事件の発生から約18時間。
時刻は昼と夜の境、逢魔が時という名の魔に逢う時に差し掛かろうとしていた。
山折村から僅かに離れた山林地帯。
そこに迷彩色の簡易テントから成る臨時作戦指令室が設置されている。
そのテントの中では、防護服を着た小柄な隊員が臨時司令官の
真田・H・宗太郎に報告を行っていた。
隊長である奥津が東京へ向かったため、現場の指揮は副官である真田に一任されていた。
「ケンキュウジョからのエイゾウデータをカクニンしました」
少し訛った日本語で報告を行っているのは新人隊員である
オオサキ=ヴァン=ユンである。
ベトナムの紛争地で育ち、戦場での実践経験も持つ元少年兵という異色の経歴の持ち主だ。
彼が行っているのは研究所から提供された監視映像についての報告であった。
事後処理以上の協力関係を結ぶ証としてSSOGはドローンで撮影した未編集の映像を提供し、それに対する見返りとして研究所側も山折村の地下研究所内の監視映像を提供してきた。
SSOGの張った情報規制の網を掻い潜り、こんな映像を保持していたとは、やはり一筋縄ではいかない相手である。
監視映像について、まず確認されたのは事件の発生についてだ。
現地の天から報告が上がっている人為的な破壊工作の疑いに関して。
映像にその破壊行為の瞬間が映っていれば、その裏が取れるのだが。
「ジシンのゼンゴに3カイのカンシカメラのホトンどがハカイされていていたので、テロをシカけたってレンチュウのスガタはカクニンできなかったっすね」
細菌保管室のある3階の監視カメラは破壊されており、その瞬間の映像は生憎残されていなかった。
その報告を受けた真田は一つ頷き、考えを巡らせる。
「なるほど。つまり逆に言えばその時間に監視カメラを壊す必要のある人間がいたという事ですね」
単純に地震の影響で壊れたという可能性もあるだろう。
だが、都合よく地下3階のカメラだけが連続して壊れるなんて偶然は考えにくい。
事件が人為的に引き起こされたという天の報告ともタイミングは一致する。
確証までは取れずとも信憑性は高まったと言える。
「オオサキくん。一つ尋ねてもいいですか?」
「なんっすか?」
真田が報告を終えテントから出ようとするオオサキを呼び止める。
「雑談程度に聞いてほしいのですが。君の目から見て、村の状況についてどう見えますか?」
真田がそう尋ねた。
幼少の頃から紛争地で生き延びたオオサキは危機に対する嗅覚が隊内でも飛びぬけている。
そんな彼から見て、今の戦況はどう映るのか。
「そうっすね。ニンムでもあのムラにはチカづきたくないってのがショウジキなとこっす。
あそこはシのニオイがプンプンしている。そのゲンインがひとつやふたつじゃない。
このあたりはイマのトコロはダイジョウブっすけど、そろそろアヤういキもするっすね」
紛争時育ちのオオサキをして、任務でも近づきたくないと言わしめる危険地帯。
元より地獄のような有様であったが、村の不穏さが加速しているのは明らかだ。
精鋭であるSSOG隊員の相次ぐ脱落
SSOG最強の大田原源一郎の敗北と暴走。
山折圭介の変質と異能を超える何かへの覚醒。
そして村に出現した怪奇現象としか思えない少女の影。
ここから先、何が起きるのかはもはや誰にも予測できないだろう。
現場からいくらか離れたここも安全であるとは断言できない。
「そうか……ありがとう参考になった。
念のため仮設司令部の場所を移す準備をしておくよう皆に伝えてください」
「Vâng」
一考の後、真田は最悪の事態に備えてそう指示を出した。
慎重な性格の真田に指揮権が移ったのは幸運だったのかもしれない。
指示を受けたオオサキがテントから出て行った。
「指令代理ぃ。急ぎで報告が一つあるんですが」
オオサキと入れ替わりに特殊部隊員らしからぬ軽い調子の男が仮設テントに入ってきた。
現れたのは、仮面の下に笑顔を張り付かせた剽軽者、蘭木境である。
「どうしました?」
「先ほど回収したドローンを解析した所、乃木平くんから黒木さんの任務を引き継ぎ達成したとの報告がありました」
黒木真珠に課した特殊任務の達成。
蘭木からもたらされたのは司令部が待ち望んだ報告である。
それの意味する所は一つ、軍用通信の解除だ。
「了解しました。報告ありがとうございます。
この件は私から隊長に報告しますので、通信制限の解除準備をしておくよう工作班に伝令をお願いします」
「了解で~す」
軽い調子で受け答え、テントから蘭木が退室する。
これで現地との情報共有もリアルタイムで行えるようになった。
まともに通信可能な隊員が乃木平しかいない状況だが、確実に状況は変わるだろう。
巻き起こる村の異変に合わせるように、特殊部隊の状況も動いた。
時は逢魔が時を超え、2度目の宵闇が村を包み始める。
事態が終わりに向かって動こうとしていた。
■
厳つい足音が大学病院の廊下に響いていた。
白い廊下に靴音を響かせるのは軍服姿の男である。
自衛隊の暗部を担う公には存在しない部隊、秘密特殊部隊(SSOG)の隊長を務める男、奥津一真だ。
岐阜からヘリで東京へとんぼ返りした奥津は、地震対策に追われる幕僚監部に直接乗り込んでいった。
そこで『Z計画』について問い正し、回答を渋る上官を締め上げ、机を叩き割るなどの交渉の結果、半ば強引に情報を吐き出させた。
今は一線を退き、立場に据えられた事で相応に落ち着いているが、現役時代は命令無視の独断専行も厭わない手の付けられない『ヤンチャ者』として知られていた。
空挺部隊所属のエリートであったにもかかわらず、裏の部隊に流れ着いたのはその気質が所以だろう。
彼自身、部隊を仕切る立場になって厄介な隊員を抱えた上官の苦労を偲べるようにもなったが、根本は変わっていないようだ。
もちろん暴力で脅されて機密を話すような立場の人間でもない。
何らかの根回しがあったのは確実だろう。
その心当たりと言えば一つだ。
そうして一息つく間もなくおっとり刀で訪れていたのが2度目の来訪となるこの大学病院だ。
未来人類発展研究所の研究者たちと対面したあの時と同じ場所だが、状況はあの時とまるで変わっていた。
地形を頭に叩き込むのは特殊部隊の基本技能である。
奥津は勝手知ったる院内を迷うことなく進んで行き、応接室へと辿りつく。
扉をノックすると「どうぞ」と言う、聞き覚えのない元気のよい男の声が返った。
扉を開くと昨夜と同じく、ソファーに座る研究者然とした老人と研究者らしからぬ美女が奥津を出迎えた。
だが、あの時とは違う、初めて見る顔が一つそこにあった。
初めてと言っても、直接面識を持つのはこれが初めてと言うだけで、当然奥津も資料で確認した顔である。
「やぁやぁ、ようこそ。初めまして」
奥津の入室に気づくと上座に座っていた男がソファーから勢いよく立ち上がった。
立ち上がったのは自衛官である奥津にも負けぬ大柄な体格の若い男だった。
年若い男は大げさに両手を開いて、奥津の下まで近づくと、握手を求めるように大きな手を差し出した。
「私が『未来人類発展研究所』所長の
終里 元(おわり はじめ)だ」
所長を名乗っているが、外見からして30代、下手をすれば20代後半に見える。若々しく生気に満ち溢れた外見をしていた。
胸板は分厚く、肌は日に焼けたように浅黒い。申し訳程度に白衣を着ているが研究者と言うよりスポーツマンのような印象を受ける。
そして何より目につくのは、燃えるように輝く黄金の瞳。
「初にお目にかかります。奥津3等陸尉です」
奥津も名乗りを返し、差し出された手を握り返す。
鍛え上げられた強い手がガッチリと繋がれた。
掌から圧と熱が伝わる。
達人ともなれば握手をするだけで相手の力量がある程度は分かると言う。
奥津もまた、軍人としてその域にある人間である。
