緋の稜線が山々と空の境を彩り、茜色の夕空と藍色の夜空が黄金比率で混じり合う。
大自然の作り出す絶妙なコントラストは、この村が地獄の中心だという現実を忘れさせるほどの絶景だ。
この昼と夜の境目の時間帯の呼び名は、逢魔時。
大禍時という表記を源とするこの刻は、この世とあの世とが混じり合う時刻だと言われている。
ならば現世に地獄を顕現した山折村の夕暮れは、まさに逢魔時と呼ぶにふさわしいのだろう。
そんな魔の領域でスヴィアが待っているのは、しかし呪いでも魔物でもない。
村人たちを執拗に追跡し、殺戮する死神部隊、SSOGである。
珠たちの姿は迫り来る闇の奥へととうに消えた後。
長谷川真琴のレポートを再び一読し終えたころだろうか。
待ち人が姿を現した。
スヴィアの耳を以てしても聞き逃すほどのわずかな足音を伴い、確かな存在感を放ちながら現れた。
「ここにいましたか、スヴィア博士。あなたの身が無事で何よりだ」
天の言葉遣いは変わらず柔和で物腰柔らかい。
しかしスヴィアはその声色にどこか擦り切れた印象を感じ取った。
険しく思いつめたような雰囲気を纏わせ、マスクの奥から覗く瞳の光は乾ききり、その視線は猛禽類のように冷たく鋭い。
研究所に突入して僅か数時間。
スヴィアと別れてからの時間はさらに短い。
たったそれだけの間に、一体何が起こったというのか。
「こちらの都合で監督に回れなかったことは申し訳ないですが。
研究所内の騒動はすべて解決しました」
「花子さんは、いないのかい?」
「それも含めて、すべて解決済みです。
スヴィア博士。もし成果が出ているのであれば、お聞かせ願いたい」
もし欺くのであれば一切の容赦はしない。
言外に、そう言われている気がした。
天たちは運がいいのか悪いのか、村の呪いにかち合うことがなかったのだろうか。
花子と合流するという当初の目的はかなわないらしい。
彼女は研究所で彼らに敗れ、命を散らした。
必然的に、スヴィアが出すべき成果は特殊部隊への足止めということになる。
創や雪菜はいない。武力で切り抜けることはできない。
誠吾はいない。言葉とハッタリで切り抜けることはできない。
逃亡を目的とするならば絶望的な状況下、だがスヴィアの目的は会話による時間稼ぎである。
そして、ここまで欲を出すつもりはないが、勝利条件も実は明快だ。
特殊部隊に村人を殺すのではなく、生かすことを選択させられれば勝利である。
ゴールテープを切るのに必要な要素は武力でもハッタリでもない。情報の組み立て方と、相手に怯まない覚悟の持ち方だ。
それに、勝算というほど大それたものではないが、及第点は取れるはずだと信じている。
なにせ、珠は足止めに反対しなかった。
運命すら視通すように進化した異能の持ち主が、スヴィアをここに残したのだ。
なれば、珠はスヴィアの戦略的勝利を視たのだと信じよう。
ハッピーエンドに向かって奔走する珠を信じて、後方の憂を断ち、送り出すことに邁進しよう。
――命を落とした与田や海衣をも救うと豪語した珠の異質さが、すべてを視通す金色の光が、スヴィアの脳にフラッシュバックする。
果たして彼女が目指す「ハッピーエンド」が、彼女が語る「救い」が、スヴィア自身の価値観と合致したものであるのか。
そんな不安は拭いきれないが。
あの底知れない違和感を、スヴィアは理想と信条で塗りつぶし、天と対峙する。
「伝えるべきことはいくつかあるが……」
珠や春姫から赦しを得たことで、心理的な重荷は解消した。
肉体的には変わっていないし錯覚なのだろうが、随分気が楽になったように感じる。
たどたどしくもはっきりと言葉を紡ぎ、気を張るように再度息を吸い直す。
ここからが正念場だ。
「……まずは、いいニュースだ。
女王感染者を殺さず無菌者へと戻す方法が一つ、見つかった。
天原創。彼の異能に依存した方法ではあるが……、理論上はゾンビ含めた全村人を治療できる」
「なるほど、さすがだ。
この短期間で一定の成果に辿り着くとは。
……天原創とは、あの彼のことですね?
彼の異能は他者を昏倒させる異能と理解していましたが」
「本質は別物だよ。昏倒は副次的要素に過ぎないが、キミたちにとって大した違いはないだろう?」
「ふむ、まあいいでしょう。
しかし、彼が既に命を落としているのなら、その案は利用できない。
そして我々がウイルスの調査を行っていた理由は、パンデミックの第二波を防止するため。
そこの理解は相違ありませんか?」
「後者は一切問題ない。無菌者となった時点で抗体が出来上がり、二度と保菌者となることはない。
長谷川部長の研究結果だ、論文にも書かれているから間違いないよ。
女王感染者を治療した時点で、VHは収束するだろう」
「それは僥倖」
「…………随分と、素直に信じるんだね」
「研究者として、質問が多いほうがお好みで?
