これは、とある少女の前日譚(プロローグ)。
折れた街灯に照らされるのは死肉を貪る亡者。
鳴り響く音楽は呻き声と悲鳴、咀嚼音の入り混じったハーモニー。
地獄と化した深夜の住宅街を少女は一人、息を切らせながら駆け抜ける。
「……くっ……つぅ……!」
苦悶の声が漏れる。乱雑に包帯が巻かれた左腕に今一度強烈な痛みが走り、思わず足が止まる。
立ち止まって破裂しそうな肺を落ち着かせながら、少女は右手に持つ救急箱に目を向ける。
早く彼の元へと急がなきゃ。でないと私の家族みたいに手遅れになる。
思い返されるのはほんの僅か十数分前の出来事。
大地震が起こった後、幼馴染の恋人の無事を互いに喜んだのも束の間、
避難所の学校へと向かう最中、彼の容体が急変。強がる彼を物陰で休ませて救急箱を取りに自宅に戻った。
しかし、そこにあったのは――。
「二人共……?。何を……しているの……?」
月明り以外の光源のないリビングで、妹と父親が母親を貪り食っていた。
声に二人が振り向く。薄闇の中で濁った四つの瞳が少女(えもの)へと向けられる。
少女が後退り、逃げ出そうとするも間に合わず。二体のゾンビはかつての家族へと襲い掛かった。
「づ…ああああああッ!!」
思わず身構えた左腕に妹が齧り付き、肉が食い千切られる。
血が湧き水のように流れ出す。白い腕が歯形に抉り取られ、ピンク色の筋肉の隙間から白い何かが露わになる。
姉の肉を咀嚼する妹。次いで父が歯を剥いて愛娘へと迫る。
迫りくる死。少女の脳裏を過るのは今まで生きてきた僅か十八年の記憶。
両親との思い出。妹との思い出。幼馴染の親友たちとの思い出。
そして、強がりで威張りんぼな、大切な彼の顔。
瞬間、自分の中で『何か』が生まれたような直感。それに従い、襲い来る二人の家族に命じる。
『止まって!』
そうして少女は窮地を脱した。二人の家族は今、鍵をかけた両親の寝室に閉じ込めておいた。
じくじくと痛む左腕の肉が蠢くような感触がする。同時になぜか思い浮かぶのはもう一人の幼馴染の少年。
ノイズ交じりの放送が事実だとしたら、誰も彼も――。
不安が不安を呼び、少女の心の中に暗雲が立ち込める。
「……急がなきゃ……!」
少女の目に映るのは強い光。それを追うために少女は夜の街を駆け、『最悪』を目の当たりにする。
「う……そ……!?」
呆然と少女は絶望の言葉を呟く。右手から救急箱が落ち、地べたに医療物資をまき散らした。。
物陰で休ませていた最愛の恋人。意地っ張りで、誰よりも優しい幼馴染の男の子。
目の前の彼が浮かべる表情は快活な笑顔ではなく虚ろな表情に。
きらきらと星のように輝いていた眼差しは白濁した瞳に。
少女の家族と同じように、恋人は食屍鬼(ゾンビ)になっていた。
だが、無防備になった少女を少年が襲う気配は微塵もない。
「……………」
「………え?」
生ける屍と化した少年がか細い声で何かを呟く。
少女は正気を取り戻して聞き返すが、返ってくる言葉は意味のない呻き声だけ。
ふと、少女の頭にノイズ交じりの放送の内容が蘇る。
『……ウイルスには全ての大本となる女王ウイルスが存在する。
女王は1人にしか感染せず、周囲のウイルスを活性化させ増殖を促す役割を持っている……。
これを消滅させれば……自然と全てのウイルスは沈静化して死滅する。
正気を失い怪物となった住民も……多少の後遺症は残るだろうが…………適切な処置を受ければいずれ元に戻るはずだ……』
まだ、希望はある。女王ウイルスをどうにかすれば、恋人とまた笑い合える日々が戻る。
少女の胸に決意の炎が灯る。身体の奥底から力が沸き上がってくる。
恋人の笑顔を思い浮かべながら、『異能』を発動させる。
少女の差し出した手に少年の手が重ねられる。
「圭ちゃん。私が貴方を絶対に助ける。だからついてきて」
◆
暮れの日と夜闇が混じり合い、空のキャンパスを相反する色彩で染め上げる黄昏どき。
神道において人の世が神域へと繫がる端境は時間と空間の両方にあるとされており、黄昏は時間に該当する。
空間も同様。御霊代を擁する神奈備や神社を取り囲む鎮守の森などヒトと自然が曖昧な場所が神域へ誘う端境とされている。
時間と空間。両方の端境にある山折村。コンクリートで塗装された道に映されるのは、手を繋いだ二人の少年少女。
「づぅ……何だ、これ……?」
「……圭ちゃん、本当に大丈夫?」
『あの子』が待つと言われている山折総合診療所に向かう途中、少年――山折圭介は突き刺すような頭痛に顔を顰める。
その様子を感じ取り、圭介の恋人である少女――日野光は足を止め、片手で頭を抑える彼を心配そうに見やる。
自分を見つめる恋人に「大丈夫だ。心配すんな」と声をかけようとして彼女の顔を見た瞬間、言葉を失う。
胸元まで伸びたふんわりとしたセミロングの黒髪。