机仕事ばかりの研究者(インテリ)とは程遠い、印象としては大田原や吉田に近い豪傑だ。
「研究者には見えない、かな?」
値踏みするような視線に気づいたのか。
終里は不敵な笑みを浮かべ、握手の手に力を籠めた。
「――――よく言われる。実際、研究云々は門外漢でね。研究に関しては百乃介に丸投げしている」
にこやかに笑いながら万力が如き握力で握る手を締め付ける。
常人であれば苦痛に顔を歪める所だろう。
だが、奥津はまるで怯む様子を見せずこれを真正面から受け止めた。
奥津はSSOGの隊長として様々な相手をしてきた海千山千の強者だ。
この手の曲者には慣れている。握力で威圧してくる手合いなど、幾らでもあしらってきた。
ビクともしない奥津の様子に、終里は満足そうに笑って手を離した。
「いや、失礼をした。流石に現役の自衛官には敵わんか」
そう言ってハハハと豪快に笑うと、先ほどまで力を籠めていた手首を振る。
奥のソファーでその様子を見ていた老人が呆れた様子でため息を零した。
「全く。元くんも所長と言う立場なンだからソロソロ落ち着いて欲しいモノだネ」
「言ってくれるな百乃介。性分はそう簡単に変わるものではない」
いくら所長と副所長という上下関係があるとはいえ、祖父と孫どころか曾孫くらいの年の差にもかかわらず対等の軽口を叩きあっていた。
随分と気やすい昵懇の仲のようだが、傍から見ると奇妙な関係に見える。
「随分とお二人は親しい間柄のようですが」
「ああ。百乃介とは80年近い付き合いになるのでな」
「…………80年」
軽く探りを入れてみると、ありえない数字が返ってきた。
だが、奥津はそれを冗談と笑い捨てることはできなかった。
それが冗談ではない可能性について、前回の会議で他ならぬ目の前の老人から聞いているのだから。
「ああ、お察しの通り私はマルタ実験の被験者だ」
奥津の疑念を察したのか、終里は胸に手を当て自ら正体を明かした。
やましい事などないと言わんばかりの堂々たる態度で。
「つまり、貴方がレポートにあった成功例、亜紀彦軍曹という事ですか?」
ヤマオリ・レポートの最後に記されていた名字の掠れた名前。
成功例だというのなら、必然的に=で結びつくはずだ。
だが、終里は不満そうに僅かに口を尖らせ、うーむと唸る。
「いいや、それは違う。何故なら私は『死者蘇生』実験の成功例ではなく、『不老不死』実験の成功例だからだ」
「不老不死……成功、していたのですか?」
ヤマオリ・レポートにも記述されていたのは『死者蘇生』実験の成功に関してだ。
確かに『不老不死』実験も行われていたようだが、そちらの成功に関しての記述はどこにもなったはずである。
そして、『不老不死』実験に関して言えば、前回の会議で少し出た話題のはずだ。
「『不老不死』実験……確か染木博士が担当してらしたと言うお話でしたね。テーマは『細菌による老化の抑制』」
「アア。ソウだヨ。ヨク覚えていたネェ」
自分の成果を覚えていたことが単純に喜ばしかったのか。
優秀な生徒を褒めたたえる教師のように老人はニヤリと口元に笑みを浮かべる。
「確かニ、山折村でのマルタ実験は大半が志半ばで打ち切られタ。終戦で軍部主導の研究所自体が立ち消えてしまったからネ。
ダガ、半端に終わった実験や研究を引き継ぎたいという声もそれなりにあったのサ」
「つまりは軍部の実験ではなく、研究は民間に引き継がれた、と?」
この問いに染木は頷く。
つまり、民間に引き継いで研究を完成させたという事だろうか。
とはいえ、国家主導の実験からは予算的にも権限的にも規模は確実に縮小するはずだ。
潤沢な状態で成功できなかった実験を、そこから成功させられるとは思えないが。
「設備は軍部の研究所とは比べるべくもなかったガ。協力者がいたからネ」
「協力者? 誰なのです?」
設備や資金の不利を覆す協力者。
そのような都合のいい存在がどこから湧いて出てきたというのか。
その答を、終里が告げる。
「『死者蘇生』実験の成功例、烏宿亜紀彦軍曹。正確に言えば―――――アルシェルと言う名の異世界の魔王だ」
死者蘇生にとどまらず、異世界の魔王。
余りにもファンタジーな答えに奥津が怪訝そうに眉を顰めた。
「…………烏宿? いや、それよりも異世界の魔王とは?」
「『死者蘇生』班の連中が行ってイタ実験の中には、降霊術のようなモノも含まれていてネ」
それ自体は真田からの報告で聞いている。
あの村の実験は魔術や降霊と言った非科学(オカルト)に傾倒していたという話だったか。
「『死者蘇生』班の連中は戦死した兵士の死者にアノ村に伝わる『土着の神』を降ろすつもりダッタ、らしいのだがネ」
「だが…………?」
「実際に降りてきた中身は別物だったのサ。
如何ヤラ、第二棟で行ってイタ『異世界』研究の影響もあったようでネ、軍曹の死体に降りてキタのは神ではなく異世界の魔王ナル者だっタのサ」
とても現実の話とは思えない、荒唐無稽な言葉が次々と並んで行く。
その全てを飲み込む覚悟が必要だろう。
「では、『不老不死』研究にその魔王――アルシェルでしたか?――の協力を得た、と?」
「アア。コチラの世界での戸籍と身分、あとは当面の住処を用意する事を条件にネ。
カレは確かに我々にとって未知の力を扱う強力な力を持った存在であったケド、コチラの世界については無知でもあっタ。カレとしても我々の提案は渡りに船だったと思うヨ」
此方の世界での生活を引き換えにした魔王の協力。
そうして成功したのが――――。
「―――『不老不死』実験」
「ソウサ。ワタシの細菌学と烏宿くんの魔法の力。ドチラが欠けても実現不可能な成果だっただろうネ」
「つまり、私の体は半分以上が魔と菌で出来ている。魔法と科学の産物という訳だ」
何が愉快なのか。
魔法と科学によって生まれた不死の成功例は喉を鳴らして笑う。
「しかし、魔法ですか…………」
余りにも非科学的すぎる魔法と言う力に奥津が呟く。
懐疑的な様子に、研究者が科学を説いた。
「言っただろう。魔法であろうト呪いやオカルトであろうト同一条件において確実な「再現性」があるのナラそれは「科学」だと言えルとネ。
原理が解明されていないだけサ。宇宙なんかと同じダネ」
前回の会議でも聞いた言葉だ。確実な再現性があるのなら非科学であろうと利用するのが「科学」である。
研究者とって「魔法」はまだ法則が分かっていないだけの現象に過ぎない。
「ソレに、キミもあの村で見ているダロウ? ――――異能の力を」
山折村で跋扈する常識を超越した超常の力。
確かに、あのような超常現象は魔法でもなければ説明がつかない。
「異能は魔法による産物という事ですか?」
「ソウだネ。より正確に言うナラ、[HEウイルス]自体が元くんの体細胞を元に精製したモノだ」
「なんと…………」
菌と魔法で出来た不老不死。
そこから生まれたのが[HEウイルス]もまた科学と魔法の産物である。
それこそが山折村を襲ったモノの正体だ。
「少し長くなってしまったか。自己紹介はこの辺にしておこうか」
[HEウイルス]も含めた自己であると、ウイルスの大本となった菌と魔法の怪物は言う。
出会い頭の挨拶にしては随分とパンチの効いた話題だったが、終里は上座のソファーに戻ってゆく。
それに従い、奥津も下座のソファー横まで移動する。
「そろそろ本題に入りましょうか、立ち話もなんですし奥津殿も、どうぞお掛け下さい」
有無を言わせぬ圧で促され奥津も素直に席に着く。
こうして、三度目となる定例会議が改めて開始されようとしていた。
「スマないネ。会議を始める前に一つ謝っておくことがアル」
始まってすぐ、染木が染みの広がる額を掻きながら歩く奥津に頭を下げた。
「なんでしょう?」
「前回の会議でこちらで烏宿くんを事情聴取してオクという話になっていたが、失敗しタ」
「失敗、ですか?」
失敗とはどういうことか?