……貴女が自分の命惜しさに虚言を弄すのなら、そのような情報を私に提供しない。
まだ調査途中だとうそぶき、期限ギリギリまで引き延ばしを謀るはずだ」
やはり乃木平天は人をよく見ている、とスヴィアは評する。
処理ターゲットにすぎない死にかけの小娘一人に対して、意志と個性のある一個体として接している。
それこそ、教師にでもなれば生徒一人一人に寄り添えるよい教師になれるだろうに、と残念に思う。
「それから、天原君の生死は、それこそキミたちのほうが詳しいだろう?
空を飛び回るドローンがハッタリだとは言わせないよ」
創が死んでいれば彼女の案はすべておしゃかとなるのだが、そうはならないはずだと言い聞かせる。
ここでつまずくならば珠も足止めは任せないだろう。
他人の異能に10割依存した根拠のない断定は非常に気持ちが悪いものだが、ポーカーフェイスでしのぎ切った。
天は印象的な灰色の片目をつぶり、スヴィアの回答を噛み砕いている。
緊急脱出口から外に出た直後、真っ先に通信機の件と研究所での死者については伝えた。
早ければ、まもなく軍用回線の遮断も解除されるだろう。
スヴィアの目の前で通信をおこなうかどうかという点を除けば、創の生死を確認することは難しいことではない。
「当初私が貴女に求めていた成果という意味では上々です。
ただ……、無償で我々に情報を提供するところが引っかかる。
それに、いいニュースがあるということは、悪いニュースもあるはずですね?」
「ああ。今、ゾンビ以外に、この村で生き残っている者はほとんどいない。
特殊部隊も、無事なのはキミたちのところだけだ」
「…………」
表の部隊歴も長い天の脳裏に、全滅という二文字が浮かんだ。
もっとも一般的な軍と違って、SSOGは任務達成まで負傷者の収容に手を割かないため、全滅は10割死傷の時点ではあるのだが。
「……それは確かに我々にとってはバッドニュースだ。
貴女方にとっては好都合なのでしょうがね」
衝撃的な情報のはずなのだが、今となっては衝撃よりも納得が先行する。
それほどまでに今回の任務が過酷であることは、僅か18時間で思い知った。
「これ以上続けるならば双方多大な犠牲が出るぞと脅し、次に落としどころを提示するというところですか。
なるほど、手打ちへの道筋としては実にオーソドックスな手法ですね」
「ああ、先に言ってしまうのか……。
キミたちがボクらを殺しに来ていることは知っているが、
ボクらはキミたちと敵対したいわけじゃない。
女王の治療法も分かった。一時休戦、というわけにはいかないかな?」
「スヴィア博士は私を騙すつもりはないのでしょう。
ですが、素直に飲み込むわけにはいきませんね」
実際にその治療法を一度試すのにどれだけの時間がかかるのか。
果たして生き残った感染者たちはそれに応じてくれるのか。
そもそも創は生存しているのか。
治療を終えたとき、女王殺害の場合と同じ効果を得られるのか?
ここでスヴィアの案に飛びつくなら、そもそも女王の斬首作戦などはじめから取らない。
もし村に降り立った直後なら、天はうろたえてスヴィアにペースを握られていただろうが。
今、彼が動揺することはない。
「それに、双方の犠牲と言いますが、我々は結局のところ実行班の一つだ。
仮に、私たちが全滅したとしてだ。
残り30時間、我々の隊が手をこまねいていることはあり得ない。
すぐに次なる部隊が送られてくる。そう考えたことは?」
「その通りだね。だが……。
だからこそ、『花子さん』が研究所の上層部と交渉をしたのだろう?」
「…………」
スヴィアたちはスヴィアたちで取り込んでいたため、研究所の二階の様子にまでは気を割けてはいない。
だが、スヴィアが花子と別れてから、真理がなりふり構わず大声をあげるまで、与田が地下三階に逃げてくるまで、かなりの時間的余裕があったと記憶している。
交渉が実ったのか決裂したのか、そこまで知る術はないが、何かしらの進展はあったと信じている。
「沈黙は肯定と受け取っていいのかな」
「抜かりない論理の組み立て方をするんだな、と感心していただけですよ。
貴女が『花子さん』の意図を知る機会はごくわずかな期間だった。
日野珠さんに聞いたのですね?