垢抜けていないが思わず見惚れてしまうしまうような愛らしい顔。
そして、闇夜の中でも輝く『金色の瞳』。
姿も、声も、繋いだ手の温かさも圭介の心は目の前の『ナニカ』が日野光だと告げている。
しかし、山折圭介の中の何かが否定している。
『やっぱり、気づいちゃうか』
光の穏やかなソプラノボイスから一〇歳ほどの感情の読み取れない幼い少女の甲高い声に変化する。
圭介の心情を読み取ったのか。目の前の『光』は気遣わしげな顔からどこか諦めたような表情に変わった。
そして、目の前の少女は圭介から顔を逸らすと、彼の手を引いて診療所までの道を歩き始める。
「な……何なんだよ……!?夢……?まだ俺は夢の中に……ぐぅ……!!」
再び起こる激しい頭痛。ズキズキと脳を搔き回されるような激痛に圭介は額を押さえ、目を閉じる。
何が何だかわからない。どこからが夢でどこからが現実なのか。そもそもつい先ほど見ていた夢すらもおかしい。
同年代の哉太とは幼い頃から幾度となく喧嘩をし、その度に光に「喧嘩両成敗」と仲裁されてきた。
だけども、自分は一度も光に暴力を振るったことはないし、哉太を病院送りになるまで怪我させたことはない。
まるで自分の記憶を元に作られた物語。山折圭介という人間の人格を貶めるための二次創作ようだった。
痛みがほんの少しだけ和らぎ、目を開ける。
霞む視界に霞む視界に映る地面は罅割れたコンクリート製の道路ではなく、白いリノリウム――山折高校の床。
「は……?え……?」
困惑が脳を支配し、周りを見渡す。
白い石膏ボードの壁。
画鋲で張り付けられたオープンキャンパス案内のポスター。
真新しい窓に映る夕暮れの空。
そして、圭介の手を引くどす黒い靄に包まれた薄汚れた小さな手。
彼の手を引き、診療所までの道のりを先導していた存在。それは圭介が愛する日野光ではなく。
「――――ひっ!」
か細い悲鳴が喉の奥から漏れ、少年の表情が強張る。
黒い手を振り払おうとする。しかし黒い靄が腕に纏わりつき、脱力したように力が奪われ、腕の力が抜ける。
くすくすくすくす。
圭介の腕に纏わりついた黒い靄と少女らしき存在から溢れ出す黒い靄。その両方からくすくす笑いが校舎の廊下に響き渡る。
カチカチと圭介の頭の歯車が逆巻きに巻き戻る。違和感を鍵に封じられた記憶の扉が開かれた。
『お前の願いはオレに届いた』
『ざまぁみろ、哉太』
『てめえの不幸に酔いしれて悲劇の王子気取るんじゃねえクソガキ!!』
『別れましょう』
『裏切者は、許さない』
「あ、ああ、ああああ………!!」
思い出した。思い出して、しまった。
魔王から与えられた力で『山折圭介』という人間が積み上げてきたものを全て否定したことを。
自らの所業で。自らの業で。全てを失ったことを。
沸き上がる自らの存在否定。もう片方の手で首に爪を立て、ガリガリと掻く。
痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。痒い。
首だけじゃない。舌の先も痒い。早く。早く噛み千切ってしまわなければ。
くすくすくすくす。
圭介への福音のように。少女の身体から、腕に纏わりついた黒い靄から忍び笑いが漏れる。
衝動と『ナニカ』からのせせら笑いに少年は誘われ、そして―――。
『少し黙って』
少女の言葉にピタリと闇からの笑い声は止まる。
同時に圭介の中から沸き上がってきた自殺衝動も何かの力で無理やり沈静化させられた。
そのまま影法師の少女は困惑と自責の念を残したままの圭介の手を引いて廊下を歩き続ける。
『アナタが無辜の人々を使い捨て、たくさんの友達を切り捨てた『裏切者』には変わらない。
だけど、使い方を間違っていたとしてもたった一人の大切な人のために力を使っていたのを知っている。
それに、わたしの故郷――地球にとっては異世界かな?そこの侵略者である『余所者』の魔王に心を付け込まれた。
力を与えると同時に人格を捻じ曲げて、願いを叶えた後で正気に戻し、肉体から依代の魂を追い出す。
それが奴の手法。あのまま魔王が討伐されなかったら、アナタはいつか最悪の結末を迎えていた。
だから、わたしと『彼女』は魔王がアナタに興味をなくすため……願いを持てなくするために徹底的に追い込む必要があった。
……結論。山折圭介……アナタには情状酌量の余地がある。それに、わたしも『彼女』もやり過ぎた事に罪悪感を感じている』
圭介に背を向けながら語られる言葉の雰囲気は幼さを感じさせながらも穏やかかつ厳格。
どことなく知り合いの女王気取りを思わせる口調だが、最後だけは彼女が決して口にしないような懺悔を述べていた。
一呼吸置いた後、影法師の少女は再び言葉を紡ぐ。
『……アナタを想う「彼女」の魂は完全に消滅した。こちらの世界に干渉することは普通なら二度とできない。