不穏を感じ取った容疑者に逃亡でもされたのかと思ったが、その先を長谷川が引き継ぐ。
「先ほど、研究室で烏宿副部長の死亡が確認されました」
「……死亡した? それは地震の影響か何かで?」
容疑者の死亡。穏やかではない話だ。
昨晩の地震は中部地方を震源としているが、東京にもそれなりの被害はあった。
それによる事故も可能性としてはありうるだろう。
だが、事情聴取をしようと言う容疑者がピンポイントに死亡したのだ。
何らかの意図を感じてしまうのは無駄な勘繰りではないだろう。
この図ったようなタイミングを考えれば別の可能性も浮かび上がってくる。
「まさか、他殺でしょうか?」
「うーン。他殺と言えば他殺ナンだけド、ちょっと違うかナァ」
何らかの口封じである可能性を危惧したが、煮え切らない染木の反応からして別の事情がありそうである。
何故地獄と化した山折村ではなく、この東京の研究所で人が死ぬような事態が起きたというのか。
「それに、死亡した烏宿暁彦と言うのは、その……」
確証がないためか、奥津が口を濁す。
だが、先ほどの話で判明したレポート内では掠れて読めなかった成功例の名。烏宿亜紀彦。
同音異字の名前だけなら単なる偶然で片づけられるが、苗字まで一致したとなると偶然では片づけづらいものがある。
「アア。『死者蘇生』実験の被験体(マルタ)だヨ」
隠すでもなくあっさりと認める。
死亡していた烏宿暁彦こそが、『死者蘇生』実験の成功例であると。
「ならば、魔王が死亡していたという事ですか?」
これまでの話をつなげるとそうなる。
だが、話を聞く限りではそう簡単に死ぬような存在には思えないが。
その疑問を否定するように染木老人が首を横に振った。
「イイや、死亡したのは烏宿暁彦くんだヨ」
「? どう言う事でしょう?」
奥津が僅かに首をかしげる。
烏宿暁彦と異世界の魔王はイコールであるはずだ。
烏宿暁彦が死亡したにも関わらず魔王が死亡していないとはどういう事なのか。
「言っただろウ? 『死者蘇生』実験で行われていたのは降霊だったト。
魔王の正体は、死体に取り憑いた幽霊のヨウな精神体でネ。
外身(にくたい)が死んでいたからと言って、中身(せいしん)が死んだとは限らないのサ」
異世界の魔王について染木が説明を行う。
死んでいたのは器となった烏宿暁彦の肉体であり、中身の生死はまた別の話であるという事らしい。
それは奥津にも理解できた。
ならば、必然的に一つの疑問が生まれる。
「――――では、魔王(なかみ)はどこに?」
その中身――魔王と言う飛びっきりの厄ネタはどこに行ったのか?
すぐにその答えは研究者の口から帰ってきた。
「山折村さ」
「山折村!?」
聞き違えるはずもない。
つい数時間前まで奥津がいた村の名だ。
全ての中心にある、現在も作戦行動が続けられている今回の事件現場。
「キミらから送られてきタ村の映像を確認した所。
アルシェルは山折村に居ル山折圭介に乗り移ったようだネ」
「……確かに、こちらでも山折圭介の異様な変質については確認しております。それが魔王の影響だと?」
老人は頷きを返す。
村で起きた出来事に関しては現地の真田から随時報告は送られている。
その報告から山折圭介に異変が起きたことは確認していた。
だが、テキストでの報告であるためそれがどのようなものなのか、現場の熱までは伝わっていなかった。
消えた魔王が渦中の山折村に出現した。
これは偶然ではないだろう。何らかの必然がある。
まるで全ての因果が山折村に集結しているよう。
ならばそれは、誰の用意した何の必然だ?
「魔王とはずっと協力関係を続けていたのですか?」
「イヤ。ナンでも探し物―イヤ探し人だったカナ?――がアルらしくてネ。『不老不死』研究の完了後に袂を分かったヨ。
ドウいう訳カ、山折村に固執してイタようだからネ、ワザワザ軍医中将殿の伝手を頼っテ山折村の住民としての戸籍を用意して頂いたガ、ソノ後に烏宿くんがドウシタのかはまでは知らないネ」
「では、何故この研究所の研究員に?」
烏宿暁彦は研究所本部の副部長として登録されている。
袂を分かったというのなら何故そんなことになっているのか。
「4年ほど前に向こうからコチラに接触があってネ。研究所に所属したいとの申し出があったのサ」
「向こうから? 魔王はどこで研究所の存在を?」
長らく没交渉であったにもかかわらず向こうから接触してきたという事は、研究所の動向を把握していたという事だ。
どのような方法で研究所の動きを探ったのか。
「恐らく、山折村に支部を作る動きを察したのだろうな」
山折支部が設立したのは4年前。
山折村で暮らしていた魔王が支部作成の動きを捉えて接触してきたと考えれば、タイミングも一致する。
「それで、採用したのですか? 魔王を?」
「アア。『不老不死』実験の協力をして貰った時に基本的な知識は学んでいたようだからネ。
能力的に問題なしとして職員として採用したヨ。主任待遇でネ」
「…………問題あるでしょう」
そんな理由で魔王を採用したというのなら無謀が過ぎる。
内側に爆弾を抱える様なものだ。
「もちろん、奴に何か良からぬ企みをしているのだろうと言う事くらいは理解していたさ。
だが、相手が相手だ、断りきれるようなものでもない」
気まぐれ一つで人の命など消し飛ばせる存在だ。
下手に刺激するよりは、内側に取り込み利用する方がいいと考えたのか。
「なるほど。魔王がこの研究所に所属していた経緯は理解できました。
それに容疑者が死亡した、いや本当の容疑者は逃亡して山折村にいる、でしたか? そちらの事情も把握しました。
ともかく聴取はできなかったという事ですね?」
魔王どうこうという前置きはともかく、結論としては事情聴取はできなかったという話である。
出来ればここで裏を取っておきたがったがそうもいかないようだ。
「ソウだネ。だがマァ。事情を聞くまでもなく犯人は烏宿くんだろうけどネェ」
だが、何か確信めいた口調で老人は呟いた。
「何か確証でも?」
奥津の知らない証拠でも持っているのか。
そう尋ねた奥津に、所長と副所長は互いにやれやれと言った風に呆れ笑顔を浮かべながら首を振った。
「いいや。証拠はないさ。だが、奴はそういう奴だ。と言うよりそういう存在(もの)だ」
「それは、どういう意味でしょう?」
「ともかく、事件を起こした黒幕がアルシェルであると考えていいという事だ。証拠は後から付いてくるさ」
「マァ。コチラからは以上ダヨ」
いまいち要領を得ない妙な言い回しだ。
だが、所長も副所長も話は終わりだと言わんばかりに話を打ち切る。
これ以上説明するつもりはなさそうだ。
こうなっては追及したところで仕方がなかろう。
研究所から報告は終わり、続いて特殊部隊側からの報告へと移る。
「では続いて此方からの報告をします」
定例となった死亡者の報告が行われる。
前回までの報告者であった真田はこの場にいないため、現地から送られてきたデータを奥津が読み上げる。
「まずは、現地で活動しているSSOG隊員についてですが。
これまで秘密裏に行動していた特殊部隊だったが、その存在が研究所側に明らかになった。
秘匿する理由もなくなったため彼らについて報告を行う。