それとも、彼女の異能でしょうか?」
「彼女に直接聞いた話さ」
「…………」
スヴィアとハヤブサⅢが接触したあのとき、その異能を用いて研究の助手をさせるという体で、珠を見逃すことを確約した。
だから、天は珠の異能を知っている。スヴィアから聞かされている。
イベントを可視化する異能だと知っている。
加えて、異能の進化。
ハヤブサⅢには異能の進化がおこったと考えている。
彼女は未来を視ていた。戦場全体を視ていた。その異能を以て、SSOG四人を手玉に取った。
直前の例に引っ張られたというのもあるが、イベントを可視化する異能から、未来の出来事を可視化する異能へと進化しても特別違和感はない。
ただ、一つだけ、喉につっかえた小骨のように引っかかることがある。
(聞いた通りの異能ならば、通信機を見逃すことはありえないはずだ)
ハヤブサⅢが持っていた通信機。
特殊部隊の動きを大きく制限する最重要アイテム。
仮に当時は逃げるだけで精いっぱいだったとしても、熊の首を刎ねた者に回収を頼むことはできる。
だが、通信機は海衣の遺品として放置されていた。
ハヤブサIIIから海衣が受け継ぎ、真珠が命をかけて奪回を試みた最重要機器は、この局面で路傍の石のように転がっていた。
(よもや、私が通信機を回収することも視通していた、ということですか?
私が本部との通信を復活させることを前提に動いている?)
芽生えた異能を使うことを否定する気はないし、そもそも天は彼女たちを殺しにきている立場の人間だ。
糾弾する口など持ち合わせていない。そんな意志もない。
仮に天に珠の異能が芽生えれば、やはり存分に使い倒すだろう。
ただ、大田原に芽生えた異能と同等程度におぞましい異能にも思えてしまう。
(人間一人が悩み抜き、苦渋の末にくだした決断は、あらかじめ定められたものなのだとでも?)
最良の結果を生み出す選択をあらかじめ見いだせる異能。
確かにうまく使えば幸福を掴むことができるだろう。
しかし、異能に使われてしまうようならば、異能者の自由意志そのものが失われる。
ディストピアの住人のごとく、ハッピーエンドの奴隷として幸福を選ぶ義務を果たすだけのマシーンと化すだろう。
天が感じているおぞましさの根幹だ。
スヴィアはその考えには至らないのか、それとも目を背けているのか。
内心は分からない。
「邪推を失礼」
考えすぎた。これは可能性にすぎない。
おかしな情がうつらないように機械的に情報をシャットアウトする。
「ですが、その交渉の結果を知ることはなかったはずだ。
スヴィア博士、あなたは何を言おうとしているのです?」
「研究所の意向はキミたちとは別にあるはずだ。
そしてキミたちも研究所を無下にはできまい。
仮にキミたちが独自基準で秘密裏に動いていたとしたら、これは別の問題を引き起こす。
――『Z』。心当たりはあるかい?」
『Z』。ハヤブサⅢの遺言、そして真珠からの『伝言』だ。
重要度の高さ以外は何もかも不明な、何かを指し示す隠語。
「『Z』ですか。それはこちらから尋ねたかったことでもある」
「『Z計画』。私の口から言うには、あまりに壮大で……、あまりに荒唐無稽だ。
自身の目で確かめてみたまえ」
スヴィアから手渡されたのは長谷川真琴の署名が為されたレポート。
いずれ来たるZデー、それに対する『Z計画』と研究所の理念について余すところなくまとめられた門外不出の機密事項だ。
「ボクも元研究員。48時間の猶予……その意図を理解した。
そして、錬がなぜこのような凶行に及んだのかも理解はした。できてしまった」
パラパラと論文をめくっていく天。
そのマスク越しに覗く表情を注視しながら、スヴィアはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「研究所の側はできる限り引き延ばしをはかり、女王感染者含む感染者のデータを取りたかった。
ボクらがキミたちによって殺されることは望んでいなかったはずだ。
なぜなら、『Zデー』は8年後。
進捗をみるに、研究自体は成果にたどり着くだろう。
だが、そこから終末の日を迎えるまでの時間はあまりに短い。
成果は早ければ早いほどいい」
さわりを読み、天は額に深い皺を寄せる。
謎に包まれた研究のベールが少しずつ剥がれていく。
『Z』に触れて動揺しない人間など数えるほどしかいないだろう。
そんな『Z』初心者に対して、スヴィアはやさしく撫ぜるように言葉を刷り込んでくる。
「花子さんの活動によってキミたちの暗躍は明るみに出た。
研究所はキミたちの独断専行に不信を抱いているかもしれない。
どちらの組織も政府の懐刀。