普通なら、ね。だから普通じゃない方法を使って彼女を呼び出して、こちらから会いに行く』
少女の言葉に困惑しながらも、圭介はもう一度辺りを見渡す。
茜色に照らされる白い壁。カツカツと二つの足音が響く廊下。木材とプラスチックが混じったような校舎独特の匂い。
圭介の五感全てが少女に手を引かれながら歩いている場所が山折高校だと告げている。
自責の念に苛まれながらも困惑を隠せない圭介の様子など気にも止めず、少女は言葉を続ける。
『わたしが元々持っていた力――思いや記憶を元に異界として具現化させ、願いを叶えるための過程を作り出すもの。
願いを叶えるためにはこの中で自分で行動しなきゃいけない。ホラー映画に出てくる謎の異空間みたいなものだと思って欲しい。
でも、今のわたしの力は大部分が失われている。不完全でも何とか疑似再現できた「これ」は表面を真似ただけのハリボテ。
ただ、お散歩するための空間にしかならない。だけど『異世界』だから現実を無視してこちらには無理やり呼び出せる。
魔王が持っていた死体を疑似蘇生する死霊術。それを応用する。
亡骸になった『彼女』の脳から生前の人格と記憶の情報を得て、消滅した魂を魔王の死霊術で強制的に『彼女』を蘇生する。
でも、生命活動が停止した器に魂を映してもそれは死体に変わりない。所謂ゾンビになってしまう。
魔王は個性を奪った上で魔力を流し込んで兵士に仕立てあげてたけど、魔力を失ったわたしにはそこまで。
だから、わたしは魂を蘇生させるだけに留めた。脳が死んでいる以上、魂を宿しても食欲だけで動くゾンビにしかならない』
そこまで言うと不意に影法師の少女は足を止める。
地球の法則が成立しないような事象の数々。情報の波に晒された圭介は困惑一色であった。
少女が繋いでいた手を放し、彼女のすぐ隣を指差す。何も理解できぬまま圭介は指し示した方向へと顔を向けた。
「……ここは、俺のクラスの教室……?」
『うん。蘇生した人間の魂は元の身体へと向かう習性がある。わたしが「彼女」の遺体に乗り移って動かしていたのはそのため。
だけど「彼女」はアナタに合わせる顔がないらしい。遠目でこちらを伺っていただけで接触する気配はなかった。
だから、魔王の力とわたしの力を使って仮初の肉体と存在できる場所を作ってあげた。
この異界の中に限り、彼女は生きていた頃と同じ姿に戻ることができる。
……魔王みたいな事をしなくちゃいけなかったのは業腹だけど、わたしの好き嫌いで決めていちゃ誰も救われない』
「魔王」という言葉に心底の嫌悪感を露わにして少女は話を終え、教室のドアの取っ手に黒い小さな手を当てる
「ちょ……ちょっと待ってくれよ。お前の話、突飛過ぎて何も分からねえよ!
お前は一体何者なんだ?俺をどうするつもりなんだ?!」
『どうもしない。少なくとも今はアナタの敵ではないよ、山折圭介』
困惑と恐怖が入り混じった表情を浮かべながら、眼前の幼い少女に問い掛ける圭介。
そんな彼の様子に少女はぶっきらぼうだが、少しだけ優しさを感じさせる声で答える。
「だったら、お前が何度も繰り返している「彼女」って誰のことなんだ?!」
『………「彼女」はアナタが良く知る人物。その子は、この扉の先にいる』
ぼかされた様な答えに少年は不安を感じ、影法師の少女への不信感と恐怖を募らせる。
圭介が口を挟む前に影法師の少女は取っ手を引いて教室の扉を開いた。
誰もいない校舎の中にガラガラと音が鳴り響く。そのまま少女は遠慮なしに教室の中へと足を進めた。
影の少女に続くように圭介も恐る恐る教室へと足を運ぶ。
夕日に照らされる誰もいない筈の教室。教壇と三十の机が立ち並ぶ小さな空間。
その中心にある机に座るのは、顔を俯かせた高校生くらいの一人の少女。
圭介と実体を持った影法師。二人の存在に気付くと少女はゆっくりと顔を上げる。
愛らしい柔らかな笑みを浮かべていた顔――その面影は見る影もなく、やつれ切っている。
大きく見開かれた綺麗な瞳――暗く淀み、頬には涙の跡がくっきりと残っている。
「な……え……?」
「う……そ………?」
山折圭介は/■■■は、その顔を知っている。
誰よりも大切に思っていた彼女/彼。激情に任せて裏切り、絆を自ら断ち切った二人。
「圭……ちゃん……?」
圭介が言葉を発する前に、少女――日野光が先に口を開いた。
◆
……あんな別れ方をした以上、そう簡単に元鞘に戻るわけないか。何となく想像はできていたよ。
でも二人共、気持ちは分からなくもないと思うけど、再会直後のあのやり取りは酷いと思う。
山折圭介。戸惑いながら一歩歩み寄った日野光に対して怯えた顔で「日野……」って返すのはちょっとないかな。
もう一度言うけど気持ちは分からなくもない。でも、本心では彼女との関係を元に戻したいんでしょう?