「ナカナカに酷い状況のようだネ」
「返す言葉もありません」
精鋭である隊員も1名が死亡し、特殊任務を担った1名がゾンビ化したというのは隊長としては手痛い損失である。
まともに動ける隊員はもはや1名だけ。
精鋭部隊の名が泣くような散々たるありさまだ。
「ダガ、大田原クンとやらが適応できたというのは偶然にしてもオモシロいネェ。生還出来たなら是非体を調べさせてくれたまへヨ」
「は、はぁ…………」
奥津は言葉を濁しながら、仕切りなおすように一つ咳払いを入れる。
「続いて正常感染者について報告します。
以上9名の正常感染者の活動停止を確認しました。
報告は以上となります」
奥津が報告を負える。
その報告を聞き終えた所長が頬杖を突きながら深くため息をついた。
「……四郎が死んだか、出来の悪い息子だった」
「ご子息がいらっしゃったので?」
所長の子供が山折村にいた。
現地の隊員からも届いていない寝耳に水の情報である。
「ああ、与田四郎。私の44人目の子だ。ちなみに、そこの真琴も私の娘にあたる」
「長谷川博士も…………?」
これには奥津も流石に驚きを隠せなかった。
子沢山などと言う次元ではない子の数もそうだが、目の前で座る研究員までもが実子であるとは想定すらしていないところから殴られた気分である。
だが奥津の驚きに反して、話題の矛先を向けられた当事者である長谷川は無表情のまま、指先で眼鏡を上げる。
「遺伝子上はそうであることは否定しません。ですが私の両親は長谷川の父と母ですので」
「ふっ。嫌われたものだ」
終里は反抗期の娘に手こずる父のように大げさに肩をすくめる。
長谷川はそんな終里の様子を無視するようにカップを取ってコーヒーを啜った。
そんな2人の様子を怪訝そうに見つめる奥津に弁明するように終里はクツクツと笑う。
「そんな目で見てくれるな、英雄色を好むと言う訳ではないさ。まあ色を好むのは否定せんがね」
娘の視線が冷たくなったのを感じ「おっと」と気を取りなおす。
「子と言っても大半は人工授精の代理母と言う奴だ。生まれた子はその価値のわかる協力者――主に研究者だな――の下に養子として送り出した。
何分少し特殊な体なモノでね。元は生殖能力が残っているか実験的な意味合いが強かったのだが、少し別の意味合いも出てきてな」
つまりは長谷川の言葉通り、遺伝子上の繋がりはあるが、親子の絆といったモノはなさそうである。
親としての義務を果たしていないのだから、長谷川の冷たい態度も頷ける。
「失礼ながらお尋ねしたい。何故、そこまで子を増やす必要が?」
女好きの色狂いと言うのならまだわかる。
だが、人工授精まで使っているという事は何か子を増やす明確な目的があるはずだ。
この疑問には当事者ではなく、隣の老人が回答する。
「元くんの遺伝子を持つ人間は、ソノ特性を受け継ぐのだヨ」
「特性と言いますと、それは」
「―――――菌と魔法だ」
菌と魔法で出来た不老不死の成功例。
そこから生まれるのは魔法と言うこの世界にない法則を操る、新人類ともいえる存在である。
つまり彼らは、それを秘密裏に増やしていたと言うことだ。
「受け継ぐと言っても、子に受け継がれたのはアルシェルは愚か私にすら遠く及ばぬ微々たるものだ。
子を増やしたのも魔法という新たな法則解明のため検証と実験に役立てば、と言う程度の物だったのだが……」
「だが、なんでしょう?」
意味深に言葉を切った終わりの先を促す。
食いついてきた奥津の言葉に終里は口端を吊り上げると楽し気に口を開いた。
「その風向きが変わったのは8年前だ。
『Z計画』が始動し、この研究を始めたことで思わぬ副産物が生まれた」
「副産物、ですか?」
「――――適正だ。
私の遺伝子を継ぐ子らは[HEウイルス]に対して100%の適合率を持ってることが判明した。
まぁ、両方とも私から生まれた兄弟のようなものなのだから、当然とも言えるがね」
山折村を彷徨うゾンビたちと違い、全員が正常感染者に成れる。
確かに、これはウイルスの開発を始めなければ判明しない特性だ。
「その特性を生かして、カナリヤ役を各支部に配置してある。四郎もその一人という訳だ。
何分、人材には困らぬほど子沢山なものでね」
そう冗談めかして笑う。
奥津は愛想笑いすら浮かべず厳しい表情のまま尋ねる。
「適性がある。それを、どうやって知ったのです?」
終里から生み出されたウイルスへの適正を終里の子が持つ。
それを推測はできるだろうが、確証を得られるものではない。
その結論に至るには必要な過程があるはずだ。
「マァ。ソレは見せた方が早いダロウ」
そう言って染木が向かいに座る長谷川に合図を出す。
その合図を受けた長谷川はため息を一つ零すと、口につけていたコーヒーカップから手を離した。
カップが中の液体をぶちまけながら重力に従い落下する。
だが、地面に叩きつけられるはずのカップがピタリと静止した。
空間ごと固定されたように液体ごと空中に止まっている。
原理不明の超常現象。
奥津はこの現象を知っている。
「異能…………!?」
弾かれるように奥津が立ち上がり、機敏な動きで距離を取る。
それは異能者への警戒と言う意味合いもあるが、それ以上にウイルス感染への警戒だ。
自身が感染した疑いもそうだが、この研究所は郊外とはいえ人口密集度が世界一の都市、東京の一角にある。
生物災害(バイオハザード)が発生すれば、被害は僻地である山折村の比ではない。
「安心したまえ。本来、[HEウイルス]に感染力はない」
言って。異能によって固定されたカップを終里が受け止めた。
そして、空間固定が解かれ落下を始めた液体を一滴残らずカップで掬い上げると机の上に戻す。
異能ではなく超人的技術による曲芸(パフォーマンス)であった。
「ムシロ。[HEウイルス]に感染力を付与するのが我々の役割でネ。ソコに関しては我々が改良を加えた後付けだヨ」
老研究者が説明を補足する。
元は人間の細胞から精製した細菌である、感染力など持ちえない。
奥津は席に戻りながら質問を返す。
「つまり、感染力のない段階のウイルスを、終里所長の子供たちに感染させたと?」
「アァ。初期の段階でネ」
子のウイルス適正100%と言う結論は、それにより得られた実験結果であり。
そういう意味でも彼らは安全確認のカナリヤ役だったという事だろう。
己の子を実験材料として差し出すことに躊躇いを見せていない。
「[HEウイルス]の感染力は後付けダ。ソノ感染力の強化と、正常に感染する条件の特定が今後の課題だネ。
ダガ、後者に関しては今回のVHのお陰でだいぶ適合サンプルが洗い出せタ。
山折支部がダメになって2年は研究が後退したガ、コノ解析結果で2年は前進したダロウ。マァ、現状は総じてトントンと言ったところだネ」
研究所は現在テロによる負債の回収の真っ最中であり、成果を回収するために村での騒ぎを引き伸ばしたかった。
48時間はそのための猶予である。
奥津もそう理解している。
「そう。その先を目指すなら、これ以上の成果が必要だ。来るべき『Zデー』の為に」
「…………『Zデー』」
終里の言葉を、ぽつりと奥津が反復する。
その先にある『Z』。奥津が現場から離れ、東京を訪れた理由だ。
