮まらない。
丈美が着地する頃にはバリアは引っ込んでいた。
思わず舌打ちを漏らす。
「やめてください! 優美先輩!」
叫ぶ丈美を無視して取り出した鉄球を投げつける。
薫との戦いで彼が作ったものを回収しておいたものだ。
とっさに身をかわし、視線を戻す丈美。
投げると同時に走って来ていたのだろう優美が、目前に迫っていた。
もう一度後方に跳んでかわそうとする丈美に優美の掌打が迫る。
丈美の身体は回避に成功したものの、掌打は自動展開されたバリアに直撃。
バリアが砕け散った衝撃と風圧で吹き飛ばされた丈美は、開けた天井からコロシアムの中に突っ込む。
中空で一回転し、着地した丈美。
優美と激突したD-4エリアに最も近い入り口を睨む。
そこから優美が、悠々と入って来る。
「ま、このくらいで死んでくれれば苦労はしないのだけど、現実ってのはうまくいかないものよねえ。
そう思わない、丈美?」
「そうですね。
やめてって言ってるのにやめてくれない優美先輩見てると本当にそう思います」
「あら、生意気言うようになったじゃない。誰の影響かしら」
「誰かさんがいなくなった影響に決まってるでしょう」
優美は丈美の皮肉を微笑み一つで受け流し、そして言った。
「シェリン」
この場所でその名を呼ぶ。
丈美は戦慄する。脂汗が流れ、鳥肌が立つ。
その行為が示す意志は唯一つしか存在しない。
「死ね」と言われても、爪で切りつけられても、拳を叩きつけられても、鉄球を投げつけられても尚、いまいち実感できなかったそれ。
丈美に対する、優美の殺意。
『絶対にお前を今ここで殺す』その意志を、今更ながら、確かな実感とともに受け取った。
優美の目の前にシェリンが現れる。
『お呼びでしょうか』
「私、陣野優美は高井丈美に決闘を申し込むわ」
◆◆◆
「どうして!」
丈美は叫ぶ。
その目には涙が浮かぶ。
「どうしてですか! どうしてそこまでして私を殺そうとするんですか」
シェリン越しに丈美を見遣る優美。
「だってあなた、私を助けてくれなかったじゃない」
まるで昏い樹洞のような目で、うわごとのように答える。
「私が、あの異世界で、勇者なんてものに、勝手に祭り上げられて、裏切られて、奴隷にされて、『やめて』って、『助けて』って、叫んでる間、あんた、何してたのよ?
部活に、恋に、勉強に。青春してたんじゃないの?
私のことなんか、綺麗さっぱり忘れてッ!!」
「忘れるわけないでしょうが!馬鹿なんですか!」
激昂し、叫ぶ優美に叫び返す丈美。
まるで幼子の喧嘩のよう。
「そりゃ部活は頑張りましたよ! 優美先輩に育ててもらった恩を返したかったんですもん! そのためには結果出してドヤるしか方法思い浮かばなかったんですから!
いなくなってから瓦解したバレー部立て直したのだって、戻ってこれたら中3ダブる予定だった優美先輩のためにも居場所を残してあげたかったからですよ!
勉強なんてしてませんよ! 部活だけで日々の生活手一杯ですもん! その私と同じ練習量こなしながら学年上位取ってたあんたと一緒にしないでください! スポーツ推薦でしか行ける学校ないんですよ、私!
恋はまあ、してましたけども! でも進展とかほぼ皆無ですよ! 完ッッ全に片思い! 何でって、決まってるでしょうが! 部活も休みの休日は丸一日優美先輩の捜索ビラ配ってんですから!
だって私、優美先輩ともっと一緒にいたかったんですよ! 帰って来て欲しかったんですよ!
同じ高校行って、同じ大学行って、先輩がプロになるなら一緒にプロになって、同じチームでバレーしたかった!」
叫んで叫んで、息を切らす丈美。
それを無視して、シェリンに向き直る。
「シェリン。申請は受理されたかしら」
『いいえ。決闘の内容を指定したのち、対戦相手である
高井 丈美さんの同意を得る必要があります』
「面倒ねえ」
本当に億劫そうに、丈美は顎に指を当て思案するようなそぶりを見せる。
「―――内容は一対一の殺し合い。スキル、アイテム使用可。死んだ方が負け。逃げた方も負け。以上。
丈美、同意しなさい。」
「嫌です」
丈美が即答する。同時に優美が鉄球を取り出す。
「同意しなさい」
表情はにこやかに。しかし断れば殺すと言外に含ませ命令する。
「さっきの話の続きなんですけどね」
だが丈美はその言葉を無視して語りだす。
「優美先輩がいなくなった後、県大会は初戦でネプ中に負けたんです。」
入鹿金子山中学校、早蕨中学校、そしてネプ中ことネプチューン国際女学園中学校。
県大会では順位の変動こそあるが、この3校が毎年1位2位3位を獲り、関東大会出場枠を独占し、三強と呼ばれていた。
昨年、優美を中心に高いレベルでまとまり、県大会進出を果たした日天中学校だったが、優美が行方をくらましたことによりチームが瓦解。
何とか丈美が立て直したものの、一回戦でネプ中と当たり、あっさりと姿を消した。
そして優美の世代が卒業し、丈美が女子バレー部を率いることになった今年。
破竹の勢いで地方大会を突破した日天中学校は三強すべてを破り優勝した。
しかも丈美はこの県大会で、三強と呼ばれる中学校のエーススパイカー全員を封殺し、ベスト6――大会中最も優れたパフォーマンスを発揮した6人――に選ばれたのである。
「そう。よかったわね。」
そんな話を聞かされた優美は尋ねる。
「それで、どうして今そんな話をするのかしら」