心が弱っている今、酷だとは思うけれどアナタ自身も踏み出さなきゃ何も変わらない。
日野光。脳から記憶を読み取ったからアナタの事情も、アナタの気持ちもわたしに伝わっている。
関係修復のために自ら歩み寄ったことは評価できる。でもね、怯えられたからと言って引き下がるのはまずいと思う。
彼を同じように追い込んだ以上、わたしが言う資格はないと思うけど、弁明する前に謝らなくちゃ。
…………これ以上待っていても埒が明かない。先にわたしが山折圭介にアナタの事情を説明するね。
少し待って?だったらアナタ自身で彼に話す?無理でしょ。今のアナタの精神状態じゃ、お茶を濁すのが精一杯な筈。
山折圭介。今から話す内容は聞くアナタにとっても罪を他人(わたし)に話される日野光にとっても辛いと思う。
それでも山折圭介は知らなきゃいけないし、日野光は死者として山折圭介に色々なものを託さなきゃいけない。
じゃあ、話を始めるね。
まずは前提から話そう。何故わたしが日野光の事情を知っていたか。
それは山折神社の封印が解かれて最初に出会ったものが、肉体から離れて彷徨っていた日野光の霊魂だったから。
そこで彼女の霊魂から事情を聞いた。まさかその最中に幼馴染二人の喧嘩が始まって彼女が止めに走ったのは予想外だったけどね。
別に怒ってはいないよ。こっちが話を聞くためにを呼び止めたんだし、事情は人それぞれだ。
……話を戻そう。日野光はわたしに今の山折村の惨状や異能、未来人類発展研究所について教えて。
まるで予め全て知っているかのようで、つい十数時間前に巻き込まれた人間とは思えない情報量だったんだ。
理由をすぐに問いただした。わたしの想像では日野光の両親が研究所に関わっているんじゃないかっ思ってた。
でも、推測は違っていた。帰ってきた答えはあまりにも荒唐無稽。でもそうじゃなきゃ説明がつかない。
日野光はアナタがゾンビに変わる筈の6月19日午前0時13分7秒から何度も2日間を繰り返してきた。
所謂並行世界の記憶をリレーしながら、並行世界を渡り歩いて、今の世界へと辿り着いた。
渡り歩いていたどの世界でも日野光が女王感染者で、アナタはゾンビ。二人揃って正常感染者になる世界はなかった。
◆
「死……ねェ!!死ね!!死ね!!死んでしまえええええええええ!!!!!!」
燃え盛る古民家群。炎熱地獄の中で、少女はナイフを幾度となく振り下ろす。
彼女の眼下には白髪交じりのぼうぼう頭の老人――満足そうな表情で息絶えている六紋兵衛。
『人狩り』となった彼の最初の犠牲者は帰省してきた幼馴染の少年――八柳哉太のゾンビ。
次いでゾンビ化した親友の上月みかげ、正常感染者になっていた湯川諒吾も殺された事を知った。
「ぅああああああああああああああああああああッ!!!!」
絶叫。六紋の死体には数多の刺傷が刻まれ、光の行為は老人の死を冒涜する以外の意味を持たない。
それを理解していても尚、光の身体は止まらない。止める気すらもない。
理由は数メートル先。そこには頭を撃ち抜かれ、風穴からピンクの脳を零れさせた少年――山折圭介の骸。
「ひ……光姉ちゃん!もう止めろよ!!そいつはもう死んでいるんだぞ!!」
「五月蠅い!!離せェ!!」
光の狂乱を見兼ね、スパイキーヘアの少年、九条和雄が腕を掴むも振り払い、彼の矮躯を突き飛ばす。
痛みに呻く彼の様子など気にせず、再び六紋老人への復讐を続けるべく刃を振り下ろそうとする。
しかし、光の腕が振り下ろされることはなかった。誰かにナイフを持つ手を掴まれ、そのまま頬に衝撃が走る。
「え……雨流、くん……?」
「正気に戻れよ、光さん。リーダーのアンタが取り乱してどうするんだ」
目の前には腰に日本刀を携えた中性的な少年、暮村雨流。見兼ねた彼が光の頬を張り、正気を取り戻させたのだ。
恋人を失い、呆然と涙を流す光。そんな彼女を包み込むように抱きしめるのは雨流の姉、暮村沙羅良。
慈しむような抱擁。喪失感や無力感を自覚し、光は彼女の胸で子供のように泣きじゃくった。
「ありがとう、沙羅良さん。それからごめんね、皆。取り乱しちゃって」
未だ燃え盛る古民家群をバックに光は仲間達三人に頭を下げる。
沙羅良と和雄は気丈に振舞う光を心配そうな目で見やり、雨流は腕を組んで醜態を晒した光に鋭い視線を投げかけている。
「これから、診療所に向かおうと思うの。そこにVH解決のための糸口があると思う」
「アンタの言ってたイベントが光として可視化される異能。そいつが診療所を指し示していたのか?」
光の提案に雨流は鋭い視線を向けたまま問いかける。沙羅良と和雄は納得していたが、雨流には引っかかるところがあったらしい。
その問いに首肯する。雨流は何かを考えこむかのように少しの間だけ考え込んだ後、再び口を開いた。
「……光さん。VHが起こる前、泊まる所がなかったオレと姉ちゃんを家に泊めてくれたよな。
アンタの善性は信頼できる。でも、今のアンタはどこか危うい感じがするんだ」
「ちょっと、雨流くん。光さんはさっき恋人を失ったばかりなのよ。そんな言い方――」
「姉ちゃん悪い。だからこそ言わなきゃいけないんだ」
弟の不遜な言い方を姉は咎めるために口を挟もうとするが、彼の言葉がそれを制する。
姉思いの弟は、光の目をまっすぐ見据えて言葉を紡ぐ。
「オレ達三人はこれからも変わらずアンタについていくつもりだ。
でも従属するってわけじゃない。さっきみたいな事があったらオレは力ずくでもアンタを止める」