互いの報告が終わり話題も本題に入ろうとしていた。
「サテ。本題に入る前に、マズ確認しておこうカ。『Z計画』についてキミはどの程度把握しているンだい?」
「大まかな概要程度は」
山折村から東京への移動、上官への恫喝、そこから大学病院までたどり着いてのこの定例会議だ。
この全てを6時間で行う強行軍であったため詳細を把握する時間がなかった。
東京に向かうヘリの中で真田から共有されたヤマオリ・レポートには目を通したが、『Z計画』に関してはまだ概要を聞いた程度である。
「そうカイ。では既に知っている情報も含まれているだろうが改めて説明しようカ」
「お手数ですが、お願いします」
そう言って奥津が頭を下げる。
老人はいいよいいよと軽い調子で手を振って、終わりの説明を始めた。
「端的に言うとだネ、人類は滅びる」
衝撃的な語り出しから始まった。
だが、そこに関して驚きはない。
流石にこの概要くらいは既に上官から聞き及んでいる。
「超新星爆発が起きたのサ。しかも距離にして5パーセクと言うかなりの近距離でネ。所謂、近地球超新星爆発という奴だネ」
「……失礼。5パーセクとはどの程度の距離の事でしょうか?」
「約16光年になります」
スケールの大きすぎる話だ。
16光年が近距離と言われてもピンとこない。
まさに天文学的数字というやつだろう。
「念のため確認しますが、それは事実なのですか?」
「サァ? 星見は門外漢なのでネ。確かなのはNASAやJAXAはそう言っていて、各国の首脳陣もそう信じてるってことサ。
だから我々もソノ前提で動いているという事だヨ」
事実であるかよりも、それを事実として世界は動いていることの方が重要である。
確かめようがない以上は正しいスタンスだろう。
「それで、近距離で超新星爆発が起きるとどうなります?」
なんとなく地球がヤバいくらいのイメージはできるが。
それ以上の具体的に何が起きるのかまでは知識がないとわかりようがない所だ。
「地球環境は激変するだろうネ。具体的な事に関しては長谷川くん、ヨロシク頼むヨ」
「はい。了解しました博士」
名を呼ばれた長谷川が、素直に詳細説明を引き継ぐ。
所長と違って副所長には悪感情はないようである。
「近地球超新星爆発が発生した場合、極めて強力なガンマ線バーストが地球に到達します。
このガンマ線は大気中のオゾン層を分解して破壊するため地表に有害な紫外線を通すことになり、紫外線の増加は生物に多大な悪影響を及ぼす可能性があります。
また、高エネルギーの放射線であるガンマ線自体も直接生物に被曝するリスクがあります。高線量の放射線被爆は細胞やDNAに損傷を与え、癌・白血病・不妊などの健康被害、被爆量によっては即死の危険もあります。
海洋プランクトンが放射線で死滅すれば、海洋生態系全体が崩壊し、水産資源が枯渇する恐れがあります。
大気中の窒素酸化物の増加により、降水量の変化や酸性雨の発生が予想されます。さらに、海水温・海水準の上昇も起こり得ます。その結果、農作物の被害、森林減少などの影響が考えられます。
また、大気中の電離により、地球が雲に覆われ、太陽光が遮られて氷河期に突入する可能性も指摘されています。
加えて、雷の発生頻度が上がるなど、天変地異による災害が多発し、人類に深刻な影響を及ぼすと考えられています」
近地球超新星爆発がもたらす影響についてレポートを読み上げるような冷静な口調で長谷川は淡々と説明した。
「ま。つまり地球環境は壊れ、人類の文明は完膚なきまでに破壊されるという事だ。
生存できるのはシェルターなどに避難した一部の人間だけで、10年後には全人類の99.98%が死亡しているとの予測だね」
長々とした長谷川の説明を、終里が要約する。
数多くの修羅場を乗り越えてきた奥津をして目の前が暗くなるような絶望的な未来だ。
だが。話はそこで終わりではない。むしろこれまでは前置き、ここからが本題だろう。
「だから、それを回避するための計画が立ち上がった。それが『Z計画』だ。
研究は世界各国で行われている。それぞれのアプローチでね」
「例えばそうだナァ、正攻法で言えば破壊されたオゾン層や海洋プランクトンの復元を研究している国もあるシ。
宇宙上に盾のようなモノを敷いて飛来するガンマ線バーストを軽減するなんて試みもあるネェ。
後は人類の生活領域を地下シェルターに移ソウとしている国や、別の星に移住するなんてのもあったかナァ。まあガンマ線バーストの影響内の星では意味がないだろうケド」
老研究者は楽しそうに語る。
その笑みは悪意によるものではなく純粋な研究意欲によるものだろう。
他国の研究内容を把握しているあたり、この研究所の情報網も侮れない。
「16光年離れタ超新星爆発の影響が地球に到達するのが爆発ヨリ16年後。
ソレが観測されたのが8年前だカラ、残り時間は約8年という事にナル。マァ多少の前後はするだろうけどネ」
8年。それが人類に残された制限時間だ。
その砂時計が落ちるまでに、人類は解決策を用意しなければならない。
「そして『Z』に対して我ら『未来人類発展研究所』の用意した計画(こたえ)が、[HEウイルス]による『地球再生化計画(リ・テラフォーミング)』だ」
言って、紙束の資料を差し出す。
全人類の脳を使って地球再生を成し遂げる。
これこそが[HEウイルス]の本来の目的。
異能は人間の脳を世界に拡張させる上で起きる副産物に過ぎない。
「ですが、このやり方では地球再生が行われるまでに人類が死滅するのでは?」
奥津が資料に目を通しながら、疑問点を問う。
人類を材料としている以上、人類が絶滅しては実行不可能な計画である。
「何も全員が即死する訳じゃない。環境の再生が完了するまで持てばいい」
「環境の復元まではどの程度の期間がかかると想定されていますか?」
「人類が最低限生存可能な領域まで復元すルのに80億で上手くいけば1週間。
だガ、そう上手くはいかないだろうネ。ある程度の死者も出るだろうし1か月程度はかかる見込みだヨ」
環境の激変した地球で1か月。
とても常人が生存できるとは思えない。
「その為に開発したのが、今君たちの使用している防護服ではあるのだがね」
極限環境に対応した防護服。
確かにあの防護服であれば、地球環境が激変しようがある程度は生存可能だろう。
「だが、数が足りないでしょう」
防護服を全人類80億に配備するのは現実的ではない。
生産も配備もどう考えても追いつかないだろう。
「それはそうだ。だが限られた人間であればどうだ?」
「限られた人間…………女王ですか?」
「女王? ああ。A感染者はそう呼んでるのだったか、名付け親は百乃介か」
防護服で女王だけを保護する。
そうだとしても世界の総人口約80億の中から800万である。
これも現実的とは言えない。
「イイや、山折村が特別小さなコミュニティでアッタというだけデ、女王は最大で10万程度のコミュニティを築ける見込みだヨ」
10万であれば女王は世界中に約8万。
数だけで言うならば用意できる可能性のある範囲にはなってきた。
だが、生産が追いついたところで問題はそれだけではない。
8万の防護服を仮に用意した所で、それをどう配備する?
何より、女王だけが生き残ってどうなる?