穏やかな表情を作っているが腹の内はグラグラと煮えている。
あなたのせいで大変でしたとでも言いたいのか。ふざけるな。
誰が好き好んであんな世界行きの片道電車に乗り込むというのか。
今すぐに鉄球を投げつけたい衝動に駆られるが、彼我の間にこんなにも距離があっては簡単に避けられてしまう。
数限りある武器をわざわざ失うのも馬鹿らしい。
そう思い直して丈美の話を聞く。掌に力をこめながら。
「私、ずっと優美先輩のためにバレーやってました」
丈美が顔を上げ、誇るように空を見上げる。
「さっきも言った通り、同じ高校行って、同じ大学行って、先輩がプロになるなら一緒にプロになって、同じチームでバレーしたかった。
優美先輩と一緒にその夢叶えて、ずっとコートであなたを支えていきたかった。
そう思ってたんですよ――――最近までは」
その目がぎろりと優美を向く。
いままでとは違う怪しい光を宿して。
「決勝で入鹿中と当たって、エースの山本さんをノックアウトさせたとき、憎らし気に私を睨みながらコートを出ていく彼女を見て、初めて『私はバレーボールが好きなんだ』って自覚できたんですよ。
それで、『もっとあの顔が見たい』って。
もっとレベルの高い戦場で、もっとレベルの高い人たちに、あの表情をしてもらいたいって思ったんですよ」
「何が言いたいの、丈美?」
結論を急がせる優美。
じれったくなったというのもあるが、それ以上に焦燥を覚えていた。
なにせ自分に向けられたあの目は―――追い詰められ、『せめて一太刀』と腹をくくった魔物と同じ目だったから。
「『優美先輩と一緒に叶えたかった夢』は『私一人ででも叶えたい夢』になったってことです。もちろん、前者の方が良かったですけど。
だから、それを邪魔立てするって言うなら、たとえ優美先輩でも排除します」
そして突き付けられる宣戦布告。
動揺を与えて可能な限り有利に事を運びたかった優美としては、多少予定に狂いはあれど望んだとおり展開だった―――ように見えた。
「それじゃあ、さっきの
ルールに同意しなさい」
「それは嫌です。
私はこの決闘、バレーボールで決着をつけることを提案します」
やっかいなことを言いだした。
こちとらバレーボールの存在しない世界に1年もいた。その上腕を切断されているのだ。
毎日触っていたはずのボールの感覚すら、今となってはよく思い出せない。
一方、丈美は1年間練習を積み重ね、優美が獲得できなかった県大会ベスト6をも獲得したのだ。
成長した丈美と劣化した優美。どちらが有利かなど火を見るより明らかだ。
加えて優美はスキル『悪辣』で善性が死んでいる。他人の『お願い』を聞き入れる優しさなど、もはや持ち合わせていない。
「そんな提案受け入れられるわけないでしょう。私が不利になるだけじゃない」
そう言うと丈美は「え? 認めちゃうんですか?」と目を丸くする。
「猫かわいがりしていた格下の後輩に上行かれて、その事実を黙って受け入れられる―――そんな物分かりいい人でしたっけ?
異世界くんだりまで遠征して、習得したのは負け犬根性ですか?」
今度は優美が目を丸くした。
僅かな空白の後、「ぷっ」と吹き出し、笑う
「ふふ。ふふふ。
あははははは!
はーーはっはっははははは!!!」
ひとしきり笑い終えると、手に持つ鉄球を地面に叩きつけた。
轟音が響き、砂煙が舞い上がる。
鉄球が砕け、破片が散る。
「上等」
優美はスキル『悪辣』で善性が死んでいる。
だが闘争心は殺せていなかった。
◆◆◆
【ルール(特記事項のみ)】
- 25点先取、1セットマッチ。
- スキル使用可、アイテム使用不可。
- 試合中は負傷しない。
- 陣野優美、高井丈美以外のメンバーはNPCシェリンで補填。
- NPCシェリンについて
ポジションごとに同じ能力、同じ外見である。
GPを使用することで能力を向上させることができる。
青天井には屋根がかかり、砂を敷き詰めた地面は板張りに。
コロシアムの内装は、バレーボールでの決闘が決まると同時に、それに適した体育館に変化していた。
ルールを確認し、アップを終え、両チームがコートのエンドラインに並び立つ。
赤と黒のユニフォームに身を包む優美チーム。
黄色と白のユニフォームに身を包む丈美チーム。
「よろしくお願いします!」
審判の笛を合図に挨拶。そして各々のポジションに向かう。
丈美はフロントセンターで構え、そして―――
―――コイントスで先攻を選んだ優美が、ボールを持ってエンドラインのさらに後方へ歩いていく。
「丈美ィ!」
サービスゾーンの、そのぎりぎりまで下がった優美が叫ぶ。
「人生最後の試合、楽しみなさい!」
「こっちのセリフですよ先輩! 私のバレー人生はまだ続くんですから!」
不敵に笑う両者。
そして優美が、右手に持ったボールをやや前方、高くに投げ上げる。
助走をつけて跳躍し、筋肉で肥大化した右腕で撃ち抜いた。
轟音と共に放たれたボール。
それはさながら戦車砲。
現実であれば、レシーブした腕を引きちぎってしまうのではないか、誇張でもなんでもなくそう思えてしまう威力。
文字通りの殺人サーブが丈美に迫り―――
「あ」
―――ネットに突き刺さり、床に落ちた。
ピッ
何とも言えない空気の中、審判の吹く笛の音が間抜けに聞こえた。
陣野優美チーム 対 高井丈美チーム
0対1
最終更新:2021年02月07日 23:07