診療所へと続く一本道。光を先頭に暮村姉弟と九条和雄は夜闇の中を進む。
暮村雨流は危惧していた。光は自分達に何かを隠しており、最後には自分達を裏切るのではないかと。
その推察は間違ってはいない。気丈に振舞ってみせていたのは、どす黒い感情を覆い隠すためのもの。
圭介が殺され絶望に沈む中、『HE-028-A』は希望を見出し、光は己の余分を切り捨てる覚悟を決めた。
『転生保証 (クリア・ボーナス)』。診療所の一室でゾンビ化した山路フジが得るはずだった異能。
つい一週間前のボランティア活動でフジと知り合い、彼女からの信頼を得ていた。
光の異能であれば『転生保証』の再現が可能。それを知ったのも進化した彼女の異能の力。
今は亡き東大の異能。彼と最初に遭遇したお陰で自身の異能について知ることができた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
村人よ我に捧げよ(ゾンビ・ザ・ヴィレッジクイーン)
現在生存しているゾンビが得るはずだった異能を再現する異能。
ゾンビ化前の人間の人物像を知っていなければ異能を再現できない。
支配する異能はゾンビ化する前の人間からの好感度が高いほど再現度が高くなる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
◆
日野光にとっての最初の幕引きは48時間の時間切れ。爆撃でゾンビ諸共山折村は焼き尽くされて終わった。
でも、日野光は斉藤拓臣の異能で資材管理棟まで避難して終わりを乗り切って生き延びたんだ。
……三人の仲間は診療所で待ち構えていた特殊部隊に皆殺しにされたよ。分かりやすいスケープゴートとして使い潰された。
診療所で日野光がやりたかった事は、異能の持ち主である山路フジの安全確保。それは、地下研究室の一室に隔離された。
目的を達成した女王感染者は、60時間後に再現される山路フジの異能に祈りを込めた。
『次こそ山折圭介を生き残らせたい。もう一度チャンスが欲しい』ってね。
日野光はこの時、空腹とストレスで脳が回っていなかった。それ故に願い事に具体性がかけてしまっていた。
……それが、日野光の最大の過ちで彼女にとっての無間地獄の始まり。
日野光の異能はあくまで再現。完全に再現するには山折圭介や日野珠くらい関係性が深くなければいけない。
山路フジとそこまで親しくない以上、『理想の世界へと作り変える』だなんて大それた事は実現不可能だった。
60時間後、日野光はアナタがゾンビ化した時間――6月19日午前0時13分7秒へと記憶を持ったまま巻き戻らされた。
その時、彼女は絶望した。でも、前の記憶があるんだから今度こそうまくやれる筈って自らを奮い立たせた。
だけど、またしても彼女の思い通りにはならなかった。
正常感染者と化した山折村の住民も、現れた特殊部隊も、挙句の果てには地下研究所の場所すらも変わっていた。
それでも諦めきれずに必死で彼女は足搔いた。でも、山折圭介の死は変えられず、自らが女王感染者であることも変わらなかった。
48時間を繰り返す間に、日野光は幾度となく山折圭介の死を目撃し、時には志半ばで日野光自身が死ぬこともあった。
日野光は死んだとしても劣化コピーした『転生保証』から逃れられることはできなかった。
50回目を超えた辺りでもう日野光の心は擦り切れ、ただ当初の目的を達成するために手段を選ばなくなっていったんだ。
157回目のリトライ――前の周回で漸く日野光が山折圭介と共に無間地獄を乗り越えられる最大のチャンスが訪れた。
一週間前に山折村に赴任してきた教師、未名崎錬。彼が女王ウイルスを無効化できる手段を発見した。
青葉遥の右手に宿る異能『細菌殺し(ウイルスブレイカー)』。
この異能で日野光の『HE-028-A』を沈静化させれば、VHが収束する。日野光は山折圭介との明日を迎えられるはずだった。
……日野光が女王感染者だと言うことは山折村を封鎖した特殊部隊員達にも伝わっていた。
後はアナタの思っている通り。特殊部隊員――五十嵐藤枝の襲撃から日野光を庇って山折圭介が死んだ。
その瞬間、ただでさえガタガタだった日野光の精神が限界を迎え、壊れた。
膨大なストレスで自我が芽生え始めた『HE-028-A』が覚醒。もう取り返しのつかない『第二段階』になってしまったんだ。
◆
かつて山折村の経済を支えていた商店街。辺り一帯に散在するのは地震によって倒壊した建物だけではない。
若い女の死体。幼い子供の死体。壮年の男の死体。老若男女問わず多種多様な屍が肉片を散らしながら転がっていた。
転がる死体の中心にいるのは三メートル程の巨大な餓鬼――かつて黒之江和真と呼ばれていた地獄の使者が一人。
餓鬼道に堕ちた好青年は共に戦っていた浅黒い肌の少女――
ホアンを一心不乱に食らい続けている。
餓鬼畜生が食事を続ける先には長い青髪の美女の死体。右手と下半身がすっぱりと切り取られている。
そのすぐ傍には同様に引き千切られた斑模様の防護服。中には特殊部隊員の血肉が詰まっている。
それらの更に向こう側。死体の山が築かれているその先には二人の生者。
一人は白い骨を全身に身に纏う赤髪の少女――浅葱碧。
身体の所々が欠け、溶かされたその姿は満身創痍。罅割れた骨剣を杖代わりにして立っている有様。
もう一人は光を放つ宝聖剣ランファルトを片手に持つ女王。その名は――。
「くひっ」
――日野光。
「――――――」
たった一人生き残った赤髪の剣士。喉は焼かれ、内臓をいくつか潰され、意識を保つのがやっとの状態。