働き蜂がいなければ意味がない計画だというのに。
「先ほど、研究は世界各国で行われているとおっしゃられていましたが。他国との協力関係などはどうなっています?」
事は国内で収まる話ではない、惑星単位の話である。
防護服もそうだが、完成したウイルスの散布にしたって全世界的な協力は不可欠だ。
だが、世界の裏で汚れ仕事を請け負ってきた奥津は世界がそう簡単ではないことを知っている。
「まぁ。懸念は理解する。防護服に関しては我々としても苦肉のサブプランだ。
君らに国家間のパワーゲームについて説くのは釈迦に説法と言うものだろうが、お察しの通りうまくはいっていない」
世界の危機に仲良く世界が手を取り合うなんて夢物語はあり得ない。
だが、その夢物語を実現しなくては乗り越えられない危機であるのも事実である。
「各国は水面下で牽制しあっている。世界を救うという成果の奪い合いで協力なんてもっての他だ。
この研究所にも他国のスパイが紛れ込んでいるだろう。それらも煩わしくってね。
研究の邪魔になるそれらを排するため、君らにご協力願いたい」
前回の会議で老人の口から出てきたのと同じ口説き文句である。
国家間ではやはり足の引っ張り合いが行われているようだ。
それを解決するためにSSOGの力を借りたい。
「足の引っ張り合いをヤメて手を取り合うニは、ワタシの予測ではあと3年はかかるだろうネぇ」
3年とだけ聞けば短いように思えるが、世界のタイムリミットまで8年と言う中の3年だ。
しかも計画自体は8年前から始まっているのだから、16年の内11年掛かってようやくという事になる。
そこから手を取り合ったところで間に合うという保証はない。
ほとんど首の締まりきる直前に至るまで、手を取り合えないと言うのは。
「なんとも、馬鹿らしいとは思わないかい?」
「はあ…………」
終里に問われるが、奥津は言葉を濁す。
奥津の立場では意見し辛い話である。
終里は構わず話を続けた。
「世界を救わんとする行為が、権力者の手柄奪い合いによって邪魔されるなどあってはならない。
我々はこの現状を変えたいんだよ、奥津くん」
距離感を詰めてきた。
ここからが本題だろうと奥津は察する。
「変えるとは、どうやって?」
「当然の事だが、情報の隠匿も妨害工作も、その判断は下しているのは世界各国の指導者や権力者たちだ。
ならば、その判断を変えるには、より力を持った相手に働きかければいい」
言うは易しだが、そのような存在がどこにいるというのか。
三百人委員会のような世界を裏で操る組織の存在など都市伝説だ。
誰かに働きかけるだけで世界を動かせるような存在など、この世に存在するはずもない。
権力者を動かせる者がいるとするならば、それは……。
「…………まさか」
奥津が何かに気づいたように目を見開いて口元に手をやった。
研究所の真意。これからやろうとしている事。
その全てを解決できる一つの答えに行き当たったのだ。
「――――――公表しようと言うのですか? この事実を」
秘匿された真実の公表。
世界が滅ぶと、この村の悲劇をきっかけに世界に喧伝するのだ。
つまり、働きかけるのは権力者を上回る大衆という名の民意だ。
「オヤオヤ。メッタな事を言うものジャないヨ」
「そうだな。秘匿された情報を公開するなど世界に混乱をもたらす所業ではないか」
二人が冗談でも笑い飛ばすように仲良く声を揃えて笑う。
顔に笑顔を張り付ける二人を奥津は無言のまま睨み付けるように見つめる。
終里が大きく広げた手をパンと鳴らし、空気を換えた。
「だが――――――事故ならば仕方がない」
笑い声が止まり静寂が応接室を包む。
話が見えてきた。
ここまで事情を事細かに奥津に明かしてきたのかも、全てはこのため。
「しかし、事が明るみになれば、取り潰しということにも成りかねないのでは?」
「ならないね」
奥津の懸念を終里は迷いなく即座に断ずる。
「世界の滅びを前にして、世界の救済を誰が止めるというのだ?
何より、我々は哀れなテロの被害者だ。そうだろう?」
眼前で指を組み、被害者とは思えぬ堂々とした態度で研究所の長は告げる。
奥津も、彼らの言う他国からのスパイや干渉を何とかしたいという意味合いを取り違えていた。
研究所は警備や防衛戦力としてSSOGを求めているのではない、
研究所が求めているのはもっと根本的な解決だ。
「……なるほど。我々を取り込もうというのはそのためか」
「流石だな。理解が早くて助かるよ」
感心したように終里が特殊部隊を率いる隊長を称える。
研究所に対して諜報活動や妨害工作が行われているのは、言うなれば研究を行っている事が誰にも知られていない秘匿された物だからだ。
ならば、それを表に出してしまえばいい。
研究を公然の事実としてしまえば水面下の妨害工作などできなくなる。
なにせ世界を救う研究だ。表立ってそんな事をすれば世界の敵だ。
それどころか、世論に後押しされ国の枠を超えた協力も出来るようになるかもしれない。
「そのために我々に情報の漏洩を見逃せという事ですね」
世界を救う計画と魔王の悪意によって山折村で発生したバイオハザード。
この未曽有の事件は、全てをなかったことにされる宿命だ。他ならぬSSOGの手によって。
だが、その掃除役がグルになって目溢しすれば話は別だ。
確かにこれは記録の残る通信上では話せない話題だろう。
つまり、これは報告会などではなく、談合の場。
世界中が手を取り合い世界救済を行うための。
「我々の介入を嫌った理由もそう言う事ですか」
事件発生直後に行われたSSOGと研究所との初になる会合。
あの時、研究所はSSOGに事後処理のみを任せ、渦中の村に関しては介入を不要とした。
この判断は当時から疑問だったが、研究所が『Z計画』の情報流出を狙っていたとするならば、その理由も見えてくる。
この計画には、事件を喧伝する『語り部』の存在と、『掃除役』であるSSOGの協力は必須だ。
生き残りである『語り部』から特殊部隊の連中が研究所と手を組んで殺しまわっていたなどと言う悪評が広まってはまずい。
世論を味方につけるのならば研究所は卑劣なテロリストによって加害された被害者でなければならない。
「計画が始まった時点でキミらの介入は避けられなかっタ。研究所を立ち上げた時点で交わされた国との契約があったからネ。
カと言って、あのタイミングで目溢しを求めたところでキミらは聞き入れなかったダロウ?」
それはその通りだ。
今であれば従うという訳ではないが、交渉材料もない状態では聞く耳すら持たなかっただろう。
研究所はSSOGの雇い主ではない。
事後処理を行うという契約の下、動かされている実行部隊に過ぎない。
故に、彼らは研究所の意向を無視して己が任務達成の最善である選択肢を選び、現場に隊員を派遣したのだ。
「それに何より、世論を動かすには事後直後に解決されては少々弱い。
より煮詰まった――――地獄でなかれば大衆の心を動かせない。この悲劇は無駄にはならんさ」
SSGOの介入を避け、早期解決を目指さなかった理由はこんなところだ。
山折村の悲劇は世界が手を取り合うために必要な犠牲である。
真に世界を救うための贄として捧げられた。
「マァ、キミらの介入も、シナリオはマダ修正可能な範囲サ。キミらの協力があればネ」
「多少の泥を被ってもらう事にはなるだろうが、気にすることはない。
責任はすべてアレに押し付けてしまえばいい。そのための魔王(かがいしゃ)だ。
アレを秘匿してきた上の連中も文句は言えまい。なにより古今東西の物語において魔王とはそう言うモノだろう?」
戦争開始の最初の一発を敵に撃たせるようなものだ。
その役割を担う者こそが、魔王。
諸悪の根源として全ての悪を押し付けられる者。