キミたちと研究所の仲違いは望まないはずだ。
そしてボクらも無駄な犠牲を望まない」
双方の犠牲を減らす。これだけで説得できないのなら、より高次のレベルからはたらきかける。
交渉人が碓氷なら、彼は素面でこれくらい言うだろうが、残念ながらスヴィアにそんな才能はない。
珠と別れてから今まで、考えに考えた時間稼ぎだ。
自分たちを殺しに来ているSSOGと研究所には共感など一かけらもないが、内心の気持ち悪さをすべて呑み込み言葉を紡ぐ。
「ボクも自分のカードキーを持っている。
花子さんが研究所の上層と接触できたのなら、ボクも接触は可能なはずだ。
ほんの一時間でいい。研究所に特殊部隊、そして村人。
全員まじえて、話をするのも悪くないんじゃないかな?」
スヴィアの考えた、できる限りの足止めだ。
これで会議に持ち込めれば御の字。時間稼ぎとしては最大級の成果。
隊員の壊滅を上回る、世界滅亡という衝撃的な事実で疲弊させた心につけこむ悪辣なやり方だ。
研究所の上層と接触し、女王の仮説について尋ねてみたいという私欲があることも否定はしないが。
実際のところ、このVHと『Z』は、関連性こそあるものの、本来まったくの別物だ。
『Z』のために作戦を変更する必要はない。
故に任務に忠実な兵士には効かない。
だが、将には効く。
天や真珠のような柔軟性を併せ持った隊員。
そして真理のような現金な隊員には絶対に通用すると踏んだ。
そして、天にとって、スヴィアの考えている段階よりもさらにもう一段階、選択肢が降りかかっていた。
それは、時刻。
時間はもうじき18時にさしかかる。
それは、司令部と研究所副所長の間でおこなわれる定例会議の開催時刻。
ここに至って、軍用回線がついに回復した。
今や村内に展開した特殊部隊は天だけだが、これで司令部とリアルタイムで通信をおこなうことができるのだ。
これまでに得た情報。
レポートで概要を把握した『Z計画』。
ハヤブサⅢと研究所との密談。
そして解決策が見つかったというVH。
矢継ぎ早に進化していく異能。
そして、天の推測ではあるが……スヴィアは女王感染者についても何か情報を握っているのではないか。
彼女と研究所を接触させることで、さらなる有用な情報を引き出せる可能性すらある。
スヴィアを他勢力と接触させるか否か。
それは定例会議の前か後か、それとも『最中』か。
研究所はどこまで把握している? 司令部の方針は?
情報の津波が天に降りかかる。
何もかもが初見、何もかもが専門外。
それでいて、祖国の未来を決定づけるかもしれない重大な情報がいくつも混ざる。
刻一刻と時間が迫ってくる中、天に再び決断が委ねられる。
さあ、選択の時間だ。
【E-1/草原・地下研究所緊急脱出口前/一日目・夕方】
【
スヴィア・リーデンベルグ】
[状態]:重症(処置中)、背中に切り傷(処置済み)、右肩に銃痕による貫通傷(処置済み)、眩暈、日野珠に対する安堵(大)及び違和感(中)
[道具]:研究所IDパス(L1)、[HE-028]のレポート
[方針]
基本.VHを何としても止めたい。
1.特殊部隊ないし研究所との交渉による事態収拾策を考える。
2.特殊部隊相手に時間を稼ぎ、犠牲者を減らす
3.『Z計画』や女王について知る
4.上月くん達のことが心配だが、こうなれば一刻も早く騒動を収束させるしかない……
5.……日野くん。君は……
[備考]
※黒幕についての発言は真実であるとは限りません
※日野珠が女王であることを知りました。
※女王の異能が最終的に死者を蘇らせるものと推測しています。真実であるとは限りません。
※『Z計画』の内容を把握しました。死者蘇生の力を使わなければ計画は実行不能と考えています。
【
乃木平 天】
[状態]:疲労(大)、ダメージ(大)、精神疲労(大)
[道具]:拳銃(H&K SFP9)、サバイバルナイフ、ポケットピストル(種類不明)、着火機具、研究所IDパス(L3)、謎のカードキー、村民名簿入り白ロム、ほかにもあるかも?、大田原の爆破スイッチ、長谷川真琴の論文×2、ハヤブサⅢの通信機(不通)
[方針]
基本.仕事自体は真面目に。ただ必要ないゾンビの始末はできる範囲で避ける。
1.VHを最適解で終わらせる道筋を考える
2.大田原を従えて任務を遂行する
3.犠牲者たちの名は忘れない。
[備考]
※ゾンビが強い音に反応することを認識しています。
※診療所や各商店、浅野雑貨店から何か持ち出したかもしれません。
※ポケットピストルの種類は後続の書き手にお任せします
※村民名簿には午前までの生死と、カメラ経由で判断可能な異能が記載されています。
最終更新:2024年05月07日 22:07