それでも、碧の目から闘志が消えることはない。やっとの思いで剣を持ち上げ、半ば砕けた足で水月へ踏み込まんとする。
しかし、奇跡が起きることはない。
振り下ろされた骨剣は聖剣によって砕かれ、剣の形を失う。
間を置かずに聖剣が碧の腹部へと突き刺さった。
刺さった聖剣を抜こうと、赤髪の少女は指の欠けた両手で忌まわしき聖剣の刀身に手をかける。
「厄(や)け、ランファルト」
たった一言の詠唱。高熱を帯びた聖なる光が剣士を細胞ごと焼き尽くした。
後に残るのは塵芥。浅葱碧の生きた証は風に吹かれて跡形もなく消し飛んだ。
生者の蹂躙を終えた後、日野光は最後の仕上げをすることにした。
彼女の視線の先には、自身の肉体から弾き出された元の宿主である『日野光』。
腰を抜かし、恐怖に震える日野光(ぼうれい)へと日野光(じょうおう)が一歩一歩と迫る。
逃げ出したところで最早意味はない。ただ数秒だけ寿命が延びるだけ。
そして最後の一歩が踏み出される。亡霊の目の前に映るのは女王の醜悪な笑顔。
剣を振り下ろされ、そして――――。
運命のターニングポイント。6月19日午前0時13分7秒へと巻き戻り、記憶を受け継いだ直後に日野光はゾンビとなった。
◆
――ここまでが日野光の顛末。彼女が全てに絶望したところで劣化『転生保証』が終わり、今の時間軸に至った。
158回目の今、ようやく彼女は地獄から解放されたんだ。……少しだけ待って。話していたわたしも辛くなってきた。
…………話を再開するよ。彼女曰く、今回の正常感染者は一人を除いてどこの時間軸にも現れてなかったんだって。
その一人は誰かって。…………神楽の末裔。一度として挫折を経験していないお子様。
精神を支える土台がしっかりしているから我が強く見えるだけ。土台が崩れれば一気に崩壊するタイプっぽい。
……前例があるんだよ。鴨出真麻。我欲でわたしの友達が立てた小さな祠を壊した痴れ者。
……話を脱線させるのはわたしの悪い癖。反省しなきゃ。
アナタが魔王に乗っ取られた直後、彼女の狼狽は酷いものだった。
よりにもよって一番大切な存在が女王感染者だと思い込んでいたんだよ。
あまりにも酷いから、魔王の仕業だって教えたよ。そこから先は察しが付くでしょ。
『転生保証』から解放された時のように逃げ場を全て断って、絶望させること。
アナタにあそこまで怒りをぶつけたのは、かつての自分の所業を思い出したからなんだ。
「別れる」って口に出したとき、日野光はアナタと同じくらい苦しかったんだと思う。
だって正気を失わずに地獄巡りをしてきたのは、アナタへの想いが支えになっていたんだから。
――悪いお知らせ。ついさっき女王感染者が自我に目覚めて宿主を乗っ取り始めた。
わたしが魔王の力を取り込んでいた時、宿主に気付かれないよう、下品な笑い声をあげていたよ。
でも、まだ時間はある。アナタの友達の集団の中には、何らかのきっかけで九条和雄にそっくりな力に目覚めた子がいる。
その子ともう一人。あの集団の中には女王感染者の運命測定から逃れられた子がいる。
……空気読めなくてごめん。そんな事言ってる場合じゃなかったよね。
……この世界を維持できるのは今のわたしじゃあと僅か。わたしは一足先に出ていく。
日野光。
山折圭介。
月並みな言葉しか言えないけど、残された時間を大切にね。
◆
徐々に空が夜闇に染まっていく。
この空間が漆黒に染まった時、山折圭介は生者として現世に残り、日野光は死者として黄泉へと旅立つ。
二人並んで、ガラスをに寄りかかる。床に置いた少年の手に少女の手が重ねられた。
二人で過ごす時間はこれが最期。別れの言葉も慰めの言葉も思い浮かばず、沈黙だけが夕暮れの教室を支配する。
「……俺達のファーストキスは、事故……だったよな」
「…………そうだね」
漸く絞れ出せた言葉は、何の変哲もない日常の思い出。
そこからぽつぽつと二人は会話を続ける。
「去年の郷土史のレポート……山の生態系を調べようって、二人で山の探索をしたよね」
「ああ。あの時は俺、完全に小学生に戻っていたな」
「…………野生返り?」
「そうかも。レポート用の写真撮ってるお前をほっぽいてカブトとかクワガタ追ってた」
「それで、二人して迷っちゃっんだよね」
「暗くなってきてさ。俺、本気で野宿を考えてたよ」
「最終的に猟友会の嵐山先生に助けられたんだよね。その後二人して滅茶苦茶怒られたけど」
「まあ、遭難しかけた甲斐があってできたレポートもそれなりの出来に仕上がっていたよな」
「…………今年のゴールデンウイーク、二人で沖縄旅行に行ったよね」
「…………だな」
「計画を立てたのは去年の冬頃で、二人でバイトして旅行費貯めたよね」
「俺は岡山林業で木材運び、光はモクドナルドでだっけ。学校に許可貰って放課後とか土曜とか二人で働いたよな」
「でも、結局お金が足りなくなって、両親に援助してもらったんだよね」
「大人の財力って奴を見せつけられたな」
ありふれた日常の会話。何も起こらなければ、この思い出は甘酸っぱい青春の一部となる筈だった。
だけど、二人が揃って大人になることはない。日常を失った今、アルバムは遺品へと変わる。
もうじき夜が来る。胡蝶の夢は現実に押しのけられ、二人の時間に終わりが近づく。
語る言葉が付き、包み込む夜に静寂が満ちる。
不意に、圭介の胸に光の頭が押し付けられる。
「圭ちゃんが何度も死んだ事も、私が死んだ事も、何もかも全部夢だったら良かったのにね」