「もっとも、烏宿副部長が諸悪の根源であるのは事実のようですが」
メガネを上げながらこの場における紅一点が冷静な声で言う。
押し付けるも何も、彼がこの事態を引き起こしたのは紛れもない事実である。
「つまり、あなた方はそれを知りながら放置していたという事か」
そうすると知りながら、都合がいいから放置していた。
むしろ、こうなることを期待した節がある。
「誤解があるようだから言っておくが、我々もアルシェルが裏でやっていることに関しては把握していなかった。
出来るはずもない。なにせ相手は超常の魔王なのだから」
「ソウだネ。烏宿くんの仕業だと気づいタのは前回の定例会議でキミら名が出た時の話だヨ。
人間如きにドウコウできる相手ではないサ」
人の域を超えた力を持つ魔王。
制御不能の超越者である。
それは事実なのだろう。
「直接的に制御できずとも、与える情報を調整すれば間接的にその方向性を操作することは可能でしょう」
だが、だからと言って、何もできないわけではない。
奥津は数多の作戦行動において指揮を預かる特殊部隊の隊長である。
戦術、謀略はお手の物。文官が軍官を謀ろうなどそれこそ100年早い。
「ま、否定しない。魔法は万能ではない。特に機械類との相性が悪くてね。
だからと言ってアルシェルが機械音痴なんてベタな属性だった訳ではないが、コンピュータの扱いはまあ一般的な研究者と言った程度さ。
これがどういう意味か分かるかね?」
「魔王はネットワーク上の機密情報にはアクセスはできない」
即座に帰ってきた望む答えに然りと頷く。
「そうだ。奴が閲覧できるのは正当にアクセスできる情報に限られる。
まあ人を使って間接的には可能だろうが、その手のやり方は奴の矜持が許すまい」
所長という立場を使えば与える情報の取捨択一が可能だ。
相手の人格を理解して、与える情報を制御すれば、必然的に行動もある程度は制御ができる。
「だから『Z計画』の情報を与えるために昇進させたのですか?」
「流石にそうはいかんさ。アルシェルに悟られるような露骨なことはできん。昇進に足る実績が必要だった」
この計画はあくまで魔王自身の意志で行われなければならない。
誘導に気づけば、魔王はその意図に従う事はなくなるだろう。
スヴィア・リーデンベルグ。
『未来人類発展研究所』の元研究員にして山折村に居る正常感染者の一人だ。
「そうだ。アルシェル自身も上位の権限を欲していたようでね。
当時もっとも実績を上げていた部下である彼女を研究所から追放するよう画策したのさ、功績を奪うためにね。
我々もその意図に従い彼女を解雇した」
魔王も上位の権限を欲していた、研究所も彼を昇進させたかった。
互いの利害が一致した。スヴィア一人を犠牲にすることで。
「かくして、スヴィアくんの成果は班長である彼の功績となり。私もそれを理解した上で昇進させた。そういった人事は私の仕事なのでね」
「ソウいう人事は私にも知らせて欲しかったネェ」
「告知はしたぞ。お前は研究以外にも興味を持つべきだな百乃助。他部署の事とは言え2か月以上も気づかぬお前が悪い」
染木の苦言を終里があしらう。
細菌学の重鎮にこのような口を叩けるのはもはやこの男だけなのだろう。
「とは言え、餌を与えたところで奴が何時、何をするかは予測不可能だった。
あのタイミングで山折支部が狙われたのは我々としても寝耳に水だ。
だが、どのような形にせよロクなことはしないのだけは分かっていた、だから我々はそれに備えてきた」
害意と悪意をバラまく最悪の災厄。
それだけ分かっていれば十分である。
想定あらゆる場所に保険を配置し、念のためを散りばめた。
そうして実った成果が、山折村を襲った悲劇だ。
「懸念していたのは我々に踊らされたことを理解したアルシェルの出方だが。奴が村の呪いに飲まれたのは嬉しい誤算だった。
死人に口なしと言う奴だ。全てを押し付けたところで問題はあるまいよ」
より多くを救うため少数の犠牲を切り捨て、その責任をスケープゴートに押し付ける。
今更その手法に異議を唱えるほど、奥津は青くない。
むしろ、それ以上に汚い手段を取ってきた汚れ役が彼ら秘密特殊部隊だ。
今更それを咎められるような立場でもないし、特に気にしてもいない。
それよりも気にかかるのはその成果。
「仮に計画が成功したとして、世界の混乱はどうなります?」
政府が情報をひた隠しにしているのは世界の混乱を避けるためだ。
奥津の問いに、資料に目を落とした長谷川が眼鏡を上げながら答える。
「この情報が開示されれば混乱により2億人ほどの死者が出るとの予測です」
「総人口の2.5%。99.98%が死滅する未来に比べれば実に少ない犠牲だヨ」
彼らは研究員らしく、救う人間を数字で見ている。
小さな村の1000人など、それこそ誤差のような小さな犠牲だろう。
少数を切り捨て多くを救う。その価値観はSSOGも同じ、いやそれらを突き詰めたのが彼らである。
「そうだとしても、これ以上の感染拡大(パンデミック)は看過できない」
情報漏洩についての回答は保留し、ひとまず奥津は感染拡大の問題にフォーカスする。
この先はどうあれ、この問題は解決せねばならない。
「ソレには同意するヨ。感染拡大は我々も望むところではない。
[HEウイルス]は、マダ表に出せる完成度ではないからネ」
パンデミックの防止。
この一点においては研究所、特殊部隊、そして村民、全員の意思は共通している。
被害の拡大を望むのは世界に悪意を持った者のみだ。
「ならば、その点に関してだけでもご協力いただきたいですね。本当に、女王特定の手段はないのでしょうか?」
「勿論アルよ。肉眼では判別できないと言うダケで、研究所の設備を使えば特定は可能ダヨ。
電子顕微鏡か何かで脳内の細菌を観察すれば特定は可能ダ。モチロン相応の知識は必要になるだろうがネ」
既に何名かの村人が地下研究所にたどり着ているという報告は受けている。
下手をすれば村人たちの中では既に女王は特定できている可能性はあるだろう。
そうなると特殊部隊は情報戦で大きな遅れをとることになる。
「もっと分かりやすい、目視できるような違いはないのでしょうか?」
「ないネェ…………イヤ、今はないがアルと言えばアルか」
「それはどう言う意味で?」
何か思い至ったのか。
染木は説明を始める。
「48時間が経過するとウイルスが定着スルという話は覚えているカナ?」
「ええ。覚えています」
48時間と言うタイムリミットの基準となった話だ。忘れるはずもない。
「コレは子株である[HE-028-C]が[HE-028-B]に変質スル事で起こりうる変化なのだがネ。
デハ、親株である[HE-028-A]が人体に定着するとどうナルと思うカナ?」
クイズでも出すように楽しげに問うてくるが分かるはずもない。
回答を待たず、老人は続ける。
「答えハ、同じく定着と共に変質すル。
我々はソレを[HE-028-Z]と呼称している。マァただの言葉遊びだがネ」
A(はじめ)からZ(おわり)へ。
命名自体は研究所が行っているのだから意味はないだろう。
だが『Z計画』を終わらせる『Zウイルス』と言うは中々に皮肉が効いている。
「ウイルスが[HE-028-Z]になると、どうなるのです?」
「まず、外見的変化が現れる。具体的に言えば瞳が黄金に輝き始めるのだ」
答えたのは研究所所長の終里である。
言われて、終里を見れば、そこにあるのは燦々と輝く金色の瞳。
「これはウイルスの元である私に、と言うより大元である魔法の力、つまりはアルシェルの特徴に近づくのためだろう」
「なるほど。外見の変化は分かりました、では内面、能力などはどう変化します?」
奥津が結論を問う。
いつものように、すぐさま答えが返ってくるものだと思っていたが、どういう訳か研究員たちはしばし押し黙った。