「光…………」
身体にすっぽりと収まる小さな想い人の身体をそっと抱きしめる。
別れの時が近づく。慰める言葉も送る言葉も何も思いつかない。
「…………やっぱり、やだ」
大切な少女の絞り出すような声。声が詰まり、少年は強く抱きしめる
「やっぱりやだ……やだよぅ……!死にたくない……死にたくない………!!」
「光………!!」
堰を切ったように溢れ出す光の涙が、圭介の服を濡らす。
「まだ死にたくない……!!圭ちゃんと一緒にいたい……!!ずっとずっと一緒に……うううううううううう………!!」
「ごめん………ごめん光……!!俺、お前を守り切れなくて……お前を悲しませて……!!」
おっとりしていてしっかり者。だけど少しだけ嫉妬深い普通の女の子。
威張りんぼで頑固者。だけど正義感の強い普通の男の子。
現世と幽世。二人の世界はもう交わることはない。
暗闇が近づく中、二人は抱き合って子供のように泣き喚く。
別れの言葉も残さず。爽やかとは程遠く、みっともなく。
泣いて、泣いて、泣いて、泣いて。
―――胡蝶の夢が終わり、現実が訪れる。
◆
夢が終わり、吹いた水無月の夜風が座り込んでいた少年の身体を撫でる。
少年の目の前には目的地であった診療所。想い人の面影は影も形もなくなっていた。
「光……」
想い人の名を呟く。彼女との邂逅は夢に過ぎなかったのか。
違う。彼女のぬくもりがまだ残っている。彼女の声も覚えている。
不意に視線を落とすと、地面にはロケットペンダント。
幸運を呼び込み、運命を切り開くという意味が込められたアイテム。
沖縄旅行で圭介が光にプレゼントした御守り。手に取り、ペンダントの扉を開く。
圭介と光のツーショット。扉の向こうで満面の笑みで少年を見つめている。
「あぁ……ああああああ………!」
掌にぼつぽつと大粒の涙が零れ落ちる。
憎悪で誤魔化していた深い悲しみが胸を突き刺す。
幸せだったあの頃はもう二度と戻ってこない。
『…………悪いお知らせがある』
背後から聞こえるのは光を失った圭介を追い詰めて壊した祟り神。
振り返ることなく悲しみに暮れる少年の反応を待たずに淡々と告げる。
『魔王アルシェルとわたしの干渉。そして、暴対なストレスがアナタの脳に与えられた。
それによって、アナタの『HE-028』ウイルスは48時間を待たずに脳に定着した。
端的に言うと、人類にとってアナタは女王ウイルスと変わらないくらい危険な存在になった』
祟り神は座り込む少年の目の前まで近づき、目線を合わせるために腰を下ろす。
ゆっくりと圭介は顔を上げ、封印されていた祟り神を見つめ返す。
『山折圭介。アナタはこれからどうするの?
憎悪に任せて友達を裏切るなら、わたしはアナタの身体を抜け出す。元あった異能は残しておくから好きにすると良い。
衝動に任せて自殺したいのなら、今ここでわたしがアナタの魂を殺してわたしの着ぐるみにしてあげる。
何もかも嫌になって逃避したいのなら、わたしの力で異能と記憶を奪ってゾンビにしてあげる』
少女の姿に似つかわしくない厳かな声色。
目の前の存在が人間とはかけ離れた途方もない存在なのだと、改めて認識させられる。
圭介の返答をじっと待つ黒い影法師。彼女に対し、口を開く
「一つ、良いか?」
『どうぞ』
「最初、光は俺だけじゃなくって他の奴らも、哉太やみかげ達も助けようとしたんだよな』
『うん。助けられなかったをずっと後悔していて、受け継いだ記憶で何度も助けようとしていた』
「そっか」
思い出と変わった大切な恋人。彼女はずっと強がり続け、守ろうと足搔き続けていた。
答えは得た。涙を拭い、握りしめた光の遺品をつける。そして黒い靄のかかった幼神の顔を見据えた。
「VHが起きてから、俺はずっと罪を犯し続けていた。それでも、光と笑い合えるならって自分の心に嘘つき続けていた。
全部失って漸く気付いたんだ。結局中途半端だって。俺に、悪役は向いていないんだって。
もう次期村長なんて名乗る資格もないし、あいつらリーダーなんて口が裂けても言えない。
足搔くよ。光みたいに。もう何もかも手遅れだけど、最後くらいはヒーローの真似事をしてみせるさ」
『―――そう』
圭介の答えを聞き、祟り神はゆっくりと頷く。
少女は圭介の手を取ると、彼の掌に何かを置いた。
訝し気に少年は掌を見ると、そこには文字がところどころ途切れ、無理やり繋ぎ合わせた木製のプレート。
『山折圭介』と書かれたそれは、少年が虎尾茶子との戦闘の中、踏み砕いた上月みかげの御守り。
『これ、今のアナタに必要なものでしょ。魔王に乗っ取られていた時、背を向けたあの子達は泣いてたよ』
「あいつら………」
『もう壊さないでね』
その言葉の後祟り神は立ち上がり、圭介にも立つように視線で促す。
催促に従い、少年も立ち上がる。自然に少女の頭を見下ろす形となった。
不意に沸き上がる疑問。小康を得た今、祟り神へと問いかける。
「なあ、今更だけどアンタって一体何者なんだ?」
問いに歩き始めようとした少女の動きが止まる。
「地雷だったか」と思い直し、謝罪する前に少女が口を開く。
『―――かつて山折村には時空の裂け目から現れた小さな幼子がいた。
白い髪に金色の瞳の物心がついたばかりの女の子。異空間を彷徨う中でたった三文字の名前すら失ってしまった。
そんな彼女は剣舞を舞う陰陽師と巫女に拾われ、育てられた。彼らは幼子を愛し、幼子も彼らを愛した。
名無しの幼子には巫女が名前を付けられた。白くてふわふわな兎と共に現れたから、その名前を。
…………かつての名前が、転生した私の友達に着けられたっていうのは何だか奇妙な縁を感じたよ。
でも、そんな幸せな日々はそう長くは続かなかった。
白い髪。金色の瞳。奇異な姿から噂を聞きつけた飛騨の役人がその幼子を「八尾比丘尼」と呼んで、留学という名目で拐かした。
不老不死の肉。万病の妙薬。そんな事をほざいて泣き叫ぶ幼子を生きたまま解体した』
そこまで言うと、幼神は口を閉ざした。
意識を彼女に間借りさせているからだろうか。どす黒い感情が渦巻いているのを感じる。
「人間を、憎んでいるのか?」
『当たり前だよ。身体をバラバラにされたんだから。
安心して。憎悪に身を任せる様な真似はしない。そんな事をしたら春陽に合わせる顔がない』
言い放つと、コホンと咳払いし、たった一人のオーディエンスが耳を傾けている事を確認し、話を続ける。
『憎悪と嫌悪は同じ意味じゃない。憎悪は相手の存在を認めているから生まれるんだ。まだ改善の余地はある。
人間を憎んでいるわたしでも今生きている人間で明確に好意を持っている存在がいるんだ。
魔王に立ち向かったあの七人。無事を確認にいったら逃げられちゃった。原因は想像がついている。
わたしに纏わりついている黒い靄は山折村が長年蓄積され、凝縮された厄の塊。
話を戻すよ。嫌悪はその存在に対しての徹底的な拒絶。和解の余地はない。
……わたしは山折村の存在自体が許せない。わたしだけを存在を存続させるための歯車に変えたのはまだ許せる。
でも、それだけじゃない。わたしが眠りについてから何世紀も、過ちを犯し続けている……!』
少女の口から吐き出されるのは矮躯に似つかわしくない憤怒。
彼女と同調している圭介さえもその黒い感情に呑まれそうになる。
「ちょ……ちょっと、落ち着けよ。ええと、神様?」
『……好きに呼ぶと良い』
そうぼやき、幼神は圭介に背を向けて歩き出す。
少年もそれに続こうと足を進めるが、少女はピタリと足を止める。
「神様……?」
『そうだ、わたしの正体を言ってなかったね』
足を止めた少女は振り返り、圭介の顔を見上げる。
変人として有名な圭介の犬猿の仲である女性を思い出させるようなマイペースな立ち振る舞い。
その危うさに辟易しながらも、彼女の言葉を待つ。
『
山折村の歴史の闇に葬られた禁忌の存在『隠山祈』。わたしはそれに紐づけられ同一視されていた存在。
封印が緩む水無月の末に鳥獣慰霊祭でわたしを祟り神として役割を押し付けられて自我を封じられてきた。
でも、今は違う。嘗ての信仰で解放され、一時的に自我を取り戻したんだ。
遅くなったけど自己紹介。わたしは異世界で魔王アルシェルが浚った女神との間に生まれた娘。
お母さんの使い魔である白兎に導かれてこの世界にやってきた漂流者
異界への扉を生身で渡ると色んなものを失う。わたしは自分の名前を。この村に召喚された聖剣は、殺し損ねた魔王の娘の名前を』
『わたしの願いは山折村という概念を願望器を以て終わらせること。そうして未だ山折村に縛り付けられているいのりと春陽を解放する。
山折圭介。魔王から奪った器は自分で使うことができない。それにアナタにリソースを裂いている以上、戦う力もない。
戦闘はアナタ頼みだけど、奪い取った知識とこの地で得た存在へ干渉する力があるから、女王ウイルスへの対処はある程度可能。
取引だ。女王ウイルスによる厄災を止めるから、アナタはわたしの願いを叶えて』
【E-1/診療所前/一日目・夕方】
【
山折 圭介】
[状態]:『魔王の娘(???)』共生、異能『魔王』発現、虎尾茶子、八柳哉太、天原創に対する抵抗弱化(大)、虎尾茶子、八柳哉太、天原創、天宝寺アニカ、哀野雪菜、犬山うさぎ、リンへの好意(特大)、人間への憎悪(極大)、山折村への嫌悪感(絶大)、深い悲しみ(特大)、魔王の娘への信頼(大)、山折圭介への信頼(小)、決意
[道具]:魔王の娘(???)、日野光のロケットペンダント、上月みかげの御守り
[方針]基本.厄災を収束させる。
1.光……。
2.『神様』と共に女王感染者を止める。
3.『神様』の願いについては一旦保留。
4.『女王ウイルスが「第二段階」になる前に機能を停止させる。最悪、女王感染者ごと女王ウイルスを抹殺する』
5.『全て終わったら山折圭介に「山折村の終焉」を願わせていのりや春陽達を呪縛から解き放つ』
[備考]
※もう一方の『隠山祈』の正体が魔王アルシェルと女神との間に生まれた娘であることを理解しました。以下、『魔王の娘』と表記されます。
※『魔王の娘』の真名は彼女自身にも分かりません。
※魔王の魂は完全消滅し、願望機の機能を含む残された力は『魔王の娘』の呪詛により異能『魔王』へと変化し、その特性を引き継ぎました。
※魔術の力は異能『魔王』に紐づけされました。願望機の権能は時間と共に本来の機能を取り戻します。
※魔王から烏宿暁彦だった頃の記憶を読み取り、彼の記憶と現代科学の知識を得ました。
※戦士(ジャガーマン)を生み出す技能は消滅し、死者の魂を一時的に蘇らせる力に変化しました。
※山折圭介の『HE-028』は脳に定着し、『HE-028-B』に変化しました。
※『魔王の娘』は実体を持った影響で物理干渉が可能になりました。
―――魔王(■■■)は、絶対禁忌たるイヌヤマイノリに取り込まれて真なる厄災と化さん。
―――厄災は鬼(オーク)の大戦士と共にイヌヤマの地を女王(かみ)に献ずるであろう。
最終更新:2024年04月04日 23:32