そうして斜視の瞳を天井にやりながら染木が口を開く。
「…………分からない」
「分からない?」
まさかの答えに思わずオウム返しで問い返していた。
ここにきてまさかそのような答えが返ってこようとは思わなかった。
「『第二段階』としての仮説はアル。
ダガ、実証に関してはマダ影響力の乏しい小動物での実験しか行っていない段階だったンだヨ。
今だソコに至った被検体はイナイのサ」
そこに至るには臨床実験。つまり人体実験が必要だった。
そして山折村で行われたテロこそがその人体実験に他ならない。
「一応、仮説をお聞かせ願っても?」
「[HE-028-A]ウイルスを起点とする細菌同士の繋がりに関しては前回説明したネ?」
「ええ、なんでも縁のような概念でつながっているというお話でしたか」
「ソウ。[HE-028-Z]に至るとその縁が別領域に繋がるのではないカ、と言う仮説だネ」
「別の領域?」
よくわからない概念だ。
理解できないのは奥津が科学者ではないからか。
「ですが、それが発生するのは人体に定着する48時間後の事でしょう?」
制限時間に達すれば殲滅作戦が実行される。
その時点で今更女王が判別できたところで意味がない。
「イヤ、ソコまで待つ必要はないサ。コレに関しては君らのお蔭だ。
極限状況においてウイルスの定着は加速してイル」
神経細胞(ニューロン)を流れる電気信号(インパルス)によって脳内の[HEウイルス]は活性化する。
つまり、ウイルスの成長速度は脳内を流れる感情量に比例する。
村に送り込まれた特殊部隊の活躍は極限状況を作り上げ、ウイルスの進化と定着速度を加速させた。
「イヤ。コレは欲ダナ。本来ソコに至る予定は今回の計画にはなかったのダガ。君らのお蔭で手が届きそうだヨ。
『Z』に至った時、ドウなるのか、ワタシはソレが見たい」
これまでにない歪んだ顔で研究者が笑う。
手が届きそうな所に答えがある。
これでは研究者としての欲が鎌首を擡げると言うモノ。
「だとしても、感染拡大のリスクは冒せない。女王暗殺の方針はこれまで通りに遂行させて頂きますよ」
「……マァ。ソウだネ。順調に研究を続ければ5年後にはワカる予定の結論ダ。ソコまで固執する程のものでもないサ」
言葉とは裏腹に名残し気に老人は肩をすくめる。
観測できれば研究成果を大幅に短縮する事になるが、感染拡大のリスクには変えられない。
女王は見つけ次第殺害する。その方針に変わりはない。
「デハ、女王の死亡が確認された後の兵の動きについて話そうカ」
女王の死亡後。感染拡大の危機が去ったあと事態をどう収拾するか。
これまではSSOGの独断専行であったが研究所と連携を取るのであれば必要な議題だ。
「異常感染者に関しては放置してイイ。回収は村から[HEウイルス]の影響は大方消え去った24時間後にでもすればイイサ。
後遺症は残るダロウが、ソレはこちらで引き取って処置しよう」
記憶も残らないゾンビたちはSSOGとしても放置しても問題はない。
問題は正常感染者の扱いである。
SSOGの方針としては最重要タスクである女王の暗殺を完了後、正常感染者は皆殺しにする予定だった。
実に特殊部隊らしい、手っ取り早くて確実な方法だ。
「女王の死亡が確認されタ場合、正常感染者に関してハ、殺害ではなく保護に切り替えて頂きタイ。
不要な虐殺は『採算が合わない』のでネェ、中々言いエテ妙ダ。彼女ドコまで分かっていたんだカ」
だが、研究所の方針は異なる。
なかったことにするのではなく、公表を目的とする以上、生存は必要である。
研究所が卑劣なテロリストによって妨害工作を成された被害者の立場でありたいのなら。
無為な虐殺ととられるような行為を続けるのは採算が合わない。
「彼女とは誰の事でしょう?」
「コチラに交渉を仕掛けてきた娘サ。残念ながら先ほど脱落者の中に名前がったようだがネ」
ハヤブサⅢか。
奥津は内心で通信者の名に確信を持つ。
具体的な通信なようまでは把握していないが、通信室で動きがあったことは報告を受けている。
「まぁ、保護と言っても現地での悪評が広まっているキミらでは厳しかろうが、まぁ手段は問わない」
「ソノ娘と女王殺害後の正常感染者もコチラで保護すると言う交渉はしてアル。コノ事実を上手く利用するとイイ」
これまで敵対していた外部の人間から救いの手を差し伸べるより、内部の人間であるハヤブサⅢが得た成果とした方が理解は得やすいだろう。
結果としては村人は助かるのだから、言動を利用された所で利害の一致だろう。
むしろ彼女は自身の行動を利用されることを想定していた節すらあるように感じる。
「ダガ、例外がアル。先ほどの言った通り定着の速度は加速していル。
ソノため既にB変異している正常感染者がいてもおかしくはナイ。ソレに関しては処理せねばならナイ」
既にウイルスの定着したB感染者に関しては女王が死亡しようと感染拡大の感染源足りえる危険な存在である。
女王と同じく放置はできない。
「それはどう判別すればよいのでしょう?」
「女王の死後おおよそ1時間から6時間の間にウイルスの影響は薄れ異能も喪失していく。つまりその段階になっても異能が使える奴がいるならそれがB感染者だ」
女王の死後のロスタイムと言ったところか。
その選別が完了すれば少なくともVH騒ぎは収束する。
事態の終わりについて明確になってきた、ちょうどそのタイミングで奥津のポケットが振動を始めた。
ポケットからスマートフォンを取り出し、発信者の表示された画面に目を落とす。
「失礼。緊急の連絡のようだ」
「構わんよ。ここで受けたまえ」
手を差し出し席に着いたままでいるよう終里が促す。
それは、ここで受けてもいいというより、ここで話せという圧である。
奥津は観念して画面をスワイプして通話を始めた。
「私だ。どうした?」
『隊長。ハヤブサⅢの排除、および通信機の破壊任務の達成を確認しました。
通信制限の限定解除が可能となりましたがいかがいたしましょう?』
「ああ、構わない、実行してくれ」
『了解しました』
短い報告と許可を経て通話を切る。
「それで? 何かあったのかね?」
奥津が携帯を収めると同時に終里が問う。
山折村の事案にかかわる話だ、答えないわけにもいかない。
「現地の障害が一つクリアされ、軍用通信が可能となりました」
「ホゥ。イイじゃなカ。現地の隊員と直接話をできるという事だネ?」
方針の変更を打診していたタイミングでの事だ。
研究所としてはこれ以上ない好機であり、奥津としてあまりよくない状況となった。
「この方針を受け入れ、現地に伝えて頂きたいのだが。どうかな?」
研究所の長が問う。
女王殺害を契機に殺害から保護へ。
真逆と言ってもいい、大幅な方針変更である。
現地の村民に悪感情を持たれているSSOGでは難しかろうが。
救出を裏の事情を知らぬ自衛隊の別部隊に任せる手もある。
SSOGは悪役として泥をかぶる事になるが、救出任務自体は達成できるだろう。
だが、それ以前の問題として。
「希望はお聞きします。ですが、我々はあなた方の方針に賛同したわけではない。
何の理由があってあなた方に協力する必要があると言うのです?」
研究所は政府の方針に反している。
これに従うのは明確な裏切りだ。
それをするだけの理由がどこに。
「―――――世界を救える」
端的で明確な答え。
これ以上ない報酬である。
軍人は任務に疑問を持ってはならない。
だが、そもそも国そのものが消えるとするならば?
この決断は世界の存亡が文字通りの意味でかかっている。
隊を預かる将として。
真に祖国の守護者たるならば、何を選ぶのが正解なのか?
その決断を迫られていた。
最終更新:2024年06月12日 22:36